「空気人形」

~生命ってなに?~

アスミック・エース 是枝裕和監督



是枝裕和監督が「ゴーダ哲学」をどう料理するのかひそかに楽しみだった本作。
面白かったが感想を書くのは難しい映画だった。なんだか纏まらない。纏まってから出せばいいに、と思われそうだけど時間がたつともっと書けそうもないので纏まらないまま書いてみることにした。


業田良家の漫画はあの「自虐の詩」以外には読んだ事がないため、この原作も未読。
だが、映画を観ていてところどころ、あ、ここはいかにもゴーダ・テイストだな、という部分は感じ取れた気がする。

冒頭、空気人形の持ち主であるファミレス店員の中年男・秀雄(板尾創路)がくたびれきった顔で乗っているのはゆりかもめ。ゆりかもめで帰っていくのはうらぶれた古い二階建ての家だ。板尾、顔のくたびれ具合がいい。彼を無言で待つのはメイド服を着た「のぞみ」。一人暮らしの中年男・秀雄は黙って自分の話を聞いてくれ、黙って自分を受け入れてくれる空気人形の「のぞみ」と満足そうに暮している。生な感情の軋轢を避け、自分に都合のいいバーチャルな関係を自在に構築できる空気人形との生活に不足を感じない秀雄。 だが、空気人形はある日ふいに「心」を持ってしまう。


空気人形

というわけで、この秀雄を筆頭に、彼の近隣住民がそれぞれに抱えている「孤独」がさりげなくちりばめられている。準引きこもりで過食症でゴミの山の中で暮す東北出身の女や、メイドさんに欲情するオタク青年、日々、事件や事故をメモに書きとめ、近所の交番に報告に行くのを日課としている老未亡人(富司純子)、対岸に高層マンション郡の見える空き地のベンチでひがな時間を潰す老人(高橋昌也)、派遣の小娘に仕事を奪われるのを懼れる美容オタクの中年受付嬢(余 貴美子)などなど…。このへんの隣人描写もさりげなくちりばめられていて、日本の今ってこうでしょう?こんな感じの人っているでしょう?というベタな世相斬りの押し付けがましさは極力抑えられている。けれども、登場人物がそれぞれに抱える孤独はしっかりと伝わってくる。

板尾の中年男が人形に話しかけつつ愛しそうに人形と交わるシーンは妙に生々しい。生身の女と関わって疲れたくない、という出発点から、もはや「生身の女と関われない」というところにまで来てしまった男の究極の自己満足ワールド。一方、「心」を持ってしまった彼の空気人形は、日中、メイド服を着て町へ出て、レンタルビデオ店の店員・純一(ARATA)に一目惚れしてしまう。彼に心ときめく一方、これまで無条件に受け入れてきた秀雄の愛撫に嫌悪を感じる。
それもこれも、(持ってはいけない)心を持ってしまったがゆえ。
が、秀雄の前では無機物になりきる空気人形。迷惑であっても、持ち主を払いのけたりはしない。
使命に忠実なのだ。



私は空気人形。性欲処理の代用品です。
私は空気人形。流行遅れの安物です。

という空気人形のモノローグが適宜、効果的に挿入される。
このモノローグに強くゴーダ・テイストが感じられる。

なぜ、この空気人形が突如、心を持ってしまったのかはさだかではないが、ビニールの空気人形から感情を持った存在へと移行した、無機物と有機物とのあやうい境界に位置する空気人形を演じたぺ・ドゥナが秀逸。まばたきをしても人形のように見える前半から、純一に恋をして人形臭が殆どなくなる後半まで、独特の存在感で映画の世界を支える。この映画はぺ・ドゥナありき。韓国人である彼女のたどたどしい日本語が、心を持って世の中と関わり始め、何もかもが新鮮に感じられる空気人形の風情にマッチしていた。



そして、空気人形に恋されるビデオ店の店員・純一を演じるARATA。口数少なく、物静かで、諦念のようなものを湛えた雰囲気が良い。そして二人の究極のラブシーンでもある、空気の抜けた人形に純一がおへその空気穴から空気を吹き込む場面は、これまでに観た事のない不思議なエロティシズムの世界を構築していた。このシーンでは、あっという間に体が萎んでいく空気人形が床に倒れて世にも哀しげな目で「見ないで!」と純一に哀願する女心がせつなくもいじらしい。



ただ生きているというだけで中身がからっぽな人間と空気人形とは一体どこがどれだけ違うだろうか?という問いかけや、空気人形は使命を終えると燃えないゴミに、人間は死ぬと燃えるゴミになるというだけの事だ、という人形師(オダギリジョー)のセリフ、また、人が誕生して年を重ね、やがて老いて死ぬという事を知った空気人形が「私も年を取るの」とにこやかに宣言するシーンなど、現代日本に生きる人々の縮図ともいうべき様々な形の孤独や世相の断面を描きつつ、一方で、「生命とは何か?」という哲学的な主題をめぐる多様な投げかけが織り込まれている。

コスプレ臭のするメイド服を筆頭に空気人形のファッションは超ミニのファンシー系で独特のテイストをかもし出しているが、アキバあたりを歩いていても何ら違和感はなさそうだ。メイド服、ビデオ店、フィギュア、空気人形等はコテコテのサブカル・ワールドに直結するものでありながら、独特の空気感でサブカル的コテコテはサラリと交わしつつ、けれどけしてそれらが形骸的に登場しているわけではないという匙加減が是枝監督ならではだろうか。

人形が局部を取り出して事後処理をするなど妙に生々しいシーンや、ラストのゴミ置き場のシーンなども一歩間違うと全く別なテイストの映画になってしまいそうなシーンを内包しつつ、最初から最後まである種の透明感を湛えたタッチで描ききり、匙加減によってはクライマックスからラストでドンヨリと重い観賞感になったかもしれないところをすくい上げているのは、けしてタンポポの綿毛の効果だけではないだろう。その綿毛によって孤独な人々の状況がふいに変わるといったようなわざとらしいオチも周到に避けられている。そこにあるのは、ほんの僅かな空気感の変化だ。



繰りかえし登場する印象的な湾岸の風景。高層マンションと海、川、橋。そして開発されていないゴミゴミとした家の並ぶ一角。高橋昌也(一瞬、鈴木清順かと思った)演じる孤独な老人が「からっぽなのはあんただけじゃない。私もそうだし、この頃ではみんなそうじゃないかね。殊にあのへんに住んでいる連中なんかはみんなそうだろう」と対岸の高層マンション群をさして言うシーンがある。東京ベイエリアの高層マンション群は空虚さのシンボルのように扱われているかに見えるが、是枝監督の目線はステレオタイプにそういう目線でだけベイエリアを斬っているわけでもない。空気人形が水上バスで隅田川を行く楽しそうな様子や、夜のお台場の風景、月島の橋を純一と空気人形がバイクで走るシーンなどに、是枝監督の、新旧が混在するこの不思議なエリアへの興味と淡い親しみのようなものもうっすらと感じた。
ワタシは時折、銀座から築地を通って勝鬨橋を渡り、月島界隈を散歩する。ぽつぽつと灯りのともり始める夕暮れから夜に至る川と橋と高層ビル群の眺めというのは、ある種独特の風情があって面白い。背景の雲の色と、その雲の色を映すビルの窓や壁面の色合いなどもその時々に表情を変え、夜には無機的なようでいて、ぽつぽつとした灯りがゆらめく水に映えて、しんと静かで不思議な情緒がある。東京はオアシスではないが、砂漠でもない。



全編、気負いなく流れていくが、投げかけてくる問いかけはどれも深い。そして「君と同じくからっぽだ」という純一の言葉を額面通りに受け取った空気人形の無邪気な愛が産む皮肉な結末。
それをさらに乗り越えていく物語のメッセージ。

脇にもいい役者を使った贅沢なキャスティング。寺島 進に岩松 了に余 貴美子、終盤近くオダジョーまで出てきたのには、もうお腹いっぱいな気分にもなったが、短い出演シーンでインパクトの強い儲け役だった。板尾創路はもう完全に俳優ですね。富司純子がかなりお婆さん顔になっていることに、今更にしみじみした。

    当ブログの是枝裕和監督作品レビュー
                「歩いても 歩いても」
                「幻の光」

コメント

  • 2009/10/03 (Sat) 16:54
    コメントありがとうございました。

    こんにちは。
    この映画、もう一度観てみたいですね。
    心を持つところから行き着くところまで、人形の目に映る景色をもう一度辿ってみたいと思いました。

  • 2009/10/03 (Sat) 23:18

    ナドレックさん。
    コメントありがとうございます。これまでに観た事がない空気感の映画だな、という感じでしたね。ゆりかもめは方角はともかく、車窓風景的にどうしても使いたかった絵なんでしょうね。(笑)思い返すと、板尾氏が案外良かったな、と。

  • 2009/12/23 (Wed) 09:32

    はじめまして。
    私も「空気人形」みました。とてもよい映画だと思いました。
    主演のペ・ドゥナが素晴らしかった!
    あの役は彼女以外考えられないです。
    私の好きなシーンはラスト近くの「誕生日」のシーンです。実は空気人形の空想なのですが……。

  • 2009/12/23 (Wed) 23:04

    Bell Bottom Blues さん、初めまして。コメントありがとうございます。
    本当にぺ・ドゥナが良かったですね。彼女なくしてこの映画は成り立ちませんね。映画全体の独特の空気感が新鮮でしたが、ワタシは是枝監督の切り取る東京湾岸のさまざまな景色もこの映画の良さだと思っています。再見する機会があったら「誕生日」のシーンも含めて、もう一度じっくりと観たいものだと思っています。

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