「静かな生活」

~人の心に巣食う闇~
1995年 東宝 伊丹十三監督



ワタシはその映画に出てくる家が、好ましい、自分が住んでみたいような家だと、その作品が好きになるという傾向がある。これも主人公一家の住居がとても住み心地のよさそうな素敵な家で、それだけでもかなりポイントが高い。さやさやと緑が囁き、常に微風がそよいでいるかのような木々に囲まれた庭のある静かな木造洋館。実にいい感じ。内装も家具も好みなのだ。う?ん、ワタシ、こんな家に住みたいのよねん。

語るまなざし ジェイク・ギレンホール

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My favorite Stars、久々の第4弾は昨今イチオシ、赤丸付き急上昇中のラッキー・ボーイ、ジェイク・ギレンホールでいってみたいと思う。ギレンホールは英語読みだとジレンホールと発音するようだが、本来はどこの苗字だろうか。ジェイク中毒の人をジレンホリックというらしいが、ワタシも昨今はジレンホリックの末席についた感じである。

「レイジング・ブル」

~それでも生きなければ~
1980年 米 マーティン・スコセッシ監督



昨今は本当に、割に合わないスポーツの代表のようなボクシング。K-1やPRIDEの時代に、ボクシングはいまや過去の遺物になりかけているようでもある。日本では特に、世界チャンピオンになってもさほど稼げるわけではない。その大変さに比してなんという割の合わなさ。でも、それだからこそ、試合のために全てを犠牲にし、必死に自分を駆り立ててリングに上るボクサーは美しいのだ。そういうボクサーのストイックな美しさを余すところなく表現しきったオープニングは、何度観ても感嘆する。映画で「カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲」を聴いたのはこれが初めてだったと思う。その優美でドラマティックな旋律と、フードを被ったガウン姿のボクサーが軽やかに動くスローモーションの映像が実に美しいコンビネーション。詩情さえ漂っている。本編は滴る血と、口汚い言い争いで満ちているとしても…。

「イン・ハー・シューズ」 

~姉妹はウザくて愛しい?~
2005年 米 カーティス・ハンソン監督



これは、カーティス・ハンソン作品だからというのもあって、封切時に劇場に観に行った。何故かこういう小味な映画をふと劇場に見に行きたくなるのがワタシのクセである。

ワタシは弟がいるせいか、年の近い女のきょうだいというのを実感的には分らない。どうせなら、弟より兄貴の方が良かったのだけど、まぁ、2歳下の妹がいるより、2歳下の弟の方がまだしもだったかな、とは漠然と思う。父の妹たち(つまり叔母たち)に一歳違いの姉妹がいて、この二人は年の近い姉妹ならではのイザコザが若いころには特にすごかったらしい。二人ともオシャレ好きで、体型が小柄で細身で服や靴のサイズが同じ。若い頃にはしょっちゅう、どっちがどっちの靴を穿いていったの、バッグを持っていったの、着ようと思ったワンピースを着ていっただのと揉めていたという。他の誰に対してよりも互いにライバル意識が強いんだろうなぁ、とは子供心に感じていた。どっちの叔母にもとても可愛がってもらったのだけど、年の近い姉妹ってややこしそうだな、と感じたりもしていた。

「レイヤー・ケーキ」

~そして再び…~
2004年 英 マシュー・ボーン監督


ボンド風味

時間にして3秒にも満たない程度の、ごく短いその予告編をスターチャンネル8月の目玉作品紹介の中で久々に見た時、暫く忘れていた何かがワタシを揺さぶった。半年という時間が過ぎ、どの作品からも均等に離れて俯瞰でダニエルの作品を観られるようになって、やはり「レイヤー・ケーキ」が現在までのところ、ダニエルのベスト1じゃなかろうかと思われてきた。冒頭から入る語りの歯切れの良さ、その声の耳に馴染む心地よさ、ヤバい稼業に手を染めながらも、とても醒めたシニカルな目線を持ち、退き時のタイミングを計っているオレ、を淡々と自己紹介していく。

「アルカトラズからの脱出」

~Good-bye so long~
1979年 米 ドン・シーゲル監督



これを観ていると、あれを思いだし、あれを観ているとこれを思い出す、という作品がある。ワタシはこのテの作品が結構多いのだけど、その組み合わせの一つが「アルカトラズからの脱出」と「ショーシャンクの空に」である。「アルカトラズ」には「ショーシャンク」の叙情性は無い。その代わりに乾いたタッチで淡々と主人公が4人で脱獄チームを組んで準備を進める様子が描かれて緊迫感がある。それに「アルカトラズ」のフランク(クリント・イーストウッド)は無実の罪などではない。立派な重犯罪で監獄島にぶち込まれてきたのである。



「プラダを着た悪魔」 

~炭水化物はダメなのね~
2006年 米 デヴィッド・フランケル監督



物凄く今更であるが、今ごろになってやっと観てみた。「プラダを着た悪魔」。
N.Y.のファッション雑誌編集者のスノッブぶりと、それをイタリアやフランスのファッション業界人がどう捉えているかは、「プレタポルテ」が皮肉に描き、ファッションショーの舞台裏などは「スーパーモデルズ・キャットウォーク」等で垣間見られて面白かったが、いやいやいや。ファッション雑誌が世界の中心と本気で思っている連中の中に、そんなのどーでもいいわ、と思っている異質な人間が一人混ざっても、その中に居る間は自分のスタイルを押しとおすには限界があり、やはり周囲の価値観に合わせていかないことには仕事にならない。

「すべてはその朝始まった」

~乙な出会いに気をつけろ!~
2005年 米 ミカエル・ハフストローム監督



未公開作品だし、さっぱり知らなかったのだけど、少し前にCSでサックリと観た。
クライヴ・オーウェンジェニファー・アニストン共演のサスペンス。曲者ヴァンサン・カッセルが曲者役で登場。いやー人相悪いなぁ、カッセル。うふふ。

アニストンがいつもとはかなり趣きの違う役。一言でいうとニコール・キッドマンがやりそうな役を、アニストンが頑張っている、という感じ。ロマコメ演技は片鱗もなく、いい女風の佇まいがけっこうハマっている。この人はメグ・ライアンの轍を踏まず、ハッピーキャラじゃない役柄も着実にこなす。胸キュン・ジェイクと共演した「グッド・ガール」も観たが、退屈な日常にうんざりした田舎のパート主婦が割合ハマっていた。(映画そのものは…という感じ。ジェイクもこんな役では見たくない)



「スイミングプール」

~静かな復讐~
2003年 仏・英 フランソワ・オゾン監督



オゾン監督作品は、これと「まぼろし」と「8人の女たち」を見たが、ワタシはこれが一番好きかもしれない。枯れ始めたランプリングはオゾン監督とのコンビで、第2の花を咲かせている感じ。映画は小娘だけが華ではない。フランスはまだまだ大人の出番がある数少ない国かもしれない。が、小娘とのカップリングは映画の勢いとしても欠かせない。そこでもう一人のオゾンのお気に入り、リュディヴィーヌ・サニエ登場となる。最初に映画館で予告編を見た時に、真っ青なゆらめくプールの水の中を彼女が平泳ぎで水面をかきわける姿にほほぅと思った。波打つ金髪。無駄肉のないスリムな体にぼーんとオッパイだけが存在感たっぷり。胸はともかく、骨組みが華奢で腹部に一切贅肉のない板のようなお腹はワタシの憧れなので、脱ぎ甲斐のあるサニエのボディは見ごたえがあった。(それゆえ白樺が横たわっているようなランプリングのヌードシーンは不要に感じた。女優魂でもあろうが、監督もそこまで小娘と張り合わせなくてもいいのにと思った)

「男と女」

~ダバダが紡ぐマッタリ感~
1966年 仏 クロード・ルルーシュ監督



もう定番中の定番のこの映画について今更ナンではございますが、少し前に久々に観た「男と女」を思い出したので、ちょっとワタシなりの感想を。

まずDVDを観て、37年後のクロード・ルルーシュのインタビューがとても興味深かった。ワタシには、これはまずアヌーク・エーメありきの映画だというイメージなのだけど、監督が脚本を書いて真っ先に想定していたのは「男」のトランティニヤンの方だったということ。え?そうなの??って感じだった。

「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」

~愛がそれを証明する?~
2005年 米 ジョン・マッデン監督



これは数ヶ月前に、例によってCSから録画はしておいたものの、観たらいきなりグィネスのスッピンのドンヨリ顔が登場して「うへ!」と思い、開始30秒もたたぬうちに鑑賞ストップ。そのままHDDの中に埋もれるハメとなっていた。ワタシはいわゆるグィネス・アレルギーは無いのであるが、夜、風呂上がりにさぁて寝る前になんか映画でも観ようかな、と軽いノリで観始めていきなりドンヨリグィネスに登場されては退散せざるを得ない。そのまますっかり忘れていたが昨今ジェイクにハマったのでふとこの映画を思い出したのである。彼を鑑賞するためだけにも観なくては、と気を取りなおしてもう一度観たら、案外に良かった。

「異人たちとの夏」

~別れのすき焼き~
1988年 松竹 大林宣彦 監督

原作を読んだのが先か、映画を見たのが先か忘れてしまったけれど、山田太一の原作も昔、確かに読んだ。浅草出身の中年脚本家という大枠の設定だけは山田太一が自分のプロフィールを主人公に重ねている。市川森一の脚本なのでドラマの展開もしっかりしている。日本アカデミー賞の解説では、なんだかヨレた事ばかり言っていて大丈夫か、と毎度思うのだが、脚本家としては才能のある人なのだ。大林宣彦は、尾道三部作で有名だが、今回は小娘は登場しない。

 28年ぶりの再会



「オルフェ」

~詩人ですもの~
1949年 仏 ジャン・コクトー監督

一時期、ちょっとジャン・コクトーがマイブームだった時期があった。昔、Bunkamuraミュージアムで企画された「コクトー展」にも行った。コクトーの描く独特なタッチのイラストが好きだったので、絵葉書数点と文字盤にイラストの入っている時計を買った。時計は電池の減りが早いのがタマにキズだけど、いまだに愛用している。詩人で作家で映画監督で画家で音楽家でもあるという多才な人であるが、この人を最初に知ったのは映画監督としてだった。


自画像(左)と時計

kiki的ヨコハマ追想

 こういうのは横浜の最もいいイメージ

一時期、数年横浜に住んでいたことがある。家を出て最初に一人で住んでみた町が横浜だった。なにぶんにも初めてなので、どの程度生活費がかかるものか予測もつかなかったから家賃を控えめに設定したため、中区のど真ん中などに部屋は借りなかった。そのため、人々がイメージする横浜は、ほんの一部だけなのだという事を引っ越してすぐに悟った。

そもそも、勤め先からも遠くなるというのになんで横浜に住んでみようかと思ったかといえば、ワタシは東京の南エリアの生まれ育ちなので、北エリアや東エリアの人ほど横浜を遠く感じなかったことと、ずっと東京に住んでいたので一度東京都民でなくなってみたいという気持ちもあった。それに、うちの父が土曜の夜には家族を連れて食事に行くのが好きな人で、かなりの頻度で行ったのが横浜中華街だった。そんなわけで、中華街や、山下公園前の通りや、車窓を流れる関内の町並みですっかり漠然と「横浜好き」になっていた。横浜は実態とは少し離れたイメージで成り立っている部分が大きい町だというのは、住んでみないと分らない。それまではワタシも横浜に対してかなり素敵なイメージを持っていたのである。

家族を離れて一人横浜に住んでみると…。関内も桜木町も、案外うらぶれたような気配が立ち込めている。ちょっと歩くとすぐに場末な空気が漂ってくると言えばお察しいただけようか。関内といえば、日本大通りや海岸通りのあたりなどはとてもいい感じだけれど、歌にも歌われた伊勢崎町なんて、かなりのうらぶれ加減。馬車道も、もっと風情のある通りかと思っていたのだけどさにあらず。けっこう「終わった感」が漂っているのだ。かつては栄えたのかもしれないけれど、横浜というと人が脳裏に思い浮かべるエキゾチックな洒落たムードよりも、廃れた感じが色濃いのである。桜木町は、新しく埋めたてたMM21エリアはキンキラキンでも、通り1本を隔てたところに、あの黄金町、日ノ出町が控えており(こちらの方が町としてはずっと古い)まさに表の顔と裏の顔という感じ。桜木町は、元はこっちの色合いなんだな、と察しられる。

横浜に行って驚いたことは図書館事情が東京ほど潤沢でないこと。おまけに横浜市中央図書館が日ノ出町、黄金町エリアの中に建っているのである。野毛山という小高い所なのだけど、坂を下ればちびた鉛筆を耳に挟んでWINDSのビルを出たり入ったりしている人々が主流のエリアなのである。横浜に行って最初に中央図書館に行ってみた時、夏は冷房目当て、冬は暖房目当てでレゲエのおぢさんたちの憩いの場になっているのに驚いた。別におとなしく座っておられるだけなので特にどうという事もないのだけど、問題は独特のニオイである。ちょっと長居は難しいと思った。

横浜は東京と比べると、なんとなくうら寂しいところが多い。そして平日の夜は横浜駅周辺以外は閑散としている。週前半は中華街もガラ空き。謝甜記のおかゆも並ばずに食べられる。

横浜が横浜らしいのは中区全部と西区の一部ぐらいである。残りの大部分は「どこが横浜?」という町ばかり。しかも横浜という名前だけで東京ばりの値段を取る。行政は東京に及ばないにも関わらず税金も割高な気がする。免許の書き換えも即日交付にはならず、1週間後に取りに来るか、郵送だとコレコレの費用がかかります、と確か1000円ちょいの金額を言われた。東京だったらその場で貰って帰れるのにダメだこりゃ、と思った。ゴミの分別も「なにもそこまで…」と思うほどにヒステリック。微妙に暮しにくい横浜。

 関内 横丁の喫茶店

それでも、関内から山手は好きだったので、横浜に住んでいる間はよく行った。秋になると市庁舎前の銀杏並木がまっ黄色に色づいて壮観だし、日本大通りの界隈は堂々たる建物が多くて素敵なのである。キング、クイーン、ジャックの塔は昼もいいが、夜はライトアップされて更にきれいだし、山下公園から赤レンガ倉庫近くまで歩ける遊歩道は、いい感じのデートコースでもある。山手の高台に、いい夜景スポットがあって、その頃付合っていた彼とよく行った。中華街の中も冷やかして歩くと面白い。
中でも私のお気に入りは関亭廟通りにある骨董屋。とても怪しげでいい感じである。古い雑居ビルの二階にいろんな店が出店してコマコマといろんなものを商っている。横浜的アヤシサを堪能できる世界だ。そしてこの通りをずっと重慶飯店に近い方まで行く途中に、アヤシさ超ど級の建物がある。その名も「旅館オリエンタル」。

 旅館オリエンタル

いつ頃これに気づいたのか、横浜で一人暮しをする前から知っていたのだけど、とにかく物凄くアヤシイ。写真だとそうでもないけど実際見るともっと怪しい。旅館なので宿泊施設なのだろうけど、一体どういう人が泊まるんだろう、などとドキドキする。一度、そのドアを開けて中に入ってみたい気持ちしきりなのだけど、ヘタレなのでまだ果さない。今度暫くぶりに行ったらもう無かった、なんて事がないといいのだけど…。最近行ってないから少し心配である。旅館オリエンタル、フォーエバー。

それでもなんだかんだで数年住んだ横浜だけど、横浜から都内に戻ってみて初めて東京の良さが分った気がした。横浜に行くまでは何とも思っていなかったのだが、好きで行った横浜なのに違和感を感じることも多く、東京に戻ってきて妙にほっとした自分に些か驚いた。でも、それはワタシだけの感じ方で、東京から横浜に移って快適だという人も大勢いるだろうと思う。
ワタシには横浜はたまに遊びに行くのに最適なところ、そして時折心の中で、そのいい部分だけを密かに取り出して楽しみたいところである。

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「私の愛情の対象」

~妊婦のShall we dance~
1998年 米 ニコラス・ハイトナー監督



小品だけどなんとなく好きだ、という系統に入る1本。
手っ取り早く言うと、ゲイの男性を好きになってしまう女の子のお話。凄く感性が合う、この人といるとなんだか楽しい。ホっとする、フィーリングが合う。巡り会った!と思ったが彼は女性を愛さない男性なのだ。最初から知っていたけど今更に辛い。だって私はマジだもの、という主演のジェニファー・アニストンがなかなか良い。彼女は顔つきもキュートなファニーフェイス系だし、ロマコメに向いているようでもあるが、案外シリアスな役でもイケる。この作品では双方イケるという可能性を出していた。