「家族の肖像」

~家族、この厄介な愛しきもの~
1974年 伊・仏 ルキノ・ヴィスコンティ監督



ルキノ・ヴィスコンティの映画を観ていていつも感じるのは、ヨーロッパが濃い、という雰囲気である。昨今の透明感の高いフィルムとはまた違った質感の画面ながら、毎度撮影が美しく、その奥行きと陰影の深い画面に映るのは誤魔化しのないヨーロッパの本物である。「家族の肖像」も教授(バート・ランカスター)の住むローマの古い住宅の重厚感と、空気に淀む贅沢の味に、ああ、やっぱりヴィスコンティは一味違うな、と久々にその余韻を楽しんだ。

最初にヴィスコンティを観たのは、TVで放送された「ベニスに死す」で、その印象があまりに強く、少し後で海外旅行をした時に字幕も出ない海外版VHSを衝動的に買ってきた。原作を読んでいたので字幕が出なくてもどうにかなるだろうと思ったのと、お目当てはあの少女マンガもびっくりなビョルン・アンドレセンだったので、まぁ、セリフは二の次だったのだ。次は長いけれどもやはり抑えなければというわけで「ルードヴィヒ」、そして深夜映画で3番目に観たのが「家族の肖像」だった。その他にも「地獄に堕ちた勇者ども」「山猫」「夏の嵐」など観たが、現在ヴィスコンティ作品で何が好きかというとこの「家族の肖像」である。昨年だったかネットでかなりオッサンになったビョルン・アンドレセンを観てむむむ?面影はあるけどなぁ…という気分になったが、もっと歳月無残という気分になったのはヘルムート・バーガー


「家族の肖像」のヘルムート

最近作は「ゴッドファーザーPart?」で、バチカンの手先の銀行家の小悪党を演じていたが、ヅラか本物かスダレ頭にちょび髭で臆病な小悪党をチマチマと演じていて、役としても小さい上に、最後にはマイケルの放った殺し屋に始末される。それがヘルムート・バーガーだという事が分った時には「うわららら?」と思った。そこまで零落しなくても、と観ている側は思うけれども、彼にも色々と事情があるのだろう。先々どんなオヤジになってしまうにせよ「家族の肖像」でのバーガーは美貌の盛りで魅力的である。ブロンドで登場し、そこはかとなく中性的。雰囲気としては「枕草子」のユアンにとても近い感じがする。(あの映画はちとしんどかったが、ユアンは美しかった。もうああいう風に美しいユアンにはきっとお目に懸かれまい)

お話は、ローマの古い邸宅に一人住まう教授の元に、ある日部屋を貸してくれと騒がしい女が現われる。侯爵夫人だと名乗るその女(シルヴァーナ・マンガーノ)は身勝手でヒステリック。どんなに部屋は貸さないと言っても聞かず、そのうちに彼女の娘やその恋人、そして夫人の愛人コンラッド(バーガー)までが雪崩れ込んでくる。夫人はこのコンラッドを囲う部屋を調達しようと目論んでいた。静かな引退生活を愛していた教授は強引なこの闖入者たちによってかき乱されるが、迷惑一方だと思っていた間借人コンラッドに意外な芸術への感性があることを知り、彼との会話にふと心が安らぐ。彼らは結局教授の家に入りこみ、契約を破って部屋を強引に改装してしまうが、彼らが生活に飛びこんできたことから、教授は過去を折節回想し、家族について思いを馳せるようになる…。というわけで回想の中に現われる若く美しい教授の母にドミニク・サンダ。


美しい母のドミニク・サンダ

うすいヴェールを帽子の上からかけて優美に登場したサンダはまさに「想い出の中の美しき母」そのものである。ワタシはこの映画でしか観たことはないが、 70年代に人気のあった欧州女優の一人。物静かだが、独特のムードがあり神秘的である。昨今どんなお姿になったのか、知りたくない人の一人でもある。(美しい人は最も美しい時の姿だけを記憶にとどめるようにするのが最良の接し方だ)この上品で美しい母像は、ヴィスコンティ作品には繰り返し現われてくるもので、「ベニスに死す」のタッジオの母(「家族の肖像」とは全く異なる印象でシルヴァーナ・マンガーノが演じている)にも通じる母親像である。きっとヴィスコンティの母は美しい人だったのに違いない。また、教授の別れた妻役で回想に登場するのはクラウディア・カルディナーレ。相変わらず大山猫のように強烈な顔である。

 VIVA!シルヴァーナ

強烈といえば、侯爵夫人のシルヴァーナ・マンガーノも圧倒的な存在感。この映画のマンガーノを観ているとかならず脳裏に浮かぶのが夏木マリ。日本でマンガーノのような雰囲気の出せる女優は夏木マリをおいて他にいるまい。このシルヴァーナ・マンガーノもバート・ランカスターもデビューして暫くは肉体派で売った俳優である。そういう系統の俳優を全く違う役柄で使って新しい生命を吹き込むのもヴィスコンティの得意とするところ。

 憂愁のインテリを演じるバート・ランカスター

筋肉モリモリで空中ブランコ乗りなどを演じていたランカスターはヴィスコンティに出会って貴族やインテリという新たなジャンルを開拓した。この老いたインテリへの見事な変貌には舌を巻く。隠遁生活を送っている資産家で孤独な知識人の姿が非常に板についている。壁にかかった絵について話したり、モーツアルトの歌劇のレコードを聴いてその感想を聞いたりしているうちに宇宙人のように思っていたコンラッドにシンパシーを抱き始める教授の微妙な表情の変化がお見事。このモーツァルトのアリアを聴いているシーンがとてもいい。



またヘルムート・バーガーも、根が純粋なだけに政治闘争に首を突っ込み、そこからまっとうなレールを外れて退廃した人生を歩いてきたが、教授と出会って内側に眠っていた部分を呼び覚まされるコンラッドを技巧ではなく、なりきって演じている、という感じがする。敬愛する巨匠の導きのタマモノか。鍛えられて演技の方も腕を上げたのかもしれない。このバーガーと侯爵夫人の娘、そしてその恋人の青年を演じる役者はみなほっそりとして筋肉も贅肉もない植物的な体つきの美男美女で、ヴィスコンティの趣味が伺える。この3人が戯れに乱交するシーン(観念的で綺麗に撮られている)も登場する。さすが巨匠。晩年に至ってもフリーセックスという時代の空気をちゃんと作品に取りこんでいる。バーガーはこのシーンとシャワーシーンでダニエルにも負けないほど気前よくオールヌードを披露しているが、ほっそりと植物的な体つきのせいか、生々しさはまったくない。オブジェのようにふ?ん、と見てしまう感じである。

 
迷惑な闖入者がいつしか家族のようなもの になっていく

そして最初は忌々しく、災厄のように思っていた間借人たちについて、いつしか家族と思いなすようになっている教授の心境の変化も無理なく綴られる。そんな教授の心境を引き出すのはエキセントリックなコンラッドなのだが、彼は常に行き当たりばったりで危うい人生を綱渡りしている。そして、人生を悩みつつもそれゆえに空費して、周囲の人に強い印象を与えつつ一瞬にして人生を通りぬけていく人間に特有の空気をふんだんに撒き散らす。そういうタイプの人が持つ強い磁力で周囲の人間を引きずり込むのである。借金に追われて襲撃された彼を介抱する教授のかいがいしさには、ついに持たずに終わろうとしていた息子というものを彼の中に見出した喜びが滲む。この教授とコンラッドの間にそこはかとなく(ほんとうにうっすらと)同性愛的な空気も漂わないわけではないところがヴィスコンティならでは。老いた教授の心情に、ヴィスコンティは自分の想いを重ねていたものでもあろうか。

また、年若い愛人に惚れてしまってヒステリーを起こしつつも貢がずにいられない侯爵夫人の深情けをシルヴァーナ・マンガーノがたっぷりと演じていて良かった。間男に狂う有閑マダムの典型であるが、結局は同じ心理でもホストに入れあげて大金を貢ぐ日本の風俗嬢や女社長に比べるとシルヴァーナの侯爵夫人はなんといっても趣きがあるし、ヨーロッパの上流社会の澱みと退廃をその容姿からも十全に漂わせている。もの凄い角度のアーチ型の眉毛を描いて、それでもサマになってしまうなんてアッパレとしか言いようが無い。凄みを感じさせる顔である。


部屋の改装が終わり、その祝いに教授が間借人一同を招いた晩餐会で、思わぬ事から彼らが本音をむき出して罵り合いを始める。コンラッドは夫人と別れたい意志を表明するし、夫人の夫の欺瞞について暴き立て、そのことで娘の恋人とコンラッドは取っ組み合いを始めそうになる。それらを押し止めながら教授が「君らは最悪の間借人だが、家族だと思えば腹も立たない。君らは私を死の眠りから覚ましたのだ」と言う。いつしか、教授にとって彼等は家族のようなものになっていた。人生の終盤に際して、いっとき家族の煩わしさと賑やかさを教授に味合わせた奇妙な共同生活は、コンラッドが言い争いの果てに屋敷を去ったことで終焉を迎える。だが、本当の終焉はその先にあった…。

家族は時に重く、時に厄介なシロモノだが、まるきり無くしてしまう事は出来ないものである。迷惑をかけたり、かけられたり、うっすら疎ましく思いつつも、何か懐かしく慕わしく、失うことができないもの、それが家族というものなのかもしれない。

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