スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「タイランド」

~生きることと死ぬること~

新潮社 村上春樹著(「神の子供たちはみな踊る」所収)

1_20090607183902.jpg

ここ10年ちょっとぐらいの間では、村上春樹は長編よりも短編のほうが冴えている感じがしていた。新作「1Q84」は未読なので長編が蘇ったかどうかはまだ分からない。さぁて、新作はいつ頃読もうかな。ともあれ、短編集「レキシントンの幽霊」「神の子供たちはみな踊る」「東京奇譚集」は、どれも悪くなかったし、それぞれの中に一篇ずつ、特に気にいった作品が入っている。「レキシントンの幽霊」では「トニー滝谷」「東京奇譚集」では「ハナレイ・ベイ」そして、「神の子供たちはみな踊る」では「タイランド」だ。

村上春樹のファンにも色々あって、みんながみんな「ノルウェイの森」がOKかというとけしてそんな事はない。かくいうワタシは春樹作品の中で一番苦手なのが「国境の南、太陽の西」、次にうーむ、なのが「ノルウェイの森」だ。(昨今、後者のほうは少し評価が変ったが、「?国境の南」のエキセントリックで一人よがりなヒロインが嫌いだというのは昔から変らない)友人の春樹ファンも、全く同感だと言っていた。同じタイプの春樹ファンなのだ。ちなみにワタシが好きな春樹作品は冒頭に挙げた短編集以外では「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」「世界の終わりとハード・ボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル(2巻目まで)」、「回転木馬のデッド・ヒート」、「TVピープル」、「中国行きのスロー・ボート」など。
村上春樹の何がいいのかというと、ワタシの場合は主に文体だろうか。作家の文体にはそれぞれ固有のリズムがある。そのリズムが麻薬と同じ作用を起こす。波長が合う作家だとその文体のリズムが心地よくなる。ワタシには春樹のリズムが合っているらしい。この10年、他の作家(重松 清、吉田修一、石田依良、小川洋子、花村萬月、伊坂幸太郎等々)も2、3冊ずつぐらいは読んでいるが、どうもハマるという程ではない。内容も大事だが、この文体のリズムというのがかなりの比重を占めたりもする。その上に内容が意に適っていれば、もはや言う事はない。

さて、「神の子供たちはみな踊る」は阪神・淡路大震災の5年後に故郷である神戸の震災をモチーフに連作した短編集。春樹がそれまでのスタイルと事変り、実社会で起きている事件、事象にインスパイアされた作品を書くようになった時期の連作集だ。震災はそれぞれの短編に、直接的にではなく間接的に溶かし込まれている。「タイランド」の他に「アイロンのある風景」も面白かったのだが、小説世界として「タイランド」の方が好ましかったので、この短編について書いてみたい。

梗概:更年期にさしかかった女医さつきは、バンコクで催された世界甲状腺会議に出席するためタイを訪れた。会議が終わった後、1週間ほどリゾート地で休暇を取る予定のさつきの元に、友人のアレンジメントで美しいメルセデスのリムジンを運転したガイド、ニミットが現れる。さつきは彼の案内でリゾートホテルに移動し、彼がみつけておいてくれた会員制のプールで貸し切り状態で泳ぎ、くつろぐ。休暇がもう終わるという日の夕方、ニミットはさつきをある老婆の元へ連れて行く。不思議な老婆は鋭い目でさつきを見ると、あなたの体内には石がある、と言う…。

***
さつきを乗せたリムジンを運転しつつ、ニミットは古いジャズを流す。この「古いジャズ」というのは「昔のロック」と並んで春樹お決まりのアイテム。ライオネル・ハンプトン、バド・パウエル、アール・ハインズ、ハリー・エディソン、バック・クレイトン…。古いジャズしか聴かないというニミットに、さつきは自分の父もそうだった、と言う。さつきの心の中には二人の男がずっとしこったままになっている。一人は大好きだった今は亡き父、そしてもう一人は彼女を踏みにじった「神戸の男」だ。さつきは父が亡くなるとすぐに、母親が父のジャズ・レコードのコレクションとステレオ装置を処分してしまった事で、いまだに母親に対して許しがたい思いを抱いている…。そして、つい最近の神戸の震災で「あの男」が重くて固い何かの下敷きになってぺしゃんこに潰れてしまっていればいい、と願っている。

宿泊している高級リゾートホテルから、更に灰色の猿が住む山を越えたところにある謎めいたプールまで、さつきはニミットの運転で毎日通う。誰かの別荘でもあったのか、高い塀と門番のいる門に守られた広い敷地の中に建つ石造りの家のうしろに、3レーン25mのラッププールがある。周囲を芝生に囲まれ、ぐるりに木製のデッキチェアが置かれている。本格的に水泳をするさつきには願ってもないプールだ。あたりには人影もない。ニミットは昼になるとどこかで誂えたサンドイッチとアイスティーを銀盆で運んで来てくれる。さつきは泳いでは休憩し、プールサイドでベニー・グッドマンを聴きつつ本を読み、誰にも邪魔されない休日を過ごす。…これ、設定的に非常に惹かれると思いませんか?礼儀正しい現地人の運転手兼ガイドが心得た手配をしてくれ、誰かの非現実的な妄想から抜け出してきたような古い型の紺のメルセデスで送り迎えをしてくれる。別に車はメルセデスの必要はない。ワタシ的にはベントレーかロールスロイス、もしくは濃緑のジャガーだったらもっと嬉しい。そして、秘密めいた会員制のプールで貸しきり状態で一日過ごす。あたりには鳥の声と風のそよぎしか聞こえない…。アジアのリゾートへ行って、現地に詳しい知人の紹介でニミットのような運転手兼ガイドについてもらって、1週間かそこいら気儘に過ごすというのは何か心惹かれるシチュエーションである。ちょっとやってみたい。ぬめらかに木立の影を映す磨き込まれた高級車のボディ。誰も知らない場所で過ごす静謐で豊潤な時間…。

ニミットはタイ人で60歳を越えていて、北欧仕込みの抑揚がなく俗語の入らない、文法の正確な英語を話す。彼の英語は彼の主人だったノルウェイ人宝石商に教わったもので、彼の美しいメルセデスは亡くなった主人がジャズのカセットテープごと彼に譲ったものだった。ニミットは33年間、主人に影のように付き従って生きてきた。ジャズの好みや聴き方まで主人に教わってその通りになぞっているうちに、それが自分の耳で感じたものかどうか分からなくなってしまった、というニミットに、彼と主人はホモ・セクシュアルの関係にあったかもしれない、とさつきは思う。ワタシもそう思った。ニミットはもう一度生まれ変わっても、またそっくり同じ事を繰り返して構わないと思っている。主人の影のように生きた33年間に全く後悔がないのだ、と。

そのニミットはさつきが「石を抱えている」女であることを察知し、休暇ももうじき終わるという頃、夢の預言者である老婆の元に連れていく。そこでさつきは長年にわたって抱えてきたその石をどこかに捨てなければならないこと、そして「神戸の男」がかすり傷も負わずに無事でいる事を知る。男が無事だった事は望んだ事ではなかったかもしれないが、あなたにとって幸運だったのだ、と老婆は告げる。そしてその帰途、ニミットは「あなたはいつも心をひきずっておられるように見える。でもあなたはこれからゆるやかに死に向かう準備をなさらなくてはなりません。これから先、生きることだけに多くの力を割いてしまうと、うまく死ぬることができなくなります。…生きることと死ぬることとは、ある意味では等価なのです、ドクター」とさつきに言う。あなたは死ぬ準備が出来ているの?と問うさつきにニミットは当り前の事のように答える。「私はもう半分死んでいます、ドクター」 
そう、主人が3年前に死んだ時に、ニミットも半分死んだのだ。
翌日、空港まで送って来たニミットに、さつきは父のレコードとステレオを処分した母についてのしこりをぶちまけようとするが、ニミットはこれを制する。そして「言葉はお捨てなさい。言葉は石になります」と言う。

こういうわけ知りの初老の人に、やんわりとたしなめられたいと思ったりする事はないだろうか。ついつい感情が暴走しそうになる手前で物静かに制して貰いたいと思ったりすることはないだろうか。ニミットの人物造形はこんな人物に会ってみたいと思わせるだけでも成功だと思う。旅先で、ニミットのような水先案内人に出会って、気付かなかった自分の心の奥底を覗くような経験は誰でも一度はしてみたいものだろう。ただ、言葉がすなわち石になるという事ではなく、そこに強い恨みや怒りのこめられた言葉は石になる、という事だろうと思う。誰でも自分の中に1つや2つは石を抱えて生きているのかもしれない。だが、その石をずっと抱えっぱなしにしてはいけないのだ。
他ならぬ自分のために…。
ラストでニミットが、北欧はラップランド出身だった主人が一度も帰る事はなかった故郷の村をとても懐かしがっていたこと、そして孤独な北極グマの生態について話してくれた事を語る。主人もまた石を抱えた人間だったこと、そしてラストの主人の一言も印象深い。
また、ニミットが、「死ぬ」というのを「死ぬる」と表現するところに、その人となりが覗えるような気もする。(「死ぬる」というのは年配の人物のセリフとして春樹の好む表現でもあるのだけれど)

更年期にさしかかった年代の女性が、離婚して一人になり、過去と現在と未来の狭間で何をどう捉えていくべきなのか(何を取り、何を捨てるべきなのか)、そして、生きることと死ぬることとは、など、短い中に色々な要素の詰まった作品。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する