「カサノバ」

~恋は思案のほかなのね…~
2005年 米 ラッセ・ハルストレム監督



当初ラッセ・ハルストレムだというので、結構期待して見始めたものの、なんだか期待していたノリと違ったので、興味がうせて観賞中止。暫くお蔵いりにしていたのだけど、気を取り直してもう一度見たら、案外おもしろかった。まぁ、他愛のないラブコメには違いないのだけど、何よりヒース・レジャーがカワイイし、脇にがっちりとジェレミー・アイアンズ御大も入っているしで、ベネツィアロケもあいまって、映像は綺麗だ。
この作品を見るまで、カサノバがベネツィアの人だという印象がなかったのだけど、ベネツィアの人だったのである。ワタシはフィレンツェあたりの人だろうと勝手に思いこんでいた。
「カサノバ」の映画化としては、前にドナルド・サザーランドがタイトルロールを演じたフェリーニの映画をTVで見たような気もするが、殆ど覚えていない。ただ、眉をそり落としたような異様な面相で絶倫男ぶりを顔からも表現していたサザーランドの様子だけは記憶に残っている。
それ以降ではドロンが老境のカサノバを演じた「カサノバ、最後の恋」などが記憶に新しい。が、老いたドロンが老いたカサノバを演じるという2重映しのようなアイロニーにはちょっと食指が動かず、結局は見なかった。



今回のカサノバはヒースなので、サザーランドのような馬っぽい絶倫男のイメージではなく、どことなく涼しげな坊ちゃん的カサノバ。しかし、目元にアッサリした色気があって、なかなか悪くない感じである。元々ヒースはすっきりとして愛嬌のあるハンサムマン。悪かろう筈もない。不潔さがないカサノバ、童顔で茶目っ気のあるいたずら小僧のようなカサノバである。女性を口説いていても生々しくないのが身上。おまけにマザコンで母恋のカサノバである。
がしかし、白いかつらを被って正装している時にはまぶたにブラウンのアイシャドーが効いていて、色気のある目元を作っている。コスプレの時、男優はまぶたにブラウンのシャドーを入れる事が多いが、似合うとかなりいい感じになる。ヒースも似合っているので少年のような顔に少し翳がさして好ましい。



しかしてヒロインはあの一束10円の女・シエナ・ミラー。常に安さ爆発の彼女であるが、今回は他の作品に比べるとかなり地味だし、イメチェンしているといえなくもない。が、やはりシエナ・ミラー。どうにも安い。口元に品がないのが致命的なのかもしれないが、(J・フォンダと似た系統だと思うが、口元がちょっと突き出ていて、ホウレイ線が目立つ顔である)それにしてもハルストレム監督、どうしてこの役にシエナを持ってきたのだろうか。まぁ、主役を若返らせてフレッシュなイメージにしたかったという事なのかもしれないが、シエナじゃなくても他にいくらでもいそうなもんである。最初はヒロインをシエナが演じると聞いただけで見る気が減退したぐらいだ。しかし、髪もブルネットにして、眉も太めに描き、男勝りで理想の高い知性派の女性を演じている。まぁ、頑張っているかもしれない。あまりに地味なので最初はシエナと分らなかったぐらいだし。



あらすじは、18世紀のヴェネチア。巷はどんな女性も虜にしてしまう究極のプレイボーイ、カサノバの噂で持ちきり。当のカサノバは、修道女との戯れが役人に見つかり御用となってしまう。結局、今回は総督の計らいでなんとか無罪放免となったカサノバだったが、強力な後ろ盾を得るため良家の子女と結婚する必要に迫られる。さっそく富豪の娘ヴィクトリアを口説き落とし婚約を取り付けるカサノバ。ところが、そんな彼の前に、男勝りの剣の腕前と知性を兼ね備える美貌の令嬢フランチェスカが現われる。そして自らのプレイボーイぶりを舌鋒鋭く批判されたカサノバは、逆に彼女に対する恋の炎をメラメラと燃え上がらせてしまう…。(all cinema onlineより)

というもの。スジ自体はなんだか他愛もない軽いロマコメである。軽いロマコメで大した事ないのだけど、けっこうお金をかけて作っている。ジェレミーおぢさんが敵役の司教を熱演しているのが空振りして見えるほど、なにがどうということもないお話ではあるのだが…。

カサノバは貴族と女優の間の私生児としてベネツィアに生まれた。生涯、これという定職を持たず、ある時は聖職者、ある時は劇作家、ある時は作家、ある時はスパイ、そして政治家、哲学者、魔術師でもあったという興味深い人物。頭も良くて法律や化学にも強かった。
何人もの婚外子をもうけた点は親譲りながらも、父母が全く子供に関心を示さない中で育ったので、彼自身も大勢いた子供に対しては全くの無関心だったらしい。親に愛されずに育つとどこか感情的に偏頗になり、父親の愛が薄い男の子が同性愛に走りやすくなるというように、親との関係は何かしら子のその後の人格や恋愛衝動に大きな影響を及ぼすのだ。



映画はオリジナル脚本なので、そのへんを脚色してあって、女優の母は好きな男ができて駆け落ちする前に、少年カサノバに向かって「いつかきっと帰ってくる。ベネツィアに帰ってくる。そしてあなたを迎えに来る」と約束して去る。カサノバは満たされぬ心を抱えたまま成人し、そのあまたの女性遍歴も失われた母の愛を埋めるための代替行為に過ぎないかのようである。
女性のベッドからベッドを渡り歩き、多分、性病とは切っても切れないお友達になりつつも、ヒースのカサノバは生涯最高の女性、唯一の愛する女性と出会うために女性遍歴を重ねているという雰囲気でもある。マイルド。でも修道女のベッドに潜り込んでいたのがばれて罪を問われ、なんとかドージェ(総督)に庇ってもらって牢屋入りは免れたものの財産と有力なバックを持つ嫁を貰って身を守れ、とドージェに示唆され、富豪の娘でブロンド美女のヴィクトリアを一目で射殺して婚約を取り付けるが、M型女性で知性も兼ね備えたフランチェスカ(シエナ)を見初めた為、ややこしい恋のロンドが始まるというわけ。殊更地味作りなシエナのフランチェスカに反して、その母を演じるリナ・オリンが派手な若作りのお色気年増っぷりを遺憾無く発揮して目立っている。娘の婚約者だった筈のでぶちん・ファブリツィオ(オリバー・プラット)と恋に落ちてしまうのもあまり違和感がない。

オリバーは大きな体で狂言廻しのコメディロールであるが、体格だけで笑いを取るようになっていて、あまりセリフや演技で勝負できるようなコメディアンぶりではなかったのが気の毒だった。でぶ=笑える なんて大正時代まで遡ってしまうぐらいな工夫のない設定である。そのへんはロスコー・アーバックルの時代から殆ど変化していないのかもしれない。そこへ行くと、ジェレミーの演じ甲斐のあったことは彼の張りきりぶりからも押して知るべし。カサノバを追い詰め、死刑を宣告する司教を嬉々として演じている。きっとこういう役をやりたくて仕方が無かったのだろうけど、楽しそうだ。生来のダミ声が、大声で指令を発するともっとダミて、なんだかやんごとない感じではなく、トラックの運ちゃんみたいなドスの効いた声になるのも気合が入っていた。

 でぶちん オリバー

 ジェレミー ノリノリ

最大の売りは追われたカサノバとフランチェスカが運河ぞいに準備された気球に乗って花火弾けるベネツィアの夜空をふわふわと逃避行するシーンだろうか。このシーンでだけはさすがのシエナも少し気品あるような面差しに映っているし、「見て、ロマンティックでしょ?うふ!」と書いてあるようなシーンでもある。



さるにても、ベネツィアはロマンティックな恋人達の町である。
なぜ、恋人たち、というと背景はベネツィアになるのだろうか。確かにロマンティックなんですが…。かくいうワタシも生涯最高の男に出会ったら、その彼とベネツィアに行こうと決めている。それ以外の人とはベネツィアには行くまい、といつとはなしに思っていて、もう最初にそう思ってから幾年たったことであるやら…。これは、ちょっと違うなぁ。いや、これもまだまだ。う?ん、これも国内止まり、などとやっているうちに、もうえり好みしている場合でもなくなって来た気もするけれど(笑)
なんだかベネツィアって、やっぱりそういう感じで思い入れてしまう町ではある。なんとなく。
ワタシは一体、いつになったらベネツィアに行けることであろうか、などと思いつつ「真実の愛」に出会って全てを放擲して別の人生を生き始めるカサノバを眺めた。



カサノバがこれまで遊び散らかしてきた女たちとは全く違う種類の女であるフランチェスカに惹かれるのも理屈でないなら、フランチェスカの婚約者だったでぶちんが一目見るなりその母親のアンドレア(リナ・オリン)に惚れてしまうのも理屈ではない。出会い頭の花火のようなものである。
まさしく恋は思案のほかとやら。
結婚しようかという娘のいる母親にだって恋は遠い日の花火ではないのだ。
ラストはカサノバの母恋も満たされて大団円。意外な人物がカサノバを襲名し、カサノバは世襲制であったのか、とニヤニヤした。まぁ、一人で1000人は大変ですからねぇ。 納得。

    コメント(6)