「男と女」

~ダバダが紡ぐマッタリ感~
1966年 仏 クロード・ルルーシュ監督



もう定番中の定番のこの映画について今更ナンではございますが、少し前に久々に観た「男と女」を思い出したので、ちょっとワタシなりの感想を。

まずDVDを観て、37年後のクロード・ルルーシュのインタビューがとても興味深かった。ワタシには、これはまずアヌーク・エーメありきの映画だというイメージなのだけど、監督が脚本を書いて真っ先に想定していたのは「男」のトランティニヤンの方だったということ。え?そうなの??って感じだった。

尤も、監督がこの話の元を思いついたのは自身で起こした製作会社が潰れる寸前で途方に暮れて闇雲にドービルまで車を走らせた時、早朝の海岸で子供と犬を連れて散歩をする女性を見たときだったという。朝の6時に子供を連れて海岸を歩く女性に好奇心が湧き、寄宿舎に子供を入れている女性というイメージが浮かんだという。発想はまず女性ありきだったわけだ。トランティニャンに出演交渉に行って即答を得、相手役の希望を聞いたらロミー・シュナイダーかアヌーク・エーメ、という事でトランティニャンと友達だったエーメに出演交渉した。既にスターだったエーメは、ろくな機材もないルルーシュのスタッフにかなり不安だったらしい。出来ても公開する当てもないし、制作費もなけなし。この作品の味になっているカラーとモノクロが半々に入ってくる画面は途中からスポンサーがついてその条件がカラー撮影だったので、部分的にカラーになったのだというからオドロキ。ワタシはカラーとモノクロが切り替わる事の意味をあれこれ考えていたんだけど…。防音カメラが使えないので、物凄い音のするカメラを毛布で包んで俳優から離れ、望遠で海岸で遊ぶ姿を撮ったのは苦肉の策だったらしいのだが、この映画ならではの味になっている。殆ど怪我の功名から成り立っていると言ってもいい。偶然の産物でないのはフランシス・レイの珠玉のメロディだけかもしれないが、勿論全編を貫くルルーシュの感性が全てである。傑作って意外と現場は無茶苦茶で明日をも知れない状況で撮っている時にふと生まれたりするもののようだ。

ジャン=ルイ・トランティニャンはあまり好みのタイプじゃないので、これ以外では観たことがないのだけど、今観ると小柄で目元の雰囲気にセナっぽいムードがある。こういうレーサーって確かにいそうである。が、自分の事故にショックを受けた妻が半狂乱になって自殺したというのにこの「男」の方は、さまでその事を引きずってはいないように見える。アパートにはその場凌ぎの女を連れこんでいるし、新しい恋を見つけるとまっしぐらに進んでいく。「女」がその連れ合いにとらわれているほど、「男」は先妻に縛られてはいない。



アヌーク・エーメは他にも幾つか作品はあるけれど、これ1本で殆ど永遠の存在になった。それだけにしっとりとした女盛りの美しさが画面から馥郁と香水のように染み出してくる。ただの美人じゃなく、非常に雰囲気のある美人で、目の前でスタントマンの夫に死なれ、いまだに夫を忘れられない女のたゆたいがそこはかとなく漂っている。茶褐色の髪をかきあげる仕草、新しい恋にパリの街を歩きながらふと心踊り、そして恋人の腕の中で死んだ夫をふと思い出して煩悶するその眉間の憂わしいシワなど、この作品の「女」は美女多しといえどもこの人以外にはあり得なかったなぁとつくづく思う。最近では「プレタポルテ」(’94)でその姿を拝見したが、些かの衰えもない「アヌーク・エーメ」っぷりであった。本物の美人は廃れない。歳月の侵食をかわし、輝きに変えるのである。(この作品ではソフィア・ローレンも全盛期より美しいかのような姿で登場。筋金入りの欧州美女は違ったもんであると舌を捲いた)



ウツクC?!! 約30年後でもほぼそのまま(右)

最初の夫を演じたピエール・バルーと一時期結婚していたぐらいなので、死んだ夫とのシーンには演技とも思われない情がこもっている。それだけにレーサーに心惹かれつつもどうしても死んだ夫との日々を思い出してしまう様子には真に迫った何かがある。こうなるとレースに出た泥だらけの車に乗って、6000キロの距離をすっ飛ばしてモンテカルロから戻ってきた「男」はバカみたいなものであるが、その間抜けな感じがトランティニャンなのでハマっていた。当初は陶酔しているが、徐々に死んだ夫の想い出に捕らわれ始める「女」。二人それぞれに指にはまだ結婚指輪がはまったままの抱擁…。良いシーンではあるが、背後に流れる歌をフルコーラス聞かそうと思っているのか非常に長い。冗長である。1/3ぐらいで十分。これがもっとサラっとしていたらこの作品は完璧だったと思うんだけれど…余計なお世話か。

「男」の物凄い情熱に、たゆたう「女」がついに過去を振りきろうと決意するまでが余白たっぷりの独特の間合いで綴られていく。実際に参加したというモンテカルロ・ラリーのシーンも臨場感がある。しかし、「男」があそこまでの執念をもってアタックしなかったら、二人はそのまま別れてしまったかもしれない。自分の腕の中で前の夫の思い出に捕らわれている女に興ざめしながらも、パリの駅に先回りして彼女の乗った電車を待つとは、いかなる情熱のなせる業か。それに納得するのはやはり1にも2にもアヌーク・エーメあってこそ。映画は幻想の世界だから美女は欠かせないのだ。
監督のルルーシュが「『男と女』は自分の実生活とはかけ離れた憧れの世界だ。私には無理だ。優しさが足りない」と語るのを見て、この監督が好きになった。

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