「欲望の翼」

~足のない鳥~
1990年 香港 王家衛 監督



これは王家衛のまさしくプライムの作品であろうと思う。近年はあまり惹き付けられないが、かつてはこの人も輝いていた。幾つか好きな作品があるが、中でもワタシが王家衛のベスト1だと思っているのがこの作品「欲望の翼(阿飛正傳)」である。全編、香港キューピー、レスリー・チャンの独壇場ではあるが、グダグダのアンニュイ感で、甘えとセンチメンタリズムがないまぜになった自己破滅型の人物像を演じきれるのは、彼をおいて他にはいるまい。こういう役をやらせたらレスリー・チャンは天下一品であった。もう彼に代わる者は二度と出るまい。

映画が始まって少しすると、うっそうとしたフィリピンのジャングルが俯瞰で捉えられ、その映像にロス・インディオス・タバハラスの甘く切ないギターの調べが被ってくる。オープニングタイトルである。まさしくタイトルだけしか出ないシンプルなものだけれど、これが非常に印象的である。ブルーのフィルターのかかった画面の中で、本来は暑いはずのジャングルの上を通りぬけていく風が、とても涼しそうだ。非常に印象的なこのジャングルの俯瞰は、ラスト間際でも、また非常に印象的に登場する。
物語は1960年の香港。水商売をしている母から小遣いをせびって、無為に日々を遊び暮している青年・ヨディ(レスリー・チャン)はなんのとりえもない遊び人だが、女には非常にモテる。女を口説く時には、一瞬だけ人生を本気で生きるせいかもしれない。サッカー場の売店の娘(マギー・チャン)を口説く時には、「1960年4月16日、3時1分前、俺は君と一緒に居た。この事実は否定できない。俺たちは1分だけの友達だ。…夢で会おう。眠ったら夢の中で俺に会えるぜ」などと言う。そうやって毎日売店に通っては気を引くようなことをいい、肉体関係を持ってしまうと、彼女が結婚願望の強い生真面目な娘であることを知り、彼は他に女を作る。ナイトクラブのダンサー(カリーナ・ラウ)と知合い、遊びの関係を持つのだ。当然、この三角関係でサッカー場の娘は痛手を受ける。ある雨の夜、僅かな私物を取りに来た娘にヨディは言う。「俺は君にふさわしい男じゃない。…今はともかく、先に行けば君は必ず俺のことが厭になる」と。彼は自分の存在に確信を持てない根無し草なのである。いい加減なようだが、このサッカー場の娘にはヨディは"誠意をもって"本心を言っているのだ。娘は大雨の中を外に出て呆然とトンネルの中に佇む。そこを巡回中の警官(アンディ・ラウ)が通りかかる。警官はこの娘に心惹かれ、後日、二人で暫く取りとめもない身の上話をしながら歩く。娘はヨディを忘れられないと打ち明ける。"彼はワタシに1分の友達だと言ってくれた。1分は短いようだけど、長くもある。彼を忘れるにはその1分から後の全ての時間を忘れなければ…"と。警官は黙って話を聞き、そして、いつでも俺に話したくなったら順回路の途中にある公衆電話に電話をくれ、と言う。彼は翌日から暫く、毎日同じ時間に公衆電話の前で佇み、彼女からの電話を待つ。―来ない電話を。…来ないと知りながら。

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夜の香港の静かな住宅街、その石畳の路上にじっと佇むアンディ警官の背後にザビア・クガート楽団の「PERFIDIA」が甘美に流れる。俺さまアンディがこの映画では控えめで、寡黙で誠実な警官を好演しており、シンパシーをもってさえ眺められる。このシーンはセンチメンタルな美しさに満ち、これだけでも王家衛のベスト1はこの作品だと言いたくなってしまう。 
…水商売の母は赤の他人で、実の母から金を貰って養育を引き受けたのだという事を知ってから、ヨディはヤケクソに人生を生きている。生みの母に捨てられた。自分は望まれずにこの世にあるという意識が、ヨディから全ての熱を奪っている。何故ここまでグダグダに、と思いつつ観ていてふと、北小路魯山人を思い出した。神官の家に生まれつつも、彼は母の不義の子であった。それを知った父は自殺し、母は彼を置いて去る。苦労して成人した彼は母を訪ねるが剣もホロロにあしらわれる。それが彼の一生に決定的な影響を及ぼす。誰も愛さない。妻は奴隷である。子は文字通りお荷物でしかない。魯山人は生涯を自分の嗜好へのあくなき探求に費やした。他人はその為に利用し踏みにじっていい存在だった。芸術家としては一流、だが人としては最低の欠陥人間だった。そんな彼に誰がしたのか…。自分の拠り所がない、ということは人を人でないものにさえしてしまうのだ。ヨディもおそらくは不義の子ゆえ生みの母に拒まれた。そして生きる実感が掴めず、誰も真剣に愛せず、若い命を無為にすり減らしていく。…彼は足のない鳥の寓話を信じていた。足のない鳥は、地上に降りることができない。だから死ぬまで風に乗って飛びつづけなければならない…。足のない鳥は彼自身である。しかし、彼は最後に悟る。足のない鳥は、飛ぶ前にすでに死んでいたのだ、と。
…母の国の緑のジャングルを風が渡っていく。彼が死ぬ日も上天気なのだ。
「欲望の翼」は、足のない鳥・ヨディを中心に報われない片想いが連鎖する物語だ。殊にヨディには気晴らしなのに、彼に本気で惚れてしまうコケティッシュなフラッパーをカリーナ・ラウが演じて魅力的である。
 全編を流れるザビア・クガートのラテン音楽。その選曲の見事なセンス。(王家衛の選曲センスは定評がある)そして王家衛作品の影の監督であるカメラマン、クリストファー・ドイルの美しい撮影(ドイルのカメラなしに王家衛の世界は成り立たない)そして香港のしめった空気、フィリピンのけざやかな緑のジャングル…私の耳にはいつまでも「PERFIDIA」の甘美なメロディがこだまし、HMVのワールドミュージックのコーナーで、執念でCDを探し出した。このCDは今も愛聴している。ワタシのフェイバリットCDのひとつである。

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