「ギター弾きの恋」

~身勝手なギター弾きと淋しい小娘…~
1999年 米 ウッディ・アレン監督



これは我が母のオールタイムベストのうちの1本。ワタシは何となく封切時もその後も暫く未見のまま打ち過ぎていたのだが、母が先に観て「良かったわよ?、観てみたら?」というので6、7年前に観てみたら良かったのだった。
1930年代に一瞬輝いた、ジャズファンの間では世界で二番目に巧いギタリストとして有名らしいエメット・レイの人生の一時期を、ウッディ・アレンが愛をこめて綴った作品。エメットが世界で二番目に自らを位置づけて仰ぎ見ていた圧倒的な世界一のギタリストといえばジャンゴ・ラインハルト。ワタシはそのジャンゴの演奏もウッディ・アレンの「ラジオ・デイズ」の中で初めて聞いたように思う。「世界で二番目」って妙な謙遜自慢の言い回しだ。昔、うちが出前を取っていた中華屋が「東京で2番目にギョーザのうまい店!」というのぼりを立てていたのを、ふと思い出した。


いつもながら、ウッディ・アレンの選曲センスはワタシの耳をくすぐる。そして今回はギターだけにまた、余計に余韻が耳に残るのだ。そして1930年代という時代色。この時代はウッディ・アレンが得意とするところだと思うけれど、彼がこの時代を描く時の、本当にいとおしそうに郷愁をこめて全ての事柄を扱っている様子がワタシはとても好きだ。20年代、30年代が理屈抜きに好きなワタシとしては、そういう面だけをとってもウッディ・アレンは貴重な人だ。この作品でも実に自然にその時代の色を出していた。現代の女優も、ちゃんと30年代の女優の顔になっているのが見事。


もちろん、主役の鼻持ちならないギター弾きエメットを演じるショーン・ペンがとても巧いのは言わずもがなだが、一言もしゃべらないのに出てくるとシーンをさらうサマンサ・モートンの存在感。彼女が演じる口のきけない娘ハッティは、あの「道」(フェデリコ・フェリーニ 1954年)のジェルソミーナを想起させる。口角がきゅっと上がっていて、常に微笑んでいるように見える。哀しそうな目をしていても、きゅっと口角が上がっているのだ。また、サマンサ・モートンのルックスが無声映画時代のけなげな娘そのもので、モノクロで撮ったらきっとリリアン・ギッシュのような雰囲気を醸し出したことだろう。


淋しい小娘 サマンサ・モートン


リリアン・ギッシュ


ジェルソミーナのジュリエッタ・マシーナ

この娘がおぼこい顔にも似合わずとても大胆で、軽薄な遊び人のエメットが鼻じろむほど積極的だったりするのが面白いのだが、ことのあとで服を着ながら、ベッドでエメットがつまびくギターに魂を奪われたようにしんみりと聞き入る様子がとても印象的だ。この時に、彼女は本格的にエメットに惚れてしまったのだろう。
「俺は指を傷つけられない」などと叢に寝転んでギターをいじくるエメットに、うっすらと憤りを覚えつつも女の身でパンクした車のタイヤ交換などをさせられながら、それでも、エメットの弾くギターの調べに、うっとりとホイールカバーに頬を寄せて聞き惚れるハッティ。身勝手極まる人格も容認するほど、その才能に惚れたのか…。

サマンサ・モートン演じるハッティは、うっとりとエメットのギターを聞いているか、さもなければ常に何かを食べている。うっとりと聞きながら食べている時もある。そんなに食べたらもっと太ってるでしょうに、と思うほど常に何かを口にいれてモグモグモグモグ動かしている。それでも、いつも、とてもカワイイのである。そして、出てくると場を浚う。この作品の魅力の半分は、彼女がハッティを演じているところにあると思う。

ナンパして知合って、最初は一夜限りのつもりだったが、彼女の一途さにほだされて何となく付合い始めるエメット。しかし女遊びをやめるわけもなく、勝手放題で無計画な生活が改まるわけでもない。
ハッティが誕生日のプレゼントに、ずっと欲しかったヤギ皮の手袋を用意してくれていたことをしみじみ嬉しいと思いながらも「吐き気がして」くるエメット。そういう彼女の心にほだされ、からめ取られて、人生に枷がはまるのが嫌で堪らない。怖いのである。
「アーティストは自由でいなければならない」のだ。

このエメット・レイ。ギターを弾けなければただのヤクザなロクデナシなのだが、ギターにだけは真剣なので、届かない星であるジャンゴ・ラインハルトには心酔し、姿を見ただけで失神、彼がステージを観に来ていると嘘を言われると舞い上がり逃げ出したりする。傲慢だが気弱なのだ。
マンガもびっくりなほど破天荒な人だったのか、浮世離れした逸話が多いらしく、尾ひれに尾ひれがついておもしろ奇人伝みたいにジャズマンの間をその噂が誇張されて流布されているというのも、さもありなんという気がする。


ジャンゴに聞き惚れ、涙する

エメットが、健気なハッティを突如置き去りにして電撃結婚した金持ち令嬢ブランチをユマ・サーマンが演じている。彼女は顔立ちがディートリッヒによく似ている。殊に鼻のしっかりした感じやギョロリとした目などとても似ている。だから初登場のシーンではモロにディートリッヒ・スタイルを踏襲したマニッシュルックで現れるのだが、ユマ、実にキマっている。一応、物書きの端くれらしい彼女は非日常的なものに接してそれを彼女なりに分析することでものを書こうとする。だから月並みな幸せなどは求めていず、常ならぬものへ向かって絶え間なく関心が流れていくのである。


ユマ・サーマン ディートリッヒ風味

この結婚が破局して、シカゴに戻ったエメットは、ハッティの前に姿を現し、結婚はしないがまた付合わないか、などと身勝手極まることを言う。静かな微笑を浮かべて聞いていたハッティはメモに走り書きをしてエメットに渡す。その彼女の愛想尽かしの言葉が嘘なのをエメットも気付いている。しかし「また惚れられても面倒が増えるだけだし、俺は今夜もデートだ」と言う。この時、実に哀しそうな目でハッティは彼を見て、そしてきゅっと口角の上がった口で微笑む。その才能ゆえに何度も彼を許してきた彼女の愛想尽かし。まだ気持は残っている。けれど、また同じ事を繰り返すのはもうご免だ。これ以上傷つくことはできないのだ。そして、決定的に失ってしまって、初めて分る彼女の得がたさを一人かみ締めるエメット。
彼はそののち珠玉のベスト盤を紡ぎ出し、表舞台からゆっくりと消えていく。

ストーリーとしてはなんら目新しいことはなく、物事はなるべくして、その方向に流れていくのだが、話の流れを繋いでいく笑いの中にふとにじむ“ほのぼの” と“しんみり”の程のよさ、そして全編に絶え間なく流れる軽快であまやかなジャズギターの調べの快さはえもいわれない。人間としては最低ながら、なんとエメットの奏でるギターの音色の美しいことか…。

ワタシは常づね、才能と人格は反比例すると思っているのだけど、抜きん出た才能のある人は、人として問題があることが多い。偉大な人格に偉大な才能が宿るよりも、むしろ欠点もまた偉大(巨大)だという事の方が多いように思う。飛びぬけた才能のある人は煮ても焼いても食えない奴である事が多いのだ。エメットは確実にそういうタイプの人間のひとり。ショーン・ペンは、自分の中にもふんだんにあるのだろうそういう部分を拡大し、カリカチュアライズして、しかもやりすぎず、愛嬌までもたせて演じている。三日月型の装置に酔っ払って座ったものの、ギターを弾きつつバランスを崩しっぱなしで天井から下がってくるシーンのコミカルな体の動きにはほんとに笑える。
スラップスティックのセンスもあるとは! ペンめ。 ニクイ奴である。

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