「八月の鯨」

~have you seen the Whales?~
1987年 米 リンゼイ・アンダーソン監督

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洋の東西を問わず、古い映画がけっこう好きなので、淀川長治の本は何冊か読んだ。
この人が1910年代、20年代、30年代の俳優、女優を語るときには、格別の熱意があったと思うのだけど、いろいろな女優を語っている中で「リリアン・ギッシュ」について「純情可憐な涙の女王」と常に書いていたのと、ビクトリア朝の人形みたいなリリアンの可憐な面差しはなんだか印象に残った。
この映画を観て、庭で洗濯物を干す老女が微風に吹かれながらこちらを振り返った顔を見た時、ワタシは、なぜか涙ぐみそうになった。
変容しないでそのまま老いた、リリアン・ギッシュがそこに居た。

見るものが思わず目を細めて、なにがなしほっこりと幸せな気持ちにならざるを得ないその面差し。初めて観たのは随分前だが、何度観ても彼女が登場した瞬間の言葉にならないじんわり感は変わらない。

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リリアン 90歳の可憐さ

淀川さんが少年の頃に彼女の代表作「東への道」「散り行く花」を見て純情型の代表と言った可愛い顔が60年以上の歳月が過ぎても変容せず、こんなにもそのままに残っている…。スチール写真で若い全盛期の彼女を見たことがあるだけだったのに、
リリアンの姿を見ただけで、言葉にならない何かがジンワリと心に広がった。

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無声映画時代のリリアン(左)  ついでにベティさんの若い頃(右)

実際には11歳も年下なのに、リリアン演じるセーラの姉リビーを演じるのはベティ・ディビス。我侭でウィッチのような性格という点では互角の勝負だと思われたジョーン・クロフォードを、例の「何がジェーンに起こったか?」で、演技的にも撮影所の意地の張り合いでも打ち負かし、老醜怪奇映画第二弾「ふるえて眠れ」も二人の共演で企画が進んでいたが、ゴネまくってクロフォードを降ろしてしまったという、ハリウッドで並びなきウィッチだ。気に食わない奴は徹底的に排撃し、自分の主張を通すために常に過激に闘ってきたピラニアのようなベティ・ディビスだけど、大先輩リリアンとの共演では、そんな鬼ヒトデのような性格は出さずにおとなしくしてたんじゃないかしらん、などと思うと、ついニヤニヤしてしまう。なんせリリアンは無声映画時代の大スター。それだというのにあのさりげなさと可愛らしさなんですもの。ベティさんもピラニア性格の出しようがないだろう。
この二人のキャスティングはよく思いついたと思う。
というか、まず女優ありきの企画でしょうね、これ。90歳でも現役で仕事ができる状態だったリリアン、アッパレ。ベティ・ディビスはかつて観たことがないほど痩せ細っているが、この時は既に癌だったものだろうか。

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年老いて我侭で意固地な性格に更に拍車がかかったリビー(ベティ・ディビス)。失明してしまったので、なおさらに自分は何もせず、妹セーラに小言やイヤミを言ってはひからびた顔をひんまげて座っている。言うまでもないが上手い。ベティ・デイビス、老いても健在。
このイヤミな姉の世話をし、口の悪い姉の雑言は右から左に聞き流し、髪を梳いてやり、庭を散歩させ、お茶をいれてやり、語尾には必ず「my dear」をつけることを忘れないセーラ。さりげなくユーモアのあるリリアン・ギッシュの表情がえもいわれない。

姉妹揃って夫に死に別れたのは同じだが、セーラはほんの若い頃、わずかな結婚生活を送っただけで兵隊にとられた夫は戦地から戻ってこなかった。
メイン州の離れ小島の小さな家で、ずっと夫のことを思いながら何十年も暮らしてきたセーラ。朝、掃除をしながら、今では孫のような年になった、遠い昔に死に別れた夫の写真に「おはよう」と声をかける。
夫とは不仲だった姉リビーも、ひそかに遺髪を封筒に入れて大事に持っており、何かの折に取り出しては懐かしむ。白髪になったリビーが、封筒から明るいブラウンの夫の髪を取り出して頬や顎にしゅる?しゅる?と走らせるシーンはさすがベティ・ディビス。白髪の老婆も、つれ合いを生々しい感覚を伴って思い起こす事がある、という瞬間がよく表れていた。

その夏、姉妹の静かな生活に白系ロシアの亡命貴族の老人マラノフ(ヴィンセント・プライス)が関わってくる。彼はエレガントな容姿を利用して、未亡人の家を渡り歩く暮らしをしてきたのだが、卑しさはない。彼がそれまでのねぐらを失って、セーラの家に厄介になろうと思っている下心をいちはやく見抜き、鋭い釘をさすリビー。
しかし、彼が晩餐に来ることで、老姉妹はそれぞれに、先に逝った夫を思うのだ。まるで遠い昔に忘れていた心の震えをそっと取り戻すように。
マラノフ氏が気になる癖に、ずけずけとイヤミしか言えないリビー。かわいらしいほど偏屈なのだ。

メイン州の静かな夜の海を照らす月の光。やわらかい月の光の照らすポーチで、亡命貴族マラノフとセーラが語り合うシーンが老人同士ならではでもあろうが、とてもロマンティックで上品だ。昔のスターというのは、理屈ぬきで言葉に出来ない空気をつむぎだすことの出来る特別な人種だ。ここは作品の肝ともいうべき会話が交わされる、ハイライトなシーンである。

鯨をみずに、セーラの家を去っていく亡命貴族マラノフ氏のその後も、ちょっと気になるところである。ヴィンセント・プライスも役にぴったり。

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居間に海を見渡せる見晴らし窓をつくりたい、というのがセーラの夢だが、
彼女ひとりの資力では窓を作ることはできない。
一方のリビーは死に怯え、死の幻想にうなされる。発想がネガティヴなのだ。
セーラはそんな姉に耐えられなくなりつつあったのだが…。

常に波の凪いでいる穏やかな海と、その海を見下ろす築50年の木造の小さな家。庭には常に花が咲き、そよそよと心地よい潮風が吹く。
この家の住み心地のよさそうなウッディな佇まいが、リリアンにピッタリ。


ちょっとしたいさかいの果てにちょっとだけ反省し、リビーは見晴らし窓を
セーラにプレゼントする事に決める。
姉妹はしっかと手を握り合い、岬の突端に鯨を観に行く。
岬に立つ、麦藁帽子の老姉妹。
鯨はもう岬を通過してしまったとセーラは言うが、そんなことわからないわ、とリビーは答える。リビーはいつしか、ポジティヴ・シンキングになっていのだ。

どんなに老いても、人には今日を生きるために、ささやかでも夢や希望が必要であり、また、白髪の老女の内側には、いつまでも瑞々しい女性だった自分が住んでいる、という事を淡々とさりげなく伝えてくる。その淡いさりげなさがいい。
これといった事件も起きない、肝心の鯨さえ登場しない、老姉妹と彼女たちを取り巻く周辺人物のある夏の物語なのだが、この、特になにも起きないが、淡々として味わい深い日常を、淡々と描いてその世界に観客を引き込んでしまうというのは並大抵な事ではない。さりげない脚本もいいのだけど、やっぱり大ベテランの俳優陣の魅力に尽きるのかもしれない。
後年、「ラヴェンダーの咲く庭で」という老姉妹映画があったけれど、あの妙な生々しさよりも、ワタシはこの「八月の鯨」のさりげなさが好ましく、いとおしい。
リリアン・ギッシュの存在は、やはり偉大なのである。

90歳というのに背中も曲がっていず、かなりスタスタと歩くリリアン。
栗色が色あせて薄いブロンドになった柔らかそうな髪をくるくるとやわらかく結い上げて、亡き夫の遺影に語りかけ、庭でバラの絵を描く。
ちょっとした表情やしぐさに、演技とは別の、えもいわれない愛嬌と魅力がある。吉永小百合がこの映画を観て、引退せず生涯現役で行く、と決めたそうだけど、リリアンへの道はなかなか難しいですぞ。   お覚悟あれ。

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