「イースタン・プロミス」

~ヴィゴの役者魂~
2007年 英/米/カナダ デヴィッド・クローネンバーグ監督



夏ごろシャンテ・シネで上映されている間はなんとなく食指が動かず、まぁ、いいかと思っていたのだけど、もうDVDも発売されようかという今頃になってなんだか急激に観たい気分が盛り上がってきた。で、こういう時に有難いのは、昔で言う二番館、三番館的な劇場が頑張ってくれていること。今回は、三軒茶屋の三軒茶屋中央劇場に足を運んだ。猛烈に昭和レトロな匂いのするこぢんまりとした町の映画館だ。そのシートの座り心地の悪さは岩波ホールに勝るとも劣らないが、それも味。大劇場の降るような音響効果の中で映画を見るのもいいが、こういうこぢんまりとした町の映画館でギイギイと鳴るシートに座って映画を観るのも悪くない。Viva!三茶中央劇場。
そして、スクリーンの中ではヴィゴ・モーテンセンが猛烈に体を張って頑張っていた。
本当に俳優って体を張る商売なんだなぁ、と今更にしみじみと感じ入った。
映画の中に東ヨーロッパ的な空気が冒頭から立ちこめていて、一体どこの国の話だっけ?と映画が始まって暫くの間はわからないでいた。舞台はロンドンなのだけど、よく見かけるロンドン的な背景や空気は一切なく、ロンドンが、いわゆるハイドパーク的というか、一般に旅行者が頭に描く表面的なイメージの裏側に持っている、雑多な移民を抱える犯罪多発都市であるという即面が色濃く浮かび上がっている。

この色濃いスラブの空気はどこから来るのだろう?やはり画面の色調だろうか。話の主要な舞台となるロシアン・レストラン「トランス・シベリアン」の佇まいや室内装飾、そこに集う客の様子、その衣装など、ロシアンな空気がずっしりとたちこめている。ナオミ・ワッツ演じる助産師アンナも半分はロシア人という設定。ロシア人のオヤジさんが遺した形見のバイクに跨って出勤している。自分が当直の日に運び込まれ、子供を産んで死んだ身元不明の少女のわずかな持ち物からロシア語で書かれた日記帳を持ち帰る。アンナがささやかな手がかりから手繰りだしたロシアン・レストランはロシアン・マフィアの拠点だった。というわけで、一見穏やかだが貫禄十分の怖いボス・セミオンを演じるアーミン・ミューラー=スタールはヨーロッパ映画で見かける俳優。ワタシ的には「マイセン幻影」でお見かけして以来だが、もっと再々お見かけしている顔のような気がした。

 アーミン・ミューラー=スタール

こういう切れ者で全てを自分で仕切らなければ気の済まないワンマンなボスの元に育つと、大抵二代目はあほボンになってしまい勝ちである。「考えるのはわしの仕事だ、お前は言う通りにしろ」なんて毎度言われていては、思考力も育たず、常に判断停止になってしまうのかも、というわけで、このボスのアホ息子キリルにこういう役がハマリ役になってきた観のあるヴァンサン・カッセル。他の映画で見ても、今にも情けない愚痴を言って荒れ狂ったり、泣き出したりするんじゃないかと気を揉んでしまいそうである。
とにかくヤバイ奴や、クセのある困ったちゃんの役が振られ勝ちなヴァンサン。今回も実にヴァンサン的な役どころで自分の役割をきっちりと果たしていた。このあほボン、運転手というか子分として使っているニコライ(ヴィゴ)にまつわりつく様子がただ事ならない。そう、ヴァンサンはホの気のあるあほボンという役なのである。オヤジが贔屓にしている売春宿にニコライを連れていき、女たちの中から誰か選べ、そして俺の目の前で寝ろ、と異様なまでに執拗にニコライに要求する。「もしもホモだったらオヤジに紹介できない」なんて言い訳を言うのだが、なんの、自らがホモだとカミングアウトしているようなもの。この時の、娼婦を抱くニコライを粘りつく視線で見つめるヴァンサンの演技にご注目。キモさの中に情けなさと妙な愛嬌が混ざってくるのがこの人ならではの味だ。見ていると、可哀想だから一度ぐらい相手をしてあげたらどうなのニコライ、という気分にさえなってしまう。



そして、何と言ってもこの映画はもうヴィゴ・モーテンセンに尽きる。彼がひたすらにシブい。ヘアスタイルもバッチリ。常にタバコをくわえて下がり眉の下で煙そうに目を細め、黒いコートを羽織った姿が決まっている。ワタシは男性の声として、薄い高めの声は好きじゃないのだけど、まさにそんな声であるのに今回のヴィゴについては全く気にならなかった。英語から自然にロシア語になり、また英語に戻る。滑らかな発音とセリフ回し。この人は北欧とアメリカンの混血だそうだけど、クールで眉の薄い顔はロシア人とかドイツ人とかのイメージにはまりやすい。
そして、人に問われると「俺はただの運転手さ」と答えるのだが、無論ただの運転手でないからそう答えるわけである。
あほボン・キリルが暴走して殺した組織うちの人間の身元を隠すために「プロ」のニコライが指の先を切り落とし、歯も抜いて身元を特定できなくするのだが、この「処理」をする時のヴィゴのクールさがナイス。銜えていたタバコを手に取ると舌を出してジュッと押し付ける。(最近、映画的にこういうタバコの消し方流行ってますか?)しかし、「プロ」の処理した死体は警察に発見され、指紋も歯型もないのに身元は特定される。それは体中に入れられた刺青のせいである。胸の上の星、膝頭の上の星の刺青はロシアン・マフィア「法の泥棒」の一員である証なのだ。これを消さずして何がプロなのか。しかし、だからこそニコライはプロなのである。



ニコライはあほボンのキリルを足がかりにして、「法の泥棒」の一員に加わろうとして果たすのだが、そこにはどんなにダメダメでも自分の息子を庇いたいボス・セミオンの親バカな計略があった。そこで、あほ息子の代わりにチェチェンの殺し屋と闘うハメになるニコライ。サウナで丸腰。まさに裸一貫の死闘が繰り広げられる。全身に刺青(日本のみたいにカラフルじゃないのでクリカラモンモンという感じでもないが)を入れた姿で、ヴィゴ、全裸の熱演である。この脱ぎっぷりの良さには、同じく演技派だが鍛えた肉体を誇り、何かと言えば脱ぐ率の高いダニエルも脱帽かもしれない。ヴィゴ、見事に引き締まった肉体。鍛えすぎてもいないし、1ミリの贅肉もない。そして、変に隠そうとしたりしていない潔い動きやカメラワークで却って全裸であることがあまり気にならない映像にもなっている。が、それはそれとして、まさに俳優は肉体こそがその商売道具。いつどこから、どんな具合に映されても大丈夫なように自らの肉体はフルコントロールしておかなくてはならない。極端な話、お尻の穴まで見せても大丈夫な状態にしておくのが俳優というものかもしれないなぁ、と、どんな体勢も厭わずサウナのタイルを転げまわる、どこから見ても綺麗なヴィゴの体を見ながら思った。
それにしても、大変な職業である。なまじな事ではできませんね、これは。
このニコライの正体は途中で想像がつくのだが、分からないのはむしろ、仕事を離れて野望が膨らんでしまうところである。あんなにも体を張ってヤバイ橋を渡ってきたのは、結局TOPをとりたくなっちゃったからというところに落ち着くのだろうか。う?む。

ナオミ・ワッツ演じる助産師は、ボーイフレンドとの間にできた子を死産し、傷を抱えながら生きている女である。だから、彼女は少女娼婦の産んだ女児にひとかたならない執着心を抱く。彼女の関心は赤ん坊に終始し、ニコライにはあまり向いていないように見える。そのせいかどうか、傷を抱えた女と、秘密を抱えた男は淡い好意を一瞬かわして、ほんの微かに唇を触れ合う。
このほのかな、淡い、つかの間の交情が、凄惨なバイオレンス・シーンと際立った対比をなしている。



一応、クローネンバーグとモーテンセンのコンビ第1作目「ヒストリー・オブ・バイオレンス」も観てみたが、スピード感とバイオレンス度、そしてヴィゴのシブさ爆発の男前度が「イースタン・プロミス」では段違いにグレードアップしているのがよく分かった。
それにしてもヴィゴ・モーテンセン
あの指輪シリーズ一作目では「お、なかなか」なんて思っていたものの、その後次々に登場する男前に目を奪われているうちに、ヴィゴ?誰?みたいな状態になっていたのだが、オミソレしておりました。その役者魂と表現力にはまさに脱帽。ダークな色合いのカラーシャツに黒いスーツ、黒いコート、どこから見ても堅気じゃない、危うい男の匂いが香しくスクリーンから漂ってきた。

バイオレンス・シーンでは、サウナの死闘以外に異常にリアルな喉かっ切りの描写が印象に残った。(かみそりを当てて押し切りにするなど)思わず目をそむけていたのはワタシだけでなく、若い男性も何人かそんな状態だったが、3列前の席に座ってじっくりと観賞していた女性は何が起きようともけしてスクリーンから顔をそむけずに悠然としていた。お見事。

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