「マイ・プライベート・アイダホ」

~それぞれの自分探し~
1991年 米 ガス・ヴァン・サント監督



懐かしい「マイ・プライベート・アイダホ」をFOXlifeチャンネルが放映してくれたので、久々に鑑賞した。これは封切時に楽しみに見に行った作品。リヴァーもキアヌも特にファンだったわけではないが、この二人の顔合わせで題材も題材だし、食指は動くってもんですよ。それにトレーラーに映った乾いたアイダホの一本道が妙に印象に残ったせいもある。
CMが深夜のTVでよく流れていたっけ。

リヴァー演じるマイクはナルコレプシーという奇病の持ち主。ナルコレプシー(発作性睡眠)についてはこの映画を観る前からなんとなく知っていた。仲間内で一時流行語になったりしていたので。夜遊び仲間のU君が、それまで普通に喋っていたのにパタっと会話しなくなったと思ったら眠っていたという事が多々あって、あまり突然睡眠状態に入るので「ナルコレプシーじゃないの?」と誰かが言ったことから、U君はナルコ君というニックネームになってしまった。実は連日の夜更かしが祟って睡眠不足だっただけなのだけど…。その頃、居眠りすることをナルコする、などと仲間内で言っていた。本当にこの病気の人には冗談じゃないですよね。申し訳なし。   閑話休題。

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男娼をしながら食いつないでいるストリートキッズのマイク(リヴァー)とスコット(キアヌ・リーブス)。スコットの方は市長の息子でお坊ちゃんながら家出をし(父親への反発というお決まりのやつである)、好き好んでそんな生活をしている。もみあげとうっすら不精髭のリヴァーはどこやらユアンや若い頃のスティングを思わせる。肉親の縁が薄く、常に母の膝に抱かれる願望を心の奥底にもち、発作性睡眠に襲われる痙攣的なマイク。その生立ちがナルコレプシーを引き起こす素因のひとつになったのかどうか…。リヴァーの繊細な演技は、今見てもなんだか胸が痛い。いい俳優だったのになぁ…。でもこのヤヴァい演技もヤクのお陰で成り立っていた部分もあったのかしらん、などと思うと些か興味索然ではあるけれど…。

マイクを買う様々な客の描写も面白い。中でも部屋を掃除をさせて、その音で興奮する男はマイクにシンクやテーブルなどを掃除させ、その擦過音を聞いて興奮する。その音を聴きながら古いジャズをかけ、アステアのように踊る。母と同年代の女性に買われた夜には、事に及ぼうとした刹那に母の面影が脳裏をよぎり、ナルコの発作が起きて倒れてしまう。発作で倒れたマイクをいつも抱きかかえて介抱するのは友達のスコットである。
ゲイ雑誌の表紙になった彼ら男娼が雑誌スタンドに並んだ状態で上下左右あれこれ雑誌の中から喋り出す演出は昔のミュージカル映画にもそんなシーンがあった気がした。ハーパースバザーの表紙モデルが動き出す、みたいなね。

マイクの友達、スコットは計画的に人生を区切っていくタイプ。行き当たりばったりにその日暮らしをしているマイクとは基本的に別次元にいる人間である。マイクは根無し草だが、スコットには帰る場所があるのだ。彼は父親への嫌悪と反発から財産を貰う権利の生じる21歳までは家を出て好き勝手に放埓に生き、 21歳以降は全く別人として周囲がそうあれかしと思うような人生を送ろうと考えている。グレていたのにある日突然戻るほうが周囲の心象にもインパクト大だからだというところまで計算している。徹底したマキャベリストで政治家気質なのだ。人当たりよく、面倒見がいいようだが、育ちの良さを伺わせる端正な美しい微笑の影に、いざとなったらどんなに近しいものであろうともあっという間に自分の人生から切り捨ててしまえる酷薄さを隠している。家を出てからの彼に多大な影響を与えたらしいボブという哲学的なホームレス(フラワーチルドレンの生き残りでもあろうか)を、父の死後財産を受け継ぎ、別人になったスコットが「生みの父より愛しているが、また昔の俺に戻るまではお別れだ」とニベもなく追い払うシーンは圧巻である。ショックのあまりその夜ボブは死ぬ。ヤクのやり過ぎもあったのだろうがショックで心臓発作を起こしたのだ。

この作品で、リヴァーを含め、いかにもストリートっぽい男娼たちの中にあって、ひとりジャケットを着てアイビーリーガーのようないでたちでスッキリと背筋を伸ばしているキアヌはひときわ美しく見える。皮ジャンや、首にSMチックな首輪を巻いていてさえ、育ちがよく坊ちゃん風で掃きだめの鶴のようである。昔観た時はキアヌよりもひたすらリヴァー寄りに映画を観ていたのだけど、今回久々に観てみたら、キアヌの存在感とスッキリした美しさが非常に印象に残った。そうか、なんでキアヌキアヌという人がいるんだろうと不思議に思ってたけど、やっぱりいいのね、キアヌって。

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端正なキアヌ

アイダホに兄貴がいるので会いに行きたいと唐突にマイクが言い出し、スコットがそれに付合ってバイクに相乗りしてアイダホへ旅だつ。旅の途中、二人が焚き火を囲むシーンがあり、ワタシは「骨折り山」でジェイクとヒースが焚き火を囲むシーンを見ているときに、何かこんな場面は前にどこかで見たなぁ、なんだっけなぁ、と思っていたのだが、そうだった。この作品だったのだ。焚き火を見つめながら、マイクがスコットに自分の思慕を打ち明けるが、金の為に男と寝ても男は愛情の対象ではないと言いきるスコット。それでもおずおずと「俺は金を貰わなくても愛することができる…愛してるよ、知ってるだろうけど…」というマイクを、その恋心を受けとめることはできないが、傍に来い、今夜は何も考えずに寄り添って寝よう、とスコットは温かく抱擁する。焚き火の傍で。色恋抜きで。

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焚き火の告白

貧しいトレイラーハウスに住む年の離れた兄と会い、自らの出世の秘密を確認するマイク。兄から、失踪した母はホテルの下働きをしていると教えられ、そのホテルに行ったものの、母はもう辞めていた。母が渡ったというイタリアのローマにまで母を訪ねて三千里のマイクにスコットは付合うが、またも行き違いで母とは会えない。
一方、イタリアで恋に落ちたスコットには父の訃報が届く。遊びの時間は終わった。バイクを売った金をマイクに渡し、スコットはイタリア女性カルメラを連れ、マイクを残して去る。

アメリカへ戻ってのちの、スコットの変心(身)ぶりの鮮やかさもみどころのひとつ。仕立てのいいスーツを着て高級車に乗り、かつての仲間を忘れたわけではないが、自分が決めた時期が来るまではけして過去を振り返らないスコットの生き方を、端正な無表情がよく現していた。

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君子は豹変する

父の葬儀に粛々と参列するスコットを尻目に、ヒッピーのように大騒ぎでボブを弔うマイクたち。スコットとマイクの道は決定的に分れたのである。髪を綺麗に分けてすっきりといいスーツを来たキアヌは、非情なマキャベリストであろうとも、いや、だからこそか、理屈抜きに美しい。こんなに綺麗だったっけな。久々に観るということは、何がなし新たな感慨も与えてくれるものである。もっとリヴァーについての感慨が浮かんでくるかと思いきや、キアヌと彼の演じた役についての印象の方がずっと大きかったのは意外だった。

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アイダホの路上を雲の影が流れる。
発作を起こして、つどつど路上に倒れながら、路上に生まれ、路上に育ったマイクは路上で人生を送っていくのだろう。何もさえぎるもののないまっすぐな一本道。倒れたマイクから靴を盗んでいくドライバーもいれば、助けてくれるドライバーもいる。どこかでマイクの流浪はやむのか? 否、彼はずっとさまよい続けるのだろう。
いつか路上で生涯を終えるその時まで…。

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それにしてもどちらかといえば自然派のイメージで売っていたリヴァーがやっぱりというかあれあれというかオーバードーズで若死にし、キアヌはこの頃と基本的にはさして変らない姿で現在も活躍中であるのを思うと、この作品での役柄も思い合わせて、月並みだが人生いろいろ、人はそれぞれだなぁ、と改めて感慨深かった。
また、乾いてささくれた田舎道の脇のトレーラーハウスやら、アイダホの風景など(アイダホとワイオミングは隣同士)、なんだか「骨折り山」を想起させる景色も多く、あれこれと感慨深い再見となった。

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