「インディアン・ランナー」 (THE INDIAN RUNNER)

~メッセージは、捕まらない~

1991年 米 ショーン・ペン監督



ショーン・ペンの初監督作品である本作は、彼が自ら脚本も書いている。前からなかなか良いらしいという噂は聞いていたのだけど、観る機会がなく打ちすぎていたが、このほど映画チャンネルにて観賞した。この作品は何と言っても、若くてロンゲで危うくて不気味なヴィゴ・モーテンセンありきの映画だが、彼の存在をより際立たせているのは堅実でまっとうな兄を演じたデヴィッド・モースの懐深い安定感である。この兄弟の父役で、老人になったチャールズ・ブロンソンが顔を見せる。ブロンソン登場で、ワタシのこの作品への印象は格段にアップした。その他、被害者になるためだけに登場するようなデニス・ホッパーも出演シーンは短いのに存在感は強烈。さらにヴィゴの彼女を演じるパトリシア・アークェットも上手い。美人度は姉ロザンナの方が上だが、演技力は妹に軍配が上がる。ヒーローの兄とアウトローの弟。構図が些か図式的過ぎるキライはあるが、ひと口には語れない兄弟の関係というものを描いてみせた手腕は、さすが、やんちゃくれでも才能のあるショーン・ペンならではだと思った。

この手の兄弟物のお約束として、兄と弟は全く似ていない。同じ両親の元からここまで違う系統の顔が出てくるかしらんという程に似ていない。荒ぶる魂を持て余す弟・フランク役はショーン・ペンが自ら演じても良かったような気もするが、ヴィゴのセクシーさには欠けるため、ここまでプラスαの魅力が付加される事はなかっただろう。元から町のワルガキだったフランクはベトナムから無事に帰還したものの、時折むらっと湧いて来る凶暴さを自ら制御できない。ヴィゴのフランクは帰還兵としてきちんと髪も切っているのに、登場した瞬間から何か厄介事を起こしそうな、尋常ならざるものをその表情に浮かべている。ヴィゴは男前なのだが眉毛が薄いせいか、ちょっとずるそうな小悪党っぽい感じに見える事が多い。演技力があるのでまっとうな小市民を演じる時にはその様にもちゃんと見えるのだけど、制御不能な自己を抱える危うい男などを演じる場合には、禍々しいまでの何かがたちこめる。そんな危ういダークヘアの弟に対して、兄はとうもろこしのような毛をした大男で、よんどころなく農夫を辞めて警官になった。誠実で温厚な兄を演じるデヴィッド・モースもいい俳優。警官を演じる事が多いような気がしているのだけど気のせいだろうか。彼のメキシカンの妻を演じているヴァレリア・ゴリノはこの頃ちょっと売れていた女優。「レインマン」ではトムちんの彼女を演じていた記憶がある。


ヴィゴとヴァレリア・ゴリノ


まっとうで懐深い兄ジョー(デヴィッド・モース)

兄は内心厄介だとは思いつつも、昔、庭で転げ回って遊んだ幼い弟のイメージが脳裏を離れず、問題児の弟の帰還を暖かく迎える。弟は戦場から戻るとすぐに兄の元を訪れるほどに兄との絆は深いが、両親の待つ家には戻らずに姿をくらましてしまう。そして、ちょっと目を離すと刑務所に入っていたりするのである。刑務所の中でも何かがふと癇に障ると、同房の囚人を踏んだり蹴ったりして、歯止めがない。出所の知らせを受けた兄は3州を跨いで車を飛ばして迎えに行くが、弟にはガールフレンドが迎えに来ていた。ガールフレンドのドロシーを演じるのはパトリシア・アークェット。セシールカットなみのベリーショートのブロンドで、フラワーチルドレンっぽい空気感が出ていた。突如奇声を発したり、好奇心が旺盛で風変わりなドロシーを地のように演じていたが、ドロシーは典型的ダメンズで、ダメと知りつつフランクにどっぷりと惚れてしまって、時にサディスティックに当られても、フランクが好きで仕方が無い。パトリシア・アークェットは「どうしようもなく惚れちゃっている」という感じをうまく出していた。また、ヤバい感じになっていない時のフランクはいい男で優しくもあるので、ドロシーはその場で溶けてバターになりそうな程にウットリと見つめたりしてしまうわけである。惚れた方が負けなので、これはもうどうしようもないですね。


パトリシア・アークェット マコーレー・カルキンにも似ている

弟フランクの帰還と入れ替わるように、両親は相次いで世を去ってしまうのだが、父を演じるブロンソンは、出番は少ないもののやはり上手いというか、味わいのある演技だった。このオヤジさんにブロンソンを持ってくるところに演出家としてのペンのセンスが光っている。老いたブロンソンは髪が白くなったせいか、老人になってからの方が白人に見えるようになった。目は薄いモスグリーンなので、髪が白くなると彼の特徴だったアジアンかネイティヴ・アメリカンのようなムードは薄らいで見える(実際は東欧系でリトアニア移民の家系)。ワタシはなんとなくチャールズ・ブロンソンという俳優が好きだ。無骨なチャウチャウ犬みたいな顔をしているのだけど、何故かフランス映画が似合ったりもする。「雨の訪問者」「さらば友よ」なんてどちらも本当に忘れがたい。イタリア映画では何と言っても「狼の挽歌」。愛妻ジル・アイアランドも美貌の盛りだし、あらゆる意味で魅力的な映画だった。一応、「バラキ」や「荒野の七人」なども忘れちゃいけないでしょうね。ブロンソンは孤独な一匹狼が似合うのだが、ふてぶてしく厚かましいが不思議な愛嬌があって憎めない男というキャラも似合った。壮年?晩年のヒットシリーズには「狼よさらば」に端を発するポール・カージー・シリーズがある。日本では70年代に一世を風靡した「マンダム」のCM以来、熱狂的なファンも多いらしい。熱狂的ではないものの、その味わいにおいてブロンソンは捨てがたい、とワタシも思っている。爺さんになっても静かに筋を通す男などを演じさせるとピカイチだった。この作品でも、そういう面が上手く活かされていたと思う。


男臭いといえばこの人だったブロンソン 老いても味わいがある

この父が亡くなって、弟は父の家に戻ってくる。妊娠したガールフレンドと結婚し、橋梁工事で溶接工として働く。人並の幸せを手に入れようと思えばできるのだが、ずっとマトモでいることができない。ガールフレンドを可愛く思っているし、兄貴の事も愛している。オヤジの残した家もある。だから、まっとうに働いて平穏な日常を過ごしていけばいいのに、どうしてもずっとそれを続ける事ができないフランク。
ある日彼は、夕食を食べていて、突如トカゲのような目つきになり、サディスティックに妻をいびり、家を出て酒を飲み、バーで暴力事件を起こす。彼の中で騒ぐ虫がずっと黙っていられないのだ。どっちへ行けばいいのか分かっているのに、そのままずっと平和に歩いて行く事ができないのである。女房と子供を持って、家庭に縛られて生きていく自分に耐えられなくなってしまうのだ。それまで日夜働いて妻をかわいがり、なんでもなく日々を過ごしていたのに、突如、彼の中で世界が変り、そういう自分、そういう人生にガマンすることが出来なくなる。ステーキを食べながら、サイコパスのような目つきになるシーンのヴィゴは不気味さ全開。そこに座っているのはドロシーのよく知っているフランクではない、全くの別人なのだ。


トカゲのような目つきのヴィゴ

荒れ狂いの虫が収まるとまっとうな部分が目を覚ます。父母の葬儀に出ず、あれこれと問題を起こした事を兄に泣いて詫びるフランク。まっとうな家庭で、兄と同じように育ったのに、何が彼を荒れ狂わせるのか。しかし、彼自身にもそれはどうしようもないのである。その中で彼自身もあがいているのだという事が、兄にも分かる。弟は苦しんでいる。ひどく、苦しんでいるのだ、と。


兄は弟がもがいている事を知る

フランクの中では、子供の頃に父親から聞いた話が深く残っている。それはインディアン・ランナーの話である。兄弟の家のあったあたりは昔は森で、近隣の部族の使者(インディアンランナー)がその中を自在に駆け抜けていた。森には狼もグリズリーもいる。が、使者はけっして食われない。時間と空間を越え、使者はメッセージとなる。狼も熊もメッセージは食えないのだ、と。フランクは復員した時から、町でインディアンの男を見かけるとその姿をじっと見つめている。彼の内側で、殊に戦場において、父のこの言葉が強くこだましていたのかもしれない。が、しかし、フランクの荒ぶる魂に、あまりベトナム帰りだという部分は強く影響していないように見える。ベトナムに行こうが行くまいが同じこと、彼は結局そういう人生しか歩く事はできなかったのだ、という気がする。彼がなりたいのは温和な家庭人などではなく、風のように駆け抜けて行くメッセージ??インディアン・ランナーなのである。

かつては兄のものだった農地の、枯れたとうもろこし畑の中を兄弟は追いかけっこする。捕まえてみろ、俺はメッセージだ、という弟を追いかける兄。弟は足が早く到底捕まえる事はできない。枯れた畑の中でじゃれあう兄弟にはうっすらとホモ・セクシュアルのニオイもする。何はともあれ、男に対しても女に対しても、ヴィゴの危険なセクシーさはふんだんに放出されているのだ。父の家で泥酔するシーンでは気前よく全裸も披露する。ヴィゴはダニエルに負けず劣らずよく脱ぐ(脱がされる?)俳優だ。


葬式には現れず、父の死を泥酔の中で受け止めるフランク

ラスト間際に酒場のオヤジでデニス・ホッパーが登場。いわゆる友情出演的なノリだが、ほんの少しの出番の中でもデニス・ホッパー全開である。フランクに暴力を振るわれるためだけに登場するような役を面白がっている様子が窺える。その他、若いベニトロ(ベニチオ・デル・トロ)が凄いチョイ役で一瞬だけ出ていた。軟体動物のような動きをしてあっという間に画面から消えて行った。

かなり重い映画で、親子や兄弟の絆は文字通り「血」によって表現される。父の血、そして兄の血。ラストはもっと重い結末も想定されたが、兄は弟がインディアン・ランナーである事をそれより前に認めている。メッセージは、捕まえる事ができないのだ。そして兄の中では、どんな罪を犯そうとも、弟は遠い昔に庭でじゃれあって西部劇のマネをしていた幼い可愛い弟のままなのである。確かに、仲のいいきょうだいというのはそういうフシがある。ワタシにも弟がいる。弟はもう立派な大人で妻もいるが、二人で話していると無意識に子供時代の気分に戻る。ワタシの中でも、どこかしらで弟はいつまでもG.I.ジョー人形を握って「遊んでよ?ぅ」と後をついてきた小さな弟のままである。

シリアスなテーマを扱う事では俳優兼監督の先輩としてイーストウッドが最右翼だろうけれど、ワタシは監督としてはショーン・ペンのフィーリングの方が好ましく感じる。この脚本をイーストウッドが撮ったら、もっとずっと救いのない物語になっていたんじゃなかろうかと思うのだけど、どうだろうか。ショーン・ペンと言えば、別れるのか復縁するのかスッタモンダしていたロビン・ライトと、このほど遂に離婚が確定的になる模様。ロビン・ライトもあれこれと大変だったのだろうな。ショーン・ペンは独身で勝手に生きて、思うさま仕事をし、思うさま遊んだ方が良さそうな気がする。誰よりインディアン・ランナーでありたいのは、ペン自身のようにも感じた。

コメント

  • 2009/08/25 (Tue) 13:57

    ご贔屓のショーン・ペンの初監督作品、ということで、大いに期待して見に行きました。思いもしなかった暗くシリアスな映画でほんとに驚いたんです。ショーンってこういう人なのか、とイメージがすっかり変わりました。お兄ちゃんのデイヴィッド・モースが唯一の救いで、それにしても見るのが大変つらい。ヴィゴもとても怖くて、今の彼からは想像も出来ません。次の作品も、その次のも、とことんシリアスで、繰り返して見る気持ちにはなっていません。「イントゥ・ザ・ワイルド」で、ちょっとなごみましたけどね。こんどこそ、離婚きまるんでしょうか。

  • 2009/08/25 (Tue) 23:33

    そういえばペンの映画はどれもシリアスで重いですよね。マトモに観たのはこれだけかも。(笑)でも、ワタシはこれ、悪くないなと思いました。自発的に観る(映画館へ行く、またはDVDを借りる)事は無かったと思うので、たまたま流れて来たのを観て「ふぅん」という感じでした。この映画のヴィゴはかなりキテますね。いかにもヤバイです。暫くまともにやっていると思ったらある時にふいに彼の中で何かが反転する。それを自分でどうにも出来ない、そういう感じがよく出てました。  で、ペンとロビンは今回はやはり別れるんじゃないでしょうかねぇ。あのロビンの窶れっぷりをみるとお互いにその方がいいのかも、という感じがしまするわ。(余計な世話だけど)とか言ってたらまた復縁したりして(笑)

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