「ドニー・ダーコ」

~ジェイキーの三白眼~
2001年 米 リチャード・ケリー監督

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終始、この目つき

とにかく不思議なトーンの映画である。いろいろなテーマ性を含んでいるし、カルトな匂いもぷんぷんするが、私がこの作品から強く感じるのは高校生の時期に特有のモワリとした憂鬱感である。その言葉には出来ない形のない憂鬱、漠然とした不安、体だけは育ち、立場的には大人でも子供でもない曖昧さ、周囲や自分への苛立ち、等々を表現するのはジェイクの上目遣いの三白眼である。この作品では眉が薄めなので、余計に三白眼のドンヨリ感が増している。一般的には明るいアメリカンボーイという印象のジェイキーではあるが、こういう精神的に澱んで闇を抱えたキャラの表現も巧い。澱んだ青年を演じる時は死んだ魚のような平板な目になり、男心をもゆさぶるような、あの切なげなウルウル目は跡形もなく消えてしまう。さすが演技派。主演3本目にして早くも眼の表情を自在に変化させる術を身につけている。
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ジェイキー、尾美としのり風味

1988年という設定のためか、冴えない白いシャツに紺のズボンの制服はなんだか日本の高校生みたいである。女の子も紺のジャンパースカートに白いブラウスで、アメリカの高校生を見ている気がしなかった。前にも書いたが大林宣彦の尾道シリーズでも見ているような錯覚を起こす。

物語は道端で寝ているドニー・ダーコ(ジェイク・ギレンホール)が目を覚ますところから始まるのだが、マサチューセッツの森林の多い景色が、一見平和そうな世界の裏にいつ破綻が忍び寄るか知れない危険をはらんだ静けさを醸し出している。むっくりと起き上がると不機嫌な顔で自転車を漕いで家に戻るドニー。彼はカウンセリングに通う情緒不安定な高校生。姉エリザベス役で実姉マギーが出演しており、姉弟共演の作品なのもデビュー間もない感じが漂っていて新鮮だ。弟の特殊さを際立たせるため、姉は頭がよく明るく世間に幾らでもいるタイプの女の子を演じている。相変わらず脚が長い。

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ねえちゃんと

ドニーはある晩、眠っている最中に自分を呼ぶ何者かの声に誘われて夢遊病のように家の外に出る。家の外に出ると銀色のウサギ(の着ぐるみを着た何者か)が立っていて、世界の終わりまで28日6時間42分12秒だ、と告げる。その夜、ドニーの部屋に飛行機のエンジン部分が落下する謎の事故が起きるが、夢遊病でゴルフ場の芝の上で寝ていたドニーはこの直撃を免れる…。
道を歩きながら一人うっすらと思いだし笑いをしたり、かなり不気味なドニーだが、格別クラスで浮き上がることもなく日々を過ごしている。(クラス1カワイイ男の子なんてドリュー先生に言われたりする)そんな日常に美人転校生グレッチェンが現われ、ドンヨリしたドニーも彼女に恋をする。そしてカウンセリングで催眠療法を受けると、性への関心について問われもしないのに語り始め、危うくマスターベーションを始めそうになる。このシーンがまたジェイキーならではで、催眠術にかかっているシーンでは女性カウンセラーとの空間が妙にエロティックである。カウンセラーの方は事務的に仕事を進め、ドニーが妙な動きを始めそうになるとパンと手を打って催眠を打ち切るのだが。(もうちょっとやらせておけばいいのに…)
あと28日6時間42分12秒間とは、一体、なにへのカウントダウンなのか? それは見てのお楽しみだが、「世界の終わり」だの「銀色の邪悪なウサギ」だのの思わせぶりなあれこれよりも、妄想性の分裂病であるドニーの目を通して映る周囲の微妙な歪みや、凡庸な大人になることへの嫌悪、異性への関心、未来への不安などが、様々なレトリックで語られる。それを表現するのは、ときに眠そうな、時に平板な、常に不機嫌そうな、ジェイクの目である。そして周囲の歪みを彼なりのやり方で是正したりするのだが…。

この作品の彼を見ていると、ワタシは早く大人になりたいのか、そうでもないのか分らないながら、早くこの中途半端な状態を抜け出したいと思っていた高校生の頃を思い出す。自分の感じている様々な事は、自分以外の誰にも分らないだろうという感覚。17歳なんて、本当に中途半端な年齢だ。
  憂鬱なる桜が遠くからにおいはじめた
  桜の枝はいちめんにひろがっている
  私は密閉した家の内部に住み
  日毎に野菜をたべ 魚やあひるの卵をたべる
  その卵や肉はくさりはじめた
  遠く桜の花は酸え
  桜の花の酢えた匂いはうっとうしい…   (萩原朔太郎「憂鬱なる花見」より) 
というような気分である。悩ましく、モワリと憂鬱なのだ。そういう憂鬱さをジェイクは本当に上手く表現していた。楽しいこともあるし、スイートな思い出だってあるけれど、高校生時代なんて何度も繰り返すわけにはいかない、自他ともに鬱陶しい季節なのだ。ものが育つときにどうしても通過しなくてはならない憂鬱で不安な時期なのである。
山道の途中で空の裂け目をじっと見つめるドニーの前にとぐろを巻く雲の輪の憂鬱さよ。この雲の輪はドニーを避け難い運命へと誘うかのようだ。ドニーは睡生夢死のようにぽわりと浮かんだ人生を送ってきて、最後の一瞬だけ本当に凝縮して濃密に人生を生きる。
何か本能のようなもので、自分の運命を知った少年が夢の中でか、現実にか、望む事を経験し、行動して、あるべきところに戻る。何が待つかを知りながらベッドに戻った彼の満足げな笑顔…。何事かを成し遂げて、ドニーはもう憂鬱ではないのだ。

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色んな俳優が脇を固めていて面白いが、まずはプロデューサーも兼ねているドリュー姉御は学校の先生。まだ若いんだろうになんだか貫禄十分で体型もややドスコイしている。このドリュー先生の彼で同僚教師の男を演じるのはERのノア・ワイリー。あのすっとこどっこいな吹替えの声のイメージが強いのだが、本人の声は低めで喋り方はなかなか二枚目っぽい。ERとは相当に印象が違って見えた。

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カーター先生とドスコイ・ドリュー先生

その他、暑苦しいパトリック・スウェイジは自己啓発を提唱する胡散臭い男で実は児童ポルノを扱っていたりする。なんとピッタリな配役。あの奥目が胡散臭いのだ。
姉マギーはこの作品が最も可愛い時期のように思われたがいかがであろうか。
ドニーに片思いをしている満月のような中国系の女子高生が妙に健気だった。(いつか君にも幸せがくるよ)
ドニーが恋する転校生グレッチェンを演じるジェナ・マローンも、憧れの少女らしくて良かった。
また音楽の使い方も独特のセンスがあり、80年代末ということで、Tears for Fearsやデュランデュランなどを印象的に使っていた。大統領候補デュカキスの名前が盛んにセリフに登場するのも80年代末を印象づけるためなのだろうが、ハテ?聞いたことあるけどどんな人だっけ?という感じだった。

ドニーは予知夢を見たのだろうか。人は誰でも右に進んだ場合と左に進んだ場合の結果を知る事ができたら正しい選択ができるのに、と思う。しかし、どちらに進むかはあらかじめ決められていて、それは結局は正解なのかもしれないのだ。(ドニーは双方の進む先を見ることができたからこそ、そもそもの決められた道へ納得して戻ったのではあるが…)

「ドニー・ダーコ」には、遠く忘れていた色々な感覚を呼び起こさせられる。
随分久々に17歳の頃のモワリとした気分を感覚的に思い出した。

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