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「転々」

~おもろうて、やがて哀しき東京散歩~
2007年 スタイルジャム 三木 聡監督

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ミニシアター好きの友人が、家の近所のミニシアターの会員になってせっせと通っているという話をしつつ、「今度、「転々」がかかるんだ。超たのしみー」とウキウキしていた。
今年の春ごろの事だ。ふぅん、まだ劇場で観られるのか、と思ったが「ま、ワタシはDVDでいいかな」と思ったので、このほどDVDで鑑賞。
マジメ一筋ウン十年で来て、「空がこんなに青いわけがない」('93)あたりから路線拡大をジワジワと始めた三浦友和。昨今では随分色々な役ができる俳優になった。今回は小太りした体に暑苦しく黒いコートを着込み、エクステをつけた似合わぬロン毛が怪しくも微笑ましい。道連れとなる大学8年生の冴えない若者を演じるオダギリジョーはホヨンホヨンと独特の味わいを醸していて、これまで観た彼の出演映画の中で、一番良かったように思う。ひょんな事から道連れになったモサい男二人の東京散歩。はてさて、いかなるものやら?

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肉親の縁薄く、大学も8年生、84万という半端な額の借金がある文哉(オダギリジョー)。ある日、借金取りに来た男・福原(三浦)に、吉祥寺から霞ヶ関までの東京散歩に付き合えば100万やると言われ、他にアテもない彼は福原と連れだって井の頭公園から歩き始める。

オダジョーも三浦友和も、ヘアスタイルを思いっきりモッサくしているのがうらぶれ感を増幅している。いや?、モッサいねぇ。怪しいオヤジ・福原(三浦)は、しかし愛情深い家庭に育ち、妻をこよなく愛していた「愛情の人」。また、見た目の怪しさと事変わり、物知りの常識人であることが徐々に分かってくる。対するオダジョーの文哉は幼い頃に両親に棄てられ、養父母に育てられて大事にすべき思い出も持たない孤独な男だ。でも、文哉はノホホンとして格別いじけてはいない。暗くもない。それまではそうだったのかもしれないが、福原と奇妙な東京散歩をしている彼には、そんなささくれた影はない。

散歩好きな父親とよく散歩したので散歩好きになったという福原には、霞ヶ関に行かなければならない彼なりの理由がある。
が、目的地までまっすぐに行くというのではなく、散歩には道草がつきものというわけで、途中でひょいひょいと思いつきで寄り道をする。歩きながら問わず語りにあれこれと話すうちに、文哉は奇妙な男・福原にいつしか親近感を抱き始める。
顔見知りの女(広田レオナ)に掴まった福原が、なかなか約束の場所に戻って来ず、連絡も取れない状態になり、焦燥感にかられた文哉は新宿を彷徨う。大ガードを通り抜けながら通じない携帯に電話をかける姿がいじらしい。新宿や、本所吾妻橋、勝鬨橋、神宮の銀杏並木など、一目でどこと分かる場所も登場するが、大半はどこだか分からない商店街や裏通り、線路脇などを歩いている。どこにでもあるが、どことも言えないという佇まいだ。ロケ地を見ると、ほぼ東京をまんべんなく廻っていてほへ?と感心した。東京ってけっこう広いのに、随分あちこち巡った事になってるのねん。 深夜、シャッターが軒並み閉まったアーケード街や、町角のひっそりとした古い時計店などどこにでもある風景がいい。
二人は、道草が過ぎて1日ではたどり着かず、安宿に泊まり、ジャンクフードを食べて他愛もない話をしつつ、テクテクと歩くのだ。

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この同行二人に絡んで、さまざまな人物が登場し、くすっと笑いを誘うのだが、前述の広田レオナは絵を描く怪しげな女の役で、かなり不気味。またこの女の住む部屋の汚い事(妙なにおいが籠もっていそうな汚さ!) 若い男を買う人妻役で久しぶりの石井苗子(相変わらず権高な感じでこういう役には持って来い)、意外なカンフー遣いだった古ぼけた時計店の主人(津村鷹志)や、コスプレ大会でロッカー荒らしをするとぼけた老人(横田あきお)など初老の俳優の使い方もうまい。愛玉子(オーギョーチー)店のDV息子に石原良純というのも笑った(あの髪型!)
そして岸部一徳その人として登場する岸部一徳。うふふふふ。一徳。
一番面白かったのは、福原の妻が勤めるスーパーの同僚を演じる岩松了、ふせえり、松重 豊の奇妙なトリオ。
とにかく3人とも味があって芸が達者。3人の会話のシーンは毎度さりげに可笑しい。変な具合にイキが合っていてなんだかニヤニヤしてしまう。コワモテ役も多い松重だが、天然系の人を演じてもとぼけた味わいを出してなかなか。岩松了も気障なそぶりに愛嬌があったが、この奇妙なトリオの中で異彩を放っていたのがふせえり。独特の間と飄々とした持ち味が忘れがたい。この手のキャラは今、品薄感があるので彼女の独占市場になりそうな気配だ。
そして、またまた出てきた小泉今日子。去年あたりからやたらに女優として売れているコイズミ。格別うまいわけでもないし、その役が彼女でなければならないというわけでもないとは思うのだが、よく使われる。結局のところ、製作者や監督がその昔、彼女のファンだったという事なんじゃなかろうかと思うのだけど…。コイズミの役はスナックのママ麻紀子で、以前、ひょんな事から福原とニセの夫婦を演じた事があるという間柄。彼女を訪ねた福原と文哉は数日そこで厄介になる。彼女は一度、ニセ夫婦を演じた事のある福原の写真を家に飾り、自分の姪にも船乗りの夫だと言っている。どんな人生を送ってきたのか、一度人前で夫婦のふりをした事があるだけの男を「家族のように」歓迎する彼女。

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家族・の・ようなもの

幼くして親に棄てられた文哉。生まれてすぐの息子を失った過去のある福原。夫も子供も居ない麻紀子。ふいに遊びに来た麻紀子の姪も交えて「家族・の・ようなもの」である4人は団欒の夕餉を囲む。血が繋がらなくても家族は作れる。それぞれがそれぞれの欠落を埋めて、日曜日の夜、食卓の会話が笑いとともにカレーのスパイスのように文哉の目にしみる。カレーを食べつつも文哉は涙が止まらない。カレーは福原との別れのサイン、それは旅の終わりを意味するのだ。
涙を子供のように拭うオダジョーがとても可愛かった。

「さびしい気持ちになりたくて」日曜の最終のバスに妻と時折乗ったという福原。彼が妻について、また自分たち夫婦のありようについて文哉に語るくだりには、原作者・藤田宜永の、その妻小池真理子とのありようが、なんとなく伺えるような気もした。
寂しいとお互いいとおしく思ったりする。好きっていう気持ちは磨り減るだろう?俺たちはお互いを好きっていう気持ちだけが頼りで一緒に暮してたからさ…。

2つのシーンでさりげなくラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」が使われていて、あぁ、このセンス好きだな、と思った。まぁ、ただ単にこの曲が好きなだけなのだけど…。
以前、オペラシティのコンサートホールでケント・ナガノが指揮するコンサートの冒頭でこの曲が演奏され、聴いているうちに自然に涙が湧いてきた事がある。特に何があったというわけでもなく、まったく曲の力で涙が出たのだった。
この映画でも、2回目にいいところでさらっと流れてきてじんわりとした。

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画面の中で、秋の東京のあちこちを、黄色やオレンジに色づいた木の葉が彩っている。
あとひと月ちょっとで東京もまた紅葉の季節。銀杏並木も色づく時期が来る。
しんと涼しい空気を味わいつつ、ワタシも足の向くまま気の向くままに東京散歩いたそかな。

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