「日本一のホラ吹き男」

~痛快無比、融通無碍 植木さんの「無責任」シリーズ~
1964年 東宝 古沢憲吾監督

 いつも晴れやか絶好調

小学生のときに、植木 の映画をTVで初めて観たときから(確か「日本一のホラ吹き男」)この人もワタシの心のアイドルであり続けている。なぜかそのころ毎週日曜の午後にこの人の無責任シリーズを放映していた局があって、遠くの公園まで遠征して一遊びし、自転車を飛ばして戻ってきて友達と別れ、家の居間でおやつを食べながら、たまたま始まった「ホラ吹き男」を見たのが植木フリークへの道の始まりだったと記憶する。(断っておくが、ワタシはこの映画の製作当時に子供だったわけではない。念のため)
とにかく観るなり引き込まれた。まず、テンポがいい。スピード感があり、ダレとかモタツキなどが一切ない。したがってムダなシーンも全く無く、映画はポンポンと三段跳びのごとくに軽快に進んでいって大団円に至る。大学の三段跳び選手という設定の植木さんはのっけからジャージ姿で登場し、滑稽な体操をしながら「東京五輪音頭」を一節歌う。青空の下、たとえようもない脳天気な晴れやかさである。それにしても、時あたかも東京五輪の年なのである。ものすごい時代色だが、その時代が持っていた先行きへの希望に溢れた独特の勢いは、画面のあらゆるところから磁力線のごとくに放射している。隅々まで明るくエネルギッシュである。よく言われていることだけれど、植木さんの全盛期の映画には無限の万能感と解放感がダイナモのごとくに炸裂していた。観ているとこっちまで、全てのことが狙い通りにスイスイと調子よく運んで望むところに行かれそうなイイ気持ちになる。そこが植木さん映画の真骨頂である。

「ホラ吹き男」では、3流大学の学生の初 (はじめ ひとし)が就職試験に落ち、搦め手から目指す会社に食い込んでなんとか社員になり、そこから三段跳びの大出世を目指してC調全開のパワフルなサラリーマン生活がスタートする。劇中、唐突に始まる植木さんの軽快な歌の数々。初めて「無責任一代男」を聴いた時の衝撃はいまだに忘れない。小学生だった私の耳朶を打ち、「コツコツやる奴ぁごくろうさ?ん!」という一節に、そうだ、人生そういうノリでスラスラスイっと行かなくちゃ!という脳天気指向を刷り込んでしまったその歌声と歌詞のインパクト。結局はいまだにコツコツやっていて、さっぱり「ごくろ?さ?ん!」とはそれらと縁を切れないけれど、だからこそ憧れは永遠に消えないのだ。「無責任」シリーズの筋立てはどれもほぼ同じで、横道からドサクサ紛れに会社に入った○ (名前は必ず。苗字は一文字でそのつど適当に変わる)が、さっぱり期待もされず、直属の課長や部長にいかなヒジ鉄、冷や飯を食わされても一向にメゲず、彼一流の人生哲学を実践して奮闘し、交際接待費をジャンジャンと使いつつ、トントンと出世をしていくという物語である。そして最後は社内きってのツンデレ美女をモノにし、大出世で社長になる。社長になって絶好調でスピーチをするとやにわにギターを抱えて「無責任一代男」を朗々と歌って締めくくる。大体90分程度の長さで快テンポ。「そんなに都合よく行くもんかぃ」などとヒネた感想を持つよりも、「かぁ?、今日も痛快なモノを見た」という快感に浸らせてくれる。

 浜 美枝と

気難しい評論家などは、無責任シリーズは最初の2本だけがアナーキーな傑作で、あとは宗旨替えをして滅私奉公のタダのサラリーマン物になっている、と難癖をつける。確かに初期2作は植木さんも少しニヒルな空気を纏っていて他よりも味わい深い。けれどもその他の作品でも、小気味いい展開と観るものを無限の解放に誘うデボネアかつデライトなパワーは他に比類がない。無責任シリーズ中の白眉は1作目「ニッポン無責任野郎」続く2作目「ニッポン無責任時代」および「ホラ吹き男」「色男」「ゴマすり男」などと、時代劇「ホラ吹き太閤記」(これも痛快無比、抱腹絶倒の快作)あたりであろうか。「ホラ吹き太閤記」の主題歌「だまって俺について来い!」も、どんな事があったってお天道さまと三度のメシはついてくるものヨといった具合のクヨクヨしない人生哲学が全開の歌で、何度聴いても、そのたび感じる爽快感は変らない。♪そぉ?のうちな?んとか なぁ?るだ?ろ?う?♪と歌う植木さんにつられて、どんなことも何とかなるような気がしてくる。まぁ、実際は自分でどうにかしなければ、何ともなりはしないし、いくら頑張ってもどうにもならない事も世の中にはゴマンとあるのだけれど。が、しかし、だからこそ植木節は聴く者の心に晴れ晴れとした無限の青空を拡げてくれるのであり、束の間、頭上に広がるその幻想の空の青さは、ひとしお心にしみるのである。


「無責任」シリーズを見ているとサラリーマンは必ず昼休みに屋上でバレーなどをしていて、暢気そのものである。今はオフィスビルで屋上に出られるところなど、まずあるまい。お天気のいい日にふと屋上に出てみたいなと思うとき、ワタシは植木さんの映画を思い出す。国も経済も人の暮らしも、青天井で伸びていくと無邪気に信じられていた高度経済成長期の「無責任」時代と、自殺とイジメと経済の停滞で逼塞感に溢れた平成19年の現在を結ぶものは何だろうか。
植木さんに代わる時代のヒーローの姿は、まだ見えない。

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