「レイジング・ブル」

~それでも生きなければ~
1980年 米 マーティン・スコセッシ監督



昨今は本当に、割に合わないスポーツの代表のようなボクシング。K-1やPRIDEの時代に、ボクシングはいまや過去の遺物になりかけているようでもある。日本では特に、世界チャンピオンになってもさほど稼げるわけではない。その大変さに比してなんという割の合わなさ。でも、それだからこそ、試合のために全てを犠牲にし、必死に自分を駆り立ててリングに上るボクサーは美しいのだ。そういうボクサーのストイックな美しさを余すところなく表現しきったオープニングは、何度観ても感嘆する。映画で「カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲」を聴いたのはこれが初めてだったと思う。その優美でドラマティックな旋律と、フードを被ったガウン姿のボクサーが軽やかに動くスローモーションの映像が実に美しいコンビネーション。詩情さえ漂っている。本編は滴る血と、口汚い言い争いで満ちているとしても…。
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ブロンクス出身。プア・ホワイトの典型のような"怒れる猛牛(レイジング・ブル)"ジェイク・ラモッタ。美しいオープニングから一転し、引退後、増量したかつてのボクサーが映る。いわゆる「デニーロ・アプローチ」の始まり。デニーロは太るとこうなるのだ…。そして「デニーロ・アプローチ」は見せ場のボクシング・シーンで、より一層発揮されている。グイグイと相手をロープ際に追い詰め、ボディラッシュを浴びせて容赦なく倒すその姿が臨場感一杯。動きが本物だ。飛び散る血や汗の粒まで見えそうである。そして、引き締まったリング上の姿は美しいが、リングを降りてむくみ気味の顔で、常に猜疑心にかられているラモッタは肉親でも見放したくなるウザい男である。今回はデニーロが「異常」なので、弟役の(似てない!)ジョー・ペシのキレ度合いは控えめである。嫉妬と猜疑心にかられる兄をなだめる弟がペシの役目。イライラするデニーロをいさめるペシなんて、この映画で見納めじゃなかろうか。ともあれ、忠実に兄貴のために女房に男を近づけまいとする弟は涙モノである。それ以外にも、この弟の献身ぶりは涙ぐましい。

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ジェイク・ラモッタが一目惚れするブロンドのヴィッキーにキャシー・モリアーティ。キム・ノヴァクにちょっと似ているかも、という感じであるが、けっこう肉付きがよく、角度によっては妙にオバハンぽく見えたりもする。「ワタシはもうハタチよ」というセリフにひっくり返った。

顔役にタイトルマッチをお膳立てしてもらうため、負ける八百長を引き受けるラモッタ。全くやる気のない相手に対して、当たっていないパンチでやられる振りをしろと言われてもそれは無理な相談だ。TKOされる事で取り敢えず役目を果し、リングを憮然として降りるラモッタ。控え室に戻って子供のように泣きじゃくる。

だが、その甲斐あって巡ってきたタイトルマッチ。控え室から暗い通路を抜けて、リングに向かう。絶えず体を動かしながら豹柄のガウンを着てリングへと向かうデニーロ。どんな役にもなりきるというデニーロだが、ワタシには逆に、巧いが「何をやってもデニーロ」にしか見えない時が多い。けれど、この時だけは、デニーロではなくボクサーになりきっているように感じる。その身のこなし、その面魂。演技だけで見せかけているのではなく、ボクサーそのもののように感じられるのだ。その飢え、その孤独、その忍耐、その気迫…。観衆の声援の中を掻き分けてリングに上がるラモッタ。本編中でもっとも美しいシーンだ。ボクシングの背景にオペラ曲をもってくるというのは卓抜なアイデアである。モノクロの映像とあいまって、詩情溢れる美しさだ。そしてラモッタは気力充実でセルダンからチャンピオンベルトをもぎ取る。ついに頂点に立つ。人生最良の時である。しかし、試合前にひたすら減量に励むせいか、試合後にはやたらに食べる。あれだけ研ぎ澄まされていた体も忽ち腹が出る。防衛戦はひと月後だというのにむしゃむしゃ食べて体はなまり、女房の浮気の心配ばかりしている。周辺の男を疑い、弟を疑う。疑うあまり弟を半殺しの目にあわせる。異常過ぎる。そんな状態でも初防衛を飾るラモッタ。だがその試合から、常に付き添ってきた弟の姿は消える。そして3度目の防衛戦。宿敵シュガー・レイ・ロビンソンとの一戦でボロボロに打たれまくる。リングロープから滴る血…。兄の敗北をTVで観戦する弟。顔を覆う妻。
そして引退。ナイトクラブを持って経営も順調。引退後の生活もバッチリのはずだったが、好事魔多し。妻は愛想を尽かして去り、未成年の娘を客に斡旋したカドで、ついに臭い飯を食うはめになってしまう。出所後は泣かず飛ばず。N.Y.の街角で見掛けた弟を追い掛け、いやがる弟に抱きつくシーンが身勝手極まっている。

つい先日も日本で、昔チャンピオンだった沖縄出身のボクサーが恐喝事件に関係して逮捕された。ボクサーは危ういところに立っている。保証のない明日。故障への恐怖。ストレスも多い。体重と闘い、対戦相手と闘う。しかし本当の敵は自分の中にいる。それは体重のようにはコントロールできない。内側から自分を蝕んでくる自分自身に繰り出せるパンチはない。そしてリングを降りたら、その内なる自分をもはや制御できないのだ。

映画が終わってエンドロールが出ると、再び流れる「間奏曲」に、あの軽やかにステップを踏むボクサーの姿が脳裏に浮かんでくる。人生の光と影。ボクサーはリングの上にいる時だけが全てだが、永遠にボクサーではいられない。リングを降りて生身の男に戻った後も、寿命ある限り生きつづけなければならない。誰もが大場政夫のように、若くしてチャンピオンのまま、流れ星のように人生を終える事などできない以上は。

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