ロサンゼルス郡検死局


ロサンゼルス ミッションロード 1104 ロサンゼルス郡検死局

急死したマイケル・ジャクソンの遺体がロサンゼルス郡検死局に運び込まれたというニュースを聞いた。ロサンゼルス郡検死局は、事件、事故、他殺、自殺を問わず検死の必要がある様々な遺体が運び込まれるところで、その数も膨大らしいけれど、管轄地域にハリウッドが入っている事もあり、スターの検死が多々行われてきた事でも有名なところだ。マリリン・モンロー、シャロン・テート、ナタリー・ウッド、ジョン・ベルーシ、ジャニス・ジョプリン、ウィリアム・ホールデンetc. その長いリストの末尾に、この程マイケル・ジャクソンも加わることになったわけである。
マイケル・ジャクソンについては、狭間の人、という印象がある。黒人と白人のはざま、男性と女性の狭間、大人と子供のはざま…。様々なポイントにおいて、彼は狭間の人だった。生まれつきの状態に安住することが出来ず、一方から一方に危うい綱渡りで渡ろうとして道に迷ってしまったような観がある。特にファンだったわけではないが今回の訃報にはやはり驚いたし、もう50歳にもなっていたと知って更に驚いた。ネバーランドで行き暮れてしまった少年は、ある日気付いたら50歳の奇行の人になっていた。整形を重ねるたびに、運気も金運も離れて行ったという気がする。客観的に見れば、「ビリー・ジーン」や「スリラー」のあたりで整形はやめにしておけば黒豹みたいで良い感じだったのに(まだ男の子らしくて精悍さもあったし)と思わずにはいられないが、程良きところで止まる事ができるぐらいならこのような死を迎えることはなかっただろう。


このあたりでストップできたら良かったのだが…

大人になる事を懼れ、失われた少年時代を取り戻そうと必死に夢の中へ隠遁したマイケル。あまり若いうちに人生のプライムがやってくるのは本当に考えものだ。あれだけ稼いでいても、麻痺した金銭感覚で収入を支出が上回るようになる。「サガン」を見ていても感じたが、若いうちに使いきれない大金が入ってくる事ほど人をスポイルする事はないのかもしれない。ともあれ、マイケルは憂き世のゴタゴタを離れて旅だっていった。もう、何物にも脅かされる事はない。が、残された彼の周辺の人には厄介な事が山積みに残されているような気配もある。憂き世は相変わらず騒然としているのだ。そのマイケル・ジャクソンがやはり人生の終焉にロサンゼルス郡検死局に運び込まれる遺体となった、というところで、名実ともに伝説的スターの殿堂に入ったな、という感慨もちらと沸き起こって来る。その検死結果で特定された死因によっては、行われなかったロンドン公演の損害は保険でカバーされぬことになり、興行主を筆頭に、まだトラブルのタネは尽きない事にもなってしまうらしい。こういうケースで検死を担当する検死官は本当に大変だと思う。

そんなわけで、ロサンゼルス郡検死局といえば、最も有名な検死官である野口恒富医師(アメリカ名:トーマス野口)を思いださないわけにはいかない。この人は日系人としてアメリカで生まれたのではなく、日本で生まれ、医大を卒業してからアメリカに渡って検死官となった生粋の日本人である。日本人らしく勤勉に努力し、渡米9年でロサンゼルス群検死局の検死官になった。更にその後6年で検死局長に就任した。今でも多分、歴代ロサンゼルス郡検死局長の中で一番有名な人物であるだろう。70年代に「刑事コロンボ」と同じ頃にNBCで制作されていた「ドクター刑事クインシー」というTVドラマはこの人をモデルに作られたものだとか。ワタシはこのドラマについては未見で全く知らなかったが、頑固で独自の勘と目の付けどころによって捜査をグイグイと進める検死官のイメージは、当時の野口氏のありようがカリカチュアライズされたものだという。


トーマス野口こと野口恒富医師 立派なお顔立ちである

そんな彼を一躍有名にしたのは、何と言ってもあのマリリン・モンローの司法解剖を行った事。60年代初頭から82年まで、時代も時代だったとは思うが、トーマス野口医師の手がけた検死の対象は有名人のオンパレード。映画スターに歌手に有名政治家…本人が望んだわけではないがスター専属検死官などとも呼ばれた。中でもロサンぜルスのアンバサダー・ホテルで暗殺されたロバート・ケネディの検死は、その緻密さと正確さにおいて、検死の手本とされる白眉の仕事と評価されている。しかし、白人至上主義がまだまだ跋扈する中で郡検死局の局長まで上り詰めた日本人の野口氏を快く思わない手合いもかなり居たらしく、1968年に一度ゆえなく解任動議を出されて(精神異常だの、巧名心が強いのと酷い誹謗中傷を受けた)追放されるも、敢然と闘い、復職を勝ち取った。

 モンローも運ばれ
 
ボビー・ケネディも運ばれてトーマス野口の検死を受けた

そんな野口氏だが、1981年に事故死した有名スターの検死報告で、そのプライバシーを暴いたとしてハリウッドからバッシングを受け、折りからの対米輸出超過による日米経済摩擦へのヒステリーの生贄にされる形で、またも解任動議が出され、82年に解任された。当然、今回も野口氏は闘ったが、最高裁まで持ち込むも87年に敗訴確定。ついにロサンゼルス郡検死局を追われる事となってしまう。彼が検死局を去るトリガーになったスターとは、ウィリアム・ホールデン。死因は過度のアルコール摂取で自力では立てない程に酩酊した挙句にナイトテーブルの角に頭を打ち付けての出血死だった。


ウィリアム・ホールデン 翳りの多い人生

しかも、遺体発見はサンタモニカの仮住まいで死後数日たってからという状況。思いついてふらりと旅に出る事は日常茶飯事だったというホールデンだが、数日連絡が途絶えたので、パームスプリングスの本邸から執事がサンタモニカに様子を見に行って遺体を発見することになった。このウィリアム・ホールデンという人は、ハリウッド黄金期のスターの中でも格別に陰影の濃い人で、繊細で人嫌いでCIAの連絡員で、やはり麻薬とアルコールの中毒だった。俳優としても事業家としても成功して富裕だったが、精神状態は壊滅的。生涯を通じて裕福でも極端に愛情の薄い家庭に育った事が影を落とし、60年代後半に立て続けに起きた不運な出来事が、彼を決定的にアルコールとドラッグ漬けの生活に埋没させた。なかなか興味深い人なのだけど、ホールデンについて書いていると長くなってしまいそうなのでこのへんで。いにしえのハリウッドスターにあるまじき惨めな死、単身でのアル中ゆえの事故死にファンも周囲もガックリ来たのだろうが、その辺を隠さずに発表してしまった野口氏にそういうモヤモヤが一斉に向かってしまったらしい。野口氏としては曖昧さを残す事は後々問題の元だと思ったので、敢て発表に踏み切ったとのこと。このへんは実に難しい問題ではある。

トーマス野口氏はマリリン・モンローの検死によって花形検死官となり、のちに検死局長まで上りつめながら、ウィリアム・ホールデンの検死によって検死局を追放される事になった。ロサンゼルス郡検死局ならではのドラマチックな展開だ。検死局を去った後は、南カリフォルニア大学の教授として教壇に立ちつつ、ロサンゼルス郡の一検察医として真摯に検死に携わっておられたが1999年に73歳で引退した。その数年前、70歳の時のインタビューを何かの番組で見た時、「野口という人間はまだまだこれからなんです。これから伸びるんです」と仰っていて、さすが不屈の闘志でアメリカの歪んだ差別社会と闘ってきた人だけあると唸った。


「過去は振り返らない」と語る70歳当時の野口医師

自分が死んだら何はさておいても、ガッツィな男だったと言ってほしい、とも語っておられた。野口さん以上にガッツィな人はそうそう居るまい。現在はカリフォルニアでお元気にリタイア後の余生を楽しんでおいでの事と推察する。野口氏はマイケル・ジャクソンの死についてどんな感慨を持たれただろうか。死体が語ることにのみ耳を傾けるとの言葉通り、自分が検死に携わっていない事例については一切、何も思われないかもしれない。ともあれ、不慮の死を迎えたり、心折れ、矢尽きて亡くなった人の最後のメッセージを、その体から丹念に拾いあげなくてはならない検死官は、ひとしなみに野口さんのようにガッツィで前向きで真摯な人であってほしいと思う次第である。マイケル・ジャクソンがロサンゼルス郡検死局に運び込まれた、というニュースを聞いて、なんとなく頭に浮かんだ事をとりとめもなく書いてみた。

コメント

  • 2009/07/12 (Sun) 23:36
    お久しぶりです

    トーマス野口さんは日系だと思ってましたが生粋の日本人だったんですか。
    私もマイケルの突然の死を悲しんでる一人ですが、kikiさんは着眼点が違いますねえ。検死局とは。
    直接の死因が解明されるのはもう少し先でしょうが、公式発表されるのかな?Wホールデンの件を思うと、されなくても別にいいよって気にもなりますが。
    近しい人たちの間では遺産とか子供の養育権とかをめぐって色々と攻防が繰り広げられつつありますが、遺言どおりにしてあげてほしいです。

  • 2009/07/13 (Mon) 07:48

    garagieさん、こんにちは。
    マイケル・ジャクソンの死について何か書こうというのではなく、たまたまその遺体が検死局に運ばれた、というニュースを聞いた時に、「あ、そういえばロサンゼルス郡検死局ってあれこれあるところだったなぁ」とふいに思いだしたもので、ふと書きたくなってしまったんですね。マイケル・ジャクソンの死因についてどこまで解明されるのか分かりませんが、他殺の疑いがあるわけではないならあまり細部まで明らかにしなくてもいいような気がしますね。今後もゴタゴタと揉めそうな気配ですが、残った家族のややこしさも含めて20世紀的なスターだったな、という気がします。追悼番組を観ていたら、昔のヒットが色々出てきて懐かしかったけれど、飛びぬけた才能があったのに、とても痛々しい人だったという印象が残りました。

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