「レッド・ドラゴン」

~レクターはこうでなきゃ~
2002年 米 ブレッド・ラトナー監督

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トマス・ハリスのレクター博士ものは、「羊たちの沈黙」「レッド・ドラゴン」「ハンニバル」と3作読んだ。その中で原作として一番面白く読んだのが、この「レッド・ドラゴン」だった。「ハンニバル」になるとレクターに復讐を誓う大富豪も、その復讐方法も、レクターの返り討ちもなにやらグロを極めており、ワタシは原作も読んでいてウンザリしたし、リドリー・スコットのメガホンながら映画化された作品も非常に苦手だった。グロ過ぎておぞましかった。更に「ハンニバル・ライジング」となると原作も読む気がせず、映画は一度だけ見たもののあまりに悪い方に予想された通りだったので途中から早送りにしてしまった。
で、「レッド・ドラゴン」。梗概はというと
FBI捜査官グレアムはレクターを逮捕した後、引退していたが、一家全員を惨殺し、眼球に鏡の破片を突き刺す猟奇殺人事件が発生、元上司に捜査への協力を求められて、獄中のレクターに会いに行く。

というわけで、
神になりたい兔唇の男、フランシス・ダラハイドをレイフ・ファインズが演じるという意表をついたキャスティングに驚いたものだが、レクター物としては「羊たちの沈黙」に次ぐ出来の映画だと思う。まぁ、TOPと2番手の差はかなり大きいけれど。「ハンニバル」ではレクター博士としては些か肉付きがよくなりすぎていたアンソニー・ホプキンスが、ここではまた一生懸命に絞れるだけ絞って、レクター博士らしい雰囲気を出している。

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見慣れたこの構図

この映画が好ましく思えるのは「羊たちの沈黙」から一部のキャスティングやセットの雰囲気をそのまま継承してきているという事もあるかもしれない。レクターが収監されているあの独房もそのままの造りなら、アンソニー・ヒールドのチルトン博士もそのままだったので余計に嬉しくなってしまった。あの胡散臭いチルトン博士はやはりこの人でなくては収まりが悪い。ジャック・クロフォードもできればスコット・グレンがよかったけど、お話としては「羊?」の前なのに、出演者が年を取ってしまっているというのは具合が悪かったのだろうか。ハーヴェイ・カイテルにスイッチしていたが、そのぐらいはまぁいいか。
そして、肝心のウィル・グレアムにエドワード・ノートンというのもまずまずのキャスティングだったのではないかと思う。レクター博士を始め、猟奇殺人犯と同じメンタリティを持つがゆえに、相手の心理を察し、犯罪を起こしたときの状況をイマジネーションを働かせて脳内で推理し追体験するウィル・グレアム。あの堅牢な独房のガラスの向こうから「君が私を捕まえることができたのは、君が私と同類だからだ」とレクター博士に言われてしまう。ハンニバル・ザ・カニバルに「同類」と言われるなんて笑うに笑えないかも、グレアム。

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「羊たちの沈黙」と「レッド・ドラゴン」に共通する面白さは、レクター博士自身は、FBIが追いかけるメインの犯罪を犯した犯人ではないということ、既に収監されていて、現在操作中の事件の犯人像について、FBI捜査官がある種の権威として彼の意見を聞きに行く、という設定だ。思うにレクター博士は自由の身になって、巷をうろつき、美食にワインに絵画や音楽を楽しみつつ、あちこちフラフラしたりなどしない方が作品としては面白いのだと思う。閉ざされた空間の中にいて、いつそれを破って出るかもしれぬと見る者をハラハラさせつつ、厳重に警戒され、猛獣のように拘束されたりしながら、訪れるFBI捜査官と知恵比べをし、皮肉を浴びせ、ホームズのようにあれこれと小さな断片から推理を働かせ、ヒントだけ与えてどうするか見るという彼の態度に、ウィル・グレアムなりクラリスなりが博士を懼れながら、博士からは奇妙なシンパシーを抱かれつつ挑んでいくという関係性が面白いのである。

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イヨ!待ってました

獄中で、チルトン博士の陰湿な嫌がらせにゲンナリしつつも、自らは動けないながら、犯人の行動と心理を操るレクター博士こそ、このキャラクターの真骨頂なのである。美食も取引の末に獄中で悠然としたためるのがレクター博士なのだ。似合わないソフトをかぶり、コートを肩から羽織ってキザキザにフィレンツェの街をフラフラ歩いているよりも、獄中で自由を奪われつつも、不思議な品と優雅さを失わずに澄ましている方がよほどレクター博士らしいのである。

ダラハイドは、レクター博士に憧れを抱き、崇拝している。原作を読んだのはずいぶん前で、細かいところは忘れてしまったが、とにかくダラハイドは筋肉モリモリの大男で、自らの醜い容貌が根深くトラウマになっている役。よもやレイフ・ファインズが演じようとは誰も思わないところであるが、これは本人が演じたがったのだろうか。なんかそんな気配濃厚。レイフではどこから見ても不細工じゃないし(不気味な雰囲気はあるけれど)、原作を読んでいるとそのへんに違和感はやはり残る。だって、ダラハイドってもっとモリモリとガタイのいい男なのだ。例えば、大昔のオーソン・ウェルズの顔に全盛期のシュワちゃんの体がくっついているようなイメージである。
二枚目なのにクセのある役を演じたがる俳優は多いが、この映画におけるレイフもその最たるものであろうか。でも、この作品で彼がダラハイドを演じることの意味がよく分からない。犯人に同情を催させようという意図だろうか。あんなに幾重にもトラウマに支配されて可哀想に、とか?単なる迫力不足のキャスティングとしか思えないような気がするのだけど…。
幼少期、祖母の虐待で痛めつけられたダラハイドの心は悪魔を体内に宿すことで補われたかに思えるのだが、うちなる悪魔は彼を内側から苛み、愛する女性を得たことによる心の平安すら、彼の中では混乱の渦が巻き起こり、収拾のつかない内面的分裂を呼び起こすのだ。そのへんの葛藤を表現するのに、レイフの演技力を要したという事だろうか。

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内面の葛藤はある程度表現していたが、やはり二枚目すぎやしないかレイフ・ファインズ

FBIに踊らされて彼を誹謗中傷する記事を書き、手酷い返礼を受けるナショナル・タトラーの記者役で、こういう役はもってこいのフィリップ・シーモア・ホフマン登場。嫌味な嫌われ者のレポーターで、痛い目に遭ってしまう役というのは、ほかでも演じていたような気がするのは気のせいだろうか。あまりにも似合いすぎである。でも「カポーティ」を経た今は、もうこんなチマい役はやらないだろうな。ふふふ。
ウィリアム・ブレイクの水彩画「巨大な赤い龍と太陽の衣をまとった女」が作品に非常に印象的にフィーチュアされ、背中一面のレッド・ドラゴンの刺青を見せ付けられた記者がひゃ?と叫ぶのと、むむむ?ぅと肩甲骨を動かし、筋肉を広げて刺青を誇示するダラハイドの掛合いが緊迫した場面なのにちょっと笑いを誘う。

そして、盲目であることで自分の「醜い」容貌を見ることがない為に、ダラハイドが心を許す女性リーバにエミリー・ワトソン。演技者としては定番の「見えてない」演技も非常に自然。落ち着いて芯がしっかりしているが、これと思ったら自分から大胆に出ることのできる女性をエミリー・ワトソンらしく演じている。

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自らのうちなる悪魔との葛藤の果てに、家に火を放ち、愛するリーバと心中を図るダラハイドだが、燃えさかる家からリーバは救い出されたものの、彼の遺骸は焼け跡にはなかった…。

というわけで、ラストの死闘につながっていくわけなのだけど、大昔に原作を読んでウロ覚えながら、ウィル・グレアムは無事には済まなかったのじゃなかったっけ?と思った。
まぁ、しかし、引退していた筈なのに、事件解決に引っ張り出されて奮闘した挙句にふた目と見られぬ顔になってしまうのでは救いがないと思ったのか、映画はマイルドな事件の収束を迎える。

しかし、映画そのもののオチとしては独房からグレアムに手紙を送ったのちのレクターに、あの女性が訪ねてくるシーンに繋がって万人がニヤリとするところ。この作品でのレクター博士は「ハンニバル」の脱線がなかったかのごとくに、「羊たちの沈黙」の時とイメージもストーリーもきちんと繋がっている。A・ホプキンスとしては頑張って痩せられるだけ痩せて引き締まったルックスで、じっと静かに独房の中から余裕綽々ですべてを見通しているレクター博士を当り役の余裕で演じている。その上目遣いの目の下半分が白く光っているのも氷の涙を浮かべてでもいるような独特の目で、いかにもレクター博士らしい。
鮮やかに甦ってレクター博士らしさをふんだんに湛えているアンソニー・ホプキンスを見ているだけでも満足の一編。やっぱりレクター博士は「獄中貴族」。独房で悠然としてなくちゃね。

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