遠いお江戸が近くなる 「江戸アルキ帖」

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文政四年 竹屋の渡し

杉浦日向子という人は、TVなどに出てしゃべっているのを見て苦手な感じがしていたのだけど、これを読んで一挙にこの人に対する見解が変った。ねっちょりと女臭い人のように思っていたのだけど、かなり男前な性格の人だったようである。お見逸れしていた。これの第2弾やソバ屋探訪記の新作などを楽しみに待っていたら、一昨年、訃報を聞いた。ナンシー関の訃報を聞いた時ほどではないが驚いた。人間、いつなんどきどんな事になるか分ったものではない。やりたいと思った事は思い立った時にやっておかねばならない、と思ったりした。
それはさておき、私はこの人のほかの著作物(ことに漫画の方)はほとんど読んだことがなく、「江戸アルキ帖」と「ソバ屋で憩う」をもって杉浦日向子の代表作だと勝手に思っている。特に「江戸アルキ帖」は色鉛筆(多分、水彩色鉛筆)を使って描かれた、浮世絵を日向子流にアレンジしたような独特の画風の挿絵が非常に味わいがあり、この人の江戸への深い造詣が如実に表れている。文章も夏目先生の随筆を少し髣髴とさせるような飄々とした文体で、江戸のいろんな時代のある一瞬が鮮やかに切り取られている。これは江戸へタイムトラベルできる免許があり、それを取得すると(当初は数時間の滞在から段々上級者になると長期滞在も可能)江戸のある時期にタイムトラベルできる、という設定の元に、杉浦日向子が享保だの安政だの明和だのという江戸のいろんな時代、いろんな季節の、いろんな場所に行って見聞したことを書き記したという体裁の擬似江戸紀行文とでもいうべきものだ。本人の前書きで「この本は 江戸の町が 私達の町の すぐ隣に 有る気で 歩き 或る記に したものです。 ヒナコ」とある。
とにかく、これを読んでいると江戸時代に行ってみたくてたまらなくなる。今は名前だけになってしまった赤坂溜池に、満々と水がたまり、蓮が浮いていたというその景色を一度目の当たりに見てみたいという気持ちになる。江戸は閑静で美しい都だったのだという事がよくわかる。隅田川を猪牙(ちょき)船に乗って、北上したり南下したりしてみたくなる。猪牙船というのは簡易水上タクシーで、江戸の水上交通には欠かせなかったらしい。とにかく、それまでに蓄積された江戸知識がさりげなく味わい深くさらりと文章の中ににじんでいる。殊に好きなのは「明和八年 日本橋芳町」の陰間茶屋へ赴く陰間の美少年が編み笠を深く被って、三味線箱を担いだまわし男(やり手婆の男版)を伴い、しずしずと歩いていく様を写し取った章や、「天保四年 谷中切り通し」の江戸時代の谷中の様子を見てきたように活写している切り通しの図も文章も興味深い。「天明八年 御厩河岸」では暮れやすい江戸の秋の夕暮れに、御厩河岸の柳の下に白い手ぬぐいを被った夜鷹が向こうを向いて立っている姿の挿絵。風情がある。

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天明八年 御厩河岸

このほかにも「天保九年 番町」では正月の屋敷町で、塀ぎわにしゃがんで煙草を一服している角兵衛獅子の若者の姿が描かれ、正月の町の様子がわかる。江戸は山の手に武家屋敷が広大な場所を取り、庶民は下町に寄せ集められて長屋でぎゅうぎゅうと暮していたらしいが、それでも今の東京から比べたら、静かであちこちに幽玄な味わいの或る自然が残り、どことなく整然とした美しい町だった様子が伺える。東京のようにごちゃごちゃしていない。広大な武家屋敷の白い塀がどこまでも続く屋敷町も、庶民でにぎわう大通りも、鉄砲洲の入江も、人工的、計画的にきちんと作り上げられた都市だったのだなと思わせる。「明和二年 鉄砲洲」の章では、江戸は「おおらか」だとか、「のどか」だとかつい形容してしまい勝ちだが、その「おおらかさ」「のどかさ」はかなり人為的に注意深く作り上げられたものであることが昨今分ったので、あまり軽々しくそういう形容詞を使ってはならないと反省している、といったことを書いている。それにしても、どこに行くにも歩きでは、江戸市中は殊更に広く感じたことだろう。

杉浦日向子は大店の遊び人の息子にとても強い憧れがあったようで、(そういう息子と恋仲になりたいというのではなく、自分がそういう息子に生まれたいという熾烈な願望を持っていたらしい)「弘化元年 柳橋」の章ではそんな願望が綴られ、なりたいのは大店の道楽息子、人物として興味があるのは船宿のキリリとしたお内儀だそうである。利口で色気があって男勝り。見ていると胸がスっとするという。 どちらも分る気がする。
ワタシは江戸的人物では何に生まれ変わってみたいかな。イナセな火消しのお兄さんなんてちょっと憧れである。大店のわがまま娘なんかもいい。しきたりのうるさい武家よりも、富裕な町人層に生まれた方が絶対楽しいに違いないですモノ。にょほほ。

これは自分で買ったのではなく、母がふと書店で見つけて買い、「面白いから読んでごらん」と貸してくれた本だった。杉浦日向子にも江戸にもさして興味はなかったのだが、本当にお見逸れしました、という気持ちになった。
短いが余韻の深い文章と、そこに添えられた色鉛筆の挿絵が非常にマッチしていて、えもいわれない風情をかもしだしている。杉浦日向子は2005年7月、下咽頭癌のため46歳で亡くなった。「江戸アルキ帖」を読み返して、つくづく惜しい才能がまた失われてしまったと思った。いまごろはあの世で、なりたかった大店の道楽息子になっていることであろうか。いずれにせよ傑作「江戸アルキ帖」を残してくれたことに感謝したいと思う。

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