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「トーク・トゥ・ハー」 (HABLE CON ELLA)

~この愛の物語~

2002年 スペイン ペドロ・アルモドバル監督



アルモドバル監督作品は、最初に「バッド・エデュケーション」を観てしまったので、そのむわぁっと濃い世界に些か引き、次に手に取ってみた「オール・アバウト・マイ・マザー」もなんだか疲れそうで、開始15分ぐらいでDVD観賞を中断した。そんなわけで、アルモドバル作品にはなかなか手が伸びなかったのだが、この程、ふとその気になって「トーク・トゥ・ハー」を観てみた。アルモドバル監督の良さが初めて分った気がした。脚本が良い。音楽が良い。そして映像が美しい。その魅力的な音楽と映像を強力な磁力として有効に使いながら、それぞれに昏睡状態の女を愛する二人の男の運命の交錯を綴っていく演出力はさすがの一言。久々に気持ちよく映画の世界に入る事ができた。

ヒロインの「眠れる美女」アリシアにはレオノール・ワトリング。彼女の出演作では「マルティナは海」というのを観た事があるが、とにかく彼女がその抜群のプロポーションを晒しまくるだけのしょうもない恋愛映画で、相手役の男も何やらかなり微妙だと思っていたら、「エリザベス ゴールデン・エイジ」で異様に抑圧された感じのスペイン王を演じていたジョルディ・モリャという俳優だった。(この俳優、何の映画でもなんだか微妙って感じなのでは?)ともあれ、しょうもない映画でも、その肉体だけは輝いていたレオノール・ワトリングだが、「トーク・トゥ・ハー」では“昏睡”というファクターを通して、より、その若い肉体の美しさ、瑞々しさが際立って見えた。



バレリーナの卵だったアリシア(レオノール・ワトリング)は、レッスン帰りに交通事故に遭い、以来4年昏睡状態で入院している。その彼女を舐めるように面倒をみている看護士ベニグノ(ハビエル・カマラ)。それまでの20年間、自宅を一歩も出ずに母の介護に明け暮れた彼は、恋愛経験もなく社会経験もなく、自分の内面世界に埋没してきた男だ。小柄で小太りの冴えないベニグノだが、事故の前からアリシアに恋心を抱いていた彼は、何を話かけてもけして答える事のない彼女に、日々せっせと語りかけ、愛情をこめてその体をマッサージする。


憧れの女性の昏睡により、究極の自己満足妄想を満足させるベニグノだが…

昏睡状態でも閉経前の女性には、毎月生理が来るのだなぁ、というのもよく考えたら当り前の事ながら、改めて気付かされたという気がした。生身の人間が、とりわけ若い身空で植物状態になってしまうという事は、なかなかに切ない事だと今更に思う。アリシアの生理についてさりげにやりとりがなされる事はストーリー的に伏線となっている。すなわち、昏睡状態であろうとも、女性としてその肉体は機能している、という事である。



そのベニグノと前衛舞踊公演の会場で偶然隣り合わせた男・マルコ(ダリオ・グランディネッティ)も、愛する女が脳障害で植物状態になってしまっていた。ジャーナリストのマルコは、女性闘牛士のリディアを取材するうちに恋仲になるが、彼女は元々有名な男性闘牛士との間で恋愛の縺れを抱えており、その迷いから、ある日の試合で牛にめった突きにされて倒れ、重症を負い、昏睡状態に陥ってしまう。リディアはアリシアと同じ病院に担ぎ込まれ、そこでベニグノとマルコは出会う(正確には再会する)。


よく泣く男 マルコ

この病院の病室の壁が暖かい黄色や明るいオレンジを使っているのが非常に印象的。こういう暖かい明るい色の壁というのが病室には案外良い様な気がする。この病室の壁以外にも、赤やモスグリーンなど、折々の差し色が効果的に美しく画面に映えていた。


アリシアのバレエ教師役でチャップリンの娘、ジェラルディン・チャップリンがスペイン語セリフを流暢にあやつりつつ登場する。娘は父親に似るというが、年がいって、ますます父親にそっくりになっていた。説明不要、問答無用の血縁関係証明である。


チャップリンの娘以外の何だろうか ジェラルディン・チャップリン

マルコはよく泣く男で、前衛舞踊を観ても涙し、蛇を殺しても涙し、カエターノ・ヴェローゾの歌にも涙する。おセンチで過去に引っ張られている男なのである。が、歌に涙したのだけはワタシにも分る。カエターノ・ヴェローゾの歌はこれで初めて聴いたのだが、何の予備知識もなくても、ふとその歌が流れてくると耳を傾けずにはいられない力がある。ハイトーンの声で軽やかに歌っているのだが、聞く者の最深部にすーっと入ってくる歌声とでも言おうか。ほぼワンコーラスが流れるが、画面の中の登場人物と一体化してカエターノの歌に聴き入った。演出も、さぁ聴かせますよカエターノの歌を、という感じではなく非常に自然なのだが、静かな夜に、テラスであんな生演奏を聴けたら実に素晴らしいだろうと思われた。


カエターノ・ヴェローゾ 本物の底力

また、女闘牛士という職業が存在するという事も初めて知った。男だけの職業というものが段々減っている昨今だが、闘牛士にまで女性がいるとは意外だった。女性の進出はどの方面にも目覚しいが、どんなに世の中が進もうとも、ワタシは女が入ってはいけない世界というものは確かに存在すると思っている。例えば、ボクシングや闘牛などは、どれだけ時代が変ろうとも男だけの世界であるべきだ。そこに女が踏み込んではいけないという気がする。なんとなく…。しかしまぁ、それはさておき、リディアを演じるロサリオ・フローレスの引き締まった体と、彼女が闘牛士の衣装を身に着けるシーンは見ごたえがある。闘牛士の衣装は猛烈にタイトだ。呼吸もままならないのでは?と思われるほどに。あんな身動きもならないほどタイトな衣装を来て、赤い布を持って動き回るんだから闘牛士というのも大変である。しかも牛の角に突かれたら、どんなにタイトで着るのが大変でも、衣装はなにほども身を守ってはくれないのだ。


着るのも一苦労な闘牛士の衣装 特殊な金具でボタンをひっかけて穴に通す


マルコの回想に登場するリディアの闘牛シーン このシーンの背後に流れる歌も秀逸


是非はともあれ、細身で颯爽とした女闘牛士リディア

植物状態になったリディアをなすすべもなく見つめるマルコに対して、ベニグノは日々、嬉々としてアリシアの世話を焼く。アリシアが事故に遭わなければ彼には生涯、彼女の体に指を触れる機会など来なかった。何かと付き纏ってうるさがられ、そのうちストーカーとして遠ざけられるのが関の山というところだったろう。一言も答えなくても、日々アリシアに語りかけて至福を味わうベニグノ。彼女が昏睡に陥ってからの4年間はベニグノにとってはまさに幸福な人生最良の4年間でもあった。昏睡ゆえに、彼女はベニグノの手の中にあり、ベニグノは誰にも邪魔されずに彼女を「所有」できたのだ。それゆえにベニグノの妄想遊戯はエスカレートしていき、答えない彼女に対して自分の思う事を語りながら次第に心が通じ合っているという幻想に溺れはじめる。自分が望む事は、彼女も望む事である、と。小太りのベニグノが、やたらにねっちょりした手つきでアリシアの内腿などをマッサージするシーンを見ていると、おいおいおい…、という気分にもなるのだが、おタクで小デブのベニグノを、あなたキモイわよ…と幾らか引きつつもなんとなく見守ってしまうのは、その献身的な一途さに偽りがないせいだろうか。が、その害のない献身もベニグノがアリシアとの結婚を本気で夢見始めたあたりで形を変える。そして、ある夜、ついにベニグノはタブーを犯してしまう…。


昏睡前に一応、面識はあった二人だが…

一方のマルコは、リディアが最後の試合の前に男闘牛士とヨリをもどしていた事を知らされ、リディアの看病を彼に譲って一人旅立つ。数ヵ月後、旅先でリディアの死を知るマルコだが、彼にはベニグノが逮捕、収監されているという知らせも齎される。


最後の試合前、リディアはマルコとの別れを決めていた

というわけで、ともに昏睡状態の女たちを愛した事で友情を抱くようになった二人の男と、数奇な運命により、その双方と関わる事になる一人の女を通して描かれる愛の物語。ベニグノの「愛」は彼女を目覚めさせるが、皮肉なことにそれが彼女とベニグノを決定的に引き離す事になる。彼女の目覚めとともに、彼の至福の一人芝居の幕は永遠に閉じてしまうのだ。傍観者のように全てをみつめ、哀しみと愛を共有するマルコ。マルコを演じるダリオ・グランディネッティの哀しげで物憂い目の表情が全編に非常に効いている。かなりの薄毛だが、長身で、看護士の女性たちに「いい男ね」などと噂されたりするマルコ。ワタシはどうも薄毛って苦手なのだが、とりわけ欧州では薄毛でも堂々と男前として認められるという文化があるのは結構な事だと思う。それに、薄毛であることがマイナスになっていない人が多いのも確か。このへんはとにかく一日も早くアデランス!な日本と決定的に違うところだろう。



このマルコはアリシアを一目で魅了するのだが、ベニグノがいかに献身的に看護をし、彼女を甦らせたとしてもアリシアの心を得ることは出来なかっただろう事を思うと、愛の皮肉と不毛を描いた作品でもあるし、一方、新しく人生を生き始めたアリシアに訪れる新しい恋と、結局自分との別れを決意して世を去ってしまったリディアへの失恋に空洞化していたマルコの心を埋めるのも新しい恋である、というところで、人生の再生と恋愛について描いた映画でもある。自ら書いた脚本を、映像詩ともいうべき映像と魅力的な音楽で綴るアルモドバルの「恋愛」に関する物語。滋味深いワインでしんとした酔い心地を楽しむような感覚の残る映画だった。 …アルモドバル。お見逸れしていた。1本だけ見てその作家についての印象を固めてしまわぬようにせねば、と改めて思わされた。

コメント

  • 2009/08/16 (Sun) 15:14
    よいでしょー!アルモドバル

    こちらにもお邪魔します。
    このベグニノ、キモいと思いつつも、
    余りにも献身的なので、許せてしまうんですよね。
    この俳優さん、スペイン映画あちこちに出てて、
    なかなか面白い人なんです。
    カエターノの曲の流れるシーン、私も大好きでした。
    このアルモドバル、クセありだけど、なんとも
    スペインの空気や色彩、温度感を物凄くリアルに
    表現するので、スペイン好きにはたまらない監督なんですよね~。
    ペネロペの”ボルベール”は気楽に見れると思います。
    女性も描くの上手いです。この人。
    私、ジョルディ・モジャ・・・けっこう好きなんです。
    あの根なし草みたいで、ネットリしたところが(笑)。

  • 2009/08/16 (Sun) 20:42
    アルモドバル

    こっちにもありがとう。
    で、アルモドバルはワタシの場合、オールOKかというと作品により感想や印象はバラつきますが、これはとても好きですね。開始早々からいいなぁと思ったわ。acineさんお薦めの「ボルベール」は前に映画チャンネルで観たんだけど、ワタシ的には折々テンション高すぎだったかも(笑)でも、アルモドバルの才能については、これでよく分ったざますわ。うん。カエターノの歌は沁みいる感じね~。あのシーンは全編中の白眉でしょうね。良かったです。「オールアバウト・マイ・マザー」はもう一度ちゃんと観てみようと思ってますわ。で、余談ながらジョルディ・モジャ(モリャじゃないのね)、一応ハンサムの範疇には入るんだろうけど、変った個性の人ですよね。役だけじゃなくあの人自身が相当に変った、クセのある人なんじゃなかろうかという気がします。「マルティナは海」でも、最初は普通に二枚目役で出てくるんだけど、段々面妖な感じになってくるのね。で、妙にスケベっぽいのがまた、あのねっちょりした持ち味と合ってたりして…。acineさんの好みも幅広いなぁ(笑)でも、レスリー・チャンに通じるようなものもちょっと感じなくもない気がしましたよ。自己破滅型が似合いそうなところとか、ね。

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