パスワードはV・E・S・P・E・R   

ヴェスパーは自分が囮になったために、捕らえられてしまったボンドがどんな目に遭わされるか、分っていただろうか?彼の苦悶の声を聞きながら、どんな思いで居たのだろう。ホワイトと取引をして、辛くもボンドの命を救った時に、彼女はそこではっきりと自分は死ぬ覚悟をしたのだろう。ル・シッフルが死んだという事もあったにせよ、彼女は恋人を捨て、最終的にボンドを取った。運命とはいえ、二重三重の裏切り。

死の拷問から蘇ったボンドが小康状態になった時、彼の前でヴェスパーが素直になったのは、過去を振り切ってボンドの愛につかの間でも応えようと思ったからに違いない。死線を脱し、好きな女を目の前にして生まれたての子供のように安らいでいるボンドを見ては、彼女は高ぶってくる自分の感情を抑えることができない。



「たとえあなたが全てを失って、笑顔と小指の先だけになったとしても、
あなたは私にとって、男の中の男よ」




(なんでそんなに高ぶってるんだ?俺はもう大丈夫だよ)
「…君は俺の小指の技を知ってるか?」
「知らないわ」
「試してみたい?」



ここでボンドは究極の愛の言葉を彼女に囁く。  
「俺の鎧は君に脱がされた。裸の俺は、いついかなる時にも、まるごと君のものだ」
彼女の頬をつたう涙。
I'm yours. こうまで言われて裏切らなければならぬとは、いかなる星のもとに生まれて来たのだろう。
そして、彼女は更にボンドの想いを知ることになる。彼が決めたスイス銀行の口座のパスワードは「V E S P E R」。それは二人が出会った日に、カジノで決めたパスワードだ。6文字以上で、と行員に言われて彼の脳裏にはすぐさま彼女の名前が閃いたのだ。ボンドは愛と信頼の証に、彼女にそれを入力させる。スペルを辿りつつ3文字目で自分の名前に気づき愕然とする彼女。入力しおわると、よろめくように背を向け、椅子にへたりこむ。額に手を当てて身を支える。ボンドの無垢な笑顔さえ、見るだに辛い。彼を愛さなければここまで辛くもなかっただろう。初対面の印象通り、ずっと厭な奴だと思っていられたらどんなに良かったか…。

体が回復し、二人の関係が深まるにつれ、ボンドは明日をもしれないスパイではなく、ただの、一人の平凡な男として生きたいと願うようになる。二人のベッドで、ボンドが彼女との将来を夢見ている時、傍らのヴェスパーは彼を残して、一人旅立たねばならない日の事を考えている。それは今生の別れ、二度とこの世では会うことのない別れだ。この次、連中から連絡が入ったら、彼女は行かなくてはならない。それは本当に遠くない未来、ほんの数日先のことかもしれないのだ。
平穏な未来を思う男と、永遠の別れを考える女。
つかの間の幸せに浸りながらも、二人の間には既に此岸と彼岸とを隔てる川が流れている。


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パスワードはV・E・S・P・E・R   

ヴェスパーにとっては、何はともあれ、巨額の国家予算を失おうとも、ボンドが勝負に負けてくれたほうが良かっただろう。ボンドが見抜いたル・シッフルのブラフの癖を内通したのも、早く勝負をつけてしまって、こんな苦しい状況から一刻も早く解放されたかったからに違いない。だから追加資金があると最初に言いながらも、頑としてボンドに追加の金を出さなかったのだ。負けた方が事はシンプル。失うものは金だけだ。しかしボンドは勝ってしまう。だがそこで全てが大団円にはならない、勝つと物事が余計にややこしくなることが分っていたのは彼女だけだった。祝杯をあげようというボンドに付合って食卓に向かい合ったヴェスパーの胸中はどんな複雑なアラベスクを描いていたのだろう。



目の前で屈託なくキャビアを載せたトーストを食べているボンド。最初は傲慢で冷血漢で自惚れ屋の、鼻持ちならない厭な奴だと思っていた。でも、その彼にして人の痛みを察していたわることができる鋭敏で繊細な神経があったのだ…。あのシャワールームで、何かが変った。あそこで彼女に何かが生まれたのだ。ヴェスパーもボンドに心の一部を預けてしまった。そして彼女の抱える問題はより複雑になった。

ボンドはオリジナルカクテルを味わって満足げだ。最初にレシピを思いついたとき、ヴェスパーへのキスと交互に味わったドライ・マティーニ。



「うん、いける味だ。このカクテルに名前をつけなきゃ。…そうだな、ヴェスパーって名づけよう」
「…ほろにがいから?」
「一度この味を知ったら、もう他のものは飲めなくなるからさ」
殺し文句を言ったあとで、ふっと照れくさくなるボンド。



「ぐっとくるセリフだろ?」 
「そうね、素敵だわ」
ふと少女のように微笑むヴェスパー。いつも硬く仮面を被っていた彼女の笑顔。



「…君が笑った」
冷笑ではない彼女の笑顔は初めてだ。 …君は俺を厭な奴だと思っていたろ?
「だって、あなたが可笑しいからよ…。」
ボンドは少年のような顔ではにかみ笑いをする。心底骨の折れた仕事を片付けて、気になる女と二人きり。「生きてて良かった」ひとときなのだ。

更に、彼女はずっと自分を見ていたボンドの「視線」に気づくことになる。彼は会いしなから彼女が常に身につけているネックレスに気づいていた。それが特別な相手からのプレゼントであることも。彼女の想いがずっとそこにあることも。
「そのネックレスは、愛の飾り結びだね」 
「綺麗だから買ったのよ」
「嘘つけ。誰かの贈り物だろう?」 一体どこのどいつなんだ。そんなにいつも肌身離さず身につけていたいと思うなんて。
「ラッキーな男だな…」 君の気持ちはここには無いか。俺の入れる隙間も無いか。

ヴェスパーの顔にたちまち宿る複雑な翳り。
あの人がラッキー? 私と関係があったばかりに今はル・シッフルに捕らわれているあの人が?

そして、"不吉"な彼女の携帯が鳴る。

「君は何かに追われている、何かは判らないが、何かに追われている。」

ボンドは、硬い殻の中で些細なことにも震え、揺れ動きやすい彼女の心が、なにか外的要因によるものだと漠然と気づいている。そしてそのエキセントリックささえ、魅力的に思えるのだ。


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ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ…カジノ・ロワイヤルのベネチア

ベネチアという都市には、昔から興味があった。ベネチアとか上海とか、その成り立ちが特殊な海に面した街というのは、独特の魅力に満ちていて、しかも退廃的なのが特徴だ。(同じぐらいに思い入れは強いけれど、上海についてはまた別の機会に書くとして、今回はベネチア。)



ベネチアについての本で一番有名なのは、塩野七生の「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年」だろう。沼地に木の杭を打ちこんで、その上に石を積んで街を造ったなんて、この本を読んで知ってかなり驚いたものだ。
そんなわけで、沈む。
ずぶずぶと、刻々と、少しずつ宿命的に沈みゆく都市なのだ。

ベネチアを治める元首(総督)をドージェといい、ドージェが住む宮殿をパラウッツォ・ドゥッカーレというのだという事は塩野センセイの本を読むより前にマンガから教わった。昔、森川久美さんというマンガ家がベネチアシリーズというのを書いていて、主人公バレンティーナはオスカル様のごとく美しい、金髪の男装の女性元首。(この男装の麗人ドージェが「クリスチナ女王」のガルボ様っぽい雰囲気を醸していて、なかなかに素敵。 …ちょっと脱線した)

ドージェは、都市の浮沈を握る地中海の神をなだめるのも仕事で、「海との結婚」という儀式をつかさどる。海に銀の結婚指輪を投げ入れていわく、
「海よ、おまえと結婚する。おまえが永遠に私のものであるように」

その結婚は固く果たされ、ベネチアはいずれ海の中に緩やかに没していくに違いない。
永遠の海との結婚である。

そんないずれ滅び行くさだめを負っている都市ゆえに、「死」と「退廃」のイメージは色濃くベネチアを包んでいる。それをもっとも端的に表現したのが、あの「ベニスに死す」。小説もいいが、映画はもう言わずもがな、である。音楽にマーラーを持ってくるなんて、本当にニクい。
ロマンティックでゴージャスであるが、表裏一体に「死」と「退廃」を抱えているというところがベネチアの魅惑の源泉である。カルナヴァーレの絢爛と喧騒の狭間にも、すぐそこに死が忍び寄っているというイメージだ。

ここからはすでに観た人だけが読んでください。

そういう都市であるベネチアにクライマックスを持ってきたところが、これまた「カジノ・ロワイヤル」にワタシが思い入れる所以だ。
光と闇が同居する中、運命もまた交錯する。地中海のさんさんたる日差しをあび、ボンドが幸せの絶頂をすごし、最大の喪失を迎えるベネチア。
ここで「ベニスの死」を迎えてしまうのは最愛の女…沈みゆく街に、沈む女である。
運河に沈むヴェスパーは、オフィーリアのごとく髪を水中にくゆらせてひたすら悲しく儚げだ。(水中であんなに美しく優雅に死ぬのは現実的には不可能だろうが)
彼女が、扉をこじ開けようとしているボンドにつと近づいて、本当にいとおしそうにその指に頬擦りし、くちづけるシーンはしみじみ切ない。


「別れのほおずり」

この映画は「指」を使った愛情表現がうまい。シャワールームで指の血が落ちないと震える彼女の手を取って、ボンドがその指をくわえるシーン、そしてセリフとしては「たとえ小指だけになっても…」のシーン(このへんは、もう1回見てきてからまた書こうと思う)そして死に際してヴェスパーがボンドへの愛情と farewellを表現するこのシーン。
ヴェスパーが最後にボンドの指にくちづけるのは、シャワールームで、ボンドが自分の指をくわえて落ち着かせてくれたことへの、愛のサインのお返しである。

そして彼女は自ら激しいといってもいい勢いでボンドから離れ、行って と叫ぶ。
よしんば生き残っても、ボンドには裏切り女として憎まれるだけである。
それならば自ら死を選び、永久に男の心の中で生きたほうがいい。
ボンドは超人的な肺活量で、彼女を檻のようなエレベータから救い出そうとあがく。この時点ではまだ、自分の愛と信頼を裏切ったbitchであるとしか思えないにもかかわらず。そして崩壊した空家の屋根に引き上げ、すでに冷たくなった女に人工呼吸を施す。もう息を吹き返さないと分った時、それは死の接吻へと変っていく。呆然として、死んだ女をみつめる。自分を騙した女の骸(むくろ)を抱きしめる。たとえどんな女であったとしても、生きていて欲しかったのだ。
何故なら彼女はただ一人、ボンドが「裸の心」を見せられる存在だったから。
このヴェスパーの死から、Mとの会話まで、ダニエルボンドの目は、凍りついたような薄い水色である。

…bitch is dead.    「もう、誰も愛さない」って感じでしょうか。

ヨットに揺られながらのMとの一連の会話の間、ボンドの顔は憂愁に沈んでいる。
遣り切れなさを隠し、強がりで言う「bitch is dead.」 しかし深い喪失感はぬぐえない。
彼の背後には「沈み行く」ベネチア。
そして運河の底には、彼の「心」が永久に沈んでいる。

「ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く一抹の淡き線となる」( by Soseki Natsume)


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その鼻濁的低音を堪能せよ

ダニエル・クレイグの声は低く落ち着いていて、しかも滑らかだ。そして少し鼻にかかっている。セリフを言う時の滑らかな発声と微妙な抑揚が最後に鼻にかかって柔らかくなる。ちょっと鼻濁音気味になる。それが、独特のセクシーな耳触りを生む。

Mの部屋で話している時も、列車の中でヴェスパーとしゃべる時も、そういう耳触りのいい声音で、非常にソフトな語り口。「I'm "the money"」と言って目の前に座った彼女を、おや?…ふぅん という感じで眺め、微笑みながら「 Every penny of it」と返す時の、あのえも言われぬ洒落た抑揚。



低音で耳触りのいい声に弱いワタシは、まず、この「声」に惹かれて「ダニエルの小道」に迷いこんでしまったわけである。

そのキッカケはこれ。


Yes. Considerably. (と言ってるんだと思うけど、違ったらペコリ)

トレーラーで散々観た、例の「It takes 2」の下りであるが、ズドンと一発、軽々と2重スパイを始末して、チャッ!と銃をリセットする前の、Yesの一言のさりげなさ。そして、そのあとの小気味のいいセリフの溜め具合にグっと来た。
イケてる…とそこですでに陥ちてしまった。  声の威力は絶大だ。
これで、ダニエルがもし甲高い声の持ち主だったらと考えると、なんだか物悲しい気持ちになる。ナガシマシゲオのような声など出されては、それこそ一巻の終り。それだけは待ってくださいという気持ちだ。顔だけ見ていると、もう少し高めの声を出しそうにも見えるのだが、脳天から出るような軽い、薄い声など出された日には、声フェチのワタシは百年の恋も一瞬に醒めるかもしれない。少なくとも、ここまでハマる事はなかったと思う。低いけれども、ガラガラとしゃがれてもいず、低過ぎもせず、頃合いの低音で、しかも耳触りが柔らかいのである。よく、いい声のことをベルベット・ボイスというけれど、ダニエルの声はフランネルのような肌触りだ。こんな声で、耳元で囁かれたらひとたまりも無い。

そして、みんなお気に入りのあのシーン。
ホテルに向かうタクシーの中で、ヴェスパーと軽くやりあう場面で、「恋愛に宗教を持ち込まないでくれ。ドアに鍵をかけたきゃかけろ。君は俺のタイプじゃない」と言ってプイッと窓の方を向くシーンだ。



この時は声はあまり低くはないが、なんか大人の男とスネた子供が一緒になっている感じで、観ていると胸がキュッとする。Smart?と訊くヴェスパーに、まだ向こうを向いたままでふっと投げ出すように Single と返すところに、その場限りの遊びで男女関係をやっつけてきたこれまでの生き方が立ちのぼってくる。その裏には幼少時に両親を事故で亡くし、長じては明日をも知れない稼業についている俺、という拭いがたい虚無感が漂っているのだ。まあ、そんなことまで感じなくても、このぽつりと出たひとことにこもるニヒリズムは万人に間違いなく伝わってくる。こんな芝居の出来るボンド役者なんて、まったく前代未聞というべきだろう。

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ダニエル萌え Part2

前回に引き続き、またもダニエル萌えを展開させていただこうと思う。
なんという性懲りのなさ。でも、萌え萌えポイントが多いので致し方ない。どうにも止まらない。  ダニエルがそれだけ 罪な奴 という事である。

まず、ワタシは確信を持って言うが、ダニエルは伏目になった時に「もっとも男前度が上昇」するのだ。なぜに伏目?あの自慢の青い目がマブタで隠れて見えないじゃん、と思われるだろうが、目を伏せ気味にした顔が、この人はとても良いのだ。



ね。 いいでしょう?
ポイントはマブタのラインと二重(ふたえ)のライン。このふた筋のラインが、たれ目なので緩やかに目じりに向かって下がりつつ、えも言われぬカーブを描いている。その曲線が美しい。しかもその曲線の下に長い、密度の濃いまつげが影を作り、青い瞳を覆うのである。この二重のラインは少し物憂げで、どことなくほろ苦く、とても悩ましげだ。この伏せ気味のまなざしで、上から見下ろされて口説かれたら、もうなんでも言うことを聞いてしまいそうである。(それでなくても言うことを聞いてしまうのであるが。)

そしてこの角度から見ると唇の形がくっきりとしてとても綺麗である。上唇は薄く、下唇は厚く。下唇の下のラインがくっきりとしているのがまた、ね。
照明が暗いので、懸案の眉毛の存在も一応、自然に浮かび上がり、それによって、伏せられたまぶたの翳りが、余計に悩ましく引き立つのである。

このシーンは、ヴェスパーにキスをした後で、カクテルを一口味見してみて、「おや、いけるぞ」という顔をしているところ。オリジナルレシピの味が良かったのか、ヴェスパーにキスをした後だから、余計にいいのか、そのへんは定かではない。いずれにしても彼女の名前を付けることになるカクテルだから、相乗効果で二度美味しいのであろう。



末尾ながら比較対象のために、目を開けているところも1枚。



うほ!
これも、むろん素敵なわけであるが、ワタシとしては少し伏せ気味のまぶたに、より惹きつけられる。まあ、もちろん、トレードマークのブルーアイズにモノを言わせたほうが雄弁ではあるんだけれどね。要するに、伏せられた目にさえも何かしらの魔力が潜んでいる、と言いたいワタシなのである。

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補足記事と蛇足のダニエル萌え

いまさらですがネタバレありありですので、一度観た方だけ読んでください。

1回の記事に文字数の制限があるので、「裏切りは女のアクセサリーか」の中に書ききれなかったことを追記しようかと思う。

ボンドがヴェスパーに心を惹かれている事を示すシーンだが、まずは前にも書いたように、カジノに彼女が入ってくる姿に目が釘付けになるシーン、次には、一度大負けしてヴェスパーに追加資金を断られ、ブチギレてトンデモ行動に出ようとしたところを、フィリックス・レイター(from ラングレー)にきわどいところで援助してもらって、ゲームに戻り再び勝ち始めたシーン。(この負けるシーンについて、ヘタレだ、あんなの007じゃない、とかいう意見を見かけるがこれは原作通りの流れ。ル・シッフルを刺そうとしたことは別)ここで、少し余裕が出てきたボンドは「どうだよ、俺のこの賭博師っぷりは。元手さえありゃ、この通りよ」と言わんばかりな得意満面の顔で彼女を見る。さっきスゲなく追加融資を断られたので示威行動をしたいのだ。子供っぽい(かわいい)。
この時、とにかくじーっとボンドはヴェスパーを見ていて、頼んだお得意のカクテルが来てもじっと彼女から目を離さず、グラスに口をつけてマティーニを啜る間もじっと彼女を見たままだ。そんなにもウツツを抜かしているから毒を盛られる可能性についても頭も回らず、ウカウカと盛られてしまうのだけど、国家予算をつぎ込んだ大勝負の脇に、気になる女がいたんでは、そりゃもう気もそぞろになろうというもの。しかも、今は勝ってて有頂天。若気の至りで仕方なし。許してたもれ。


見過ぎ注意報発令されそうなぐらい、見過ぎ

次には、例のキビシイ拷問からなんとか助かって湖畔での療養中、うつらうつらとした夢の中に出てくるのはひたすらヴェスパー。また危ない目にあっていないのか、誰かに騙されていないのか、かどわかされていないのか…。ふと瞼の向こうにうっすらと女の気配。そこに居るのは君なのか?目を開ける前から、口元がゆるむ。そこに居るのは君だろ?…それとも俺はまだ夢の中にいるのかな。思いきって目を開くと目の前には彼女の笑顔。やっぱりそこに居たんだね、夢じゃなかった。待てよ、これもまだ夢かもしれない。もう一度目をつぶり、もう一度ぱっと開く。そこにはやっぱり彼女の笑顔。やあ、やっぱり君だ。無事だったんだな。そしてそこに居てくれたんだな…というニュアンスを込めて安心してまた目をつぶる。このシーンをダニエルは無言で演じているのだけど、ほんと、しみじみ うまい と思う。


目を閉じて君がいて、目を開けて君がいて…ってな感じでしょうか。


ダニエルボンドがヴェスパーを見る何気ない視線に、愛がこもっているシーンも結構ある。なかんずく、ワタシが好きなのがこれ。



もう、ここからはダニエル萌えだけど、大好きなんです、このTシャツ姿。この肩幅。でも、モリモリしてないのだ。そしてこの真剣なまなざし。おまけに背景はベネチア。言うことなし。

もうひとつマイ・フェイバリット・ダニエルボンドを挙げておくと、この「誰であろうと始末する」のシーン。この時のサファイアのような目の輝き。ちょっと重低音気味の声。掴まれます。



この後、少し打ち解けたかと思うと、"不吉"なヴェスパーの携帯が鳴り、彼女は早々に席を立つ。礼儀正しく立ちあがって見送りつつもいくばくかの落胆はぬぐえない。この後大変なことになっていくわけだけど、この食事のシーンはいいですね。「愛の飾り結びだ」なーんてさ。

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そのベタな世界観にハマれるか

「007カジノロワイヤル」の今回のタイトルに就いては、あちこち覗いてみると肯定派7割、ちぉっとねー派3割という感じだろうか。

ワタシもご他聞にもれず、公開前にYouTubeでオープニングタイトルの部分は劣化した動画で見ていた。曲は特にいいと思わなかったが、グラフィックスの方には無条件に身を乗り出した。ゲーム画像みたいだとかいう意見もあるが、まあ、それでいいのである。
ある種のキッチュ感も含めて、このグラフィックスには掴まれた。カジノだからモチーフとしてはトランプやルーレットで世界観を作りやすいとも言えるけれど、ふぉふぉーん、ヤルなと思った。

この万華鏡のごとく常にあちこちが動いている世界の中で、ボンドの影絵は幾人かの敵を次々と殴り、或いは銃で撃ち(ここで出てくる弾はトランプのマーク。またはトランプそのものが手裏剣みたいに繰り出されたりもする)、やがて「James Bond 007 status confirmed」となって、カメラの前までトランプとお札が乱舞する中を悠然と進んできて、いやがうえにも青い目の目立つ大アップの見得で本編突入となる。ヒュ?ヒュ?もんである。



モーションキャプチャーであろうボンドの動きを、ややスローテンポにしているのが動作に力を与えている感じもある。
まあ、ウダウダ言うまい。
要は、ワタシは見るなりこのグラフィックスには掴まれたのだ。
そして、劇場で観て、その鮮やかな色彩を堪能した。劣化したネット動画では色もくすんで全体に色調も暗かったので、ひとしお発色の鮮やかさが沁みたのかもしれない。体ひとつで、次々と敵をなぎ倒して進んでいくボンド。くねくねと腰をひねったり、ぷるぷると胸や腹をゆすったりするねーちゃんは一匹も現われない。このカラフルな万華鏡世界は、非情な裏社会に生きる男たちの世界である。そこに唯一存在する女性は、ボンドの心の中に住むヴェスパーだけなのだ。

ダサく感じたとか、くどいと思ったという向きもあるようだが、そもそも007のオープニングタイトルですっきりスマートなものなどあったかどうか(全部観ているわけでもないので断言できないが)記憶にない。スッキリとシンプルに造ることもできたかもしれないが、こういうオープニングを持ってくるという今回の製作陣のセンスが、良くも悪くも自分の感性と合ったのだと思う。だから、何度も観に行ってしまうことになるのだろう。

でも、劇場で観てみて、予想外の収穫があった。それは例のクリス・コーネルがシャウトする主題歌である。主題歌がいい、という人も結構いるし、公開前からいい、いいと言っている人もいたのだけど、YouTubeで聞いた時の印象は「………」という感じ。可もなく不可もないが、格別いいとも思われない、というものだった。よく言われているように、80年代のロック風味バリバリである。微妙な古くさ感だ。
そして、劇場で観てみたら、なんとダッサい字幕がついてきた。うへ!と当初は思ったのだけど、ベタな言葉で「オレの生きてる非情な世界」について歌っているという事がそれでわかり、「無慈悲」とか「欺く」とか「裏切り」とか「冷たい血」だとかのベタなキーワードが、一応作品のエッセンスを伝えているという事がわかると、このダサ感が逆に高揚感に変ってきた。
不思議なものである。歌であるからには音だけではダメで、歌詞の意味がわかるとそこで何かが化学変化を起こすのだ。
今でも曲そのものは、そんなに良いという感じはしないし、これがサントラ盤に入らなかったのはお互いのために(クリス・コーネルにとっても、デビッド・アーノルドにとっても)良かったのだろうと思う。サントラ盤は早速購入して、気持ちよく聴いている。このインストゥメンタルの中に、あれがぶち込まれてもいかがなものかと思われる。その意図はなんであれ、コーネルのご意見で入れなかったのは正解だった。
全体の音楽の中で、主題歌だけが浮き上がっている感じがある。奇妙な違和感がある。だけど、そのコテコテな「オレ様世界」が導入部としては妙に効果的なのだ。ベタな世界観にハマって高揚するのはけっこう快感なのである。
この感じは、ある種東映の任侠映画の主題歌のフィーリングに近いとも言える。(マニアックかつ古い喩えで恐縮)
必ずしもスマートなものだけが、観客の心をつかむわけではないのだ。
なんだかクセになりそうなコテコテ世界なのである。

♪Arm yourself because no-one else here will save you…

気がつくと鼻歌でサビの部分を口ずさんでいたりする。おそるべきそのパワー。
クリス・コーネル 侮りがたし。

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ちょびっとキャラ被り特集

「カジノ・ロワイヤル」にワタシがはまっているのは、話の造りもキャスティングも全てにおいて好みだから、という事が最大の原因だけど、なかんずくハマっているのが、新ボンドのキャラなのだ。 いわく「やんちゃくれのはみだし者」

向こう見ずでクールでコワモテぶってはいるけれど、根は繊細で真面目で一途でロマンティストでさえある。凶暴なパワーがあり、自分の思いこみで暴走するが、惚れた女には真剣で、一生懸命。女のためには仕事だって辞めてしまう…ん?あれれ、ちょっと待った。
こういうキャラは前にも見たなと思ったら「L.A.コンフィデンシャル」のラッセル・クロウ演じるバド・ホワイト刑事だった。
よく見たら髪型までクルーカットっぽくて似て蝶。でも別に顔は似ているわけではない。体系も一応マッチョ系という括りではあるものの、ラッシーはレスラー体型。ダニエルはボクサー体型。そのへんはまったく違う。ラッシーはドスンドスンしている。
スーツもモッサリして冴えないし、でっかいオシリでドッタドッタ走る。
でもキャラの表している方向性はとっても近い。腕のぶっといところも近い。



まあ、バド刑事の方がより直情径行ではあるけどね。そういえば、この映画が封切られた時には、ちょっとラッシーもいいなと思ったものだった。(遠い目)
なんかもう、かなり遥かな昔のことのように思う。でも、なーんかラッシーには萌えきれなかった。何が原因だったのか。オシリがデカ過ぎたせいか。なんとなくいつも肉付きが良過ぎるせいかもしれない。ともかくグラディエーターまではちょっと萌えだった。しかし演技派としては、ラッシーもダニエルといい勝負。今後、オファーが被ったりすることもありそうだ。
それにしても、こういうキャラを演じる時は、なんでかクルーカットにしたくなっちゃうものだろうか。キャラ的に耳や額に被るような髪型ってのは、ありえないのかもしれない。

さて、この映画ではもう一人、ひそかに似て蝶っぷりを発揮している人がいる。
誰が誰に似て蝶なのか。
分りました?

実は、ケビン・スペイシーがなんとなく、ショーン・コネリーに似て蝶なのである。この映画では。微妙なんだけど、見ていると、誰かに似てるなぁと思って、ハタと膝を打つ。「コネリーだ」と。ポイントは生え際のM字ラインだと思うけれど(共に疑惑の生え際)、「L.A.コンフィデンシャル」ではとても様子ぶっててキザなので、そのへんもイメージが被ったのかもしれない。



ここからは「L.A.コンフィデンシャル」とは無関係だが、ダニエルにちょっと似て蝶な人というのは何人か居ると思う。ワタシが思うに、横を向いたときにある角度から見るとちょっとだけ似てるのが御大カーク・ダグラス。
ダニエルはマッチョマン系統ではあるが、ケツアゴ系ではない。だからあごの形が似ているわけではないのだが、何の加減でか ふとカーク入ってるぞ、という瞬間がある。
なぜにカーク、しかしカークなのである。



(↑もっと似ている写真があったので変えてみた。どうでしょうか。このカークっぷり)

以上、「うっすらと似て蝶」特集でした。

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着やせのダンディズム 「007カジノロワイヤル」



「見よ、この男ぶり。どこがuglyなのか、とくと説明してみてほしいもの」

別に男は「筋肉」と思っているわけではないが、無論、無いよりはあった方がいい。
ダニエル・クレイグは、本当に散々な誹謗中傷を受けながらも、自分のスタンスを守って見事にそれに背負い投げを食らわせてみせた。何しろ「ボンドじゃない」、「ジェームズ・ブロンド」あたりまではともかくも、極めつけは「Daniel Craig is ugly」とまで言われたのだ。
uglyですよ。なんたる失敬。なんたる罵詈雑言。事実無根の悪口雑言である。
uglyだなんて、ねぇ。
時折、光線の加減で「微妙」になってしまう時があるだけだ。

まあ、こういう有象無象を黙らせるためにも、タフな撮影に耐えて可能な限りのアクションを自ら行うためにも、屈強な筋肉で身も心も鎧う必要があったわけだろう。
ワタシ個人としては、ちょーっと筋肉つけ過ぎじゃないのかな、これは、と思わないでもないのだけど、「ボンド役」を担うことによる、あらゆるプレッシャーに耐えて跳ね返すにはあのぐらいの厚みが必要だったという事なのだろう。

でも、よくもここまでハードに締まった外見を作ったな、と思う。
なんせ、あの最初の製作発表会見。(あれが些かまずかったんだと思う。今見ると却って新鮮な感じもするが、とにかくあまりにもフツーって感じ過ぎたのだろう)髪は長めだし、地味なスーツに勤め人みたいな赤いネクタイで、ほんとそこいらの会社でウロウロしてる事務系のおとなしいサラリーマンみたいな印象だった。そこそこハンサムではあるけれど、何よりもひ弱そうに見えたのがまずかったのだろう。後ろからどつかれたらヘタヘタと転びそうな雰囲気であった。



ともあれ、さまざまな紆余曲折は経たが、結果はごらんの通りである。
めでたい。ご同慶の至り。ダニエルも会見時の頼りない羊から孤高の豹へと変貌を遂げた。トレーラーを初めて観たその日から、ワタシもすっかりダニエルさんの虜である。
そしてどこでも言われているのが、あのものすごい筋肉をどこへ隠してしまうのかと思われる服(ことにタキシード)を着た時の着やせっぷりである。

この衣装で表現された成長するボンド君については、パンフレットにも語られているが、読まなくても観客にもちゃんとそれがわかる。
登場した当初はマッチョで凶暴で強引な「ウル・ボンド」。アロハにチノパンの姿で、服の上からもその屈強な筋肉がうかがわれる。
次の「オーシャン・クラブ」あたりから、少しだけスマートになってくる。ここで着ている半袖の白いシャツは涼しそうだ。任務のために人妻も口説くが、功名心にはやっている為、情報をゲットするや空港へと猛ダッシュ。人妻は置いてきぼり。据え膳を食わないボンドも新機軸だ。(この時の、床の上のラブシーンでのダニエルボンドのさめた目つきにご注目。あくまでも「仕事」でやっているが出来れば省エネで済ませてぇなという顔だ)
そして、ついに列車のシーンにスーツ姿で登場。
(メニューが配られるまでの短い間、一人で窓の外にふっと目をやったりしている横顔が、とってもナイス。個人的なツボである)
ここで、初対面のヴェスパーに「スーツも似合わないことはないけど、イヤイヤ着ているわね?」と喝破される。確かにスーツよりはTシャツの方が板についている気配ではある。ポロシャツもワイルドでいい。ワタシは殊にヨットの上で着ているグレーのTシャツ姿が好きだ。Tシャツというのに、下の筋肉をあまり感じさせない。すーっとスマートなのだ。

そしてそして、ついに真打のタキシード登場となる。
このタキシードにまつわるヴェスパーとのやり取りも微笑ましい。
もちろんブリオーニの仕立ておろしだから、ラインも綺麗に出るように服も作られているのだろうが、とにかくモリモリと膨れ上がったりせず、スーっとスマートなシルエットで、堂々の伊達男っぷりを披露してくれた。
これにてボンドのダンディズムは完成形を一応迎えるわけだけど、人間ボンド君としてはまだまだ血気にはやっている。大負けするや、ナイフをひっつかんでル・シッフルを刺しにいこうとするなど、まだまだな「途上」っぷりも描かれる。それがこの映画の面白いところでもある。



余談だが、ワタシの父は、コネリーボンド世代である。子供の頃、テレビでコネリーボンドの映画を見ながら、「ほら、あんな胸毛ばりばりのごっつい体なのに、スーツ着るとすーっと痩せて見えるだろ?これが日本人と違うとこなんだよ」と解説してくれたのを覚えている。
今回、ダニエルが着用しているのも中身のカラダが貧相だととても着られたものじゃないタイプのタキシード。肩幅と胸板がないと、とても着こなせない服なのだ。だけど、着ている時にはその下のもの凄い筋肉をほとんど感じさせない。(ほとんど感じさせないが、微かに感じるところがミソ)これを伊達と言わずして、何を伊達というべきか。そして何度も血まみれになりつつも、このタキシードだけはけして汚れないのは何故なのか。

そうそう。光線の加減でダニエルの顔が微妙になってしまうのは、眉毛が逆光で消えてなくなる、または薄くなるからというのが主な理由だと私は思っている。
そこで、ワタシなりにちょっと遊んでみた。
微妙に、印象が変るように思えるけど、いかがでしょうか?



別に何もしなくたって、ダニエルはダニエルだからいいようなものなんだけど、
ついつい、ね。
余計な世話を焼きたくなってしまうのも、惚れた弱みでございます。

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「007カジノ・ロワイヤル」裏切りは女のアクセサリー、か!?



ネタバレありありですので、未見の方はスルーしてください。


それにしても、ヴェスパーはいつから敵の罠に落ちていたんだろう?ゴージャス列車の食堂車に「I'm The Money.」と言って現れたときから既に?
でも、ボンドの方はこの時にまさに恋に落ちたんだと分かる。最初に、一目見たときから落ちてしまったのだ。その後お互いを探り合う会話をして、なかなか手強いのを知って、さらに一段階、気に入ってしまった。

「007カジノ・ロワイヤル」におけるMとボンドの新しい関係性



今回の「カジノ・ロワイヤル」はキャスティングが味わい深くて、それも何回も見てしまう理由かもしれない。
ダニエルは言うに及ばず、エヴァちゃんもよかったし、マッツさんもなめくじのようなヌメヌメ感と、卑怯でずるっこい上に、なんだか知らんが体も弱く、テロリストにおびえるへちょへちょぶりが妙な味わいを醸していた。(強くない敵というのも面白い。)そんなへちょへちょ野郎のくせに陰湿な拷問などは嬉しそうにやってしまうのである。これ、演っててけっこう面白い役だったんだろうね。演じどころいっぱいだし、キャラも作りこんで遊べるし。マッツさん、結構楽しんでる気配だ。今回はいろんな人に似てると言われているが、ワタシは平幹二郎に似て蝶だと感じた。
このキャスト陣の中でもMのジュディ・デンチが続投になったのは、ことのほか効果的に作用したと思う。
(Mはおぢーさんになったショーン・コネリーにやってもらうのがベストという意見がある。それはそれで、私も激しく観てみたい。)

しかし今回はデンチのM。あの、やんちゃくれでちょっと目を離すと何をしでかすかわからないキャラのダニエル・ボンドだからこそ、Mも登場シーンが増えたのだ。いつも涼しい顔でジョークばかり言っているブロスナン・ボンドではMの出番も作りようがない。(今回、監督にちなんでゴールデン・アイを辛うじて観ただけなのでブロ・ボンドについてはこれ以上語りませんが)

私がことに好きなのは、Mの自宅に勝手に入って、これまた勝手にMのノートPCを観ているシーン。こんなことされたらMならずとも激怒する。ワタシだって怒るよ。
ここで、立っているMに対して座っているボンドは終始上目遣いである。この上目遣いがミソなのだ。ジェームズ・ディーンの昔から、上目遣いは年上女を攻略するツボと相場が決まっている。しかもその上、その目は青いと来ている。 ニクい。



大使館爆破の件、情報を聞き出すだけの犯人を射殺した件、それらを全部監視カメラに撮られていた件、(そして抜けぬけと自分の家に押し入っている件)につき、ガミガミと怒るMに対して一向に反省の色もなく、「そんな、ギャアギャア喚かれてもさ」みたいな顔をしているボンド。ふてぶてしいけど、どこかにMへの甘えがある。雷を落としても結局は俺のこと、許してくれちゃうんだろ、…だろ?ってな感じである。
その傲慢さを抑えないと真のプロにはなれないと諭すMに、どう綺麗ごとを言おうと所詮、殺しは殺しじゃないかってわけで、「半分僧侶、半分殺し屋になれってことですか?」とナメた表情のボンド。

あまり抜けぬけしいので、ついにMは怒り心頭。
考えなしに勝手放題やってると、容赦ないマスコミの餌食になって骨まで食い荒らされるわよ。ってか食い荒らさせてやるわよ!!とばかりにブチ切れる。
ここで、立ち上がってMを振り返ったときの、逆光の中の寂しげな表情がワタシ的には大のツボ。
「ここには二度と来ないでちょうだい」と言うMに「わかりました」というときは、もういつものふてぶてしい表情に戻っている。エレベータの中でじっとMを見ている不敵な面構えも大変にGOOD。
だからこそ、ふとMに突き放されて一瞬見せる寂しげな表情がとても印象に残る。ボンドの孤児の魂が表に出てきてしまう瞬間なのだ。うまい、ダニエル。痺れるね。

この映画、Mとボンドが絡むたびに微妙に関係性が変わってきて、やんちゃくれ小僧を怒る教師から心配する母へと徐々にMの心理的なスタンスが変わってくるのがいい感じである。東京タワーならぬ「ロンドンブリッジ -おかん(M)とボクとMI6」って感じだろうか。

クレイグのボンド、見た目はハードでマッチョで体育会系だが、実は母性本能刺激型ボンドという点でも新境地を開拓しているといえる。何かとニクい奴である。

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再見 「007カジノ・ロワイヤル」



本日、再び、カジノ・ロワイヤルを見てきた。
二度目だというのに、やはり長さは感じない。そしてなぜか初回以上に、例の冒頭の鉄骨のシーンでは手に汗握ってしまった。せっせとハンカチで手の汗をぬぐうほど。(…ふう)
超・高画質/高精細だという4K PUREで一度は見ておこうと思って見てきたが、フィルムとの違いが明らかで目にも鮮やかだったのはオープニングのBGVだった。(というかこれぐらいしか顕著な差が分からなかった。私の目のせいだろう。音は重厚感があったと思う)ああ、でも髪の毛とか一筋一筋まで見えそうなぐらいに、ハッキリクッキリな映像だったな、確かに。
そして、今回は惚れた欲目かダニエル・ボンドの顔がとても可愛く見えた。初回ではどうもモノクロシーンからマダガスカルのあたりまで、(演出上の計算もあってだろう)かなり人相悪く映ってるなぁ、と気を揉んでいたのだけど、二度目はそうも感じなかった。割合、愛嬌のある顔に撮れているシーンもかなりある。他人事ながら少しほっとした。(余計な世話だが)光線の加減で眉毛が見えなくなると、凶悪になったり、ロシアンなテイストになったりするので、ここというときには眉マスカラで少しブラウンの色を混ぜてみるというのを個人的にダニエルさんに提案したいところだ。
そんな具合で少しゆとりをもって見たおかげでマイアミ空港のシーンでカメオ出演しているヴァージン・アトランティックの会長リチャード・ブランソン氏も、今回は識別できた。うれしそうに両手を挙げていた。
4K PUREのせいか、ダニエルの青い目もひときわ青々と冴えて見えた。光線の加減で、コバルトブルーのようにも、うすーい水色のようにも見える目である。ベネチアの運河に浮かべたヨットの上で「bitch is dead.」と言うときは、薄い水色。少し悲しい水色だ。
それにしても、ヴェスパーの携帯が鳴るとロクなことがないね。

144分。今日もかなり集中して観た。ちっともだれない。疲れない。飽きない。
どうしたのか、私。大丈夫か。

あと2回は新鮮な気持ちで観られそうだ。

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「007カジノ・ロワイヤル」-筋肉ボンドと沈む女-



2006年 ソニーピクチャーズ マーティン・キャンベル監督

そもそも、「007」映画については何も思い入れなどなかったワタシ。
大昔のコネリーさんの代表作は、いくつか子供の頃に懐かしの日曜洋画劇場とか水曜ロードショーとかで見た覚えがある程度。その後はもう全く見ておらず、代々役者が変わっても、「へえ、そう。勝手にやって」ってなもんでしたが、今回はなんだかもう異様に公開前から見たくて矢も盾もたまらぬ心持ち。
それはやはり、6代目襲名に際してあっちこっちからイチャモンの嵐を受け、ボイコット運動まで展開されたという大逆風の中を撮影スタートしたというダニエル・クレイグの記事を読んだあたりから始まったんだと思われる。この人がボンドに決まったというのは、「ぢごくみみ」という有名なブログに出ていたのを読んで、ふぉふぉ?ん、と思ったけど、知らなかったので、何の感想もないというのが正直なところだった。