「ジャッカルの日」

~そして闇に消えた~
1973年 英/仏 フレッド・ジンネマン監督



97年にアメリカでリメイクされた「ジャッカル」は、話を現代に持ってきてIRAガラミになり、ジャッカル役のB・ウィリスがさまざまなトッピング(ヅラ)をとっかえひっかえしてシャビーな変装を繰り広げ、なかなか笑わせてくれたが、やはり「ジャッカル」といえば本家のこれに尽きる。背は高くないが、ジャッカルを演じるエドワード・フォックスの英国人然とした佇まい(結局何人なのか判らないのだが、常に紳士的な装いと物腰で、アスコットタイが印象的)、その取り澄ました無表情と、由緒正しい英国発音の英語、やけに波打った砂色の金髪と、髪の色に合わせたかのようなベージュ系のスーツ姿でヨーロッパを股にかけて移動し、請け負った暗殺の準備をする様子は、俳優が殺し屋を演じているというのではなく、殺し屋の日常を隠し撮りしているような感じがする。
そのハマリ具合はまさにジャッカル俳優と言ってもいい。(大体、あまりほかの作品で見かけないし。ワタシはかなりオッサンになってから「湖畔のひと月」でバネッサ・レッドグレーブと共演しているのを見ただけという感じだ)このエドワード・フォックスは「日の名残り」でダーリントン卿を演じていたジェームズ・フォックスの兄だというのは、つい最近知った。そう思ってみると似ているが、ちっこい兄と比べて、弟はすらーっと背が高く、優雅さや貴族的なムードは弟の方が持っている気がする。


ちっこくてキザなエドワード・フォックス

フレデリック・フォーサイスはこれと「オデッサ・ファイル」を読んだきりだが、双方面白かった記憶がある。でも映画としては断然「ジャッカルの日」の方が上。「オデッサ・ファイル」は確かアンジー・パパことジョン・ボイトが主演で映画化されたのを去年CSで見たが、平均的な出来だった。

それにしても、この作品全体に漂う緊迫感と臨場感はなんだろうか。エドワード・フォックス自体が、ほかにあれこれ作品に出まくって顔の知られた有名俳優というわけではないので、余計に不思議なリアル感があり、謎のジャッカルにピッタリなキャスティングだった事が今に至るも功を奏しているのだろうか。ヨーロッパ臭が濃いという点でも、なんとなく好きな作品で、「アラビアのロレンス」と並んで、何年かおきに思い出しては観て、「あ?面白かった」と満足する作品だ。

元仏大統領シャルル・ドゴールという人は、アルジェリア問題の方針を巡って秘密軍事組織OASから6回に渡って命を狙われつつ、どの暗殺計画もすべてかわした挙句に79歳で動脈瘤のため亡くなった、という人物。日本流にいえば、いつどこで殺されてもおかしくない人生を送りつつ畳の上でまっとうに死んだ、という事になろうか。

いまさら言うまでもないけれど、「ジャッカルの日」は、このOASからの依頼を受けた謎のスナイパー、ジャッカルがドゴール暗殺に向けて周到に準備をして着々とXデーに備える様子と、その暗殺計画を嗅ぎ付けて犯人割出しに血道をあげる仏警察の捜査を平行して描いたもの。原作も実在の人物や事柄と架空の人物やフィクションをうまく混ぜ込んで緊迫感を盛り上げているが、モデルの詮索だの、どこまでが事実でどこからがフィクションかなどの追及は無意味なことだろう。面白ければ、それでいいのだ。

ジャッカルが偽造パスポートを闇の業者に依頼し、この業者がうしろ暗そうなジャッカルに付け込んで上前をハネようとするのをにこやかに笑いつつあっという間に始末するシーンでは、強いライトの下で顔は影になり、波打つ金髪だけが異様に印象的に捉えられる。また、組み立て式ライフルを発注した老職人のところで、その非常に軽く精巧な出来映えに惚れ惚れし、まるで女性を愛撫でもするように照準器を扱う様子に、謎の男ジャッカルの性格の一端がにじんでいるような気配もする。
余計なBGMなどが一切入らないのも独特なムードと緊迫感を盛り上げるのに効果を上げている。町の市場でさわやかな顔つきでウリを買い、車で郊外へ行って、遠くの木の枝に顔を書いたウリを下げ、冷静に照準器の調節をするシーンも、赤いアスコットタイで悠揚迫らざる物腰、気障にタバコをふかしつつ、顔を書いたウリを下げて歩く姿のとぼけ感が、なにやら「エセ英国紳士」風だ。

パリに着いたジャッカルが、「ジャッカル」という暗号名が割れた事を知らされつつも、職人気質かプロ意識か、計画続行を決めて頑固に突き進むのだが、常に冷静で計画的な行動しかとらないような彼がパリを出てニースのホテルで見かけた年上の裕福なマダム(デルフィーヌ・セイリグ)にふと心そそられ、仕事とは無関係に一夜の関係を持つシーンでは、ほほぉ、仕事を離れて年上趣味を満喫する事もあるのねん、と意外な感じがする。


オットナ?なマダム

この年上マダムは小僧の誘惑を落ち着いてあしらう様子がオットナ?な女の余裕がにじんでカッコいい。ヨーロッパのマダムという感じが漂ってます。結局このマダムとは一夜限りにならず、彼女はうっかりと持ち前のクールさを剥ぎ落としてジャッカルの目的を詮索した事が身の破滅となってしまうのだが、およそ生身の人間らしい感情をどこにも出さないジャッカルが、このマダムに関わったことと、その後車が割り出された事で、慌てて偽装工作をしたのにすぐ事故ってしまうあたり、いつも冷静そうでいて案外とっちらかっちゃう時もあるわけね、ふふ、と思ったりするわけである。
この計算外のマダムとの情事および殺害に較べると、パリに戻り、指名手配を見越してホテルには泊まらず、サウナでホモ男を引っ掛けてその家に転がり込む手際などは計算ずくでいかにもジャッカルな感じである。


ヌボーっとした大型犬のようなルベル警視

ジャッカル捜索に駆り出されるルベル警視を演じるミシェル・ロンスダールもなんとなく好きな俳優なので、この人が出ているのも「ジャッカルの日」を好きな理由の1つ(そういえばこの人も「日の名残り」に出ていた)。このミシェルさんを初め、フランスのシーンでは、俳優ががんばってフランス訛りの英語をしゃべっているのも昔の映画っぽい。今だったらフランスでのシーンはフランス語でセリフを言うだろう。ともあれ、亡羊として、品のいい大型犬みたいなロンスダール演じるルベル警視が、ジャッカルが立ち回ったであろう国の警察と速やかに連絡を取り、情報を集め、事前に偽造パスポートの名義まで割り出してしまう。事前にこんなにいろいろと分かってたら、そりゃ押さえられるんじゃないの?とも思うが、最後にジャッカルがスタンバっている狙撃の建物を特定したのは警視ならではの職人の勘であろうか。いずれにしても、お見事なルベル警視なのだ。

あれだけ周到に準備してきて、一瞬のタイミングの狂いですべてがオジャンになるクライマックス。そして結局ジャッカルは謎のまま、その正体だと思われていたチャールズ・カルスロップなる人物でさえなかったというラストも文句なし。
ジャッカルは闇に生まれ、謎のまま闇に消える。
このテの映画ではいまだに一番出来がいいと思うし、作品に頭から終わりまで漂っているヨーロッパ臭も捨てがたい魅力があると思う。車や列車などで、地続きでほかの国へ入国するジャッカルを見ながらこっちまで欧州を旅しているような気分が味わえるのもいいところ。


車で国境超えてみたい

ワタシには、ヨーロッパに旅行し、向こうでレンタカーをして、あちこちと国境を超えていくつもの国を出たり入ったりしながら旅してみたいという昔からの強い願望がある。理想的には車はクラシカルなワーゲンのビートルか、シトロエン2CVあたり。山越えの途中などでラジエーターが過熱してふうふう言うのに手を焼きつつも、スポスポと車を転がして国境を超えてみたいなぁといつも思っているので、次々に偽造パスポートを使って国境を超える列車に乗ったり、分解したライフルを仕込んだ白いオープンカーで国境を超えてフランスに入るジャッカルを見ていると(山道に国旗が翻る様子など、カリオストロ公国に車で入るルパン三世と次元を思い出すのだ)、なんだかニヤニヤしてしまうのである。

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