「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」

~天才と凡人の間~
1998年 英 アナンド・タッカー監督



原題は「ヒラリーとジャッキー」。二人共通の少女時代の思い出から、姉の視点で描いた部分と、妹の視点で描いた部分の3部構成になる。少女時代の二人を演じる少女たちがとても可愛いく、何故か郷愁をもって眺めてしまう。二人が共通に持つ少女時代の心象風景は、どことも知れない海岸で遊ぶ姿である。ここで何か童話の一節なのか、印象的に繰り返されるフレーズがある。「13歳のころ、私は黄金の国へ行った。キンバロウゾ・コトパクシーが私の案内役…」というものである。これは本編中で3度ぐらい登場する印象的なフレーズである。原典を知りたい気もするし、知らなくてもいいような気もする。この印象的な海岸のシーンは冒頭とラストに出てくる。

姉のヒラリーと妹のジャクリーヌ(ジャッキー)は情操教育に熱心な母の元、幼い時から楽器を習う。姉はフルート、妹はチェロ。当初は姉の方が有望だったが、妹はあっという間に姉を凌駕してリマーカブルな存在になる。そして音大生になる頃には姉はすっかり「普通の人」になってしまう。そんな姉を尻目に妹は 16歳でプロデビューし、大成功して一挙に華やかなスター演奏家への道を歩み出す。この門出に師匠から送られたのが世紀の名器、ダヴィドフ・ストラディバリウスである。この名器が、ジャッキーに栄光と悲劇をもたらすかのようでもある。



天才ゆえの孤独を、彼女は厭というほど味わう。別にプロの演奏家になりたいなどとは思わなかったのに、いつしか開かれた道の上を歩き出したら、もう止まることはできない。まだ親に甘えたい年頃に一人家を離れて欧州各地に留学し、研鑚を積む日々。実家から送られた洗濯済みの衣類を「私の家の匂いよ」と鼻に押し当てるシーンは、彼女の孤独を表して余りある。一方でヒラリーも、いつしか消えてしまった才能に悩み、妹の活躍を喜びつつも苦いものを抱えている。いつも輝く妹と比べられる毎日。(このへんはなんだかスケート界のA姉妹を思い出させる)しかし、そんな彼女には恋人が現れ、彼女だけをいつも見ている彼の存在に、楽器は捨てて、平凡な主婦として生きる道を選ぶ。



この映画は過不足なく凡人の悩み、天才の辛さを描いている。また姉ヒラリーを演じるレイチェル・グリフィスが慎みと優しさと妹に対する愛情と困惑の複雑な感情の揺れを静かに演じてとてもいい。一方で天才ジャッキーを演じるのはなりきり演技派エミリー・ワトソン。昨今はすっかりおばちゃんぽいが、この時はムリすればティーン時代のジャッキーも演じられるぐらいに可愛くも見える。



それにしても、頭を振り立てる演奏スタイル、カールした長い金髪がゆれて、とどめの一音を放ったあとは腕を高々と振り上げて喝采を浴びる。16歳でデビューしたブロンドの可愛い演奏家が、しかしルックスだけでなく演奏家としても本物で、情緒的で重厚な演目を得意としていたのだ。さぞかしセンセーショナルな存在だっただろう。何度もここぞという時に流れる十八番の演目エルガーのチェロ協奏曲、その劇的なメロディが彼女の悲運の後半生を象徴するように鳴り響く。



幾ら有名になってもジャッキーは満たされない。演奏をしない自分は誰にも求められていない、という脅迫観念に支配され、夫のバレンボイムでさえも、彼女がただの女性であったら目を向けたかどうか分らないと疑う彼女は、田舎で子供や夫と愛情一杯の生活を送る姉を羨む。姉と同化したいのである。そして姉の夫さえも共有しようとする。既に発病しかけていた彼女は神経を病んでいた。姉の家での異常な行動は失われゆく機能に対する焦りや苛立ちもあったのだろう。
この後、病状が進み、知らぬうちに失禁してしまったり、必死に演奏を終えても椅子から立てないなど、印象的な場面が続く。28歳という若さで発病して引退し、42歳で死ぬまで闘病生活を余儀無くされるジャッキー。歌えない鳥は、存在理由を失ってしまうのか。彼女は別に演奏家としての才能など望んでいたわけではなかったのかもしれない。望んでも与えられないのも辛いが、望まないものがふんだんに与えられても、人はまた困惑し、人生をすり減らしてしまうのかもしれない。彼女が姉のような普通の家庭生活を望んでも、それは得られない。彼女は既に稀有な才能を与えられていた。この上何かを手に入れることはできない。巨大な才能は幸福と引換えに与えられるのだ。
リハビリも虚しくいよいよ体の効かなくなってきた彼女はゲストでコンサートに混じり、小さな太鼓をポンと叩く。そのキッカケさえ外してしまい、持ち前の愛嬌で誤魔化してぽん!と叩くのだが、思いも拠らない聴衆の大喝采を浴び、彼女は暫しステージ上で満足げな表情を浮かべる。この時初めて、名演奏をしなくても自分が愛されている、という実感を持てたのではなかろうか。
そののち更に病状は進み、末期に彼女は姉を求め、その腕に抱かれて安らぎを得る。この時二人の胸に共通に蘇るのはあの海岸の光景である。



夕日の波打ち際に佇む人影に向かって少女のジャッキーが駆けていく。そこに佇むのは大人になったジャッキーその人である。彼女は少女の自分に向かって「何もかも、うまく行くから心配しなくていいのよ」と言う。それはこの先厳しい人生を歩む自分への餞(はなむけ)の言葉だったろうか。それとも、衷心からの言葉だったろうか。
天才の人生は厳しい。巨大な才能と引き換えに、奪われるものもまた巨大なのである。

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