「恋愛小説家」 (AS GOOD AS IT GETS)

~I love you for sentimental reasons~

1997年 米 ジェームズ・L・ブルックス監督



随分長らく忘れていたのだけど、最近久々に観賞。さすがに12年も前とあらば、ヘレン・ハントもクローズアップに耐えている。公開当時、あまりに評判が良すぎて「それほどのもんでもないんじゃ…」と思ったりもしたが、ヘレン・ハントが演じるウェイトレスのミゼラブルさ加減がいい具合の塩っぽさなのがやはり効いていたし、昔はあまり必要ないんじゃないの?と感じていた隣人のオカマ画家(グレッグ・キニア)も必要がないわけではなかった。それにしても今更に「結婚できない男」(関西TV)はこの作品から骨子をほとんど戴いて来て、うまい具合に焼きなおしていたのねん、とニヤニヤした。薀蓄たれのこだわり潔癖野郎としては亜流ドラマ版の阿部ちゃんの方がいいセンを行っていたし、夏川結衣を相手役に持ってきたのも慧眼だったが、オリジナルもジャック・ニコルソンヘレン・ハントの顔合わせが成功要因の第1でしょね。

何となく拘っている物事が多いタイプの人間が、幸か不幸かお金と時間をもってしまうと、この主人公ユードル氏みたいになりがちかもしれない。お金と時間は余裕の象徴。余裕がないとなんだかんだと些細な事にこだわってはいられない。1回使っただけで皮手袋を捨てたりもできない。それにしてもジャック・ニコルソン。その顔で潔癖症か? と突っ込みを入れたくなってしまうが、偏屈で変人で憎まれ口叩き屋のくせに、内心は小娘もびっくりな夢見る夢子状態。だが作家というのは大なり小なりそういうところがあるかもしれない。ないものねだりが作品を書かせるのだ。林 真理子や大藪春彦の小説をぴらぴらっと捲っていると、主人公はあまねく作家の願望が投影されていて、そこに充満した「かくありたい自分」臭に辟易を通り越して時に物哀しい気分を感じてしまうが、ユードル氏のロマンス小説もまったくもってこの類かもしれない。

この偏屈ユードル先生が、何故か毎昼外食で同じレストランに通うわけだが、何がどうというわけでもないこの店にどうしてそもそも通い始めたんだろう?という疑問も湧いたりする。子持ちウェイトレスのキャロル(ヘレン・ハント)に一目惚れしたからというのでもなさそうだし。彼女はたまたま料理を運んできて、徐々に断片的に話をするようになっただけのような感じである。それも、嫌われ者のユードル氏を担当するのを他のウェイトレスが嫌がったから彼女が料理を運んだだけのような…。いずれにしても、たまたまって事なのだろう。



で、いつもくたびれた感じのウェイトレス・キャロルだが、彼女の状況設定とキャラ設定が妙にリアルで塩辛いのがこの映画の一番いいところかもしれない。健康に問題のある息子を抱え、母親と3人で貧しいアパートで懸命に暮す女という設定は「Dear フランキー」でエミリー・モーティマーが演じていたリジーにも少し被る。キャロルの母親は、病気の息子を抱えて目の下にクマをつくりつつ生活に追われる娘のロマンスを奨励するが、現実はなかなかに厳しい。大体、家の中は生活臭で充満しすぎてるのにデートで男を家に連れてきちゃダメでしょうに。いいセンいってても子供が発作を起こすし、服に息子の吐瀉物を付けたまま男の前に戻ってもムードは取り戻せない。月に4?5回は救急車で運ばれる息子を抱えながら奮闘するキャロルは勤めも休みがちになる。自分の給仕をしてほしいばかりにユードル氏が差し向けてくれた医師があまりに紳士で優秀で優しいので、ふとこんな人が夫だったらと思い、医師の奥さんに嫉妬する自分が嫌だと母親に向かって泣きながらぶちまける。
「私はいつからこんな女に!」って、ヘレン・ハント いいですね、この頃は。
ままならぬ人生を引きずりつつ職場では苦労人の笑顔で厄介な客に対する。ユードル氏に失敬な発言をされてもユーモアをもって笑顔で切り返す。

「君はいくつだ? その目はどうみても50だ」
「まぁ、嬉しいお言葉ね」

いや、ただ目の下のクマが目立つから…、とユードル氏は言うのだが、現在に比べたらヘレン・ハント、まだ全然キレイですわよ。この人は胸の形が自慢なのかもしれないが、とにかくこの作品でも観客はヘレン・ハントの顔より胸に目がいくように仕向けられているような気もする。雨の中をノーブラで走るシーンも有ったりするし。
ただ、あんなに苦しんでいたキャロルの息子がちょろっと良い医者に罹ったらあっという間にサッカーもできる程元気になったのは些か現金すぎるキライも。ただ、アメリカの医療事情は日本よりもずっと命の沙汰が金次第であるというのは、あれこれ映画やドキュメンタリーを観ていると分かるので、案外こういう事もなきにしもあらずかな、と思ったりもする。


この頃はアップにも耐えたヘレン・ハント

「恋愛小説家」といえば犬の演技だが、確かに可愛いけど何かあざといなぁという気もしてしまう。「ボクって可愛いでしょ?」みたいな。まぁ猫よりはいいですけどね。猫だったら偏屈なユードル氏の心を溶かす役には立たない。なにせもう餌を貰う時以外は勝手気儘に生きてるらしいですから猫って。でも実際問題、同居するには猫の方が手間がかからないのだと友人が言っていた。(この友人は知り合いの猫を預かって以来ペットライフにハマっちゃったらしい)うまく放って置いてくれるというか、互いにいい具合の距離感を保てるのだそうで。ふぅん、そうなの。ワタシは犬だったらキョインキョインと啼きたてるちっこいお座敷犬よりも(昔、我が家ではマルチーズを飼っていたけど暁の脱走をキメられた…)、大きくて逞しくてこっちが引っ張られて散歩するようなでっかい犬のほうがいい。でも特にペットを飼いたいという欲求はないのだけど…。



ともあれ、この犬が元の飼い主であるゲイの画家よりユードル氏に懐いてしまうのだが、観ていて、まぁそうかもね、と思うのが不思議である。このゲイの画家は、犬の飼い主であることと、災難にあって故郷に帰る車の旅でユードル氏とキャロルを近づける為に必要なキャラクターなのだが、違う俳優が演じていたらもうちょっと面白かったかなぁなどとも思ったりする。例えばワタシがよくグレッグ・キニアと間違えてしまうR・ダウニー・Jrとか。まぁ、あまりゲイの画家に目が行っても本末転倒なので、これでいいのかもしれないけれど。


ゲイの画家(グレッグ・キニア)とその画商(キューバ・グッディング・Jr)

ドライブ旅行のシーンで、「緊急の場合の音楽」の中に入っているのがナット・キング・コールの「I love you for sentimental reasons」。これは映画のトレーラーに使われていて、この曲に引っ張られてこの映画を観に行ったようなものなのだけど、本編ではちょろっと流れてあっさりとキャロルに打ち切られて終わってしまう。当時はなぁんだ、もっと流せばいいのに、と思っていたのだけど、今観ると却ってあのぐらい短くて良かったのかもしれない。

海辺のレストランで「君のお陰でいい人になりたくなった」なんつってキャロルを感激させ、いいムードになったと思ったらあまりの照れくささに自らそれをぶち壊してオジャンにしてしまうユードル氏。このへんが皮肉屋という宿痾を抱える人間の哀しいところである。もちろんラストはハッピー・エンドですが。



というわけで、大人の寓話を時にユーモラスにしょっぱい味を絡めて描いたコメディ。ワタシはこの映画では、ジャック・ニコルソンよりもヘレン・ハントが良かったと思っているが、この時はまだ従来からのジャック・ニコルソンのラインを保っていた彼が2000年を超えて暫くするとかなり増量し始める。彼が更なる進化を遂げるのはこのあたりからで、薄毛でもデブでも遺憾なくジャック・ニコルソンであり続けているところが凄いなぁと今更に感心してしまうわけである。映画としては「恋愛小説家」の方が好きだが、ジャック・ニコルソン単体としては6年後にでっぷりと太って登場した「恋愛適齢期」の方が良かった気がした。人としてのニコルソンの幅みたいなものも(体の幅とは別に)うっすらと感じたりした。いつまでも恋愛沙汰オヤジばかりではなく「アバウト・シュミット」のような作品でも味わいを出していて、21世紀に入ってもご活躍のジャック・ニコルソン。なんというか、まぁ、大したもんである。

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