「グラン・トリノ」 (GRAN TORINO)

~死に花の咲かせ方~
2008年 米 クリント・イーストウッド監督

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イーストウッドはアクション俳優で売り出し、いまや監督としても赫々たる名声を持つ名伯楽だが、俳優としては大好きなれども、ワタシはどうもこの人の監督作品というのが苦手で、よほどその気になった時にしか観る事ができない。「ミスティックリバー」も……だったし、「ミリオンダラー・ベイビー」などは、アカデミー賞受賞から随分たって観てみたが、あまりの辛さと救いの無さに「もう当分、イーストウッドの映画はいいや…」と思った程だった。硫黄島をめぐる二本の映画は未見だし、この前の「チェンジリング」も見送った。(これはアンジー・アレルギーというのもあったのだけど…)というわけで、今回はかなり久々のイーストウッド作品とのおめもじ。さてさて、いかがなことに。


イーストウッド、朝鮮戦争の勇士の生き残りという設定で、猛烈な頑固爺ィ役である。気に入らない事があると犬のように唸る。比喩ではなく本当に「ウーー」と唸るのだ。今回のイーストウッドは、昔「アルカトラズからの脱出」で敵役として対峙したパトリック・マクグーハン(頑固な嫌われ者がハマリ役)にちょっと似ているような気がした。そんなイーストウッド演じるコワルスキーは世の中の何もかもが気に入らない。世間と折り合いをつける接点だった、唯一の許すべき者である妻が死んでしまったいま、本当に彼の周囲は気に食わないものばかりで溢れ返っている。二人の息子も気に入らないし、孫に至っては害虫のようなもの。到底許すべき存在ではない。
学校を出たばかりで人生のイロハも知らないくせに、わけしり顔で壇上で説教をかます神父も気に食わない。もう、本当に何もかもが気に食わないのだ。

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常に家の軒先に国旗がぶら下がっている

今回は観ていて、あ?、どこの国でも同じだな、と思うシーンがところどころあった。例えば葬式の後で参列者に食事をふるまうシーンなど、アメリカでもやっぱりお斎を出すのね…と観ていて思った。また、つれ合いに死なれて一人になった老親をどちらが面倒看るかで兄弟が押し付けあったり、老人用の施設に入るように老親を説得しようとしたり、というようなシーンは、日本でもあちこちの家庭で日常的に起こっている事だわねと思った。

朝鮮での記憶からか、東洋人を殊に「米喰い虫」と罵って嫌悪感を表明するコワルスキーだが、なんと隣の家にアジア系少数民族であるモン族の一家が越してきてしまった。玄関ポーチに座って横を見ると、隣でも玄関ポーチに婆さんが座ってコワルスキーを見ている。とっとと出て行け、とコワルスキーがぺっと足元に唾を吐くと、婆さんも白人のクソジジイめ、早く出て行け!と言いつつ倍ぐらいな量の唾を吐く。負けてない。ともあれ、この人たちの足元には近寄りたくない感じだ。

コワルスキー爺さんは口が悪く、デイゴ(イタリアンの蔑称)だのチンク(中国人への蔑称)だの、人種差別も甚だしいのだが、そういう爺さん自身だってポーランド系なのである。つまりは自他ともにそこら辺はマイノリティだらけなのだ。長男が日本車のセールスマンなのも気に食わない。米喰い虫の手先だというわけだ。でもアメリカはそもそも移民の国。ネイティヴ・アメリカン以外に生粋のアメリカ人なんてものは存在するのかどうなのか、とアメリカ白人代表のような顔をしているコワルスキー爺さんを観て首を傾げた。
酒場でも床屋でも、馴染みを相手に毒舌を揮って言いたい放題言っているコワルスキー爺さん。イタリア人の床屋のオッサンとの会話など互いに言いたい放題で、そのぽんぽんとやり取りするさまは喩えて言うと、荒川区あたりの床屋で常連客と床屋さんが相手をやりこめ合いながら、じゃれているのを観ているような感じ、とでも言えばよいか…。

一人で朝からビールを飲み、ビーフ・ジャーキーを齧って面白くない事に耐えている爺さんを、けれど周辺はそっとしておかない。青二才神父がしげしげと懺悔をさせようと訪ねてくるし、隣家のモン族一家のトラブルにも否応なく巻き込まれていく。どんなに罵られても断られても再々やってくる小柄でぷっちょりしたメゲない神父がなかなか面白いキャラクター。亡き奥さんに頼まれたから、と一向にメゲない。天職なのか、暇なのか。

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そして、ストリートギャングの従兄弟一味がもたらすストレスに晒される隣家の姉弟と爺さんとの関わりも流れの中で自然に描いていく。この家の少年タオは自分の祖母にも「あれは男じゃない」なんて言われる内向的で物静かな少年。最初、メキシコ系のワルガキに絡まれるので、それが敵なのかと思ったら、同じモン族のワルガキどもが彼の人生を悩ますようになる。タオにしつこく絡み、コワルスキー爺さんが命の次に大事にしているフォードのグラン・トリノを盗んで来いと強要する。その盗みに失敗したことから爺さんとタオの関わりが生まれる。

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それにしても、モン族って小柄でもっちりと肉が乗っているという感じ。殊に隣家の姉弟を演じた二人がそうなのかもしれないが、モクモクしている。そんなモクモク姉弟だが、内向的でだんまりの弟タオに対して、姉のスーは強気で生意気。でも、この娘のものおじしない人懐こいキャラが、頑固なコワルスキーを段々に隣家に馴染ませるのである。何もかも気に入らない頑固な爺さんだが、中年以上のアジア人女性でも、女性だけに取り巻かれて美味しいものを食べていると、ニヤニヤデレデレと笑み崩れてしまりがない。さすが、イーストウッド、素の女好きがちらっと顔を覗かせているような…。

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モン族一家の家は、親戚だかなんだか常に同族が集まってわいわいしている。食べ物と人の気配で溢れている。そして、なりゆきでその家の姉弟をコワルスキーが助けると、彼の家には花だの食べ物だの「お供物」がどっと捧げられる。一人きれいに芝を刈るコワルスキーの家に、息子たちは殆ど訪ねてこない。コワルスキーも来られたくない。妻を愛してはいたが、息子たちには愛情を持てなかった爺さん。息子たちも彼を持て余している。息子からのたまの電話をうるさがる爺さんだが、その電話も父を気遣ってのものではなかったりする。そんなコワルスキーが体調を崩してクリニックへ行くと、かかりつけだった医師は引退して、後に中国系の女性医師が入っていたりする。彼が眉をしかめている間に、周囲も世間もとめどなく変って行くのだ。朝鮮での戦争体験が負のトラウマとなっているコワルスキー。一方でフォードの組立て工として働き、自らが部品を据え付けた72年型グラン・トリノを常にピカピカに磨いている。それは彼の誇り。アメリカ人としての彼の誇りなのである。でも、彼が何ゆえそんなにまで強固にアメリカ的なるものにこだわるのかというと、イギリスからの移民ではなく、ポーランド系移民であるという事が大きいような気もする。それは喩えて言えば、野球解説者の張本 勲が、常により強固に、誰よりも古い頑固な日本人であろうとするようなものではなかろうか。グラン・トリノはコワルスキーの生き方の象徴、けして譲れないスタイルや価値観の象徴なのである。

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愛用のM1ライフルを手に(背後にはグラン・トリノ)

タオとスーに絡むモン族のワルガキ一味の行動は段々にエスカレートし、そのまま放っておけば命も危ないような様相を呈するに至って、コワルスキーはある事を考える。隣家の姉弟をストレスから救うことと、自分の人生の幕引きについて。

クライマックスは、老いたイーストウッドがダーティ・ハリーとは異なるやり方で物事にケリをつける男の姿を描いて、枯淡の味わいを醸し出している。東洋人一家を隣家に設定した事もその1つかもしれないが、アメリカ的なるものに拘る老人を描きつつ、その死生感にはかなり東洋的なものがにじんでいる気配がした。

正直、そんなにしみじみ感動するとか、ため息をつくとかいう感じではなかったのだけど(あくまでもワタシ的には、という事ですが)イーストウッド作品としては、サラリと観られたし、観終えたあとにズッシリ重い何かを受け取らされるという事もなく映画館を出ることが出来たので少しほっとした。これで、俳優としては現役をしりぞくというような事だったけれど、老いてもイーストウッドはやはりイーストウッドであり続けている。彼一流の「スタイル」があり、時に歩行も少し危うく見えたりするものの、カッコいい爺さんである事は小揺るぎもしない。若い頃からのイメージをキープしたまま、うまく枯れている爺さんというのはイーストウッド以外にもちらほら居る。男は割合とそういう風にうまい具合に枯れることができるのだが、女には、ああいう具合にお婆さんになれたら最高ね、という指標というのはまだ無い気がする。

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老いても“スタイル”のある男はカッコ良い

音楽には、息子のカイル・イーストウッドが名を連ねている。エンディングに流れるテーマ曲はカイルの作曲らしい。1コーラス目は、クリント本人がいい気分で唸っている。2コーラス目からは息子のヴォーカルのようだ。ハイトーンの軽い声はオヤジさんの若い頃に似ていなくもない。写真を観たらなかなかの男前だったが、父の若い頃の男前っぷりには及ばない。息子が親父を越えるというのはなかなか大変な事である。殊にも、クリント・イーストウッドのようなオヤジを持ったら、それは殆ど不可能というものかもしれない。

コメント

  • 2009/05/02 (Sat) 00:05

    男コワルスキーの生き様を、そして人生の落とし前のつけ方を見よ! と決して声高には云わないけれど、わりと淡々としていながら後からじわじわと来る・・・イーストウッド、やってくれましたねぇー! う~ん、実を言うと少し泣けました。これしきのドラマで泣いてちゃダメよ、とクールなkikiさん(?)に言われそうだけど(笑)
    隣の姉弟スーとタオ、よかった。お姉ちゃんは気は強いけど賢くてキュート。トロ坊・タオのぼんやりした表情が、次第にスッキリした顔になって成長してゆく様子、見ていて気持ちよかったですね。隣人と打ち解けていくコワルスキーを見るのも。ほんと、女と美味しい物には弱いのね~ふふ。
    「どこの国も同じだな」と思われたという各シーン、確かに。特に長男夫婦とのやりとは、我が家も同じような現状なので思わずクスリ。それにしても、この頑固オヤジに老人ホームなんてまともに勧めてもウンと言うわけないじゃないのさ、何年親子で付き合ってるんだよぉー!ってこの息子につっこみたくなりましたヨ。

    kikiさん、たしかに「ミスティックリバー」「ミリオンダラー・ベビー」は辛く重くなんともやるせない・・・けど、わたしはそんなに嫌いじゃないのです。もう少し希望の持てるラストならばね~。
    監督作品の中では「許されざる者」も好きですね。
    「硫黄島~」はkikiさん見なくて正解かも。私は観てる最中ずっと違和感を感じて、しっくりこなかったんですよ。やっぱりこれは日本(人)が作るべきだったんでしょうね。イーストウッドが頑張ったのは認めるけれど。

  • 2009/05/02 (Sat) 09:17

    ジョディさんは、イーストウッドの監督作品とフィーリングが合うのかもしれませんね。ワタシは初期の頃の「バード」はわりに好きですが、あれもそうそう何度も観られない映画でして。あまり好きじゃなかった「マディソン郡の橋」は去年の秋に見直してみたら、好き嫌いは別としてやはりいい映画でしたけどね。「許されざる者」は劇場で観てなくて、TVの吹き替え版が最初だったんですが、山田康雄氏亡き後で吹き替えの声のイメージが違い過ぎて途中で見るのをやめたんですね。近々ザ・シネマで放映するようなので、もう一度ちゃんと見てみますわ。で、「グラン・トリノ」。キレイゴトは描かない、人生の辛さ、苦さ、不条理さを目を逸らさずに描きたいというイーストウッドの姿勢が爺さんと息子たちの距離感によく出てましたね。元気な時は長男からの電話は鬱陶しいだけなのに、健康不安を抱えるとやはり息子に電話したくなる。でも息子は早く電話を切りたがってウズウズしている。爺さんも結局体の事は話せない。そんなすれ違う親子の空気がよく出てました。爺さんのソウルであるグラン・トリノが隣人タオに引き継がれて行くのは爽快でした。タオと知合わなければどうなったことか。あんな孫娘に誰がやるか!って感じ。「遠くの親戚より近くの他人」という話でもありましたね。人と人との繋がりに、血縁はさして意味がないという事も一面の真理としてあるのかもしれませんね。

  • 2009/05/04 (Mon) 20:04

    観て来ました!
    ワタシは90年代からのイーストウッドしか知らないんだけど(ダーティハリーは観てないの)、すんなり入れましたよ。米評論家みたいに興奮するほど熱の入れようじゃないけど、それなりに好きかも。音楽の使い方など好きなのよね。
    でも、これはなかなか良かったです!ラストは…泣きました。乙女ですから~!御免。

    • 吾唯足知 #uqr/pqJA
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  • 2009/05/04 (Mon) 22:23

    吾さん。これは、それまでの重い、暗い路線からちょっと離れた、肩の力が抜けた感じがあるからイーストウッド作品としてはとても見易いよね。泣きましたかいな。ワタシはけっこう淡々と観てしまいましたなぁ。ふぅん、という感じで。ラストが爽やかで良かったざんすわ。いつも遣り切れないラストが多いからね、この人。不条理劇が好きっぽいから。このライトな感じはアミャーリカ人にも受け入れ易かったらしく、彼の作品としては一番ヒットしてるみたいよね。さもありなん。

  • 2009/05/10 (Sun) 10:17

    私もやっと見て参りました。なんかおもってたより随分と笑う場面が多くて、前半はずっと笑ってたような気がするんですけど。見ながらイーストウッドもこんなカリカチュアを演じるのはやってて吹き出しちゃわないのかなと思ったりしてました。
    後半だんだんシリアスになってきたけど、泣かせないところが逆によかったなと思います。私は贖罪を扱っているから、死生観はカトリックというかキリスト教的だなと思ったんですよね。
    すぐ熱くなる若者にはできない、けじめのつけ方でしたね。いろいろそのために準備したりして、ストーリー運び的にはとってもよくできてるお話でしたね。ちょっとあの息子夫婦があまりにもよくあるステレオタイプで出て来てるかなと思ったけれど。孫とかね。

  • 2009/05/11 (Mon) 08:07

    そんなに笑いましたかいな、Sophieさん。そういえばカワイコちゃんの名前を覚えず頑固に「yamyam」と言い続けるあたりなぞも笑えましたね。イーストウッド、それまでとにかくシリアスであまり笑いのない映画ばかり撮ってきて、俺の映画に欠けてるのは「笑い」だな、とハタと膝を打ったりしたのかも。肩の力の抜けた「軽み」の中にさらりとメッセージを籠めるほうが有効だな、なんてね。そう、これみよがしに泣きを煽ってないですね。総じて淡々としてて。見終った後にドッスーン、ドヨーンとこない後味も良かったかも。死生観がキリスト教的だという方が筋としてはそうかもね。教会と懺悔というのをけっこう強く出してきているし。まぁ、東洋的に感じたのはワタシの主観ですわ。息子と孫はあんなもんでいいのでは?ああいう風じゃないとお話が成り立たないし(笑)全体にカリカチュアライズされたキャラで話を構成してるんでしょうね。

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