悪魔の囁き 「アロイス」

1975年 小学館 萩尾望都 著

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萩尾望都の作品で最初に読んだのは「トーマの心臓」だった。多分、中学生の頃だ。萩尾望都は既に名声の確立した少女マンガ界の巨匠であり、「ポーの一族」「トーマの心臓」は名作として古典的名声を打ち立てていた。



  
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「トーマの心臓」

ギムナジウム(高等中学)という学校制度を初めて知ったのもこの「トーマの心臓」からである。これで忽ちにして萩尾望都ワールドに引き込まれ続いて少女マンガ界の金字塔ともいわれる「ポーの一族」を読み、そこから暫く萩尾望都的宇宙をさまよった。その結果わかったことは、萩尾望都は70年代にほぼその傑作の全てを書き終えてしまったのだな、ということだ。で、今回は「ポーの一族」「トーマの心臓」と並んで70年代に生み出された傑作である「アロイス」を。

これも高等中学に通う少年が主人公。少年ルカスは小さな頃に死んでしまった双子のかたわれアロイスが自分の内部に宿っているのを自覚しつつ生きている。客観的には多重人格とも言えるが、ルカスとアロイスにとっては二人の人間が一人の肉体を共有している状態でもある。アロイスは表には出ないものの、ルカスの内部で常にルカスと共に行動しているのだ。ルカスは一日の終わりにいつも鏡を見ながら鏡の中のアロイスと語らう。14歳の今日まで、うまく同居してきた二人だったが、思春期に入り、アロイスは次第に自我が強固になり、自分固有の肉体を熾烈に欲するようになり、肉体を持つルカスを羨み、憎しみさえ抱くようになる。目的の為に手段を選ばぬといった邪悪な野望をムキ出しにして悪魔のように内側から囁き出したアロイスに、これ以上の人生の共有は不可能だと悟ったルカスは鏡の中の自分に向けて拳銃を放つ。そのショックで心臓が止まりルカスは倒れるが、葬式の日に葬られかけたルカスは目をあける。ショックで仮死状態になっていたルカスが蘇ったと周囲は喜ぶのだが、その肉体の中にいたのはルカスではなかった…、というわけで双子が葛藤し、強い人格が弱い人格を駆逐してしまうありさまを描いた作品。双子というものにとても興味があった事もあり、忘れ難い作品だ。萩尾望都の世界は単なる少女マンガの世界にはとどまらない。昨今ではそんな作品は幾らでもあるだろうが、この人の作品世界には、なんというかマンガで詩を書く人、というような趣きがあった。ネームがいつもとても詩的なのだ。たとえば「バラはいつも移り住む家の庭先に咲き乱れていました。 罪をおかした血のように あまりに赤く美しく もの言いたげに風に揺れ… <ポーの一族>」とか、最初に読んでから何年たってもいまだにソラで言えるほどに印象深いフレーズが綺羅星のように作品世界を彩っていた。「人は二度死ぬという まず肉体的な死 それから友人に忘れ去られることの死 それならば僕には永久に二度目の死はないのだ(彼は僕を忘れまい)そうして僕は永遠に生きつづける 彼の目の上に<トーマの心臓>」など枚挙に暇がない。アロイスで印象的に繰り返されるのは「うすあかいろのねむの森 ねむの風」というフレーズである。これはルカスとアロイスの家の近くの森に咲くねむの木の花の様子と、母のいる懐かしい我が家、そして、そのねむの木が囲む小さなアロイスの墓を象徴するのだ。…うすあかいろのねむの花 ねむの風。やさしいルカスはいつもアロイスに語りかける。ねえ、僕たちは一緒だよ、と。
それにしても双子って本当に不思議である。一卵性で、そっくりな双子の場合、まったく自分と同じ顔形の人間がもう一人世の中に存在するというのは一体どんな気分のものなのだろうか。ワタシは昔から子供など欲しいと思ったこともなく一度も生みたいと思ったことはないのだが、必ず双子が生まれると分っているなら一度だけ出産をしてみてもいいかもしれない、などと考えたこともある。双子がどういう具合に育っていくものなのか、ちょっと興味があったのだ。しかし、自分が双子の母になるのはいいが、自分自身が双子であるのはご免である。もとは一人の人間になる筈が分裂して二人に分かれたのだとしても、世の中に別の人間として出てくれば、やはり別の人格なのである。同じ顔でも微妙に性格も違うだろうし、向き不向きも変ってくる。そういう微妙な差異が双子にどういう変化をもたらすのか、とても興味がある。「アロイス」が何故好きなのかというと、ワタシが双子って結局はこういうメンタリティで生きているんだろうな、と想像しているとおりの世界を寓話として非常にうまく読ませてくれるからだと思う。双子は面白いが同時に怖い。常にアイデンティティとの闘いである。それは双子でない人間の想像も及ばない自己の確立との闘いなのかもしれないのだ。実際の双子の人に聞いたら「そんなヤヤコシイもんじゃないけどね?」とか言われそうであるが、どう考えたって何も葛藤がないってことはあるまいと思われる。

萩尾望都には後年、「半神」という有名な作品もあるが、ワタシは「アロイス」の方がよくできていると思う。…あ、今ふと思い出したが萩尾望都には「エッグスタンド」という傑作もあった。80年代まではまだ傑作をちゃんと世に送っていたのである。もしかするとこの先だって、まだふいに閃光のように傑作を送り出してくれるかもしれない。なんといっても相手はタダモノではない。萩尾望都なのだ。終わったなどと勝手に線引きをするのは僭越というものだろう。心にキラキラとガラスの破片のように突き刺さってくる作品を、期待して待とうと思う。

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