「危険な関係」

~大年増の悪企み~
1988年 米 スティーヴン・フリアーズ監督



役者が揃っていることでも、撮影の素晴らしいことでも、衣装の豪華なことでも特筆すべき作品であると思うが、これは徹頭徹尾、グレン・クローズの堂々たる年増ぶりを鑑賞する映画である。マルコビッチが女たらしの貴族をやっていて(変に二枚目がやるよりもあの面妖な面差し(失礼)で女には絶対の自信を持つ遊び人をやるので却ってリアリティがあった)、その他ご贔屓ミッシェル・ファイファーも出ているし、登場したての頃のユマ・サーマンやキアヌ・リーブスがそれぞれ瑞々しい若さを画面に溢れさせているし、他にも幾らも見所はあるのだけど、しかし、これはグレン・クローズの映画である。圧巻の存在感。全ては彼女を引きたてるために存在するとしか思われないし、事実そうなのだ。ワタシは別に彼女のファンというわけではないのだけど、いつも彼女が映画に出てきて放射する確信的で揺るぎない自信に満ちた様子には「うほ!またやっていらっしゃる」と、ついつい嬉しくなってしまうのである。並び立つ演技派女優としてメリル・ストリープがいる。二人ともコワイ顔のおばはんで、特にどう違いがあるとはワタシも上手く言えないのだけど、メリルよりもグレン・クローズの威風堂々ぶりが好ましい。なんというか、これはもうただ、好みの問題なのだろう。


18世紀・ロココのフランス貴族社会といえばもう、モロにベルばらの世界で、ついこの前も「マリー・アントワネット」が新しい視点から悲劇の王妃の人生にスポットを当ててヒットしたが、貴族文化が爛熟して退廃も極まった時代であるから、人間、食べるに困らないと暇を持て余してロクでもないことに血道をあげるようになるものだという事がよく分る。冒頭から貴族が朝の身支度をする様子をタイトルバックで見せてくれるのだけど、こんな3人がかりで着せつけてもらうようなややこしいドレスを毎朝着て、時間をかけて美々しく着飾ってもろくすっぽ風呂にも入ってなかったというし、壮麗なベルサイユ宮殿にはトイレもなかったというし、一体フランス人てどういう感覚で生きていたんだろう、などと興味は尽きない。原作はラクロの恋愛小説で、これは二回目の映画化。最初のは、かのジェラール・フィリップのヴァルモン役で1959年に本国フランスで製作されたが、時代設定を現代に置き換えてあって、ロココの絢爛たる貴族社会の退廃は描かれなかった。アメリカは歴史がない分、欧州の貴族文化は憧れである。だからこの作品は原作に忠実に、豪華な貴族生活や18世紀の時代背景を盛り込むことも、大きなテーマだったのだろうと思う。小間使いにかしづかれて朝の身支度をするグレン・クローズのメルトイユ侯爵婦人の様子が駘蕩としていかにもな貫禄である。胸元に粉をすりつけてもらってうっとりと恍惚の表情を見せるシーンがもう、クローズの独壇場という感じ。



このメルトイユ侯爵夫人は猛烈な「自分ウットリ」女で、鏡を見ては鏡の中の自分に満足げにうっとりと微笑みかけるシーンが印象的である。クローズは誰が見ても美人という顔でないだけに、美人女優が演じるよりも「人の心を掴む技巧に長け、若い頃から他人を観察して自分の本心を見せない修行を積んだ」というメルトイユ夫人のありようが、余計によく伝わってくる。きっとグレン・クローズは演じていて凄く楽しかったのだろう。もう乗り移っているとしか思えない演技で、メルトイユ夫人を表現しつくしている。「人を欺くことは快楽よりも知性よ」とのたまい、人知れず数々の浮名を流し、主に恋愛における人間関係で常に勝利を目指し「勝つか、さもなくば死よ」と微笑みながら言うメルトイユ夫人。これは大女優にしか許されない役である。姦計をたくらんでほくそ笑んでいたかと思うと、操る対象の人間が近づいてくれば一瞬で晴れやかな表情をその上に張りつけて出迎える。この、一瞬で表情を変化させるという演技をクローズはかなり頻繁に見せてくれる。まるで北京の大道芸「変面」のごとき表情の変化である。見ているだけで飽きない。



ミッシェル・ファイファーは現代劇の方が断然いいので、あまり似合わないコスプレで出たのはこれが最初だったと思うが、しかし、真面目で貞淑な未亡人をそれなりに清楚に演じていた。当初はあわれな生贄だったのが、意外な図太さで将来の放蕩夫人ぶりを伺わせるセシルのユマ・サーマンは、瑞々しい10代の娘という感じがふんだんに漂っていてプリプリしている。新鮮である。同じく新鮮な果実のようなキアヌとともに、フレッシュだなぁと感慨深い。キアヌの頬だけぽぉっと薄紅をはいたような美少年ぶりと来た日には、「絵画のような」という形容詞がそのまま当てはまる感じである。この人はアジアの血が入っていながら、こういうロココ世界の中に置いても一切違和感なくしっくりと画面にはまってくる不思議な人である。



人の心と人生をチェスの駒のように弄んでのちのち安泰なわけもなく、メルトイユ夫人もヴァルモン子爵も、それぞれに報いを受けるのだが、実行犯より計画を立てたほうが罪が重いのは世の常。ヴァルモン子爵はある意味、身をもって罪をつぐなうのだが、赫赫たる名声の中を常勝で歩んできたメルトイユ夫人は最初で最後の「負け」により致命傷を蒙り、無残な汚名の中に身を晒すことになる。常に心理戦において勝利を収める事に生きがいを感じてきた女には死ぬよりも辛い、生きながらの死である。グレン・クローズのアップに始まり、そのアップで幕を閉じるこの作品を観ていたら、何か三島由紀夫の短編の読後感とよく似たものを感じた。

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