「けものみち」

~メフィストは優男の姿で現れる~

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1965年 東宝 須川栄三監督

松本清張原作「けものみち」の最初の映像化作品。CSにて観賞。ヒロイン民子を池内淳子が演じているのは前から知っていたが、彼女を自分の野望のためにけものみちに引きずり込むメフィスト・小滝を池部 良が演じていると知って俄然観る気になった。
モノクロの映像が物語にとても合っており、期待通りに面白かった。日本映画専門チャンネルでは松本清張生誕百年記念とかで、6月までその原作の映像化作品が放映されるとか。未見のものもチラホラと混ざっているので、ちょっと楽しみな企画だ。
ワタシが最初に観た「けものみち」は1982年NHK制作のTVドラマ版。(これも5月に放映されるらしい)和田 勉の演出、ジェームズ三木の脚本で、民子に名取裕子、小滝に山崎 努、黒幕・鬼頭に西村 晃というキャスティングだった。面白かった。民子の名取裕子は池内淳子のラインを踏襲したものだと思う。「時代屋の女房」には不向きだったが、「けものみち」にはハマっていた。

大体「けものみち」はお話自体が面白いので、よほど何かで外さない限りTV版でも映画版でも面白いのは間違いない。この原作については映画版1本とドラマ版が確か2本あるのだけど、各々キャスティングによる味わいの違いを楽しむ、という感じ。いかにもアクの強い、野心家という雰囲気だった山崎 努の小滝に対して、映画版の池部 良はそのニクイばかりの二枚目っぷりを生かして、本心がどこにあるのかわからない、惚れさせておきながら冷たい素振りのつれない男を無表情に、クールに演じて、まこと魅力的。二度目のTVドラマ化ではこの小滝を佐藤浩市が演じていたが、ワタシ的にはノーコメント。まぁ、民子も米倉涼子だから、全体にそんなもんでしょう、という感じだった。

***
病気の夫を抱えて旅館の仲居をしている民子の前に、ある日、小滝という男が現れる。ひとつ僕に協力してくれないか、という小滝に惹かれた民子は、彼の導きのままに病気の夫を家ごと焼いて、フィクサー・鬼頭洪太の屋敷に入る。だが、そこは一度入ったら二度と抜け出る事のできない、けものみちへの入り口だった…。

というわけで、フィクサー・鬼頭洪太はいう間でもなく、あの児玉誉士夫をモデルに造形された人物だろう。戦前の右翼で、旧満州での暗躍で莫大な隠匿資産を得たのち、終戦後は中国情報と引き換えに戦犯を逃れ、隠匿資産を使って保守党派閥を買い取り、広告業界を買い取った。右翼から暴力団まで傘下に収め、CIAを通じてのアメリカとの太いパイプで、戦後の日本の経済発展の底でさまざまな糸を引いていた…。こんな面白い人物が現実にいたら、フィクションは現実を模倣せざるを得ない。児玉誉士夫って本当に興味深い。松本清張はもとより、村上春樹なども、児玉のような人物を作品中に登場させているという事からも、その興味深さは推し量られるというものだ。

5_20090425141305.jpg 中風病みの権力者

まぁ、児玉誉士夫が実際に、ここに描かれる“おじいちゃん”鬼頭洪太のような色ボケだったかどうかは知らないが、その存在のありようと、隠然と社会の奥底で権力を揮っている様子などは、まさに児玉そのものだと思う。映画ではこのセンセイを小沢栄太郎が演じている。ははは、いいですね。寝たきりの田舎爺のクセに社会の裏側から勢力を揮う感じがよく出ている。ついでにスケベな感じも。この役は東野英治郎でも良かった気がするけど、小沢栄太郎で勿論不足はない。もうとっくに男ではなくなっている癖に、好みの女を傍に置いて愛でていると長生きできると思っている老いた権力者のオロカな思いこみ。むしろ下手に興奮して心臓に良くないでしょうにね…。

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怪しい伊藤雄之助

このセンセイに取り入っていずれ後釜を狙おうという野心をたぎらせている弁護士・秦野に伊藤雄之助。(この人も怪優なので、センセイをこの人が演じたとしても何ら違和感はない)。この秦野と組んで鬼頭に取り入り、骨董屋を開き、大物の隠匿資産を税金逃れに古美術・骨董に変える小滝。この小滝は転向左翼という設定だ。元は青雲の志のあった男が、ひとたび挫折したあとはどこまでも屈折してしまう。小滝を演じる池部 良の無表情にはそんな背景もにじんで見える。この人は爽やかな二枚目だが、明るい二枚目然とした役よりも、こういうニヒルで無表情な男を演じた方がずっと良い。この作品では殊にも、自分に惚れている民子を、それと知りつつ常にビジネスライクに遇して何もしてやらず、さんざんお預けを食らわせて爺さんへの奉仕に向かわせる。餌をやらずに仕事だけさせるとは、さすが凄腕。まぁ、最後の最後にちょっとだけご褒美あげますけども…。

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ニヒル度全開の池部 良

だが、映画を観ていると池部演じる小滝の本当の狙いがよく分からない。弁護士・秦野の野心は分かり易いが、小滝は結局のところ、その秦野の手先としてちょろちょろと余禄に預かっているだけの小物に過ぎないのかと思うと、池部があまりに落ち着き払ってニヒルなので、はて?と思ってしまうのだ。骨董屋を開くだけが夢だったのかしらん。もっと大望があってもよさそうな気がするのだけど…。ともあれ、お預けを食らわされすぎて、欲求不満になり、毎度焦れてお色気たっぷりに迫る池内淳子の民子を、無表情の上にウッスラとうるさげな表情を浮かべてスイ、スイとかわす池部 良。いいですね。非常によく似合っている。心の芯までニヒルが沁みこんで何事にも心を動かされないが、冷たい癖に女には何だか惚れられてしまう男の感じがよく出ている。ラストのあの大笑いは、自嘲か、それとも自己憐憫か…。

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この冷たい表情 つれなくて良いですねぇ。さすが池部 良

対する池内淳子は、楚々とした和風美人で、声が鼻にかかって色っぽく、当初は当惑気味にオズオズしているが、爺さんの寵愛を受け、小滝という惚れた男も出来て、自信がついて段々にふてぶてしくなり、女としても磨きがかかってくる様子をうまく演じていた。しっとりした和風美人の色気がなかなかいい感じ。「女と味噌汁」だけが池内淳子の持ち味ではないのだ。
原作ではどうなのか未読なので分からないが、映画での民子は平凡な女だ。別に賢くもないし、身に過ぎた野心もない。女らしい女である。平凡な美人がたまたま惚れた男に誘われて裏の世界を垣間見てしまい、女として恋ゆえに身を滅ぼす。とことん利用されてオシマイの、運命に翻弄される女である。しかも、彼女を破滅へと誘うメフィストもケチな小物。まことにアイロニーが効いている。民子は自ら能動的に「けものみち」へ飛び込んでいく「黒皮の手帳」のヒロインとは違う種類の古風な女である。彼女の望みは惚れた男と片時も離れずにぬくぬくとしていること、ただそれだけだからだ。

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この民子というキャラは、社会の裏側に存在はしているものの、一般の人にはその様相を覗い知る事はできないフィクサーの世界をちらりと垣間見せるための狂言廻しである。ロッキード事件以降、そういう存在があることはかなり一般的に知るところとなったけれど、この小説が発表された時点では、そんなものがあるという噂だね、という程度の想像の世界のお話だったのだろう。
「けものみち」に描かれているのは、あの戦争のドサクサでの旧満州という土地が産んだカオスと(思想的に別人になったり、他人の戸籍をのっとって別人になったり、なんでも思いのまま)、そんなカオスの中で培われたコネクション、そこから連綿と尾を引く人脈と野望を土台に戦後復興し、発展してきた日本という国の姿だ。また、そこから遡る、どんな事でも起こりえた旧満州というカオスについて、である。

フィクサー・鬼頭を中心にゆるぎなく廻っていた世界だが、爺さんが突如死ぬと、そこで全てが死に絶える。それはまさに、
"先生が死ねば、全ては終わる。(中略)先生の死によって組織は遅かれ早かれ分裂し、火に包まれたヴァルハラ宮殿のように凡庸の海に没し去っていくだろう。誰にも先生のあとを継ぐことはできないんだ。"(「羊をめぐる冒険」村上春樹著より)という事である。それはまた、秦野にとっても、小滝にとっても、そして民子にとっても、カタストロフの始まりとなるのだ。

鬼頭センセイの子飼の用心棒・黒谷役で初代ウルトラマンの黒部進が不気味な怪演を見せていた。ふぅん、こういうのもやれるのね。
また、民子の夫殺しを追ううちに民子にムラムラしてしまう刑事役で小林桂樹が出ている。この刑事は「知り過ぎた男」となってしまい…。桂樹ったら気の毒に。

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人間臭い刑事を演じる小林桂樹


***
末尾に余談をひとくさり。
赤坂界隈というのは実に怪しい土地柄で、何しろ永田町も近いですし、料亭も随分減ったとはいえ、まだそこそこ残っている。あの「ニュー・ラテンクォーター」や「コパカバーナ」等の有名クラブがあったのも赤坂。そうかと思えば繁華街には焼肉屋が多く、戦後の闇市時代に半島系の人々がこのへんに多く住み着いて店を出したんだろうなぁ、という感じも色濃い。また、昼でも鬱蒼として独特の空気を放っている氷川神社の周辺は、昔、武家屋敷でもあったのだろう、立派な石組みの塀がまだ残っていて、妙に森閑としている。近くにはアメリカ大使館の職員住宅もある。そんな氷川神社のすぐ脇に、夜になると黒塗りのハイヤーがずらりと並ぶ大邸宅があり、門から建物までの長いアプローチといい、運転手が主を待っている何台もの黒塗りの車といい、あまりにもアヤシイので、ワタシはひそかに「けものみちの家」と名づけていたが、そこはかつての星ヶ岡茶寮の跡地で、現・日銀氷川寮であることがのちに分かった。それでもなんだか怪しいでしょう?赤坂って怪しい土地柄なのである。永田町は千代田区だが港区赤坂と千代田区永田町は不可分のようにくっついていて、境目などないような感じである。

「けものみち」はこの赤坂界隈の怪しさがよく出ている作品だ。先生がお住いなのもその界隈(麻布という設定)だろうし、(なんたってフィクサーは永田町の近辺に住んでいないとね)、小滝が当初、支配人をしていたホテル(あの横井英樹のニュージャパンがモデルっぽい)も赤坂界隈な気配だし、のちに支配人をやめて骨董屋を開くマンションも赤坂の一ツ木通りにあるという設定だ。…キナ臭い。そういえば、赤坂、六本木界隈には不思議な感じの骨董屋が多い。古びたビルの一階などで店を開いているのだが、誰を相手に商売をしているのかとんと見当もつかないような、開店しているのか休んでいるのかわからない、全くやる気の感じられない店である。置いてある品物も微妙なものばかり。(いわゆる青山骨董通りなどの骨董屋さんとは全く別物だ)そういう開店休業みたいな目的の分からない骨董屋を観るたびに、「きっと誰かの税金対策なのね…」と思ってしまう。だって、本当にやる気がなさそうだし、こんなもの誰が買っていくんだろう、というような物を置いてある店がちらほらあるんですよ。あの界隈は。あぁ、キナ臭い。

余談だが、ワタシが赤坂にちょろりと遊びに行ったりするようになった20代はじめの頃、燃え残りのホテル・ニュージャパンは、まだその場所にそのままの姿で残っていた。ホテル脇の地下への階段の奥に「ニュー・ラテンクォーター」の看板もまだ残されていた。力道山の刺されたクラブは、そのようにまだ形骸だけ残っていたのである。ホテル火災は1982年だったが、横井が長らく火災後もホテルを放置していたので(14年もそのままになっていたらしい)、その姿を見ることが出来たのだった。外側から観ただけだが、チャチな感じのホテルだなと思った記憶がある。跡地に、現在はプルデンシャル・タワー(森ビル系)が建っている。更に余談だが、最近の港区は森ビルにいいように蹂躪されまくっている。虎の門にまた40階以上の高層ビルを建てるらしい。ビルだらけにしてどうしようというのか。いい加減にして欲しい。そんなに建ててもテナントなんか集まらないでしょうに。港区だけならまだしも、他の区に手を出されないように要注意である。静かな住宅地が東京から消えたら目も当てられない。誰か森ビル社長の野望を止めちゃくれまいか。時代は変っても誰かが常になんらかの野望をたぎらせている。まったく油断も隙もない。

コメント

  • 2009/04/27 (Mon) 23:19
    けものみち・・・

    1982年NHK制作のTVドラマ版、多分、初回放送時に両親と見たのですが、相当昔&子どもの頃見た割には強烈に記憶に残ってます。確かに名取裕子があの役には合ってましたよね。西村晃がいかにも・・・なスケベジジイ(当時はこんな言葉は思いつかず、「年取ると人間怖くなるんだな・・・」と思っていたような)なのも記憶に残っている一因かもしれません。あと、山崎努に子どもながらにホレました。。。

    そして、須川栄三版、キャスト豪華ですねえ!池辺良が小滝って色っぽくていいですし、小沢栄太郎が鬼頭洪太。おお!池内順子が民子かあ、と思ったんですけど、kikiさんのレビューではしっくりきてそうですね。いずれこの作品を見て、1982年版ドラマと比較してみたいです(米倉版はいまひとつ・・・ですぐ見るの止めちゃいましたので)。

  • 2009/04/28 (Tue) 07:15

    yukazoさん。子供の頃に観たもののほうが印象が強いってこともありますね。82年のTV版、観てましたか。あれは傑作ですものね。音楽も印象的なのが着いてたし。愛染明王だかをタイトルバックに強烈にフィーチュアしてた記憶があります。5月に観られるらしいから再見しなくっちゃ。あの頃はワダベンが努ちゃんと組んで、幾つか清張ものの単発ドラマやってたんですわ。努ちゃんがギラギラ盛りでいい感じでした。
    この映画版はさして期待してなかったんですが、小滝に池部良ってところでピピピと来て、観たら正解。面白かったです。大体、原作が書かれた時期に最も近いわけだから、空気感が原作テイストを自然に伝えている気がするし、昭和40年代初頭の東京の風景もあいまって、それらしいなぁ、という感じがします。キャストも演出もそれぞれハマってました。機会があったら観てみてくだされ。スケベ良は文句なしにいい感じだし、池内淳子も色っぽいですよ。
    (米倉版はいろんな意味で対象外って感じですね。それと別に草刈正雄が小滝をやったのがあったような気がするんだけど、気のせいかしらん…)

  • 2015/07/18 (Sat) 09:27
    ラストの比較

    「けものみち」に関しては
    私は 名取裕子さんのドラマが最初の出会いです。 皆さん同様 強烈な印象で、大人になった今も BGMやいろんな映像を思い出すことがあります。
    米倉涼子さんのドラマは 私の期待が過多だったのか たいした印象がありませんが、ただひとつ 終わり方がおもしろいなと思いました。
    それは 米倉さん主演のドラマのラストが良かったということではなく、
    その二つのドラマと 原作の小説の三作品それぞれが 主人公民子を行かしたり殺したり 全く違うものだからです。
    それは おそらくは その時代に添った女性の生き方を表現されたのかと思います。
    NHKのドラマでは、名取裕子演じる民子は山崎努演じる小滝と 成功するはずのない逃避行を決め 共に捕らわれることでラストを迎えます。
    小説では、信じ愛した小滝に 焼き殺されます。自分が自分の夫を焼き殺したのと同じように 炎のなかで裏切りを知り 死ぬわけです。
    米倉さん主演のドラマだと、一旦死んだと見せかけて復讐する強いオンナとしての民子が描かれていたと思います。
    女が 男に頼り、女を武器にしてしか のしあがれず、女でありすぎたゆえに転落していくのが原作や名取裕子さんの民子であるなら、米倉さんの民子は全く新しいオンナ民子なのだなと 現代風のサッパリしたアレンジにそれなりに面白さを感じました。
    ただそれは、比較としての面白さで
    あれだけしか観ていなければ 記憶に残る作品ではなかったと思います。
    二時間ドラマでよかったのではないかという感です。
    結局、一番幸せな民子は 名取裕子さんの民子ではなかったかと思います。
    一番救われないのは原作でしょう。
    松本清張さんは社会派。罪をおかしたことで それまでの不幸で平凡な主婦民子の何もかもが一変しますが、 始まりが間違いであれば 必ず幸せは来ない という彼の教えのようなものを感じます。
    そういう意味では 名取裕子さんの民子は
    死と同時に愛を手に入れたということで救われたのではないでしょうか。
    のしあがることはできなくても、小滝に出会い、小滝を得るためには こうするより他なかった…のであれば おそらく民子に後悔はなかったでしょうし、それを選んだ小滝さえも 最期に人として死ねることに後悔がなかったのかもしれないと思います。
    原作は、清張の作品で一番好きなので何度も読み返しました。もともと推理小説は食わず嫌いみたいで避けてきた私ですが、この作品との出会い以来 いろいろ読むようになり、二時間ドラマなどもチェックしています。
    原作が 深く面白いので 如何様なアレンジも 活きてくるのでしょう。
    池部良さんの映画を知りませんでしたが、
    ぜひ観てみたいと思います。
    私のなかでは、原作と名取裕子さんのドラマと米倉涼子さんのドラマの3つの作品の中での最後の民子をどう描いたか がとても興味深く おもしろかったのですが、そうとう前にこの事に感動したものの
    誰とも共有できず今まできました。
    たまたまこの記事を見つけてつい書き込んでしまいました。

  • 2015/07/20 (Mon) 23:03

    みーにゃんさん
    名取裕子がヒロインを演じる「けものみち」は、一般的に一番有名な映像化作品ですね。米倉涼子のはそういうラストだったんですか。それぞれの映像化作品で、それぞれにラストが違うわけですね。
    池部良の出る「けものみち」は多分、原作に忠実なラストだと思いますよ。

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