「幻の光」

~しずかな微笑~
1995年 シネカノン=テレビマンユニオン 是枝裕和監督

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宮本 輝原作の映画化ですぐに脳裏に浮かぶのは「泥の河」(1982年 小栗康平監督)だろうと思うけれど、ワタシはこの「幻の光」もしんとした捨てがたい味わいがあって好きだ。江角マキ子はTVよりも映画の方が光る(つまり本編向きの)女優だな、とこの映画を最初に観た時に思った。監督の是枝裕和(「誰も知らない」等)はこれがデビュー作。そういえば小栗康平も「泥の河」がデビュー作で、双方デビュー作にして、既に揺るぎない世界を構築している。いずれも宮本 輝の原作という事は偶然ではないのかもしれない。ワタシにはなんといってもこの映画で、何の前触れもなくある日突如としてこの世を去ってしまう夫役で登場した浅野忠信が忘れがたいインパクトで脳裏に刻まれている。劇中のゆみ子(江角)でなくても 「なぜ?」と問いかけたくなってしまう、あの謎を秘めた静かな微笑み。
人の心の不可思議、ふと魔のよぎる刹那が誰の人生にもあるものなのか、どうなのか…。久々の再見。
独特な静けさが支配している画面。子供の時に起きた祖母の失踪を止められなかった事を悔やみつつ生きているゆみ子(江角マキ子)だが暗さはない。むしろ、冒頭は夫・郁夫(浅野忠信)を大好きで、貧しくても何も不足もなく楽しそうに暮している様子が描かれる。無口で白皙で、女がなんとなくはしゃいで語り掛けたくなってしまうような空気を醸し出す夫役の浅野。この時はまだ22ぐらい。妻役の江角が、この夫を好きで好きで仕方がない、という空気をよく出している。背の高い二人が黒いセーターにロングスカートやパンツといった服装で並んでいると非常にサマになるのだが、尼崎の場末らしいすすけた町の景観ともなぜかしっくりと馴染んで見える。二人がたまに行く喫茶店のマスターに浪花のロッキーから俳優に転じて間もない頃の赤井英和が出てけっこう自然に芝居をしている。
夫・郁夫を好きでたまらないゆみ子は、彼の勤める織物工場にガラス窓の外から彼の姿を覗きに行く。郁夫はうすぐらい工場の中でかすかな光を受けて立ち、彼女を見て静かな微笑を浮かべる。朧な光のなかに浮かび上がったその顔の、諦めたような、憐れむような色を浮かべた不思議な微笑…。ふいにこの世から消えてなくなる人間の持つ空気感のようなものが漂っているような、印象的なショットだ。

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謎を含んだ儚い微笑

二人の間には男の子も一人産まれていて、すすけた街の片隅で身を寄せ合ってしみじみ幸せに暮していると思っていたのに、ある日、なんの前触れもなく夫・郁夫は鉄道自殺をしてしまう。なぜ逝ってしまったのか?思い当たる節は何もない。ただ、夫は逝ってしまった。
自転車の鍵だけを残して…。

生まれて間もない赤ん坊がいるのに、ある日理由なく連れあいに死なれたら誰だってトラウマになるだろう。そのトンネルから何年たったら抜け出せるのか見当もつかない。抜け出せなくても不思議はない。ことに、ゆみ子と郁夫は尼崎の貧しい町の片隅の長屋のようなアパートの隣人として幼い頃からの付き合いである。そのへんは映画ではあまり強調されないが、互いに寂しい生い立ちを抱える二人が、それゆえに、いかに互いにかけがえがなかったかという事は原作を読むとよく分かる。ゆみ子の計りがたい喪失感もより強く伝わってくる。

部屋の隅で膝をかかえるゆみ子だが、数年後、能登半島に後妻の口があり、薦められるままに子連れで再婚する。尼崎のごみごみした町から、日本海が打ち寄せる能登半島への嫁入り。小さな息子の手を引いて、最寄の小さな侘しい駅から奥能登へおもむく。

オトナな包容力を感じる再婚相手・民雄に内藤剛志。
当初は生硬いゆみ子だが、民雄と一緒にいて、じきにその人柄に慰謝を感じるようになる。

どんなに近くにいても、自分の世界の中に住んでいた永遠の少年のような郁夫と事変わり、十分に大人でユーモアもあり、互いにつれあいに先立たれるという経験を経ている事から、無理せず、みんなでやっていこうや、という感じの民雄は再婚相手としてはまさにベストチョイス。内藤剛志が出てきて、映画を観ている側としてもなにがなしホっとする。

古い古い奥能登の民家の佇まい。動いているのか分からないような柱時計や太い梁。暗い茶の間に溶け込んだような民雄の父。この民雄の父役で柄本 明。けっこう前から爺さん役をやっている。

冬が去り、季節は移り、連れ子同士はよく馴染み、ゆみ子の表情も和らいでくる。奥能登の平和な日々に過去の痛手は癒えたかに思われるゆみ子だったが、弟の結婚式で尼崎に戻り、昔住んだ界隈を歩くうち、郁夫とよく通った喫茶店のマスター(赤井)に「あの日、郁夫がひょっこり来てな」という話を聞いてしまう。家の傍まで帰ってきながら、家には戻らず線路の上を歩いていた郁夫…。すぐそこまで戻ってきて何故。ゆみ子の心は再び解けない謎の底に落ち込んでいく。

平和に凪いでいても迫力を感じる春の海の光景。季節が変わるとそれまでずっとセピアがかったような暗いモノトーン系の画面に色彩がついてくるように感じる。夏になり、縁側に簾をおろし、家族は並んですいかをほおばる。縁側と簾は生活の中になくなってしまったものなので、今のワタシはとても強い憧れを持っている。縁側のある家っていい。昔、祖母がよく梅酒を作って縁側の下で熟成させていた。お月見には縁側に三宝を置いて、ススキを活け、つきみだんごをそなえていた。縁側ってなにやら郷愁をそそるアイテムだ。

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再婚した家に馴染み始めるが…

陰影の濃い映像。影の使い方がとても上手い。暗い民家の中から、四角く切り抜いたように遠く輝く光溢れる戸外の眺め。黒が全体にとても効果的に使われて映像を引き締め、印象的な映像を作り出している。独自の世界観を静かに構築しつつも、宮本 輝の小説世界のムードがとてもよく出ている映画のように思う。
殆ど素顔で、黒をベースに地味な色の衣装で登場する江角マキ子は、一切の装飾性を省いた姿が作品世界によく合っていた。郁夫と幸せに過ごしていた時期、郁夫に死なれた失意の時期、再婚して段々婚家に馴染み、民雄と夫婦として心情が寄りそうようになった時期、そして、尼崎にふと戻った事で郁夫の死に再び捕らわれ始める時期、どの時期も自然に表現していて好感が持てる。

郁夫がなぜ死んだのか、どうしても納得できないゆみ子は苦悩を深め、ある日ふらっと家を出る。バスに乗り、海際に来たゆみ子は葬列を目にする。どんよりとした鈍色の空の下、海岸を一列に黒い葬列が進む。ゆみ子はふらふらとついていく。ここの絵面は凄みを感じる。
海に面した火葬場で古来からの習慣に従って死人は火葬される。遠くから、そのお弔いの火が夕方の海の中で照り映え、ゆみ子を探しに来た民雄は、彼女がそこにいると見当をつける。

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うち、わからへんねん。なんであの人が死んだんか…なぁ、あんたはなんでやと思う?

苦悩を吐き出すゆみ子に、民雄は言う。

オヤジが漁に出て、一人で船に乗ってたら、沖の方に光が見えた。
ちらちらちらちら光って、俺を誘うんじゃ、言うとった。
誰にでもそういうこと、あるんちゃうか?

この郁夫の死因についてゆみ子の問いに民雄が答えるシーンは原作では屋内で、ちょっとした夫婦喧嘩のあとで「人間は精が抜けると死にとうなるんじゃけ」と民雄が答えるのだが、これは映画の方がずっといいと思う。その日、郁夫は線路の向こうに何を見たのか。漠然とした不安なのか、それとも幻の光だったのか…。

この葬列から夕焼けの海辺のシーンは全編のハイライト。
能登の海岸の空模様と海のコンビネーションが効果をあげている。
「誰にでも」そういう瞬間があるのかどうか分からないが、この場合、誰にでもふと誘われるような状態になる時がある、と言って貰う事でゆみ子はある種の慰謝を得るのだ。「精が抜けたからだ」といわれるよりも、よほど良いのには違いない。

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原作のゆみ子は、新しい家庭の中で安らぎ、それなりに幸せな日々を送りながらも、けして郁夫を忘れる事はできず、彼の死以来、ずっと心の中で彼に語りかける習慣はそのまま続いていく。文章も、ゆみ子が郁夫に語りかけるという形式で綴られていく。
映画では、苦悩の果てにトンネルの出口をかすかに見出したかのような印象で終わる。
映画としては、それで正解のような気がする。
が、そこにいつでもいてくれる安定した再婚相手の民雄はありがたい人なのに、なぜか、不思議な微笑を浮かべたまま何の前触れもなく逝ってしまった郁夫をいつまでも忘れられないヒロインの気持ちが分かるような気がするのは、やはり郁夫を浅野忠信が演じている事が大きいだろうか。それと、生まれてこのかた一度も死にたいなんて思った事がないので、ふと死んでしまう人の気持ちなど生涯分からぬであろうという事もありそうだ。永遠に解けない謎には引っ張られる。この郁夫役、出演シーンは多くないのだけど、この時期の浅野にほんとピッタリだった。

是枝裕和監督は子供を使うのが上手い。「子供使い」である。この処女作でも双方の子供、ことにゆみ子の息子役の男の子を非常にうまく使っている。幼い男の子が泰然とした様子で関西弁を使うのは不思議なおかしみがある。

能登は原作者・宮本 輝が少年期に一時期住んだ事のある場所で、有為転変の激しい人生を生きた父親のために、大阪を落ちのびた彼は母と二人、雪深い能登でいっとき父と別れて寂しく過ごした。能登は宮本 輝の精神風土の中で関西エリアと並んで重要な位置を占める場所だと思うが、今回も再縁して能登で暮す事になったヒロインがそこで苦悩の果てに再生に向かうという設定は宮本 輝の世界らしいなぁという気がした。
そして、その作品世界を陰影深い映像で見事に映像化してみせた是枝裕和。処女作は、その作家の全てが出ているとよく言うが、「幻の光」は処女作にして既に出来上がっている。
最近の作品よりも、是枝裕和の確かな才能を強く感じる一本。

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