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「用心棒」

~刀か、ピストルか、宿命の対決~
1961年 東宝 黒澤 明監督



日本映画専門チャンネルがやってくれました。「用心棒」放映である。祝祭日には黒澤作品を放映するとかで、本日は「用心棒」。あぁ、待ちに待ったよ。久々に見る敏ちゃんの勇姿。(黒澤モノは殆ど実家においてあるので手元にはないのだ)祝・放映記念ということでささやかにレビューなどいってみることにした。まぁ、敏ちゃんラブ的観点からしか、語れないアテクシですが…(笑)
開始早々、佐藤 勝の手になる豪快なテーマ曲で忽ち黒澤ワールドへ。何を隠そう、このテーマ曲も「用心棒」の大きな魅力のひとつ。映画のムードと敏ちゃんの三十郎にあまりにもピッタリで、これを聴くだけでなんだかもうワクワクと嬉しくなってしまうのだ。

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イヨッ!敏ちゃん!

ヨレてテカって羊羹色になった紋付の肩をゆすり、懐手をして上州のからっ風に吹かれて歩く桑畑三十郎。「イヨーっ!敏ちゃん!」あぁ、肩をゆする仕草がたまらぬ。顎をさする仕草もたまらぬ。何度も書くようだが、この頃の敏ちゃんには時の盛りの男っぷりに加えて、なんとも言えない愛嬌があって飄々としていた。これが良い味わいを醸していたのに、壮年になってからはひたすら苦りきった顔で眉間にシワを寄せて唸っているだけのオヤジという雰囲気になってしまったのは、何としても惜しまれる。壮年期の作品で渥美 清の寅さんものに付合った「知床慕情」というのがある。それなりに敏ちゃんの個性を活かしたキャラではあるが、なんといってもステレオタイプ。嫌われ者の頑固な獣医で、不器用でいつも苦虫を噛み潰したような顔をしている、という設定。洋次のどうもいただけないところはこうして類型的なパターンに人を無理矢理押しこめてしまうところである。豪快な中に愛嬌がチラっと覗くようなキャラをここで再構築することが出来たら、晩年の敏ちゃんの役の幅も、もう少し広がったのではないかと思うんだけど…。

まぁ、そんな晩年の作品はさておき、「用心棒」はまさしく敏ちゃんの輝ける代表作の筆頭。何故にいつから浪々の身となったのか、本名も明かさない謎の浪人三十郎が、ヤクザ同士の対立で絹市も開けないゴーストタウンと化している上州の宿場町に通りかかり、双方の用心棒を買って出て鉢合わせをさせ、労せずしてヤクザ壊滅を目論むが(「用心棒にも色々ある。雇った方で用心しなきゃならねぇ用心棒だってあらぁ」)、途中から一方に手ごわい奴(仲代達矢)が現われた為に窮地に陥る…。三十郎は偽悪者である。本当は情け深く、妙に人が良くて、困っている奴を見過ごしにできない性分なのだが、そんな性格だと人に気付かれるのは死ぬ程嫌なのだ。そんな事はこっぱずかしくて耐えられないのである。ぶっきらぼうな照れ屋さんなのだ。だから助けた相手にヘイコラと礼を言われるのを凄く嫌がる。キュートなダーティ・ヒーローなのだ。

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どちらの陣地からも等距離の一膳飯屋に陣取ってあれこれと作戦を立てる三十郎。
飯屋の頑固親父を演じる東野英治郎が、いつもながらのいい仕事をしている。このオヤジと三十郎の掛け合いも見所のひとつ。頑固で口は悪いが信用できる相手として、三十郎はこのオヤジにけっこう甘えている。オヤジも悪態をつきながら、冷や飯を出したり酒を出したり情報を与えたりする。オヤジの遠慮会釈ないセリフが可笑しい。TV版の初代水戸黄門で有名な東野英治郎だが(そういえば、これには2代目黄門の西村 晃も三下ヤクザで出演している)、そもそもは舞台人。俳優座の舞台が本来の場なれども劇場建設など、とかく芝居は金がかかる。だから映画に出て稼ぐ。昔の日本映画を見ていると東野英治郎はほんとうによく出てくる。出てくるが、どんな役でもきっちりと毎度いい仕事をしている。けしてアルバイトのやっつけ仕事などはしていない。数ある中でやはりこの「用心棒」の茶店のオヤジも映画人としての代表作の1つだろう。「用心棒」と「椿三十郎」はどっちが好きか、という議論はよくあるが、ワタシは断然「用心棒」である。確かに「椿?」はスピーディでコメディ要素がもっと盛り込まれて無駄がないが、バタバタしてて落ちつきがないし、第一、東野英治郎が出ていない。小僧っこたちに土下座されて見送られるよりも、東野英治郎に「オヤジ、あばよ」と言って立ち去る方がずっといい。

殺陣が早いとか凄いとか、あちこちで言い古されている事は今更ワタシごときが書いても仕方がない。ワタシは敏ちゃんの豪快さの中に漂うユーモアが何よりも好きなのだ。ひしゃくで水を飲み、口元を拭いながら「ア?オ?」と息を吐く。山田五十鈴の女郎攻めにゲンナリしてさっさと逃げ出す。「面白いもんみしてやらぁ」と言う卯之助の目算が外れたのを火の見櫓から見物していて、するすると櫓を降りてくると「面白かったぜ」と皮肉を言って去る場面も捨てがたく好きである。

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「アブナい、アブナい」が口癖で、高みの見物が大好きな三十郎

昨今、Gサマが好きになったのも、その髭づらの風貌が、どことなくこの頃の敏ちゃんに通じる何かを漂わせているせいもある。豪傑を演じながらも、素の繊細さがふと漂うあたりも少し似ている。
この映画で、初めて敏ちゃんて、手も綺麗なんだわぁと感心したのは、敵の手に落ち、散々痛め付けられた三十郎が、壁に手をあてるシーンで、その手がとても綺麗だったから。手の綺麗な男に弱いワタシ。これで敏ちゃんラブは決定的になった。

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敏ちゃんのきれいな手

拍子木を叩いて、狂言廻しのように出てくるイタチのような沢村いき雄。この人が猛烈に小柄なので、並ぶと三十郎がとても長身に見えたりする。その他にも、なまこ塀に映る影や、同じく小柄な西村 晃と配して、三十郎が長身に見えるように撮影のマジックをあちこちで使っているのを見つけるのも面白い。

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大男に見える

この作品のウエスタン的な部分を一手に担う仲代達矢の卯之助の不気味さ。飛び道具とは卑怯なり。「ウサギのように可愛い名前の卯之助」だが、かわいくないよ。仲代達矢って力石 徹に似てると思う。旅から戻った卯之助が銃をぶっぱなすのを覗き見て、こりゃ厄介だぞ、と覗き窓をゆっくり閉める三十郎が印象的だ。

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仲代の卯之助

毎度強烈なベルさん(山田五十鈴)は、ここでも亭主を尻に敷く女郎屋の女将を大迫力で演じている。情けない倅(太刀川寛)に一人殺そうが百人殺そうが、縛り首になるのは一度だヨ!などと殺人を焚きつける鬼子母神のごときおっかぁである。志村 喬のおっちゃんは、「用心棒」ではかなり地味。控えめにサポートしている。猪突猛進、ちょっと足りない愛嬌者の亥之吉(騙されて三十郎の入った棺おけの片棒を担がされるシーンなど、この人ならでは)を演じる加東大介は、かわいくって芸達者。この亥之吉と卯之助の兄、新田の丑寅を演じるのがこれまた芸達者では人後に落ちない山茶花 究。ここでは冷酷で計算高い丑寅を不気味に演じている。

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丑寅を演じる山茶花 究(左)

コメディリリーフが効いているのも黒澤作品の特徴だが、ここでも巧い人を上手く配して、作品に飄々と流れるユーモアを形作っている。チョイ役では、すぐに腕を切られるジェリー藤尾や、ペーペー若造時代の夏木陽介、下っ端ヤクザの中に死神博士(天本英世)の顔もみえる。敏ちゃん登場前の黒澤ヒーローだった藤田 進がなんちゃって用心棒役でちょこっと出ているのもご愛嬌だ。

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オヤジ、酒をくれ。俺は酒を飲めば飲むほど頭がよくなるんだぜ

町外れの阿弥陀堂にこもって、枯れ落ち葉を包丁で射抜く練習をするシーン、(このシーンの鋭い目つきと気迫は五重丸)そして、今や伝説と化した刺身包丁を振っての「刺身にしてやる!」
常に乾いたからっ風の吹く画面の中で、背筋をぴーっと立てた三十郎が懐手をして悠然と歩いてくる。
「あんまりこっちぃ来るんじゃねぇ!」と卯之助。
砂塵の中、ニヤっと笑って肩をゆすっての包丁投げ。痺れるシーン連続である。
ラスト、仲代がダラダラと生き続けてなかなか死なないなど、僅瑕もあるが、その面白さになんら影響するものではない。

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昔、ケヴィン・コスナーの「ボディガード」(’92)を見ていて、劇中、ケヴィンが「用心棒」を見るシーンがあり、三十郎が名刺がわりにパパパっと3人ほどをたたッ斬り、肩をゆすって引き上げる姿を久々に見て、あまりのカッコよさにじ?んとなり、途中から「ボディガード」はもうどうでもよくなって、早く家に帰って「用心棒」が観たい、と映画館でジリジリしたことがあった。
「刀か、ピストルか、宿命の対決!」という謳い文句で、懐手をして顎をさする三十郎と、着流しにマフラーの卯之助が互いの様子をうかがいながら、くるり、くるりと回り、最後の対決が寸止めで表示される予告編もいい味わいである。思わず本編を見たくなる。傑作は予告編もまた傑作なのである。

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