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「その土曜日、7時58分」 

~悪魔がその死を知る前に~
2007年 米/英 シドニー・ルメット監督



予告編で見たときに、面白い顔合わせだなと思ってはいたのだけど、ファミリー・アフェアものは暫くいいや、という気持ちがあって先送りにしていた本作。けれど俳優陣がいいし、面白いという噂は聞くし、こりゃやっぱり行かなくちゃだろうかしらん、と恵比寿ガーデンシネマへ。
でもワタシのお目当てはイーサン・ホークでも、P・S・ホフマンでもない。アルバート・フィニー爺なんですねぇ。久々のフィニー爺は「ボーン・アルティメイタム」の時よりは少し若く見えた。
シドニー・ルメット復活と伝えられる本作。さてさて、どんな具合でございましょうか。
それにしても、今回の役ほど、イーサン・ホークのヘタレ顔(ファンの方には申し訳ありません)が活きた役はなかったかもしれない。世の中に、「ヘタレなダメ人間顔」というものが存在するとしたら、それはまさしく今回のイーサンの顔ではあるまいか。こりゃダメでしょう、絶対にダメよ、と誰もが納得。そのクタビレ度合い、ウラブレ加減が視覚的に役柄にドンピシャリ。なまじ甘いマスクの尻尾を引きずっているだけに、余計にその尾羽うちからしたダメダメな様子が惨めさを増幅するのだ。
そしてこんなダメ弟と窮余の一策を分かち合ってしまう兄(P・S・ホフマン)。しっかりしているようで、ツメが甘い。というか、そんなドンブリ勘定な狂言強盗計画でどうにかしようという根性からして世の中をナメている。このふてぶてしく世の中をナメている兄にP・S・ホフマン。ヘタレな弟にイーサン・ホーク。タイプ・キャスト。そしてなんと似てない兄弟か、と思ったけれど、観ているうちに小さな奥目が似ていなくもないような気がしてくるから不思議だ。



しょっぱなからあまり見たくないP・S・ホフマンのベッドシーン。白ブ○系の自分の肉体を意図的に役柄に活かしているところがプロっぽい。ダニエルやヴィゴのように引き締まっていなくても、やはり俳優として体を張っている事はP・S・ホフマンだって同じなのである。どんなにお腹が出てたって。
体を張っているといえば、今回はマリサ・トメイが随分とシドニー・ルメットのためにひと肌脱いでいた。彼女はP・S・ホフマン演じる兄の嫁役。キュートで気のいい女・トメイちゃんが今回は二人の男を手玉に取るシタタカ女か、と思いきや、結局、キュートなお色気を部分的に振りまくだけの可哀想な女だった。でも、トメイちゃん、いささか記号的ではあったけれど、セクシーであるという印象はちゃんと残った。脱ぎ損はしていないと思う。

P・S・ホフマンは上手いので、今回も安定していてツボにはまった役をバッチリと演じていたが、オミソレしてました、と思ったのはイーサン・ホーク。 上手かった。情けない、ヘタレな弟のダメさ加減、自分で自分を信じられない、「だって俺ってダメなんだもん」という潜在的なオブセッションが、全てをダメにしていく男を演じてとても自然だった。変装したヅラとつけ髭の顔がまたダメ顔のサンプルみたいなのだけど、臨時に雇った相棒にまで「そんな顔じゃ上手くいかないぜ」なんて言われる始末。この時のイーサンの変装顔がなんだか大泉 晃に似ている気がしたのはワタシだけだろうか。(大泉 洋じゃないですから:念のため)この弟の別れた女房の物凄いヒステリー加減がまたリアル。アラララ、奥さん。いくらなんだってそんなに娘の前で父親をコケにしちゃダメよ。
元妻に引き取られている一人娘が可愛くて仕方がない弟だが、娘は内心、生活力のないマケ犬の父親を軽蔑している。家庭環境を顧みないセレブ志向がありそうなこの勘違い娘がまた、行く末どんなビッチに育っていくものやら…。

うまく出来た脚本で、不自然さがなく、突っ込みどころなく、最初の躓きからどんどんロクでもない方向に転がって行く事態の展開の仕方も自然で無理がなく、あぁこういう事になっていきそう、うんうん、そういう風に転がっていっちゃうわね、という展開が納得の行く形で繰り広げられていくので、見ていてひっかかるところがなく、スーっと観られた。

分刻みで窃盗や強奪を計画し、その計画通りに物事が進む映画などを観ると、そんなに上手く切って計ったように行くかなぁ。予想外のファクターが起きたらどうするの?どうしてそれが起きないの?起きても予定調和なの?やっぱりご都合主義だから?う?ん、そこでそんな風にスムーズに計画通りに行くかなあぁ、などと思ってしまう事があるのだけど、今回はもう、「あ?、そりゃそういう事になるわよね。緻密に計算してたってガタっと突発事項で崩れる事もあるだろうのに、あんな杜撰な計画の通りになんかいきっこないわよ」と納得しながら観られた。親子のありようも、兄弟のありようも、お粗末な事件の引き起こす様々な波紋も、本当にありそうな事柄のリアルで等身大な描かれ方がしっくり来る。

そして、事件が起き、兄弟の父役でフィニー爺が登場。P・S・ホフマンとフィニーが親子の設定で全く違和感がない。実の親子だと言ってもいい程、壁があるのに性格や雰囲気が似ちゃっている父と息子(いわゆる同族嫌悪)の感じがよく出ていた。兄は父が自分に対して冷たかった、弟の方を可愛がっていた、という事が根源的にトラウマになっている。こういう設定はよくあるが、親と子の関係というのは本当に重要で、人のメンタリティに与える影響はかなり大きいのだな、と今更に思う。大人になったらいい加減そういう事はまぁいいや、と思うようになるんじゃない?なんて思ったりするが、そういうものではなさそうだ。愛されなくても影響があるし、愛されすぎてもまた影響がある。親子の距離感というのは難しい。



この兄が、努力して得た現在のポストをフイにしかねないような危険な嗜好に走ってしまったのも、それと無縁でもないのかもしれない。自分を越える存在になって欲しいとオヤジにハッパをかけられて育ってきて、彼は新たな頑張りを生むためと現実逃避の双方から、薬でトぶ方へフラフラと進んでしまったのではなかろうか。マンハッタンの高層ビルの中にひっそりと存在する現代版・阿片窟のような秘密の部屋で、高い金を払って、キツい一発にひととき憂き世を忘れる兄。この会員制らしい秘密クラブを仕切る売人はゲイの青年。これみよがしなアート臭の漂う部屋からキモノ・ガウンで登場し、顔はハッキリと映らないのだけど妙に印象に残る。
兄はこうして折々ラリパッパになっていたせいで、ついつい大雑把な計画を立てて一発逆転を計ろうなんて思ってしまったのかしらん、などと思ったりして。

フィニー爺は、映画全体をシメる存在感で文句なし。
ラストの病院でのシーンはどことなくギリシア悲劇の趣さえ漂っていた観があった。重い内容なのに、不思議に見終わった後でドンヨリした気分にはならない作品だった。なぜだろう。ワタシだけだろうか。
兄弟の母の役で、「スパイダーマン」でおばあちゃんを演じていたローズマリー・ハリスが出ていた。きれいな老婦人役は定位置になりつつある。

P・S・ホフマンを見ながらワタシがひとつ確信したのは、デカプー(L・デカプリオ)が20キロ太ったら、間違いなくP・S・ホフマン2号になるだろう、という事だった。前々から顔つきが似ていると思ってきたけれど、デカプーが30過ぎて全体に肉付きがよくなってからはますます似てきた気がする。あと15 年したら見分けがつかなくなるかもしれない。双子のようになったP・S・ホフマンとデカプーを並べて見たいような、みたくないような…。


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