ファラオの墓と矢車草



ついこの前、NHKで、最近発見されたツタンカーメンゆかりの王族の墓を調査したドキュメンタリーを観た。ツタンカーメンの妻だったアンケセナーメンの墓だろうと研究者が色めきたった墓だったが、棺の中にあったのは2つの大きな石だった、という結末で、拍子抜けがするというよりもミイラとなっても気の毒なアンケセナーメンに対して、しんとした気分になった。そのドキュメンタリーの中でも紹介されていたが、ツタンカーメンの墓には蓋が締まる前に妻アンケセナーメンがすばやく入れたと思われる枯れた矢車草の花束があった。このアンケセナーメンの矢車草と、その花束をどんな財宝よりも美しいと言ったツタンカーメンの王墓発見者ハワード・カーター。
このエピソード、ワタクシなんだかとても好きなんですのよね。

大体、ツタンカーメンの周辺人物というのは興味深い。改革派の父・アクエンアテン王の第一王妃はエジプト最高の美女として有名な、あのネフェルティティである。有名な彼女の未完成の胸像は、現代の美の基準からしても文句のつけようのない美しさだが(あの眼差しに優美な鼻筋と長い首!)、なかなか怖いところもある王妃さまだったという説もある。ツタンカーメンはアクエンアテンの第二王妃が産んだ王子。母である第二王妃キヤは嫉妬に狂った第一王妃ネフェルティティに暗殺されたというものだが、ネフェルティティの記録はアクエンアテンの在位中に消えていて、早世したとも伝えられている。その方が美人薄命という事で収まりがいいような気もする。


ネフェルティティの胸像 眉のカーヴが美しく、冠と顔と首の調和がえもいわれない 何千年たとうとも美女は美女のままである

ともあれ、少年王ツタンカーメンの運命は、アクエンアテンの息子に生まれた事で誕生前から決まっていたとも言える。強硬に改革を行った父・アクエンアテンだが、神官を筆頭とする人々の恨みと怒りを買ってしまったのは宗教改革。それまで信じてきた神々を廃棄させ、太陽神アテンのみを崇めるように強制し過ぎたのがアダとなった。早世した父の後を継いだ少年王・ツタンカーメンだが、実権は神官が握っていた。王は幼くして2つ年上の妻アンケセナーメンと結婚する。仲のいい姉さん女房に支えられて、少年王は成長とともに周囲の言うなりになるしかない状況からの脱却を目指すが、その矢先に17、8歳で突如不慮の死を遂げる。(暗殺説が有力)年若い王が突如みまかった後の、一人残された若い未亡人アンケセナーメンの運命はよく知られていない。神官に無理に嫁がされたという説もあるようだが、失意のうちに若くして亡くなったという説もある。とかくこの時代の事は記録が少ないので不明な事が多いようだ。


ツタンカーメンとアンケセナーメン

この前、新発見された墓は王族の墓としては随分粗末なものだったけれど、時代はツタンカーメンの頃に違いなく、アンケセナーメンが入っていたと思しき棺にはミイラの代わりに2つの大きな石が入っていた。番組では、宗教改革をした王族への怒りが彼女にも及んだ挙句の冒涜だろうという結論だったが、どこかに持ち去られたミイラの代わりに無造作に2つの石を入れられた、死後も薄幸な若い王妃の棺を眺めつつ、彼女が夫の棺に入れたという矢車草から、ふいに随分前に観たハワード・カーターについてのドキュメンタリーを思いだした。3000年前の若い王と王妃の最後の別れに被る、王の墓を発掘した男の悲恋の物語だ。


王墓の発見者 ハワード・カーター

20世紀最大の発見とも言われる、盗掘を免れた状態でのツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーターは、19世紀末にイギリス、ノーフォークの貧しい家に生まれ、小学校を出たのちに大英博物館で収蔵品の模写の仕事をしている時、発掘した品物を記録としてスケッチする人材を探していた考古学者からエジプト行きに誘われる。17歳でエジプトに渡った彼は、砂漠に埋もれた古代王国の謎とロマンに取り憑かれ、発掘隊が帰ってもエジプトに留まり続け、独学でエジプトの古代文字などを研究し、そのうちにエジプト考古局の査察官に任命される。

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余談だが、以前、大英博物館に行った時、あまりにエジプトから勝手に持ってきちゃってるものが多いのに唖然とした覚えがある。棺に入ったミイラをガラスケースに入れてごろごろと並べてある部屋があったりして、仮にも人の遺骸をこんな風にもともと眠っていた場所から動かして、しかも人前に展示なんかして許されるものだろうか、という気がして仕方なかった。19世紀末?20世紀初頭の発掘でよほどエジプトがブームになったのか、街中のビルの正面の飾りにスフィンクスの頭部の彫刻が取り付けられていたり、ロンドンの街のあちこちにエジプト的な意匠があったのが、妙に印象に残っている。
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日々、古代エジプト史を勉強するうちにまだ墓の発見されていない王が存在する事を知り、その王ツタンカーメンの墓を発掘することがカーターの夢になる。が、査察官の仕事に追われている上、資金のいる発掘作業にはなかなか手が出せないでいるうちに17年が経ったある日、英国の大貴族カーナボン卿が彼の前に現れ、資金は幾らでも出すから財宝を発見してくれと依頼する。1907年当時は、発見された財宝は全て発見者(この場合、公的にはカーナボン卿)のものになった。おまけに貴重な財宝の発見者という名誉もついてくる。
カーター側にしてみればようやく資金を確保して長年の夢に着手するときが来たわけだ。


ハワード・カーターとカーナボン卿

王家の谷の採掘権を卿に買わせてあちこち掘るがなかなかツタンカーメンの墓は見付からない。焦れるカーナボン卿を説得しつつ粘り強く発掘を続けるカーターを、ある日父のカーナボン卿とともに訪れたのが娘のイヴリンだった。30歳近くも年齢の違うカーターとイヴリンだが、やがてひそやかにロマンスが芽生え、互いに結婚を意識するようになる。だが、貧しく無名で中年の素人エジプト研究者とうら若い大貴族の令嬢との結婚が許される筈もない。けれど、もし、ツタンカーメンの墓が発見できたら状況は変るかもしれない。ツタンカーメンの発掘にはカーターの人生の夢の全てが賭かっていたわけである。


ずっと年若く、しかも大貴族の令嬢であるイヴリン

だが何も出ないまま15年がたち、カーナボン卿の資金提供も打ち切られかけた1922年11月、王家の谷の住居の遺跡の下から、ファラオの墓への入り口は発見された。誰にも気付かれず、盗掘にも遭わず、ひっそりと何千年も眠ってきたツタンカーメンの眠りが覚まされる時が来た。カーナボン卿とイヴリンが英国から駆け付けると、墓の封印が解かれた。カーターはカーナボン卿をさしおいて、イヴリンを一番先にファラオの墓に導いた。イブリンはツタンカーメンの墓に最初に足を踏み入れた人物になった。どこもかしこもまばゆい黄金で埋め尽くされたその小振りな墓に。


黄金の副葬品

人生最高の瞬間を味わうカーターだったが、世紀の大発見にともなう世間の狂騒と、スポンサーのカーナボン卿を始めとする関係者の突然の死が相次いで「ツタンカーメンの呪い」騒ぎのただ中に投げ込まれる。このへんの不審な連続死はまさにアガサ・クリスティの世界(「エジプト墳墓の謎」とか)だが、ともあれ6年の間に22名も死んでいるというのは事実。でも発見者のカーターがぴんぴんしているのに呪いって事もあり得ない。だがカーターには受難の日々が待っていた。1922年にエジプトが英国から独立したため、遺跡で発見されたものはエジプト政府のものとなり、発見者には何ももたらされなくなった。カーナボン卿の死で跡を継いだ息子のヘンリーは、王家の谷の採掘権を今季限りで手放す事を決定。その決定はカーターに知らされる事もなく下された。イヴリンは折角の発見とその後の発掘・研究からカーターが放逐されないように考え抜いた末、カーターとの結婚を諦める代わりに発掘権を手放さないでくれるよう、兄に懇願する。その願いは聞き入れられた。数ヵ月後、カーターには何も告げず、イヴリンは大富豪に嫁いでいく。


世紀の大発見の記念写真におさまる二人だったが…

その頃、カーターの発掘作業は遂に玄室に至り、黄金の厨子の扉の向こうから黄金の人型棺が出てきた。四重になった棺を次々に開けて行くと最後の棺にツタンカーメンが永遠の眠りについていた。その顔は、あの有名な黄金のマスクに覆われていた。だが、カーターの目は棺の上に置かれた一束の枯れた花束に注がれていた。



「…それは若い王妃が最後に手向けたものでしょう。
墓の中はどこもかしこも黄金で輝いていましたが、どんな輝きよりも
その枯れた花束の方が美しいと、私は思いました」

と語るカーターの肉声が残されている。

番組に出ていた吉村教授によれば、それは棺の蓋が締まる間際に、王妃がさっと差し込んだものに違いないという。王の墓にはあらかじめ決められた副葬品しか入れる事はできないし、ましてや生のものなどけして入れる事は許されないのだ、と。だから葬列に従って進みながら、王妃は道端で矢車草を摘み、それを咄嗟に夫の棺に入れたのだろう、と。
カーターはその頃、イブリンが結婚した事を知らされていた。16年にも及ぼうかという自らの恋は成就しなかったが、相思相愛だった若い王と王妃は若くして死に引き裂かれた。妻が夫への永遠の愛を託した花束に、常ならぬ思い入れをカーターが抱いたとしても無理はない。3000年の時を隔ててのシンパシー。
カーターはイヴリンの真意に気付いただろうか。それとも、裏切られたと感じただろうか。または、彼女が周囲に押し切られて身分に相応しい結婚に踏み切ったとしても、それは仕方が無い事だと思ったろうか…。いずれにしてもその枯れた一束の矢車草は、永遠に色あせない黄金にも勝る輝きをもってカーターの目に映った。時の流れにも消えず、何ものにも妨げることのできない愛は確かに存在すると信じたかったのかもしれない。

10年にもわたるツタンカーメンの発掘作業を終えてロンドンに戻ったカーターは58歳になっていた。その後も黙々と墓から出た副葬品の整理や目録の作成を行い、本人的には充実した静かな研究生活を送ったのち、アルバートコートの自宅でひっそりと息を引き取った。享年66歳。学歴もなくアマチュア研究者だった彼は、ツタンカーメンを発見したのにも関わらずその功績は過小評価され、報酬も多いとは言えなかったが、本人にはそんな事はどうでも良かったかもしれない。彼の死は新聞の訃報欄に数行だけ告知され、参列者も少ない質素な葬式が営まれた。が、彼の墓前には花束と1枚のカードが供えられていた。差出人はレディ・イヴリン。カードには「万感の想いをこめて」と手書きのペン字で記されていた…。



というわけで、ワタシはこの話がなんだか好きだ。成就しなかったロマンスほどロマンティックなものはこの世にありますまい。ハワード・カーターの悲恋物語は映画になるとかならないとか、ちょっと前に目にしたような気がするのだけど(気のせいだったかしらん)、確かに映画向きな題材ではある。誰が監督をするのかも気になるし、誰がカーターを演じるのかも気になるところだが、ハワード・カーターの実物は、小柄で小太りの髭のオッサンで絵にはならぬと思われるので、映画化に際しては二枚目が演じる事になるのかもだけど、あまり二枚目じゃない方がいいなぁと思ったりもする。それにしてもハワード・カーターってロマンティックなオッサンである。生涯、夢を追って、恋愛じゃない方は見事に成し遂げた。恋愛の方も生涯、心の奥底でずっと想いを秘め続けていたのだろう。それはイヴリン嬢の方も同じ。二人はロマンティックな気質が合ったのかもしれない。ともあれ、カーターならずとも一見さしてロマンティックにも見えないオヤジが、見た目だけキラキラの男前などよりずっとロミオな内面を持っていたりするのは往々にしてあることだ。
そして、枯れた花束が矢車草というのがまたいいですね。派手じゃなくて。

コメント

  • 2009/08/06 (Thu) 21:16

    kikiさん

     私もこのエピソード、以前テレビでみた覚えがあり、印象に残っておりました。
     きんきらの黄金の物品ではなく、可憐で質素な矢車草に託された王妃の想いが千年の時を経ても人の気持ちを揺り動かすなんて悲しくもロマンチックですね。
     ところでお話変わりますがネフェルティティの胸像を見てたら、以前お見受けしたkikiさんの写真にどことなく似ているような気がします。(あ、よいしょではなくあくまで私観ですが。  いわずもがなでしたね(汗)

  • 2009/08/07 (Fri) 07:20

    ふうさんもご記憶でしたか。ツタンカーメンの棺に矢車草が供えられていたという事と、カーターがそれに感銘を受けたというのは有名ですよね。ワタシはけっこう、彼自身のひそかな悲恋のエピソードの方も好きなんですよ。
    そして、ネフェルティティの胸像、大好きなんですわ。で、なんと!似ているなんて言って下さるのはふうさんだけですが、(あんなに細くないし首も長くないですけど…)でも一人ひそかに喜んでおこうっと(笑) ひゃは~、恐縮 ;。

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