スーダラ節は永遠に  植木さんフォーエバー

いつかこの日の来ることは、覚悟しながらも密かに懼れてはいた。昨今公けの場に姿を現されることが減って、数年前から体調は好ましくないのかな、と密かに心配はしていたのだけど…。遂に、この日が来てしまった。植木 等さんが27日、80歳で永眠された。思えば最後に植木さんらしい植木さんをドラマで見られたのは「ビッグ・マネー 命の沙汰も金次第」(TBS)だったかもしれない。これは石田衣良の「波の上の魔術師」のドラマ化で、植木さんはかつて兜町で一世を風靡した伝説の相場師。弟子と見込んだ若者(永瀬智也)に相場師としての技と気構えを伝授し、彼を巻き込んで生涯最後の大相場を張る老人の役だった。その時でも既に植木さんとしては声に力がないなぁという印象は否めなかったけれど、それ以外は広くコンセンサスのとれた植木さんのイメージを上手く生かした役柄で、植木さんご健在で何より!とその姿を見たいがためにこのドラマを観ていた。ドラマ自体も面白く、原作をうまくドラマ化していたと思う。再ブレークした植木さんが低迷する紅白歌合戦に出て、「スーダラ伝説」を晴れ晴れと歌いきり、そこでだけ最高の視聴率を上げたというのもついこの前のことのような気がするけれど、もうかなり前のことになるのだろうか。全く月日の流れるのは早い。



ワタシはかなり久しい昔から植木さんのファンだったので、再ブレークの前にテレビ出演している植木さんをけっこうチェックしていたのだけど、記憶に残っているものにバブルの産物ともいえるトーク番組「Ryu's Bar」に出演した回がある。村上 龍がホストというだけでもかなりの無理を押しとおした観のあるこの番組だが、アシスタントに岡部まりがついて、JTの一社提供で悠長にやっていて、今振り返るといかにもバブルな時代の風が背景に吹いていたなと思う。ゲストも村上 龍の強い思いでロバート・デニーロが出た回もあったし、岩下志麻が出た回もあったし、ゴージャスなゲストが登場することも多くてワタシは岡部まりがアシスタントをやっていた2年間は毎週日曜の夜、楽しみに見ていた。(岡部まりは「キレイなお姉さん」的存在としてカルトな人気があり、わたしも「カジノ」のオーシャンクラブ受付嬢と同じような意味合いで岡部まりが好きだった。周囲の男子が彼女のファンという手合いが多かった事もあって、ゲストがつまらない回は岡部まりをもっぱら見ていた。)オープニング・テーマがバド・パウエルの「クレオパトラの涙」で、今でも曲の出だしの軽快なピアノを聴くと、かつての日曜の夜の「Ryu's Bar」を思い出す。これに熱烈な村上の要請に応えて植木さんが出演したのだけど、再ブレーク前で、少し過去の人という色彩の強かったその頃の植木さんは、かなりとつとつとした話し振りで「スーダラ節」を歌うことになったキッカケや、抵抗感があったのをどう振りきったのか、などをゆっくりと語られていた。村上 龍もあの調子でしゃべりは上手くないし、いつにも増してかなりトツトツとした回だったなという印象なのだけど、植木さんを好きな人が放送業界など業界関係者に沢山いて、そういう人たちの熱が植木さんの再ブレークの気運を自然に盛り上げていったのかな、というのはこの村上 龍の様子を見てもなんとなく察しられた。再ブレークして以降はずっと、植木さんはもう一切の説明の必要もない、「あの植木さん!」というエターナルな存在でありつづけた。小学生の時にTVで「無責任シリーズ」を観て以来の植木さんファンだったワタシは中学の学園祭で、クラスの出し物に「植木さん映画のリメーク」を提案してクラス中をシーンとさせた過去を持つ。その頃、ワタシの同級生で植木さんを知っている子など一人もいなかった。まぁ、それが普通なのである。知っていたワタシが異常なのだった。が、再ブレーク後は自分より若い人にも植木さんの話がすぐに通じるようになり、スーダラ伝説を聞きながらまさにご同慶の至りだなぁとワタシなりの理由で寿いでいた。

植木さんはついに天国へと昇ってしまわれたが、80歳というキリの良さ、ほどよい長さの人生も、植木さんらしい感じがする。葬儀は密葬にしてくれ、と言い残されたのもなにがなし植木さんのお人柄を偲ばせる。
植木さん、晴れやかな笑顔と歌声をありがとうございました。今後とも「いつも心に植木さん」で生きてまいる所存でございます。感謝を込めて一声叫ばせていただきます。 植木さんフォーエバー!

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「ファニー・フェイス」

~アステアとオードリー~
1957年 米 スタンリー・ドーネン監督



ワタシは格別大ファンというわけではないけれど、オードリー・ヘプバーンの作品もけっこう見る。まぁ、誰でも大好きヘプバーン。ことに日本人が彼女を好きなことは些か面妖なほどだけれど、なにがなし生臭い事とは無縁そうな浮世離れたその佇まいは、いつみても瞳に心地よく一服の清涼剤の効果をもたらしつづけるのであろう。ワタシは彼女の映画では「サブリナ」と「シャレード」が結構好きだ。ついでに言うとフレッド・アステアも大好きなので彼と競演した「ファニー・フェイス(パリの恋人)」も落してはならない。彼女の共演者は盛りの若者でなく枯れかけた爺さんか、若くても人畜無害系(ジョージ・ペパードなど)というのはよく言われる事だけど、私の好きなこの3本の作品もみな相手役はおジ(イ)さまばかりである。でもさっぱり違和感がないのは植物さんのようなオードリーの容姿が、枯れかけたジェントルマンとよくマッチしているからなのだろう。というわけで今回はアステアと共演の「ファニー・フェイス」について。

些か気になること



ちょっと気になるのさ

なんとか手元に届いて、気になるセリフをチェックしたり、あれこれと楽しんでいる「カジノ・ロワイヤル」UK版ではあるが、UK版のせいなのかどうか、どうも映像がさしてクリアではない気配がする。チャチな間に合わせのリーフリデッキで見ているせいなのかどうなのか、音声も貧弱である。まぁ、これは自分のもっているAV機器が今のところ古色蒼然たるシロモノなので、UK製DVDのせいばかりにも出来ないけれど、劇場で何度も見てきた映画をDVDと比べて画質や音質が気になったのは今回が初めてである。(むろん劇場のスクリーンや音響とうちの貧弱というもオロカなAV機器の差は100も承知、割引に割り引いて考えた上でのことである)それはやはり海外版という事も影響しているような気がする。なんというか、劇場で見たときのイメージに比べると映像はピントが甘くなんとなしにシャープさが足りない気がするし、音はとにかく薄い。だから、買わずに済ませようと思っていた日本版ではあるが一応押さえておくことに決めた。画質や音質の違いがもしあったとしたら、それを比べてみるのもまた面白いかもしれないし、何しろ今回日本版は初回限定生産の割引価格なのでUK版よりも安いのである。買っておいても損はなさそうだ。

音声はミニコンポに繋ぐとプチプチプチシアターぐらいな感じにはなって、TVで音を出しているよりはいいのだけど、それでも何か音が薄っぺらいという印象は否めない。映像のクォリティとともに、そのへんは些か気になるところではある。(ただ、あのオープニングのアニメーションはとても鮮やかで劇場で見たイメージと変らなかった。主題歌は音が貧弱なので薄味で聞こえてくる)

けれども、字幕で何と言っているのか知りたかったセリフが把握できたのはささやかな喜びだった。たとえば列車で最初にヴェスパーとやりあうシーンで、「あなたは素敵だけど、その素敵なお尻よりもワタシは政府のお金を見張っているわ」というヴェスパーに対してボンドが「そりゃ残念だ」と答えているところ。ボンドは何と言っているのか私は凄く知りたかった。「You noticed」とおっしゃっていた。ふほ、小さくスッキリ。

また、大勝負が終わってヴェスパーと食事をしているシーンで「あなたって人を殺しておいてすぐに気分を変えられるのね」といわれて「それが仕事だからな」と答えるシーンのセリフは正確には何と言っているのかというと「Well, I wouldn't be very good at my job if it did 」とおっしゃっているのであった。この時の声の低さ。その低音のなんたる心地よい響き具合か。

今日みたいな大風の吹く春の嵐の日には、居心地のいい部屋のなかで寝転んだり、ワインやビールを片手に好きなものを食べながらボンドさんの「I'm Yours」をじっくりと味わうのもDVDのある楽しみである。ミニコンポに音声を出すと、ダニエルの声が本当によく響く声だという事がわかる。チェロみたいな響きの声である。この声と青い瞳は、本当に天が彼に与えた大きな財産だ。微妙にピントが甘く感じる映像の中でも、ダニエルの目は変ることなく冴え冴えと青い。地中海の青にも負けないその瞳。じっとヴェスパーを見つめるその瞳を、またワタシもじっと見つめつつ、至福の日曜日を過ごそうと思う。

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誰よりも君を愛す

at long last…ボンドさんご到着。もうとっくに着いていなければならないところだったが、ダンボールの包装がかさばって郵便箱に入らずに再配達となり、不在票は郵便箱のチラシや広告の山の中に紛れてしまっていた。20日あたりには到着のはず、と思っていたのに届かなくて一体どうしたのかと思いつつ、21日は祝日なので配達もあるまいと諦め、昨日は友人たちと飲み会で御前サマになってしまい(桜の近くの店で花見も兼ねるはずが、先週の寒さで予報も外れて桜もまだ蕾だった。花見はまた来週にでも持ち越しである)、それでも部屋に入る前に郵便箱も一応チェックしたがDVDはまたも届いておらず、あれれれ?と思っていた。今日の午前の配達まで待ってみたがまだ来ないので、よもやと思って郵便箱の底3分の1ほど積もっていたチラシやDMの山をつかみ出してチェックしていたら…不在票がありました。そこに「外国郵便」の文字が。定型外にマルがされていて、20日の午前10時に一度は我が家に来ていたボンドさんはひゅるる?っと郵便局へ舞い戻ってしまっていたのだった。ナンタルチヤ。2日も郵便局に寝かせてしまって…。けっこう大きな郵便箱なのでたかだかDVD1枚エアメールで来ているんだし、そのままスポンと入っているはずだと思いこんでいたのである。何事も安易な思いこみはいけませんね。
でも、今夜7時、ついに我が家にご到着。最後のところでもたついて、いい加減ヤキモキしたが、待ちに待ってようやくのことに彼と再びの逢瀬である。


ついに我が家に!

ああ、懐かしいその声、その姿。その面影。どんなにこの日を待ったことか。劇場での音がイメージに残っているので、我が家のお粗末なAV機器では映像はともかく音声がとても貧弱なのが残念なところだけれど、そんなことは脇へ置いて、我が家にボンドさんがやってきた。いつでも会いたい時に会えるようになったことが、とにもかくにも嬉しい限り。思えば昨年の秋にトレーラーを見て以来、封切を待って待って待ちわび、ダニエルその人が初日に新宿ミラノに来るとか来ないとかの噂に行こうかどうしようかと迷い、でも来なかったら新宿で見るのはいやだなぁ、などと迷っていたら、本当にちゃんとミラノに現われて(おすぎと共に)舞台挨拶もしてくれたダニエル。「BOND22」のキャンペーンでは、もう舞台挨拶まではしてくれぬかもしれないし、折角東京に住んでいるんだから新宿ミラノまで行けば良かったとちと後悔もしているけれど、帰らぬ繰言はさておいて、やはりボンドさん、あなたはこそは最愛の男。XXXXもケルソーさんもそれぞれに素敵だけれど、ああ、夢ではない ただひとすじ 誰よりも、誰よりも君を愛す。

しかし、いまさらながらに「カジノ」はデヴィッド・アーノルドの音楽が効いている。場面場面を的確に盛り上げるこの音楽と、テンポよく流れるシーン。そして、ワタシがもう一度見たいと願っていたこの顔。Mに厳しく突き放されて、ふっと目元に翳のさすこの時の表情。



そして、なぜか劇場で見たときにいつも「ほぅ…」とウットリしてしまった豪華列車の食堂車で、メニューが手元に来るまでの僅かな間なにげなく窓の外を眺めているこの横顔。他にもっとウットリするシーンはいくらでもあるのだけど、ワタシはなんだかこの時の横顔がさりげなくてとても好きなのである。ふぅ???。



これからはいつだって好きな時にこの列車のボンドさんにも会えるのだ。好きなだけ見つめていられるというのは、なんと幸せなことであろうか。

ついでに挙げると、このMの用意してくれたアストンに乗りこむ時、上体をきゅっとひねって車内に座り、斜めに視線を滑らす時のこの表情。これも好きである。



これから、カジノでの大勝負もあるし、ベネチアでのヨットのシーンもあるし、あれこれと見たいシーンが目白押しである。リーフリデッキのご機嫌を損ねたら目も当てられないので、ヤワヤワと貴婦人のように恭しく取り扱いつつも、好きなシーンは何遍も繰り返してみなくては。でも、特典映像の方は既に何度も Youtubeで見てしまったものばかりなのでなんら目新しいものはなかった。毎度思うことだけれどあまりYoutubeであらかじめ動画を見てしまうのも考え物である。有り難味や新鮮味が幾分薄れてしまうのは否めない。けれどもそれは今後の教訓に活かすとして、今宵は久しぶりの再会に酔いしれたいと思う。「カジノ・ロワイヤル」は何度見ていようとも不変の輝き。久々にステキング・ダニエルのシャワーを浴びてうっとりとため息のワタシ。今夜は長い夜になりそうである。

*補足*

久しぶりに「カジノ」を観ていてふと気づいたのは、ここ2、3ヶ月、あれこれとダニエル作品を観たお陰でその顔が脳裏にもうおなじみになり、最初に「カジノ」を劇場で観た時に比べると、あ、こういう顔はあの作品でもしていたな、とか愛嬌のあるカワユイ表情も随分しているな、と思うと同時に、画面の中のボンドさんがボンドさんではなくてダニエル・クレイグとして見えてくるという奇妙な逆転現象が起きてきた。


ボンドでなくダニエルと認識してしまう感じ

あまりにその顔にあらゆる角度から親しんだのでそんな現象が起きてきたらしい。面白い。そして、もう一度会いたいと思っていたもう一人の人物にも再会できた。オーシャンクラブの受付嬢である。


ベイビー 久しぶり!

このブロンディをワタシは初めて観た時から妙に気に入ってしまい、彼女にも密かにもう一度会いたいと思っていたのだった。この望みもささやかに実現したので二重にハッピーな夜である。


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「太陽と月に背いて」

~緑のアブサン~
1995年 英 アグニエシュカ・ホランド監督


野生児

原題は「TOTAL ECLIPSE」 日食または月食の意味らしい。邦題は頑張った方かもしれない。この頃のデカプリオはミニシアター系の小品にばかり出ていたが、今よりも断然輝いていた。彼が夭折の天才詩人アルチュール・ランボーを演じるという噂を聞いて、そのあまりにもドンピシャリなキャスティングにワクワクしたものである。デカプーは期待にたがわない演技と容姿でランボーのイメージを体現してみせた。まさしくランボーはこんな風な少年だったろうと思う。写真を観ても似ている。デカプーのルックスの頂点は「ロミオ&ジュリエット」だと思うが、この作品では16歳でヴェルレーヌの招きにより地方から出てくる奔放な少年詩人にぴったりだった。それにしても彼は何があろうとけして太らない体質なんだろうと思っていたのだが、年をとれば人並みにがっつりとしてくるし、飲みすぎ食べ過ぎで不摂生をすれば腹も出るのである。デカプーは20代後半からゆるゆると普通の男になっていったのかもしれない。

「眺めのいい部屋」

~♪Oh mio babbino caro~
1986年 英 ジェームズ・アイヴォリー監督



本当は「ラヴェンダーの咲く庭で」について書こうと思っていたのが、見ていてあぁマギー・スミスとジュディ・デンチを初めて見たのは「眺めのいい部屋」だったなぁ、などと思ったらふとこっちについて書きたくなってしまったので、急遽、題材変更した。これは、小娘のワタシが初めて「いいなぁイギリス映画って」とイギリス映画を意識した作品であり、イギリス発音てアメリカみたいにミャアミャアレロレロしてなくて心地よいなぁ、と思ったのもこの作品からだし、 M・スミス、J・デンチにくわえてデンホルム・エリオットも、ティム・バートン夫人になったヘレナ・ボナム・カーターもこの作品で初めて見た。これで暫くジェームズ・アイヴォリー作品にハマって「モーリス」「ハワーズ・エンド」「日の名残り」と観ていく事になるのだけど、ワタシは最初に見たせいか、この作品が一番好きである。内容が大らかで優雅なのもその一因かもしれない。

「運命の逆転」

~ジェレミーのすだれ頭~
1990年 米  バーベット・シュローダー監督

 すだれのジェレミー

ワタシはこの映画で初めてジェレミー・アイアンズという人を見たので、この方ったらイギリス紳士で男前だけどスダレっておられるのね、などと思っていた。その後、他の映画に出てきてスダレてないので、あら、カブっておられるのね、などとまた思っていた。数年して、どうもそうではなくこの「運命の逆転」の時にカトちゃんにも負けぬハゲヅラを乗せておられたのだ、とようよう思い至ったのだけど、そのぐらい強烈な印象のスダレっぷりであった。しかも、そんなスダレであるにも関わらずモテモテで、悠々たる紳士ぶりで終始人を食ったような態度のまま99%は間違いなくクロでも、もしかすると違うのか、と思わせてしまうクラウス・フォン・ビューローという不可解な人物の不可解さを表現しきっていた。そして植物人間になってしまう富豪の妻・サニーに扮したグレン・クローズもさすがの存在感である。お金だけは腐るほど持っていても人間けして幸せにはなれない、という事をこのサニーという女性ほど体現している存在もないだろう。彼女は酒に溺れ、各種のドラッグに手を出し、根深い孤独と退廃の中で生きていたのだった…。



春樹、ロング・グッドバイ そして羊をめぐる冒険

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それにしても、3月というのにおそろしく寒い。こんな日は飲みに行くよりも、本でも買って早く帰ったほうがいい。…というわけで、分厚い村上春樹新訳の「ロング・グッドバイ」を買ってきた。いずれ通しでじっくりとは読むけれど、まずはワタシの中で幾つかあるチェックポイントをサクサクっと流し読みしてみると…。新聞の評に出ていたごとく、村上訳は丁寧だが清水訳にあった独特のテンポや歯切れには欠ける。そのかわり形容詞などを少しはしょっていたらしい清水訳で、ややニュアンスが伝わりにくかったところは、ほほ-ん、そういう意味だったのか、と納得がいったりするという利点もある。

「ミュンヘン」 

~不毛の暗殺劇~
2005年 米 スティーヴン・スピルバーグ監督



我が家では、五輪のたびにアサヒグラフを買うという習慣があった(昔はどこでもそうだったと思う)。私が実際に覚えているのはモントリオール(ああ、コマネチ!)のあたりからだけど、昔ミュンヘン五輪のグラフを見ていたら、母が「ミュンヘンではなんと言っても水泳でマーク・スピッツというスターが出てね。もう出るレース全部で金メダル取って凄かったのよ」と教えてくれた。「7つの金を鷲づかみ」というキャプションのついた写真を見ると、若いのにちょび髭を生やした少し暗い顔の青年がいくつもの金メダルを掴んで微笑を浮かべており、その妙な暗さ加減が気にかかった。すると母は「この人はユダヤ系アメリカ人で、ミュンヘンはドイツの都市だからね、色々といやな事件もあってこの人自身も危ない目に遭いそうだったらしいのよ」と教えてくれた。だからこの「ミュンヘン」という映画のポスターを観た時、エリック・バナの暗い横顔に、昔アサヒグラフで見たマーク・スピッツの顔がダブって見えた。

アヤしい薫サン 「小林 薫」

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ナニワ金融道・桑田役の薫サン

ワタシは小林 薫という人もかなり好きで、ひさしい以前から動向を注目している俳優なのだけど(あれこれ気が多くて恐縮。でもやっぱり洋の東西を問わずイイ男はいいのである)昨今では気のいいおぢさんみたいな役が多くて、ちと物足りない気味もある。この人は一見普通そうに見えるがハードボイルドでもサスペンスでもロマンスものでも、なんでも出来るザ・役者なのである。いい俳優というのは凶悪な犯人も平凡な市井の男も等しく違和感なく演じられるもので、われらがダニエルもそういう俳優だし、日本では緒形 拳などもそうである。薫サンもその列に連なる人である。そしてこの緒形 拳(本来はケンでなくコブシと読むらしい「へぇ?」)と薫サンが競演していい味を出し合っているのが「ナニワ金融道」シリーズである。

「Godfather」Part2

~コッポラのギリシャ悲劇~
1974年 米 フランシス・フォード・コッポラ監督


悩み多きマイケル

並びたつ傑作のPart1を差し置いて、なぜにPart2から語るのか、と思われる方もいらっしゃるかと思うが、ワタシはいずれ劣らぬ傑作の、この「Godfather」Part1、Part2を比べてみると、断然Part2の方が好きなのである。出来は甲乙つけがたいので、これはもう好みの問題であろう。Part1は2に比べるとロマンティックというか、甘い部分(出来が甘いということではない)があり、そこが魅力でもある。Part2は1に比べると徹底的に甘さはない。その代わりに染み入るような郷愁と苦悩と哀愁が全編を覆っていて、マイケルの苦悩する姿に「君は行くのか、そんなにしてまで…」と毎度遣る瀬なくなりつつも、じっと見守らざるを得ない。

コミックソング・ナツメロあれこれ

この季節にはご他聞にもれずアテクシも花粉に悩まされ、外出は憂鬱なのでヒッキー気味になる。まだ鼻水はさほどでないものの、もう先週あたりから目が痒くて痒くて居てもたってもいられない、という程ではないがコンタクトレンズをはめるとカユミが増大するのでもっぱらメガネで生活するというぐらいな弊害は出ている。
そんなわけで本日は出かけず、洗濯物も部屋干しで(アテクシの部屋は日当たり良好でお天気のよい日はサンルームのようになるため、洗濯物は花粉シーズンに限らず部屋干しでアッサリと乾く)そこいらを掃除しつつ、この前からふと思い出して愛聴しているクレイジーのシングルスを流していたら、またまたこのへんのことについて書きたくなってしまったので書き始めてしまった。つくづく、あんたも好きねぇ、という感じではあるけれど。

クレイジーの絶頂期の歌はどれも傑作揃いで甲乙つけがたいのであるが、中でもワタシが好きなのは、「無責任数え唄」(文句あるかヨある筈ぁない、そう!なんだかんだなんだかんだある筈ぁない!)とシビレ節(ハ、シィービレちゃった、シィービレちゃった、シィービレちゃったよ?)、イントロがビートルズ調の「遺憾に存じます」、「いろいろ節」(ハ、いろいろ?あるヨいろいろね?、ハ、そんなこたどうでもいぃ????じゃねぇか)ゴマスリ行進曲の方ではなく映画で流れるゴマスリ音頭(部長なかなかお若いですネ、いやいやナニナニそんなこたないさ 世辞と知れてもつい上機嫌 それが世間の常識なのさ?)これを料亭の廊下をスイスイと植木流のスキップをしつつ(上に跳ねないですり足気味に前にツーステップで進む)、両手を平泳ぎのような仕草に動かしてスイスイと世の中を渡る、というゼスチャーをしながら、鼻歌のようにかる?く歌う植木さんが絶妙である。その他にも植木さんの代表的歌唱は「ハイ!それまでヨ」「ホラ吹き節」など枚挙に暇がないが、毎度爆笑ではないけれどクスリと笑ってしまう曲に「めんどうみたヨ」がある。これも本当に可笑しいんだけど、国定忠治や平手の神酒、吉良の仁吉など、かつてはいい時代もあったけど、運に見放されて落ちぶれた男が順繰りに昔助けた相手のところに庇護を求めに行こうかどうしようかと思案し、「言いたかないけど、面倒みたよぉ?」と一声、吼えるという歌詞である。この「面倒みたよぉ?」の部分が最高である。毎回どうしても笑ってしまう。このシメの「面倒みたよぉ?」に至るまでは正調の演歌調で、それこそ三波春夫センセイが唄っても不思議はないような歌なのだけど、そこをまた植木さんがあのいい声で十分に聴かせてくれるのだ。青島幸男の歌詞、萩原哲晶の作曲という永遠の名コンビが生みだした傑作の数々。クレイジーはつくづくスタッフに恵まれたと思う。というか、表に出てぱーっと咲く花の裏には必ずそれを支える有能なスタッフが土や肥やしとなって存在しているものなのだろう。


ハナ肇とクレイジー・キャッツ


コミックソングという分野も本当にあれこれ言い出すとキリも果てしもない世界であるが、たかの朱美さん推奨のトニー谷「さいざんすマンボ」(この人は植木さんに先立つ流行語の元祖で「家庭の事情」「おコンバンワ」「ネチョリンコン」「わたしゃあなたにアイブラユー!」など耳に引っかかってくるフレーズを繰り出すのが上手い)、エノケンの「洒落男」(俺は村中で一番 モボだと言われぇーた男)エノケンはこの唄しか知らないのが残念である。これはやはり大瀧詠一プロデュースのCDをゲットするべきかもしれない。トニー谷は晩年「今夜は最高!」に出る際、出演交渉に来た景山民夫に「アチシのね、ディナージャケットは自前!TV局の安物の衣装なんざ着ないよ」と下町口調でキメ台詞を言ったというエピソードがとても好きである。


Mr.トニー谷(左)  エノケンさん(右)

エノケンまで行くと色濃くナツメロ色が漂ってくるので、このへんで話をナツメロに転じようと思うが、ワタシはもうおわかりかと思うけれど好事家気質なのでナツメロも大好きな奇妙な子供だった。大晦日には紅白の少し前に東京12chでナツメロ番組を放送していて(まだ存続している)ワタシが子供の頃には名物歌手たちがまだ存命であれこれと興味深かった。もうその頃でも70は越していたと思われる市丸姐さんが芸者姿で現われ、斜に構えて「三味線ブギ」(三味線ブギ?でシャシャリツシャンシャン)を歌った時のことはまだ覚えている。サビの「はぁちょいとブギウギ?」の部分で日本舞踊の所作で首をきゅっと廻してカメラ目線で流し目を繰り出し、小学生のワタシを圧倒した。まだ十分に艶っぽく、一緒に見ていたおじいちゃんが「市丸はキレイかった?」と若い頃にステージを観た時の話をしてくれたのを、昨日のことのように思い出す。その他、聴いたとたんにひっくり返ったのは一節太郎の「浪曲子守唄」である。これは、♪逃ぃ?げたぁ?女房にゃ未練はないがぁ? というあの有名な唄であるが、唄の部分よりも何よりも間奏に被るセリフ部分が抱腹絶倒なのである。その内容がではなく語り口がもう、笑わずに聴いていることはできない。「そりゃあ、無学なこの俺が……さぁさ、いい子だ ねんねしな」という部分であるが、文字で書くとただのお涙頂戴な文句なのだけど、一節太郎はこれに奇妙キテレツな抑揚をつけて語るのである。それがもう、本当に可笑しい。どうしても笑ってしまう。こればかりは一度聴いてみていただかないとこれ以上の説明は文章では不可能である。是非、機会があったら一度その味わい深い抑揚に爆笑していただきたいと思う次第である。

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「アークエンジェル」 

~愛しのケルソーさん~
2005年 英BBC ジョン・ジョーンズ監督


秘められた謎に強引に迫るケルソーさん


彼に最初に逢った時から二ヶ月あまりがたち、なんだかふとその姿が懐かしく慕わしく思われ始めたので、もう一度彼に逢った。マイ・ダーリン、プロフェッサー・ケルソーである。

「日本一のホラ吹き男」

~痛快無比、融通無碍 植木さんの「無責任」シリーズ~
1964年 東宝 古沢憲吾監督

 いつも晴れやか絶好調

小学生のときに、植木 の映画をTVで初めて観たときから(確か「日本一のホラ吹き男」)この人もワタシの心のアイドルであり続けている。なぜかそのころ毎週日曜の午後にこの人の無責任シリーズを放映していた局があって、遠くの公園まで遠征して一遊びし、自転車を飛ばして戻ってきて友達と別れ、家の居間でおやつを食べながら、たまたま始まった「ホラ吹き男」を見たのが植木フリークへの道の始まりだったと記憶する。(断っておくが、ワタシはこの映画の製作当時に子供だったわけではない。念のため)