「北北西に進路を取れ」 (NORTH BY NORTHWEST)

~広告マンにしては演技達者なのね~

1959年 米 アルフレッド・ヒッチコック監督



この映画については随分前に録画した吹替え版の劣化したVHSがあるきりだったので、そのうちデジタルリマスターで放映されるであろうと、待つともなしに待っていたら8月に放映されたので、ひとまず捕獲しておき、この程久々に観賞した。有名なソウル・バスのタイトル・デザイン(やはりいつ見てもシャープで斬新。50年前の作品だが一向に古びない)に、バーナード・ハーマンの音楽と、全盛期のヒッチタッチで展開していくサスペンスをうふふん、と楽しんだが、改めて見直してみると案外突っ込みどころも満載だったりして。



ソウル・バスのタイトルデザイン

巻き込まれ型サスペンスの代表作と言われる本作。ふとした事から他人と間違われた男が、アレヨと言う間に国際陰謀に巻き込まれ、殺人犯にも仕立て上げられそうになりつつ、謎の美女とも関わりながら窮地を脱っそうと奮闘する姿を描く、というわけで、ケイリー・グラント、お得意のサプライズ・ルック(オドロキの表情)連発で、マザコンゆえに?二度も結婚に失敗して独身の広告マン、ロジャー・ソーンヒルの受難をコミカルな味を混ぜ込みつつ演じる。このソーンヒル。いい年ぶっこいてとてつもないマザコン。何かといえば「母に電話する」と言って母親に電話をするのだが、そもそも「キャプラン」なる人物に間違われたのも母に電話をするためにボーイを呼んだのがバッド・タイミングだったから。いい年してマザコンなのは命取りであるというほのめかしがあるのかどうなのか。(そういえば、ヒッチ自身も強烈なマザコンだったらしいけれど)


いつも余裕の涼しい顔で奮闘するケイリー・グラント

ケイリー・グラントの母を演じるのは、ブルジョアの我儘でユーモラスな奥さまをこの頃よく演じていたジェシー・ロイス・ランディス。(「泥棒成金」ではグレース・ケリーのユーモラスなブルジョア母を演じていた。)何が起ころうと泰然としてほがらかで冗談とも本気ともつかないノンシャランな事を言っている母役は適役だが、ケイリー・グラントと並ぶと親子というよりは夫婦か姉弟のようにしか見えない。



マザコンの倅という設定にはケイリー・グラントはちょっと年がいきすぎっちゃっているような…。でも、「シャレード」の時よりは若いし、細身ですらりと長身で身のこなしもスマートだし、やはり昔の大スターというのは洗練の度合いが違うなぁと確かに思う。今、ケイリー・グラント的な役をやるとしたらジョージ・クルーニーあたりになるのだろうけど、やはりどうもね。ソフィスティケーテドされ具合が違うわねぇ、という感じになるのだろうな…。この映画では、ケイリー・グラントの見せ場満載。酒を浴びるほど飲まされて崖道を運転させられるシーンの百面相は愛嬌と味があってスター芝居の極地だが、

 ケイリーの百面相

撮影現場の様子を思い浮かべると余計に笑ってしまう。昔はリアウインドウごしの背景映像をバックに、運転台のセットの前にカメラを据えてハンドルを切ったり会話をしたりの芝居をしたわけだけど、周囲で沢山のスタッフがみている中で一人、運転台のセットに座って酔っ払いつつ危うくカーブを曲がったりする百面相芝居をしているケイリー・グラントを思い浮かべるとなんだか余計に笑ってしまうのだ。(まぁ、そのへんのところは昔も今も同じなんでしょうけどね)
とにかく乾いた中世部の道路で思い切り土埃にまみれたり、枯れたトウモロコシ畑で農薬をまぶされたり、ケイリー・グラントはけっこうエライ目に遭いつつ奮闘している。やっているフリだけでもけっこう大変だったろう。さほど若くもないのにご苦労さんである。俳優はつくづく体が資本の商売だ。

この作品は、乾ききった遮るものもない中西部の道を飛行機で追われるシーンやら、マウント・ラシュモアでの追いつ追われつを大詰めに持ってくる娯楽性などでいやが上にも有名なのだけど、キャストも、それまでどちらかといえばお堅い学校の先生みたいだったエヴァ・マリー・セイントがこの作品ではヒッチ好みの「上品なコケットリーのあるミステリアスなブロンド美人」にちゃんとなりおおせているところや、ただの広告マンを伝説のスパイと間違えて誘拐したり殺そうとしたりする敵役・ヴァンダムをジェームズ・メイスンがハマリ役の余裕で悠然と演じているのなどもみどころ。ジェームズ・メイソンのヴァンダムと、ケイリー・グラントのソーンヒルが互いにイギリス訛りの英語でやりとりをするのもなんとなくニヤニヤする。穏やかな物腰で上品だが油断も隙もなく冷静で冷淡、なキャラのわりに惚れた女にどうも弱いところが玉に瑕だったりするヴァンダム。彼の参謀で影の形に添うごとく常に寄り添っている腹心の部下の役でまだ若かったマーティン・ランドーが出ている。メイスンとランドーの主従関係にはどことなく部下が主人を思う心にホの気配がそこはかとなく漂う。「あの女は最初から信用できないと思ってたんです!」なんて詰め寄ったりもする。うふふん。大事なご主人様を怪しい女に骨抜きにされて腹立たしいのよねん。


マーティン・ランドー(左)とジェームズ・メイスン

殺人容疑をかけられたソーンヒルが逃げ込んだ列車で出会う謎の美女イブ・ケンドール(エヴァ・マリー・セイント)。ちょっと前に通路で会ったばかりなのに、次の食堂車の会話でもう10年の知己みたいに余裕の会話をかわすのだが、このダイアローグなどはいまどき死滅したハリウッド式ソフィスティケーションというやつであろう。聞いている方が気恥ずかしくなるような「小粋」さや不自然な余裕やなれなれしさが適度にまぶしてあるのがポイントだ。


エヴァ・マリー・セイント

そこで突っ込みポイントだが、まず、ヴァンダム側がロクに確認もしないでソーンヒルをキャプランと間違える下りもなんだか単純すぎやしないの?という感じだし、ソーンヒルが目の前で刺された男の体から衆人環視の前でナイフを抜き取ったりするのも、そぉんな事しないでしょ普通。何も触らないですみやかにその場を去るでしょうよ!と突っ込んでしまう。何より一番の突っ込みどころはケンドール女史が海千山千の女スパイかと思いきや、ヴァンダムの彼女だったのが男の所業を聞かされて正義感に目覚め、危険なスパイ活動に手を染めた、という設定。ズブの素人が何の訓練も受けずにいきなり巧妙なスパイ活動なんかできるもんかよ!って感じである。しかも仕事とあらば体を張ってソーンヒルを誘惑もする。何食わぬ顔でシレっとしながら罠にはめて殺そうともする。ちょっと前まで素人だった女がつるりとそこまで出来るわけないじゃんかよぅ、と観ていて、ふふん、とつい鼻を鳴らしてしまうわけである。また、大詰めのラシュモア山を下りつつ追っ手に追われるシーンでは、ケンドール女史はタイトスカートにハイヒール、バッグまで持ったまま大統領の彫刻の脇を降りようとするのだけど(靴は途中で脱ぐし、バッグは早々に手放してしまう)いくら緊急事態だって、あんな格好で顔彫刻の脇を女が降りられるもんかよ!と思ってしまうわけである。だって岩肌ですぜ。どうせ娯楽サスペンスなんだからそんなところに突っ込んだってしょうがないのだけど、なんだか突っ込みたくなってしまうのだ。


そりゃ滑っちゃうわよ、当たり前じゃない

ラストはおきまりの大団円で、超マザコンのソーンヒルも危難を潜り抜けてやっとお気に入りの伴侶をみつけてメデタシ、メデタシというわけだが、あんな特殊状況下で結ばれてしまうと、その後の退屈な日常の中ではあっという間に互いの輝きも消えてしまって、すぐに浮気だ離婚だという騒ぎになっちゃうんじゃないのぉ?などと最後に余計な突っ込みを入れつつも観賞を終了した。

なんだか意外と突っ込みたくなるポイントが多いなと思いつつも、冒頭のタイトルバックから。途中、逃げ去るソーンヒルを俯瞰で捉えたシーンまで、国連ビルが視覚的に面白い効果を出していた。

コメント

  • 2009/09/10 (Thu) 02:46

    これ、もともとはゲイリー・クーパーで撮る予定だったみたいなんですよね。「海外特派員」を蹴ってしまって後悔したクーパーは、ヒッチコックと組むことを希望していたし、ヒッチコックはどうしてもクーパーを使いたかったんですよね。でも、結局クーパーは出られませんでしたが。まあ、この手のアクションは年齢を重ねたクーパーにはキツかったと思いますしね。それにこのコミカルさ加減はケイリー・グラントならではだと思います。そして、もし今撮るならジョージ・クルーニーというkikiさんの意見にも納得ですね。

  • 2009/09/10 (Thu) 22:24

    mayumiさん。これには当初クープが出る予定だったんですか。へぇ~、それは初耳でした。ケイリー・グラントとクープはさして年齢的には違わないんでしょうけど、1959年には彼はもう具合が悪くなりかけてたかもしれませんからアクションはきつかったでしょうし、クープが演じるとなるとケイリー・グラントとはまた違う味わいの映画になったでしょうね。もっと硬派な感じの映画になったかも。それはそれでまた面白かったかもしれませんが…。で、昔ケイリー・グラントがやってたような役をやれるかもしれない今どきの俳優としてはやっぱりジョジクルぐらいしか思い浮かびませんわね。「泥棒成金」あたりのリメイクなんかちょうどいいかも。軽~いノリで。

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