追悼 森繁久弥 「夫婦善哉」

~おばはん、頼りにしてまっせ~ 

1955年 東宝 豊田四郎監督



さきごろ、日本映画界の大長老、韜晦術の帝王ともいうべき森繁久弥氏が96歳で大往生。あの人の事だから、きっと100歳まで生きたかったんじゃなかろうかと思われるけれど、そのちょっと手前でみまかった。80歳前後あたりから、人前に出ると、時折ちょっとあざといほどにボケ老人振りをわざと演じて面白がっていたように思う。(ナンシー関はコロリと騙されて森繁の術中にはまっていた)
俳優として第一線に躍り出たのが40歳を過ぎてから。以降、その才能と才覚は縦横無尽に映画、演劇、TV界を席捲した。ワタシは向田邦子の書いたTVドラマ、「だいこんの花」や「七人の孫」には間に合ってなくて観ていない。最初に森繁久弥を見たのが何だったのか記憶にないが、追悼記事として、これまでに観た森繁の出演映画やドラマの中で、やはりピカ1だったと思われる出世作「夫婦善哉」について書いてみたい。

豊田四郎監督は、日本映画黄金期に文芸ものの映画化作品でことに手腕を振るった人で、岸 恵子と池部 良主演の「雪国」も有名だが、なんといっても、この「夫婦善哉」を忘れるわけにはいかない。原作は言わずと知れた織田作之助の同名小説。原作はかなり短くあまりにも淡々としているので、読んでみて拍子抜けした。これは映画で観る方が数倍いい。男女の機微を隅々まで抑えた八住利雄の脚本も絶品。

昭和初期、大阪船場の化粧品問屋の道楽息子・維康柳吉(森繁久弥)は気の合わない妻と別居し、新地の芸者・蝶子(淡島千景)と売り掛けの集金を持ち逃げし、熱海に駆け落ちするものの、すぐに大阪に舞い戻ってくる。実家の身代には未練タラタラなのである。病気の父は芸者と別れぬ限りは勘当だとカンカン。自分の為に勘当されてしまったと思う蝶子は身を粉にしてヤトナ(仲居と芸者が一緒になったような関西特有の接待婦)になり、稼ぐのだが…。


スタジオにまるまる法善寺横丁一帯のセットを作って撮影

眼鏡姿(しかも伊達メガネ!)で男前でもなく、どこといってこれというようなところもないのに、妙な愛嬌があり、女の世話焼き心をくすぐる遊び人の老舗のぼんを演じる森繁はこれでスターダムに乗っただけに、自家薬籠中のなりきりぶり。惚れた女とも別れられないが、実家の財産にも未練が断てない、お人よしで実務能力のない優柔不断な船場の若旦那を絶妙なさじ加減で演じている。実家にも戻れず、しもたやの二階を借りて、ヤトナで稼いで夜更けに戻ってくる蝶子を、窓辺で山椒こんぶを煮ながら一人待っている柳吉。食通のぼんぼんだけに昆布ひとつ煮るにもこだわりがあるのだ。

「あんた、おこぶの顔ばかり見てんと、わての顔も見て」とはしゃぐ蝶子に「どないした、ええべべ着て」と寂しく笑う柳吉。撮影は名手・三浦光男。モノクロの陰影が登場人物の心象をも表現するカメラワーク。この時の柳吉の諦めたような寂しい笑顔は、けっこうな家に生まれつつも女で人生を踏み外しかけている男の心象風景をあらわして余りある。寂しい陰影を生む照明が見事。そして森繁と並んで一世一代の名演を披露するのは蝶子役の淡島千景。宝塚の娘役出身。小顔に柳腰のすっとした着物姿が板につき、優柔不断なダメ男に尽くしぬく、けなげでいながらしっかり者の女をコケットリーも交えつつ演じている。また彼女の姉芸者で今はヤトナの斡旋業をしているちゃっかり屋のおきんさんに、ナニワの女将といえばこの人、浪花千栄子。もう、コテコテにナニワである。


「そりゃあんた、ひっついて遊んでばかりいてたらお金もなくなるわいな」 浪花千栄子 全開

柳吉には船場に置いて来た一人娘がいる。(この娘がまた、白木稔にそっくり)だが、勘当の身となって娘にもなかなか会わせて貰えない。そうこうするうち体を壊して実家に帰っていた正妻が亡くなる。それを聞いて、妻の座など狙ったこともないと言いながら丸髷(正妻の象徴)に結って法善寺にお礼参りに行く蝶子。
オヤジの勘気が解けるのを待って、なんとか大店の身代を取り戻そうと思う柳吉だが、妹・筆子に養子が来ることになり、いよいよ廃嫡も決定的になる。そういう節目ごとに忠義ヅラで情報を持ってくる番頭(田中春夫)を連れて遊郭にはまりこんだり、深酒を重ねてしまう柳吉。蝶子はそのたびに怒りながらも別れられない腐れ縁はいよいよ深間にはまっていく。


映画デビュー間も無い司 葉子(左)と淡島千景(右)

柳吉の妹筆子に司 葉子(この時はデビューまもなくで素人っぽくていい)、その養子婿に山茶花 究。この山茶花 究も昔の日本映画には欠かせない名脇役の一人。とにかく何をやっても上手いのだけど、ここでは大学出をハナにかけたケチで口うるさい嫌味な婿養子を非常に印象的に演じている。指の先でツーっと埃の有無をチェックするような、細かいイヤな奴である。この作品では脇役の端に至るまで個性の光る役者が揃って味わいも極まっているが、軒先でてんぷらを揚げて売っている蝶子の父を演じる田村楽太のたくまざる愛嬌や、小判鮫のように柳吉に擦り寄っていたと思えば、もう復帰の目がないと見るやさっさと振り捨てて一顧も与えない日和見主義の番頭・長介を演じる田中春夫も毎度ながら達者である。


芸達者の東宝脇役陣に欠かせないクセモノ 山茶花 究

法善寺横町界隈を完全に再現したスタジオセット(ガチャガチャした横丁の感じがいかにもナニワ)、その境内を流れる線香の煙。長屋の屋根がわらに朝の光の当たるシーンなど、名手の撮影による映像美も忘れ難い。
また、二人がよくカレーを食べに行く法善寺横町の自由軒で、テーブルの下で足袋の足で二人がじゃれ合うシーンなど、二人が馴染んでいる様子を表現した味わい深いシーンは数多いが、紆余曲折の果てに、完全に実家とは縁切りになり、財産も貰えず、オケラになって蝶子の元に戻ってきた柳吉と蝶子が連れ立って、法善寺界隈に夫婦善哉を食べに出るシーンは、やはり圧巻だろう。


柳吉(森繁)の朝帰りのシーン 屋根瓦にあたる朝日が美しい


ぜんざいを食べて外に出るとちらほらと雪が降り始める。通り掛かりの店の軒先に雪をよけた二人。

「あんた、これからどうしはんの?」
「どうって。任せるがな。…頼りにしてまっせぇ?」
「…そうか」

この「頼りにしてまっせ」は原作にはない脚本・八住利雄の創作だが、森繁の軽妙なセリフ廻しとあいまって、公開当時は流行語になったという。
「…なぁ、あんた。みなワテが悪いねんなぁ」としみじみ呟く蝶子に、けしてお前ばかりが悪いんじゃない、俺だって…と内心では分りすぎる程に分かっている柳吉が、口では「そ、そやがな。みな、お前が悪いのやがな」と言う。蝶子はハンカチで顔を被い、声もなく静かに泣く。この時、蝶子の丸髷の美しい黒髪の艶の中に、淡雪がすーっと溶けいるように消えていくクローズアップは一瞬、スローモーションになる。黒髪の艶の美しさがしっとりと目に迫る。その黒髪に溶けいる淡雪…。人情喜劇の中に一瞬現れる美しいカットだ。
TSUBAKIのキャッチコピーを待つまでもなく、日本女性の紫深い黒髪は美しいのである。


「…みんな、わてが悪いねんなぁ」 

「…ええがな、おばはん。…二人でな、濡れていこいな」という柳吉に、涙を拭いつつ「…うん。 ええ道行きや」と応える蝶子。さすが長年の腐れ縁。あうんの呼吸である。二人で濡れて行こいな、というのは粋で色っぽいセリフだ。究極の愛のメッセージでもある。
タバコを吸いながらちょこちょこと足早になり、蝶子のショールを頭に被った柳吉が、お稲荷さんの前でぺこりと頭を下げ「また、頼りにしてまっさかい、あんじょう頼んまっさ」と軽い挨拶をする、そのユーモラスな語り口が実に森繁節でいい味である。大阪出身の森繁だけにネイティブスピーカーによる大阪弁独特の味わいも魅力の1つ。また、互いにどうしても離れられない二人の空気を、ドロドロさせず、笑いとペーソスを交えて嫌味なくサラリと演じる森繁と淡島は、これで名コンビとなった。この後も数本共演しているが、これに勝る共演作はない。

ダメな男のダメゆえのかわいらしさ、というものを演じて、この「夫婦善哉」の森繁久弥を凌ぐ俳優はこれまでもこれからも現れまい。
森繁演じる柳吉は愛すべきダメ男?憎みきれないろくでなし?のある種の規範になっていると思う。
この後、ジャンジャンと東宝喜劇の主演や、折々シリアスな作品への出演も重ねていく森繁だが、主演俳優としての出発点であるこの「夫婦善哉」が、やはり映画俳優としての彼が最も新鮮な輝きを放っていた作品ではないかと思う。追悼特集で放映される事もあろうかと思うので、未見の方は是非一度、ご覧になってみていただければ、と思う。

コメント

  • 2009/11/18 (Wed) 12:40

    森繁と淡島千景。お似合いのコンビでしたねぇ。
    この「夫婦善哉」は何度も何度も細切れ紹介映像を観ているので、映画も観ている気分になっているんですが、さてさて全編通して観たかというと、些か心許ない感じです。
    山茶花究も浪花千栄子も懐かしいですね。
    追悼放送がありましたら、是非とも録画したいもんです。

    豊田四郎といえば、封切りで「恍惚の人」を観ました。
    殆ど忘却の彼方でして、73年当時には非常に珍しいモノクロ作品だったことは思い出しましたが、主演が森繁さんだったことは忘れていました。

  • 2009/11/18 (Wed) 22:51

    十瑠さん、こんばんは。ほんと、森繁と淡島千景はよく似合ってますよね。この映画は、やはりこま切れではなく通しで観て下さい。きっとNHKあたりは放映しそうな気がします。それでなければ日本映画専門チャンネルですかね。レンタルDVDも出てますよ。そして「恍惚の人」も豊田四郎でしたか。私は映画は未見なのですが、有吉佐和子の原作は読んでいるので、舅役が森繁と聞いて、原作のイメージとは違うなぁという気がしたんですが、森繁の事なので恍惚老人もバッチリと演じているんでしょうね。嫁さんは高峰秀子で文句なし。これも放映するかもしれませんね。

  • 2009/11/22 (Sun) 15:42

    こちらにもお邪魔です。
    これは前に一度薦められた事ありますよね。まだ観てないのですよ。
    でもkikiさんのレビュー読んだら大体は掴めますね、伝わります。
    私は逆に映画の森繁は「恍惚の人」だけしか知らず、ほとんどテレビドラマですね。
    特に「大根の花」は面白かったですよ。もう三十年以上前になるのかな。、森繁の絶妙の間合いというかアドリブっぽいようなところも良かったし、そうペーソスのある演技が上手かったです。一緒に見ていた私の父親は「へん、小賢しい芝居だ」なんて言ってましたけどね~(笑)
    息子役の竹脇無我のナレーションが入るんです。「人知れず忘れられた茎に咲き、人知れずこぼれ落ちる大根の花」だったかな(ちょっとうろ覚え) これがまた彼のあの低い美声で、ですから。
    先週追悼の再放送でやってたらしいんですが見逃してしまって、あぁ悔しい。
    森繁を継ぐ役者はいないですよね。強いて言えば誰あたりでしょう。

  • 2009/11/22 (Sun) 20:00

    ジョディさん、こちらにもありがとうございます。観なくても想像ついてしまいました?なんかレビューを読んでいると見たような気になるって時々言われるんですけど、それって結局本編を見ないままに終わってしまうからいい事じゃないですよね(笑)で、森繁ですが、うちの両親は森繁の歌う「知床旅情」が好きで、実家にLPがありますわ。歌もとぼけたいい味がありましたね。ワタシは割に脇役でちょろっと出てきた時の森繁も好きです。いずれにしてもいつも上手いですよね。時折臭みが鼻につくほど上手いです。TVドラマは、うちでは「だいこんの花」を観ていなかった気がするんですよね。記憶にないんですわ。彼の衣鉢を継ぐ人なんてちょっと無理じゃないですかね。ある一部分だけを辛うじてひき継ぐ事はできたとしてもね。ある種の怪物的才人だったので、誰にも全容を引き継ぐことはできないでしょう。そのうち小林信彦あたりが評伝を出しそうですね。森繁は当初、NHKのラジオアナウンサーだったわけですが、戦中に満洲慰問団の司会で大陸を廻っていたとか。その慰問団の中に古今亭志ん生も居て、アナウンサーなのにやたら達者な人がいると思ったら、それが森繁久弥だった、と後に自伝で語っています。スゴイ慰問団ですよね、これ。

  • 2009/11/23 (Mon) 23:28

    kikiさんてば相変わらず詳しい~。とても私より年下とは思えませんよ(笑)

    「知床旅情」というと昔見たドラマでこんなシーンが。井川ひさしと倍賞千恵子が恋人どうしの役で、彼が知床旅情を歌っていると、何故かいつのまに ♪春は名のみの~♪ 「早春賦」 になっちゃうという可笑しい場面。ひょっとすると逆? 早春賦のつもりが知床旅情うたってた~だったかな。 たしかにちょっと似てるフレーズあるかもですね。

    それから「だいこんの花」で思い出したんですが、このドラマ枠ってその後野菜シリーズになって、その中の「ねぎぼうずの唄」で拳さん主演だったんです! 男らしくてあったかくてユーモアのある人間味溢れる(ちょっと誉めすぎ?)お医者さんの役が拳さんに合ってて良かったんですよ。江利チエミが共演。地味めではあったけど面白かったです。わたしも結構おぼえてるもんですね(笑) なんだか懐かしぃ~。
    「だいこんの花」の最初のシリーズ方は、kikiさんまだちっちゃかった頃でしょうから見てないのはあたり前ですよん。

  • 2009/11/24 (Tue) 07:39

    やたらに古い事を知っているのは親の影響もあるんですけど、ワタシ自身が古いものが好きで興味があるんですわね。同じ環境に育っても、弟の方はさほどでもないですから。でも普通の同世代からしたら、弟も古い事を知っている方だと思います。うちの両親は「知床旅情」は加藤登紀子のよりもやっぱり森繁の歌が良い、と昔から言ってますわ。
    「だいこんの花」はやたら長かったらしいので、確かに後半だったら見て覚えててもおかしくはないんだけど、さっぱり記憶にないです。母は見ていたんじゃないかと思うけど、どうですかね。向田ドラマでは「寺内貫太郎一家」なんかは見ていた記憶があるんですが…。「ねぎぼうずの唄」は知りませんでした。あ~、でもいかにも拳さん主演でいい感じだろうなというのは想像つきますよ。母はいつも拳さんのドラマでは「豆腐屋の四季」が良かった、よかったと言うんですが、観られないのに良かったと言われても困る感じ(笑)あまりに古いものはVTRが残ってなくて、何がどうあっても観ることはできないんでしょうね。

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