「花様年華」

~キサス キサス キサス~
2000年 香港 王 家衛 監督



これは、待って待って、封切りと同時ぐらいに見に行った。
これの1本前が「ブエノスアイレス」で、とてもいい映画だったので、次はトニーが60年代の香港を舞台に大人の恋愛模様を演じるというので、とても楽しみにしていたのだ。相手役がマギー・チャンとくれば、もはや言う事はない。
深夜のTVでは、花様年華のCMスポットが頻繁に流れ、ナット・キング・コールの歌う「キサス キサス キサス」がとても印象的に背後で流れていた。
ワタシは王 家衛のベスト1は「欲望の翼」だと思っていて、それは今でも変らない。比肩するかどうかというぐらい良かった「ブエノスアイレス」だけれど、う?ん、やはり「欲望の翼」の方が好きだ。これはもう好みの問題。タバハラスのギターとフィリピンのジャングルにやられた、という感じもある。いずれにしてもあの頃の王 家衛は冴えていた。

「欲望の翼」は今は亡きレスリー・チャンが、彼の魅力と個性に完全にマッチしている役を乗り移ったように演じていて非常によかった。キューピー顔で男としては全くタイプではないが、「魅力あるダメ人間」を演じさせると右に出る者のないレスリーのグダグダ感は天下一品だった。脇の人物描写も程がよく、いつもオレオレのアンディ・ラウが、控えめで誠実で、振り向かない女をじっと待ちつづける警官をやっていたのも新鮮だった。そして、ザビア・クガートのラテン・ナンバーの数々…。
一方「ブエノスアイレス」はトニーの映画。レスリー・チャンも「欲望の翼」のヨディがさらにきわまったような、自分の人生のみならず人の人生をも腐らせ、堕落に導こうとする小悪魔ぶりで名演だったけれど、それに翻弄され、疲れ果て、「おまえは酷い!」と喚きつつも風邪をひいて熱を出していながら、我侭レスリーのために夕食を作ってやるトニーの方に強く惹きつけられた。「恋する惑星」の時にはなんだかなぁ、と思っていたトニーに一挙にハマったのがこの作品。小さなレコーダーを耳に当てながら突如泣き出すシーンなど、トニーならではの哀愁と優しさ、やりきれなさが満載でいつにも増して痩せて疲れたような姿から目が離せなかった。
どんよりした男二人のどこへも行けない膠着した愛憎世界に、突如五月のさわやかな新風のように新鮮な空気を吹き込むチャン・チェンの存在感も忘れがたい。

そんなこんなで、いやが上にも期待を高めて観に行った「花様年華」ではあるが、最初の鑑賞を終えたあとの気分は 「は?」というものだった。印象に残るのはキングコールの歌声と、マギー・チャンの素晴らしいチャイナドレス姿のみ。想いだけが溢れて映画としては纏まらない場合の王 家衛作品の典型という感じがした。



その時一緒に行った女友達が「キサス キサス キサス だけしか頭に残ってない」と言ったのを今でも覚えている。事実、ワタシとしても「キサス キサス キサス」しか頭に残らないと感じたのは同じだったので…。ただ、王 家衛だけに部分的には非常にいいシーンがいくつもあり、それが総体に煮え切らない印象の作品をところどころ輝かせていた。中でもやはりタイトル通り、時分の花ともいうべきマギー・チャンの見事なプロポーションと、オリジナルのハイネックのチャイナドレスの素晴らしさにはただただ感嘆。1グラムの贅肉もあっては着られない服を、まさに1グラムの贅肉もない姿で着こなして、大人の女の色気、たゆたい、慎み、憂い、品 などを余すところなく芳香のように燻らせていた。



この時代のグラマーヒールのパンプスも悩ましい、いい形をしていて、マギーの美しい脚にこれ以上なく似合っていた。彼女の下げているパチンとしめる形の黒いバッグもいかにもで良い。この作品のマギーは魅惑の宝庫。60年代風のアイラインも似合っているし、ヘアスタイルは少々いただけないが、チャイナドレスに合わせたイヤリングもそのマッチングが見事で、マギーを見ているだけでも飽きない映画になっている。



そして、トニー。いい男である。ちっこいけれど、眉と目元に憂いのにじむ男前ぶりはまさに盛り。そして、自信満々で色悪などを演じている彼よりも、穏やかで控えめで、そこはかとなく哀愁が漂い、なかなか大胆な行動に出られない、という役を演じる時がもっとも輝くとワタシは思っているので、あまりにも押しが弱いながらも、この映画のトニーは好ましく思えた。ええぃ、気があるなら一挙にガっと行ってしまいな、男でしょうがと思いつつ、人生そうそう割り切れることばかりではない。たゆたいも味のうち。あの時こうすれば、こうしておけば、と思いつつどうしても踏み切れずについ時がたってしまう事も往々にしてあるのだ。そして、ほんの少しタイミングがズレただけですれ違い、一生二度と元に戻れないまま時は流れ去ってしまう事もある。この映画は実にそういう事を描きたかったのだな、と二度目にDVDになってから鑑賞したあたりで思うようになった。

せせこましい事では今も昔も変わりない香港だが、60年代は未曾有の住宅難だったらしく、家持ち、アパート持ちは部屋を貸し、若い夫婦は大半、他人の家に間借していた。日本でも昭和20年代の映画など見ると間借している若夫婦などがよく出てくる。隣あったアパートの部屋の中に、それぞれ一部屋を間借することにした二組の若夫婦。共働きで子供なし。忙しくてすれ違ってばかりの夫婦関係まで似た者同士だが、やがて、チャウ(トニー)は、妻が、隣に間借しているチャン(マギー)の夫と不倫している事実に気づく…。
互いの伴侶を、微妙に顔を見せないようにしながら、それぞれトニーとマギーが二役で演じているのもご愛嬌で、二人芝居という感じでもあるが、おなじみ香港マダム系の役にはこの人、というレベッカ・パンもむっちりとしたチャイナドレス姿を見せて部屋を貸すマダム役がはまっていた。

この時代は、日本が高度経済成長期で大躍進の時代。香港ビジネスマンも日本に出張というと花形だったのかもしれない。日本製の炊飯器を喜ぶシーンや、チャン(マギー)の夫が日本に出張に行って、お土産に靴やバッグを買ってくるというセリフがある。まさにそのお土産で、妻と色違いの同じバッグを不倫相手のチャウ(トニー)の妻にも買ってきた事から不倫が発覚するわけなので、小道具としても「日本製」は役立っているわけだ。チャウの妻は妻で、夫と愛人に同じタイをそれぞれ買ってきて贈っているというありさま。隣同士に住んでいて、あえてそれをやるということは、口では言わないけどそういう事だからね、という意思表示でもあろう。そしてチャンとチャウはそれぞれの伴侶のそういうサインを密かに受け取っている。互いにあなたもそう感じていた?と確認したあたりから、それぞれの伴侶が不在がちな寂しさもあって、二人で会うようになるチャンとチャウ。二人がよく会う店は、レストランなのに狭い小さなテーブル。椅子は低いソファなので座るとテーブルが高くなる。肉を切り分けるのが難儀そうである。マギーのチャンはここで分厚いステーキを食べるのだが、そんなもの食べてよくそうも肉薄の体を保ってられるわねぇと思ってしまう。このレストランで出てくる食器が翡翠色の皿やコーヒーカップで、そのへんにも60年代のにおいがする。

互いの傷をなめ合うように、男の誘いで何かと外で会うようになる二人。女は夫への未練がなかなか断てない。男は新聞記者だが武侠小説を書きたいという積年の夢があり、家庭生活の破綻を幸い、夢に一歩を踏み出すことにする。小説を書きながら、トニーの燻らす煙草のけむりが天井にゆらゆらと立ち上っていくシーンが非常に印象的だ。燻るけむりは瞑想的で悩ましい。タバコのある風景はいつだって絵になるのだ。
絹羽二重のようにつややかで、なまめかしいタバコのけむり…。



やがて男は執筆のために部屋を借り、そこで原稿の清書をしてもらうという口実で彼女を待つが、チャンはなかなか踏み出せない。チャウは窓辺でタバコを吸いながら、彼女をじっと待ちつづける。この部屋の番号が「2046」。これが続編とも言われる映画「2046」に繋がるのは周知のことだが、ワタシは「2046」はどうも苦手なので、ここでは触れない。迷った末にこの部屋を訪れるときのマギーの羽織った赤いコートが実に素敵。



この作品では、小津的定点観測を取り入れたかのように、同じシーンを繰り返し挿入することにより主人公たちの置かれた状態や、心理を表そうとした観がある。屋台で持ち帰りの夕食を買って帰るチャン。その店に一人、夕食を食べに入るチャウ。これが何度も繰り返されることで、互いに伴侶がいながらすれ違っていて、夕食も常に一人で食べているという事がわかるのだ。そして時折店の階段で出くわして会釈してすれ違いつつ、同じような家庭状況なのをほのかに察するのである。タクシーの中の二人や、アパートの近くの道で立ち話をするシーン、部屋で彼女をトニーが待つシーンなど、定点観測シーンは枚挙に暇がない。



たいてい、外は雨。 夜、香港、雨 という三要素は密接に絡み合う。
二人が夜、外で話す通りはマカオでロケしたものだそうで、微妙に香港ではない空気が漂っているのも彩りを添えている。夫への未練を断てず、ためらう女を押し切れない男。何かと会ううちに男は本気で惚れてしまうが、あれこれ迷って動けない女に、シンガポールに転勤の話が出てきたから、自分は去る、と言う。

土砂降りの雨がやんで、道路にできた水溜りに微妙な波紋が浮かぶ。
人生の岐路で、右か左か、なかなか動けない二人の心模様を表しているかのようである。

切符が2枚取れたら、僕と一緒に行かないか。

男の誘いに心は揺れるが結局、女は間に合わず、男は一人、シンガポールへ。
2046の部屋を訪れる彼女だったが、時は既に遅かった。部屋の外の通路窓側一面にかかった赤いカーテンが、いつもは静かなのに、このときだけ彼女の動揺を表すかのように嵐の気配に揺れている。

そして月日が過ぎ去り、過去は見えるだけで手で触れることはできぬ場所へと収まる。

ラストで出てくるチャンの子供はチャウとの子供だと、観る側としては思いたいところである。
そう、やはり、あのときに…。

音楽に梅林 茂の「夢二のテーマ」が再々使われ、それが同じ場面が定点観測的に繰り返されるシーンの背後に決まって流されていた。梅林 茂の音楽も特徴があってすぐにわかるのだが、その曲が流れているシーンでは同じく梅林が音楽を担当した森田芳光の「それから」を思い出した。
けれど、なんといってもこの作品ではおいしいところでここぞと流れてくるキングコールのラテン・ナンバーがことさらに印象深い。やはり「キサス キサス キサス」である。…と、あれ、しまった!
これだけ色々と書いてきて結局最後は「キサス キサス キサス」でシメてしまった。
だって猛烈に耳に残るのだもの…。

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