スーダラ節は永遠に  植木さんフォーエバー

いつかこの日の来ることは、覚悟しながらも密かに懼れてはいた。昨今公けの場に姿を現されることが減って、数年前から体調は好ましくないのかな、と密かに心配はしていたのだけど…。遂に、この日が来てしまった。植木 等さんが27日、80歳で永眠された。思えば最後に植木さんらしい植木さんをドラマで見られたのは「ビッグ・マネー 命の沙汰も金次第」(TBS)だったかもしれない。これは石田衣良の「波の上の魔術師」のドラマ化で、植木さんはかつて兜町で一世を風靡した伝説の相場師。弟子と見込んだ若者(永瀬智也)に相場師としての技と気構えを伝授し、彼を巻き込んで生涯最後の大相場を張る老人の役だった。その時でも既に植木さんとしては声に力がないなぁという印象は否めなかったけれど、それ以外は広くコンセンサスのとれた植木さんのイメージを上手く生かした役柄で、植木さんご健在で何より!とその姿を見たいがためにこのドラマを観ていた。ドラマ自体も面白く、原作をうまくドラマ化していたと思う。再ブレークした植木さんが低迷する紅白歌合戦に出て、「スーダラ伝説」を晴れ晴れと歌いきり、そこでだけ最高の視聴率を上げたというのもついこの前のことのような気がするけれど、もうかなり前のことになるのだろうか。全く月日の流れるのは早い。



ワタシはかなり久しい昔から植木さんのファンだったので、再ブレークの前にテレビ出演している植木さんをけっこうチェックしていたのだけど、記憶に残っているものにバブルの産物ともいえるトーク番組「Ryu's Bar」に出演した回がある。村上 龍がホストというだけでもかなりの無理を押しとおした観のあるこの番組だが、アシスタントに岡部まりがついて、JTの一社提供で悠長にやっていて、今振り返るといかにもバブルな時代の風が背景に吹いていたなと思う。ゲストも村上 龍の強い思いでロバート・デニーロが出た回もあったし、岩下志麻が出た回もあったし、ゴージャスなゲストが登場することも多くてワタシは岡部まりがアシスタントをやっていた2年間は毎週日曜の夜、楽しみに見ていた。(岡部まりは「キレイなお姉さん」的存在としてカルトな人気があり、わたしも「カジノ」のオーシャンクラブ受付嬢と同じような意味合いで岡部まりが好きだった。周囲の男子が彼女のファンという手合いが多かった事もあって、ゲストがつまらない回は岡部まりをもっぱら見ていた。)オープニング・テーマがバド・パウエルの「クレオパトラの涙」で、今でも曲の出だしの軽快なピアノを聴くと、かつての日曜の夜の「Ryu's Bar」を思い出す。これに熱烈な村上の要請に応えて植木さんが出演したのだけど、再ブレーク前で、少し過去の人という色彩の強かったその頃の植木さんは、かなりとつとつとした話し振りで「スーダラ節」を歌うことになったキッカケや、抵抗感があったのをどう振りきったのか、などをゆっくりと語られていた。村上 龍もあの調子でしゃべりは上手くないし、いつにも増してかなりトツトツとした回だったなという印象なのだけど、植木さんを好きな人が放送業界など業界関係者に沢山いて、そういう人たちの熱が植木さんの再ブレークの気運を自然に盛り上げていったのかな、というのはこの村上 龍の様子を見てもなんとなく察しられた。再ブレークして以降はずっと、植木さんはもう一切の説明の必要もない、「あの植木さん!」というエターナルな存在でありつづけた。小学生の時にTVで「無責任シリーズ」を観て以来の植木さんファンだったワタシは中学の学園祭で、クラスの出し物に「植木さん映画のリメーク」を提案してクラス中をシーンとさせた過去を持つ。その頃、ワタシの同級生で植木さんを知っている子など一人もいなかった。まぁ、それが普通なのである。知っていたワタシが異常なのだった。が、再ブレーク後は自分より若い人にも植木さんの話がすぐに通じるようになり、スーダラ伝説を聞きながらまさにご同慶の至りだなぁとワタシなりの理由で寿いでいた。

植木さんはついに天国へと昇ってしまわれたが、80歳というキリの良さ、ほどよい長さの人生も、植木さんらしい感じがする。葬儀は密葬にしてくれ、と言い残されたのもなにがなし植木さんのお人柄を偲ばせる。
植木さん、晴れやかな笑顔と歌声をありがとうございました。今後とも「いつも心に植木さん」で生きてまいる所存でございます。感謝を込めて一声叫ばせていただきます。 植木さんフォーエバー!

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