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「ギルバート・グレイプ」

~けなげな息子~
1993年 米 ラッセ・ハルストレム監督



この作品を最初に見てからずいぶん経つが、何度観ても、いつ観ても、毎回瑞々しく、切なく、そして清々しい印象は変らない。そして毎回、けなげなギルバートに胸がしめつけられる思いがする。最初に見たときは、達者で目立つ「障害者演技」のデカプーの方に目が行ったのだけど、2回目あたりから、あんなにも厄介なことがテンコモリの家庭の中で、必死に働いて生計を支え、ヤケクソになって暴走するなどという甘えた事も一切なく、どんなに遣り切れない時も小さなため息ひとつでなんとか自分をなだめ、日常と取り組むギルバートを淡々と演じるジョニー・デップに惹き付けられてくる。どんどん目線がギルバート寄りになってくるのだ。



ギルバートが勤めるのは、寂れた食料品店。客はどんどん新しく出来たスーパーに奪われている。家では根が生えたようにソファから動かない巨大な母と、知恵遅れの弟に振り回される毎日。ギルバートは次男である。兄貴が居るのだが、彼はあっさりと家を出てしまっている(物語の中にも出てこない)。厄介なこの家のことは次男のギルバートにほぼ押し付けられてしまっている。彼の父親は17年前に亡くなっていて、その死因から母は食べつづけて巨大化し、今では町の笑い者になっている。しかし、この母は威厳をもって家族に君臨し、末息子を「サンシャイン」と呼んで可愛がっている。貧しく、あまり希望もない問題の多い家庭ではあるが、家族は愛情をもって互いにカバーしあっている。愛情を持っていなかったら、ほんとうに一日だって我慢することはできまい。なかんずく、子供たちが動かない母を愛していることは驚くばかりだ。
この母がいざとなると猛烈なパワーを発揮するのは、後でわかる。度々給水タンクに登るので留置場に入れられてしまったアーニーを請け出すため、何年も居間のソファから動いたことのない母は巨体を起こし、警察に向かう。そして昔馴染みの所長を怒鳴り飛ばし、愛する息子を請け出すのだ。物凄い迫力である。

ギルバートの日常は、全てこれ家族・家庭への奉仕である。
彼が抜けたら、確実に家族の生活は崩壊する。姉のエイミーだけに全てを押し付けてどこに行くことができようか。恋愛対象になるような娘もいない状況の中、ギルバートは若い身空で父の役割を必死にこなしている。そして自前のオンボロトラックで、客先に配達にも廻る。その、ギルバートの配達目当てで食料品を買いこむ客がいる。欲求不満の人妻(メアリー・スティーンバージェン)である。こういう役は彼女の専売特許。一見上品そうだが、神経症的で、病的に好色な感じの中年女性である。彼女は自分の結婚が不満で仕方がない。刺激のない田舎町にも、ぱっとしない亭主にも猛烈に嫌気がさしている。キュートな上に言うことを聞いてくれるギルバートは彼女には救いなのだ。一方でギルバートにとっては、自然の欲求として性欲処理もしなくてはならないし、バレたら大変だという気持ちもありつつ人妻の激しい誘惑に打ち勝てずにずるずると関係を続けてしまっているのである。そんな事でいいのか、ギルバート。「何故俺を選んだの?」と訊くギルバートに人妻は答える。「あなたなら、この町から動かないから」と。…なんだか観ていると毎回とても遣る瀬ない気持ちになってしまうシーンである。
そんな彼の日常に、ある日突然、福音のごとく素敵な娘が現れる。祖母と国中をキャンピングカーで移動しているベッキー(ジュリエット・ルイス)である。彼女は、自由な人生がまとっている空気をギルバートに伝える。この頃のジュリエット・ルイスは本当に魅力的な娘だった。画面に彼女が映ると、ギルバートでなくても何か清々しい、救われたような気持ちになる。ショートカットがよく似合い、キラキラと新鮮な魅力に輝いていた。



彼女が見てきた自分の知らない町、知らない土地にギルバートは憧れを抱く。何も思い煩うことなく、彼女と旅に出られたらどんなにいいだろうか。しかし、彼には二重三重の足枷がはまっている。しかも、彼は家族を愛しているのだ。人が何も考えずに自分の思うように行動するには家庭の頚木がない事がまず最大の前提条件なのである。何か問題があったらそう勝手に動けない。家庭とは暖かいねぐらでもあり、そして場合によっては人生を縛る檻のようなものでもある。 ギルバートは動けない。
いろんな苛立ちから、風呂に入るのを嫌がるアーニーを思わず殴ってしまうギルバート。弟を殴った自分が本気だったことが許せない。家族愛と、自分の人生を本当に生きたいという欲求の間で引き裂かれる気持ち。ベッキーは黙ってそんなギルバートを抱きしめる。彼女はギルバートも、弟のアーニーも、常にやさしく両手で受け止める。全面的に受容する存在である。この兄弟にとっても、映画を観る側にとっても、彼女は救いである。



そして、なぜか居間を動いたことのない母が二階の寝室に昇り、そこでふいに眠りながら亡くなってしまったことで、予期せぬ解放が訪れる。重過ぎて尋常な方法では階下に母の遺体をおろすことはできない。どうせ家はもうボロボロ。この際、家を巨大な棺として母を火葬に付すことにする。家が燃えると何かまがまがしいような印象も与え勝ちだが、ワタシはオブセッションからの解放(母にとっても解放であったろう)を象徴するいいシーンだと感じた。そして四人の子供達はそれぞれに人生を生き始める。これからが本当の人生なのである。
細かったデカプリオ、素敵な娘だったジュリエット。そして、今も変らず活躍を続けるジョニー・デップ。「妹の恋人」も良いが、やはりジョニデといえば、これだと思う。いつもけなげなギルバート・グレイプはワタシの中で、昔も今も特別な存在で在り続けている。

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