「最後の切札」

~前髪パラリの小悪党~

1960年 松竹 野村芳太郎監督


佐田啓二(写真は「最後の切札」とは無関係)

神保町シアターの「男優 佐田啓二」特集(9/11(金)終了)で、一番興味があったのがこの作品。DVD化もされていないし、レア度ではかなりのものである。おまけに後宮春樹に代表される無力な二枚目役や、実直にけなげに生きる庶民の男を演じているのではない、「甘い汗」に代表される第3の佐田啓二が見られるという事でもちょっと楽しみだったのだが、レア作品ながら予想外にもカラー映画だった。この作品での佐田啓二は女好きな小悪党の中年で、偽名を使い分けては詐欺まがいの事をやって小銭を稼いでいる男である。レアな作品だからかどうか、この日も神保町シアターは満席だった。100席しかないとはいえ侮れぬ事である。平日の夜だったので年配の方ばかりでなく幅広い客層で、30代ぐらいな人々がけっこう来ていた。

昭和30年代の映画で昔の東京を観ることも、古い映画を見ることの楽しみの1つ。この映画も冒頭から銀座、花馬車の看板が見えたりする。「花馬車」だの「銀巴里」だのについては、親から話を聞いた事がある。親の時代だからというわけでもないが、昭和30年代の、銀座を初めとする東京の姿を見るというのはとても興味深い。

佐田啓二は冒頭メガネ姿で登場。黒ブチのメガネで涼しい二重瞼が見えないと、やっぱり中井貴一のおとっつぁんなんだなぁと思う。鼻と口元はよく似ている親子だ。メガネの佐田啓二は宮口精二と組んで怪しげな新興宗教をカモろうとしている。脚本は橋本 忍なのでセリフが活き活きしていてテンポがいい。佐田啓二が新興宗教の女教祖の夜の生活について乾いた口調で下世話な事を言うのだが、あの佐田啓二がそういうセリフを言うという事だけでも、なんだか観客は受けてしまうわけである。彼は例によってあの前髪パラリのルックスで、金になることならなんでもやろうという薄汚れた中年男の役を演じているのだが、それなりにちゃんとそういう役のニオイを出している。それでいて、「佐田啓二イメージ」をガラガラと壊すというのでもなく、うまいぐあいに役の幅を広げていて、観客も憂愁の二枚目や、温和な家庭人ではない世知辛い佐田啓二を面白く眺める、という図式が自然と成立している。

新興宗教への恐喝もやれば、女衒のような事もやる。それでいて、素はどこかの下町の商店街の中で洋品店を経営していて、妻も子もある。しかし、妻子やケチな洋品店はいざという時の隠れ蓑に使おうとキープしてあるだけで、彼の気持ちは作曲家を目指すクラブ歌手(桑野みゆき)にある。歌手をアパートに囲っておいて、銀座のホステスや、下り坂の女優や、家出娘やらを裏町の温泉マークに連れ込む。女優や歌手のマネジメントのような事をして、TV局に売り込み、ピンをはねる。この頃台頭してきたTV局の調子づいている様子も覗える。クラブ歌手(桑野みゆき)はプロデューサーと寝れば仕事を貰えたのに断ってオジャンになるのだが、TV業界の事に仮託して映画が自らの業界について楽屋落ちを見せているような雰囲気も漂う。

佐田啓二演じる小悪党が外であれこれと活動して地元商店街に戻ってくる。この昔の商店街の風景もいい。背後には当時の流行歌であろう島倉千代子の歌などが流れている。商店街では隣近所の顔なじみから声をかけられ、調子よく挨拶を返す。店に戻ると品物の値段に難癖をつける客を言葉巧みにまるめこんでデパートより高いシャツを買わせてしまう。そろばんを弾く抜け目のない佐田啓二。なかなかいいざます。ふふふ。「この世の中を生きていくのは並大抵の事じゃないんだ。ありったけの知恵を絞ってかからなくちゃならない戦いなんだぜ」と店の小僧に人生訓を垂れる。田宮二郎がやりそうな役を佐田啓二がやっている。その落差が面白くて、意外に達者に小悪党を演じる佐田に観客も思わず受けてしまうのである。

季節は夏。暑い暑い夏である。多分34度から36度ぐらいはあるという設定だろう。昭和35年の東京に、まだまだクーラーは普及していない。霧吹きで汗を吹き付けてでもいるのか、佐田啓二は常に額の生え際やこめかみに玉のような汗をかいている。女優たちも汗をかいている。野村芳太郎のリアリズムである。佐田啓二が女を連れて銀座の裏町を歩くシーンがある。ロケで、セットではない昔の銀座の姿がちらりと映っていた。裏町の裏通りで女を連れ込んだサカサクラゲの部屋の畳も湿気でブヨブヨ。暑さが画面から滲み出してくる感じである。

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昭和30年代の銀座四丁目交差点あたり

日本映画好きにはたまらない脇役陣。新興宗教の理事役で加藤 嘉。いかにも人格者のような顔で教団を大きくするためには手段を選ばない男を涼しい顔で演じていた。また、秋刀魚みたいな顔で詐欺の片棒を担ぐ男に前述の宮口精二。教団の事務員で殿山泰治も顔を見せる。また、ターゲットとする新興宗教から分派した教団の狂信的な信者役で三井弘次が登場。セリフをしゃべっている俳優の後ろでいっちゃった目つきでお題目を唱えているだけなのだが、ワタシも、隣の席のおじさんも三井弘次に受けてしまった。その他、教団が殺人を隠蔽した証拠を掴もうと、殺された男の墓をあばきに行く(これが最後の切札というわけ)佐田啓二が雇う人足の二人組で西村 晃と小池朝雄が出てくる。この二人が誰だか分った途端に、あちこちで笑いが漏れた。みんな日本映画好きなのだね。うふん。小池朝雄などは本当に若くてまだボクちゃんて感じ。でも二人よりもシャキっとして若く見える佐田啓二に人足たちが「おじさんよ?う」と呼びかけるのには違和感があった。おじさんじゃないわよ。
墓をあばきに行くというのに佐田啓二の衣装はカンカン帽に白いスーツに白い靴。これも野村芳太郎の狙いなのだろうけど、何を狙おうとしていたのか何やら不自然な感じがした。なお、穴の中へ落とされた佐田啓二が瞬きをしていたので、最後のドンデンがあるのかと思っていたが、やはりそれは無いんでしょうね。ケチな大望を持った小悪党も一巻の終わりで、香港へは行かれなかった、という事なのだろうが敢てあのまばたきのカットをそのままにしたのは生き延びた可能性を匂わせようという事だったかも。でも、あまり必要ない感じだ。

佐田の小悪党が執着するクラブ歌手を演じた桑野みゆきは戦前のモガ的美人女優・桑野道子の娘。母の桑野道子は子宮外妊娠で30歳にして世を去った。桑野みゆきは「青春残酷物語」などで売れっ子になったが、1966年に結婚してあっさりと引退した。ファニーフェイスに長い手足の日本人離れしたプロポーションは今でもファンが多いようだ。さっとスターになり、さっと引退した賢い身の処し方も良かったと思う。

 
桑野みゆき(左)と母・桑野道子

佐田啓二は基本線は人柄のいい、温厚な二枚目というラインなのだが、こういう小悪党や色悪を演じても、前髪パラリのままそれなりにこなすところがただの二枚目じゃない懐深いところである。大体「君の名は」は「冬ソナ」を馬鹿にできない全くのメロメロメロ・ドラマで、佐田啓二が出ていなければ到底観終える事は出来なかったシロモノなのだが、これぞまさにつっころばしの二枚目だなぁと思いつつも、自分で勝手に不幸になった真知子に散々迷惑をかけられ、振り回される姿が憂愁に満ちていて、切なく額に垂れ懸かるその前髪に免じて、なんだかなぁ、と思いつつも最後まで観てしまったりするわけである。この春樹ラインを踏襲する「京化粧」の二枚目も良かったが、「自由学校」のアプレなボクちゃんや、「甘い汗」や「最後の切札」の小悪党の佐田啓二も光っている。佐田啓二は交通事故により37歳で亡くなってしまったが、彼の40代、50代の作品が観てみたかったなぁと、改めて様々な可能性を秘めていた俳優の夭折を惜しんだ。

コメント

  • 2009/09/16 (Wed) 14:58

    この映画、まったく知りませんでした。主演が佐田啓二でなければ、完全にB級映画ですよね。いまさらにフィルモグラフィーなどを見ると、1960年にはなんと10本もの映画に出演しています。当時は二本立てが普通で(地方だけの話かもしれませんが)、しかも私の記憶では一週間か10日代わりで上映していような。しかし、凄いキャストですね。おお、三井弘治、小池朝雄、宮口精二、贅沢なもんです。松竹ヌーベルバーグといわれた映画が作られ始めた頃ですね。懐かしいな。
    佐田啓二、色悪ですね。「四谷怪談」の田宮伊右衛門もやれたかも。ほんとに中年、老年になった渋く美しい佐田啓二を見たかった。

  • 2009/09/16 (Wed) 22:24

    たむさん、それがね、B級って感じでもないんですよ。脚本が橋本 忍で監督が野村芳太郎だけに、B級という感じじゃなくサスペンスとして小粒なので小品て感じでしたね。でも、その小粒さ加減が小味な感じでまたよかったです。こういう観た事もない古い作品をデジタルリマスターのキレイな映像で観られるというのは幸せな事ですね。生まれる前の映画がきれいな映像で楽しめるなんてね。また劇場にいる100人はまぎれもなく佐田啓二ファンで日本映画好きじゃないですか。そういう空気感もシンパシーがあっていいんでしょうね。家でリラックスしながら好きな映画を観るのもいいけど、こういう共感のある状況で観るのも悪くないな、と思いますね。新作系のミニシアターに行くと、たまに隣にウザい男に座られたりして鬱陶しくて映画に集中できないというツイてない時もありますが、今回はほんと、いい感じで映画を楽しめました。

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