「かもめ食堂」

~ごはんを食べて元気になろう~
2005年 日本 荻上直子 監督



これも長らく話題なのに未見だったのだけど、ようようこのたびCSにて鑑賞。
フィンランドでおにぎりという唐突。群ようこの原作らしいなぁと思う。この原作に小林聡美の主演、もたいまさこ共演、片桐はいりも洩れなくついてくるとあっては、あまりにもハマリ過ぎであるが、そういうある種の「まったりの図式」にハマったスタイルを楽しむのも心地よいものだな、と思った。逆に、そのマッタリが気分じゃないときには、なかなかこのテの映画って観られないのである。 
それにしても、思いっきり遠くに来たものだなぁと思ってたら実は欧州の都の中で東京から一番近いんだって、フィンランドのヘルシンキ。ほへ?、そうなんだ。知らなかった。成田から10時間で行けるのね。16時間ぐらいかかりそうイメージなのだけど。
映画の中で片桐はいりが、「ムーミン」についての隠れ知識をたまに披露したりするのだけど、(ミーとスナフキンは父親違いの兄妹だった、とか。じゃ、ミーの姉さんとスナフキンも血が繋がってるってことか)フィンランドといえば「ムーミン」、そしてノルディックスキーのジャンプ選手、ニッカネンとかハッキネンとかぐらいしか思いつかない。そういえば苗字に?ネンとつく名前が多いというイメージもある。いずれにしてもその程度しか思いつかないフィンランド。そのぐらい意識として遠いわけだが、なぜか森と湖と素朴な人々、という固定観念もいつしか刷り込まれている。不思議である。

そんな港町ヘルシンキで、こぢんまりとおにぎりがメインの食堂を営むサチエ(小林聡美)。これってもう、小林聡美以外にはありえないキャスティング。だって、ほかに誰?といいたくなるほど、このサチエはサトちゃんそのものの雰囲気だ。この映画のために群ようこが書き下ろした原作らしいから、登場人物はあて書きなのだろう。原作者が女性なら、脚本兼監督も女性、主演も女性と、映画全体に女性の手でこざっぱりと作り上げられた作品という感じが漂っている。それは主な舞台であるかもめ食堂のたたずまいに顕著で、シンプルで余計な装飾のない白木のテーブルと椅子。テーブルも四角かったり丸かったり、画一的ではない。そして奥に控える使いやすそうで明るい厨房。背後の棚に並んでいるさまざまな形や素材の(真鍮やステンレスや銅などの)鍋。この鍋やフライパンが、いつもピカピカで綺麗なのだ。厨房は使い勝手と清潔第一。整然として清潔感の溢れる厨房がこの作品の核でもある。



サトちゃんこと小林聡美、昔から器用だなぁと思っていたが、料理も実に手際がいい。料理だけでなく、就寝前に必ずやるという合気道の膝行なんてのも、非常に滑らかで形の決まった動きをみせる。はいりと並んでこの膝行をやるシーンがあるが、なんの心得もない人が唐突に膝行をやると、はいりみたいな動きになってしまうのだろう。でも、必ずしも小林聡美自身が何年も前から合気道をやっていたという事ではなく(そうなのかもしれないが)、撮影のためにちょっと訓練したら、忽ち何十年も前からやってきた事のように出来るようになってしまったんじゃないか、という気がする。小林聡美ってそんな感じの人だ。なんでもあっという間にコツを掴んで上手くなってしまうのだ。ともあれ、彼女が魚を焼いたり、カツを揚げたりする佇まいが端然としている。動作の1つ1つはゆっくりで丁寧だけど、切れる包丁でサクッサクっと切り分けていく揚げたてのカツの美味しそうなことはどうであろう。あら塩を振って網にのせられる鮭の切り身のきれいなこと。箸を優雅に使って皿にそっと置かれる料理のいとおしさ。食堂だからしゃっちょこばったものも、奇をてらったものも出さない。表を通りかかった人が、なんとなく入ってきて、出されたものをおいしいと感じてホッコリしてくれればいいのだ、というサチエのコンセプトは素敵だが、いかんせん、フィンランドでおにぎりは唐突過ぎる。当初は客も入らないがらんとしたかもめ食堂。
自分のスタイルで誠意をもってやれるだけのことはやって、それでも駄目なら、店をたたみます
という彼女だが、「でも、大丈夫ですよ」と必ず付け加える。このサチエには何がなし、東洋的な悟りの境地が覗える。何があってフィンランドまで来たのかなぁ。



片桐はいりは何年たってもさして変わらずうまくもならず、相変わらず柄だけという感じでもあるけれど、なんだか憎めないこの人が、ここで演じるのもタイプキャストといっていい役だ。ワタシはこの人をずいぶん前に山手線の中で見かけたことがある。帰りのラッシュの時間に、間が悪く山手線に乗ってしまったのだろうが、つり革につかまった長身の彼女が、大きな顔面を俯けてなぜか申し訳なさそうに立っていたのを、今でも覚えている。
このはいり演じる旅行者の女性ミドリがかもめ食堂を手伝うようになったことで、おにぎり一本槍のサチエの方針も少し和らぎ、ある時作ってみたシナモンロールから、徐々に客が入り始める。


起死回生のシナモンロール

そして最後の一人。長らく病気の両親の看病に明け暮れた果てに、一人になって旅に出た女性にもたいまさこ。御殿女中のようにやんごとない言葉遣い。しょっちゅう自分の荷物が届いたかどうか問い合わせている。ヘルシンキに降り立ったものの、空港で彼女の荷物は出てこなかったのだ。当初は途方に暮れているが、お金やパスポートをなくしたわけじゃなし、考えてみたら一体出てこない荷物の中で何がそんなに必要だろうか?とふと考え直す。意味のない執着から解き放たれると、人間は本当の自由を手に入れられるのかもしれない。余談だが、職場に、このもたいまさこにソックリな顔のオジサンが居て、ワタシはもたいまさこを見ると、あ、T山さん、と思い、会社でT山さんを見ると、つくづくもたいまさこに似ている、と思う。もたいまさこの顔がUPになるたびに、T山さんが中途半端な女装でもしているようで可笑しくてしょうがない。個人的な述懐で申し訳ないけれど、条件反射でどうにもできない。



T山さんは脇へ置くとして、このもたいまさこがフィンランドのしんと美しい森でキノコを摘むシーンがある。こういう深い森の中で半日ゆっくりしていると随分元気になりそうだ。海のそばが好きな人と森林が好きな人といるだろうけど、ワタシは森が好きだ。海もいいけど、森の方が惹きつけられる。しんとした空気と木々の匂い、さやさやと吹き渡る風と木漏れ日。森の中に週末の家みたいなのがあったら理想的だと思う。ターシャ・チューダーの生活にちょっと憧れてしまうのも、森への憧れが強いせいだろうと思う。女一人でフィンランドに来て食堂を開店したサチエよりも、このもたいまさこ演じるマサコの方にミステリアスな影がついているのも興味深い。

ワタシは必ずしも米のご飯がなくては夜も日も明けぬというタイプではない。日本食は大好きだが、米を必ず食べたいという執着はない。海外に1週間もいると気も狂わんばかりに食べたくなるのは蕎麦である。薬味を少々入れたダシに、蕎麦をさっと潜らせてススーっと吸い込む様子を脳裏に思い浮かべるともう居ても立ってもいられなくなる。成田に戻ってイの一番に駆け込むのは空港ビル内の蕎麦屋だ。さして美味しくなくても、とにかく蕎麦を食べなくては落ち着かないのである。お米好きの人は、ワタシの蕎麦にお米が相当するのだろう。炊きたての白米を想像すると、もうそれだけで陶然としてしまうのに違いない。

昨今、平日にはランチ以外には米のご飯を食べないのだが、このランチにお米系じゃないものを食べると、数日「米のごはん」と無縁になる。そうすると、自然に体が欲してお米、お米食べなくちゃ!となる。麺党のワタシでも、自然にそうなるのだ。そして休日は朝から炊きたてのご飯を食べる。お米を食べるとお腹にしっかりと入り、確かに力が湧いてくるのが実感できる。この映画を見ているとそんなお米のパワーも強く感じる。おいしいものを食べると元気が出る。凝ったことをしなくても、いい素材を使って丁寧に作られた一皿には、人を元気にする力があるのだろう。

表参道に「おひつ膳 田んぼ」という店がある。こだわりをもって栽培した米と厳選した水で炊きあげたお米で握ったおにぎりがメインなのだが、その他お櫃で出てくるご飯を焼き魚や煮魚、または豚角煮や鶏ささみ、はたまた、うなぎなどの惣菜とともに味わう定食もある。なんでもない、家庭料理のようなおかず(しかし、すべてが厳選素材で丁寧に調理されている)で食べるご飯が忘れられない美味しさで、「かもめ食堂」を見ていたら、ふとこの店を思い出した。

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