「高慢と偏見」と「プライドと偏見」



今回、コリン主演のドラマ版を見てみて、キーラの映画版の良さも相対的に分ったという気がする。映画は2時間ほどの中にお話を納めなくてはならないので、取捨選択が必要になるのだが、ドラマ版は前後編それぞれ2時間半あるので、かなりゆとりを持ってじっくりとエピソードを描いているという感じである。だから映画にはメリハリがあるし、逆に映画を見ているだけでは今ひとつ分りにくい事はドラマを見ているとはっきりするという具合で相互に補完作用がある感じである。どちらもそれなりの良さがある。
でも、細かい演出では映画版の方が良かったように思う。ビングリー邸で姉ジェーンが風邪をひき、それを迎えに行ったエリザベスが姉とともに馬車で帰る際、非常にそっけなく帰る挨拶をしたリジー(エリザベス)に、これまた無表情で挨拶を返したダーシーが、彼女が馬車に乗る際、さりげなく手を貸すのである。馬車に乗ってからハっとしてじっと邸内に去り行くダーシーを見つめるリジー。ダーシーは歩きながら指先をぎゅーっと1回伸ばす。こういうショットの切り替えが実に巧みで心理表現をカメラワークで見せる部分では映画版の方が素晴らしい。もうひとつ、映画版の方がいいのは自然描写。風景の撮影がとにかく綺麗で、そのいかにもイギリスらしい風景の中を風に吹かれて立つキーラの姿など見ていると、これは映画館で見るべき映画だったなぁといまさらに映画館で見なかったことを些か残念に思うのだ。でも公開当時はあまり食指が動かなかったので致し方ないのである。よほど気持ちが動かないと映画館には行かないという習性なので、あとからしまった!と思うこともままある。この上はなんとか薄型大画面TVを備えて、徐々にプチプチホームシアター化への道を図るしかあるまい。…ああ、先は長い。


ある日、強い風の吹く崖で

それでは幾つか映画版とドラマ版の違いをあれこれと挙げてみると…。

まず、ベネット家の財政状態が、映画版の方がより厳しく庶民に近い感じである。ドラマ版ではもう少し富裕な感じで描かれていた。住んでいる家の規模は同じでも内装がかなり違う感じである。娘達のドレスも普段着は使用人みたいなぞんざいな服を着て、髪も無造作なひっつめ状態だった映画版。いかになんでもちょっと貧しく描き過ぎじゃなかろうか、と思ったが、大邸宅に住むダーシーとの身分違いを分り易くするために、敢えて極端にそういう姿にしたのかな、とも思われるし、より正確に時代考証をした結果、田舎紳士の娘はこのぐらい、という史実に忠実なファッションなのかもしれない。ドラマ版では「いつか晴れた日に」でもお馴染みの、あの胸元切り替えのドレスがふんだんに登場。そんなに華美なものは着ていないにしても、髪型もきちんと髪をカールさせて、一応、田舎の令嬢らしく、こぎれいに装っていた。ワタシがドラマ版を気に入った理由のひとつに、全体に漂う雰囲気が娘達の衣装も含めて「いつか晴れた日に」ととても近いという事もある。あんなに撮影が綺麗ではないのだが、とても近い空気感をもっているので、見ていて、そうそうこの感じこの感じ、と思ったのだ。



妙に生活感のある映画版の娘達(左)とちょっといい家の娘という感じは出ているドラマ版の娘達(右)

次に、ダーシーが最初の告白をするシーンだが、ドラマ版は屋内で、映画版は屋外で雨に打たれつつ、という設定である。どちらもそれなりに味はあるが、よりドラマティックだったのはやはり映画版の方だろうか。だって、猛烈に景色がよいのだもの。滴る緑の背景に雨がしとどに降り注ぎ、森に向けて張り出したテラスで濡れながら本心をぶつけ合うのだ。アイデアの勝利とも言える。しかし大雨の中で「I love you」といわれてもなびかない女エリザベス。…強い。普通の娘だったらどんなイキサツがあろうとなびいてしまいそうなもんであるが…

が、背景設定は映画の方がドラマティックでも、コリンのドラマ版は、なんといってもコリンがダーシーを演じるのでそこで一挙にぽーんと飛躍する部分が大きい。セリフはほぼ、骨子の部分は映画もドラマも同じである。
ドラマ版では、またも怒ったような顔で彼女の部屋へやってきて、何か言おうとしてやめ、椅子に座ったかと思えば立ちあがり、檻の中を右往左往するライオンのように狭い部屋の中を行ったり来りしつつ(このシーンを見ているとあまりの可愛さにニヤニヤしてしまう)、ついに勇気を振るって清水の舞台から飛び降りるような気持ちで彼女に「自分を抑えようとしたがどうしても出来ない。愛しているといわせてください。家族や友人、自分の良識にも反することで、家族の大反対も予想されるが、気持ちを抑えられません」というのだが、結果は剣もホロロのホロホロ鳥である。大体、自分の良識にも反するし、家族も反対するし、あり得ない結婚だとは思うけど、スキなんだよ、とか言われてハイそうですか、喜んで、などと返事をするなら、それはエリザベスではないのだ。ここで、見事に求婚をハネつけるエリザベスに、ダーシーファンのワタシも思わず喝采を送りたくなった。


キッパリとお断りをかます えり子(エリザベス)

「ありがとうというべきなのでしょうけど、言えません。私は求婚を望んだわけでもなく、あなたも不本意のご様子。大体、姉の幸せを壊した人を私が受け入れるとお思いですか?」という彼女に「身分の低い人と一緒になるのを僕が喜べるとでも思いますか」と段々激昂するダーシー。エリザベスは「初めてお会いした時からあなたは傲慢で、自尊心が強く、人を軽蔑していた。あなたがこの世界で最後に残った男性だったとしても、あなたとだけは結婚しません」とキッパリと言う。この場面では双方に思い入れがあって、どちらの気持ちもさもありなんという感じ。見下したようなことを言いつつ求婚するダーシーにバシっと啖呵を切るエリザベスに「よく言った!」と思う一方で、真っ向微塵に振り飛ばされてショックの色を隠せないダーシーにもほだされる。彼にとっては生まれて初めて一敗地にまみれた瞬間だったに違いないのだ。またこの時のコリン・ダーシーの表情がもう…。振られてもハンサムマン。素敵すぎる。ワタシがエリザベスだったら、こうも誇り高くキッパリとお断りできるものかどうか、甚だ自信がありましぇん。


無表情の中にもショックのにじみ出るコリン・ダーシー

また、このシーンの映画版ではマシュー君が雨に濡れつつ、つれないご主人をじっとみつめる大型犬のような遣る瀬無い雰囲気を出していてとても胸キュンだった。どちらも味わい深い。



脇役に目を転じると、映画ではドナルド・サザーランドが演じていた父はドラマ版(ベンジャミン・ウィットロー)の方がよりこの父のウィットに富んだ性格と色々な物事を父なりにちゃんと見ている様子が表現されていた。この父あってエリザベスありである。そしてその父は何故かあのミーハーで軽躁な妻を選んでいるのだが。(このへんは映画版では、お金がないと相手を選べないのよ、と性格の合わない両親の結婚について長女と次女が語るシーンがある)


ドラマ版の父 飄々としていい

母役は映画版のブレンダ・ブレッシンが愛嬌をもって演じていて良かった。その騒がしさも経済的に有利な結婚を娘達にさせようとゴリ押しする俗物根性も幾分マイルドになり、何より愛嬌があったので見ていてほほえましい感じだったが、ドラマ版(アリソン・ステッドマン)では徹頭徹尾、母は軽躁で俗物で時折下品で、ダーシーに眉をひそめられても仕方が無いという感じである。だから説得力はある。この母の性質を受け継いだと思われるのが4番目と5番目の娘達であろうか。母と妹達はやんごとない上流階級の人々の眉をひそめさせ、長女の縁談にさえ影響してしまうほどに騒がしい。


映画版の母(左)とドラマ版の母(右)映画版の方が愛嬌がある

映画でもドラマでも甲乙つけがたくキモかったのが従兄弟の牧師・コリンズである。しかし、ある程度財産があり、独身時代よりもより自分の自由な時間を確保でき、満喫できるので、安定的な生活と身分のためにこのコリンズを夫に選ぶエリザベスの親友シャーロットの現実的な考え方やありようは、ドラマ版の方がよりきちんと伝わってくる。そこは映画よりも時間の制約がないドラマの良さでもあろうか。強権的なレディ・キャサリンは映画もドラマも大差ない感じだった。

エリザベスがダーシーの留守に彼の邸宅を見学に行くシーンで、ある物を見てダーシーに恋をしている自分をはっきりと自覚するシーンでは、そのある物にドラマではダーシーの肖像画を、映画ではその彫像を使っている。これは別にどちらがどうという事もないけれど、肖像画の方はもうちょっとマシな絵を描けなかったものだろうかとちらと思った。でもいずれもエリザベスが現実の彼よりも、彼のアイコンを前に自分の気持ちに素直になるという面ではよく表現できていたと思う。が、ここはじっとその彫像を眺めているうちにうっすらと涙さえ浮かんでいそうだったキーラの感情表現に100点さしあげる、という感じであろうか。


ついに恋を自覚するエリザベス

その後ふいに帰ってきたダーシーが、あんなに猛烈な背負い投げを食らったにも関わらず「僕の気持ちは変っていません」というシーンは映画もドラマも同等に良い。ワタシは個人的にコリンの真剣な表情に200点差し上げる、という感じだけれど。ぷふふ。

上の二人と下の二人に挟まれてひたすら地味に頑固に目がねをかけ、ピアノばかり弾いている(しかも上手くない)三女のメアリーはオースティンが自らを投影させた人物像でもあろうか。このメアリーとエリザベスの友達シャーロットに、なんとなく著者オースティンの分身らしいものを感じる。また、当初エリザベスが騙されかけ、ダーシーの妹も過去に騙されかけていて、最後に末娘が駆け落ちで結婚するウイットローは文無しの不誠実な色男で、「いつか晴れた日に」でもウィロビーという類似形が出てくるが、オースティンはこの手の男にエライ目に合わされたことがあるのだろうか?それとも彼女の周囲でそういう男に振りまわされる娘たちの様子を見ていて(自分にはさっぱりお声がかからず)印象深かったので作品に毎度、そういう男を登場させているのか、このへんも興味深い。

というわけで、先週のあたまに「プライドと偏見」を見て以来、長らく購入を迷っていたコリンのドラマ版もついに購入して鑑賞し、大満足である。
いや?。なかなかクラシカルな物語っていうのはいいものである。なんだかまた「いつか晴れた日に」が見たくなってきた。

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