「チェンジリング」 (CHANGELING)

~永遠のわが子~
2008年 米 クリント・イーストウッド監督



前にも書いたけれど、イーストウッドの監督作品はヘビーでしんどいものが多いし、アンジェリーナ・ジョリーにはかなりアレルギーのあるワタシなので、これも話題にはなっていたが、どうも食指が動かずにスルーした。
ところが最近、ふとしたことから友に付き合って観賞することに。観始めてすぐに、アンジー先生のいつもの“アンジー臭”がさっぱり無い事に気付き、そうこうするうち、いつしか話に引き込まれて観入っていた。
やはり実話のパワーというのは理屈抜きだ。

アンジー先生が演じるのは電話会社のオペレーター主任でシングルマザーのクリスティン。9歳の息子ウォルターを演じる少年が利発そうでけなげで可愛い。出勤する筈ではなかった日によんどころなく出勤する事になり、幼い息子を一人家に残して仕事に行き、早めに切り上げて急いで戻ったのに息子の姿はどこにもない…。息子役の少年が可愛いだけに、アンジー先生の狼狽も他人事とは思われない。

警察に電話をしても、行方不明の子供は24時間を経ないと探さない、などとふざけた返事をされる始末。何か事件に巻き込まれた時に警察が頼りにならなかったら本当に絶望的な気分になるだろう。しかもクリスティンは働きながら一人で息子を育てている母。周囲には相談する相手もいない。時代は1928年。この頃のアメリカの警察というのは本当に野蛮で横暴でいい加減な事が多かったようだ。前に「告発」(これも実話がベース)という映画を観た時に、理不尽の大雪崩のような警察や刑務所の権力の横暴さに驚き、あきれ果てたのを思い出した。



初動捜査を怠った上に、5ヶ月もたってから「息子さんがみつかった」などと職場にやってきて告げる警部。無事だったと聞かされて泣き出すアンジーの演技が真に迫っている。そうまで大喜びさせておいて、駅まで迎えに行ってみると、そこには息子ではない少年が小賢しげな笑顔を浮かべて待っている。「ママ!」って言われたってねぇ。一瞬にしてぬか喜びは警察への不信と疑惑に変わる。何がどうでも別人の少年をゴリ押ししようとする警察。ぬけぬけと息子の名を名乗る別人の少年。このガキがまた、巧いんですよ。ふてぶてしくて小憎たらしい。無邪気そうな顔で見上げたりするプリテンドっぷりもさかしらげで腹が立つねぇ。こんなもん、息子だって押し付けられて黙ってすっこんでいられるもんじゃありません。ま、しかし、この作品でのアンジー先生はいきなり相手に廻し蹴りを食らわしたり、不敵な顔で捨てセリフを吐いたりせず、鼻の先を赤くして、目立つホウレイ線に囲まれた大きな赤い唇を震わせて涙ぐむだけなのである。



別人の家出少年をウォルターに仕立てて無理に一件落着を図るJ・J・ジョーンズ警部を演じるジェフリー・ドノヴァンも巧い。何をどう訴えようとも聞きく耳持たず。職務怠慢を棚にあげ、偽者を平然と押し付け、母の言い分をガンとして受け付けない。貝の剥き身のような目に表情がないのも、ひとしお憎さげである。



何を言ってもはねつけられる帽子の似合わないアンジー先生。横からみると鼻よりクチビルと顎の方がせり出している。涙で濃い化粧もぐしゃぐしゃ。鼻が赤くなるとピエロのようにも見える。この時代の女性は確かにヘビー・メイクなのだけど、イーストウッドの事なので何か狙いがあって殊更にアンジー先生のまくれ上がったクチビルを真っ赤に塗らせているのだろう。その狙いはよく分からないけれど…。


偽の少年が割礼されているのを発見して、別人である動かぬ証拠だと警部に抗議するクリスティンだが、うるさくなった警部は彼女を口封じのために、警察の意のままに病気でもない市民を平気で監禁する精神病院に無理矢理放り込んでしまう。折りしも、腐ったロス警察に日頃から憤りを覚えていたグスタヴ・ブリーグレブ牧師(ジョン・マルコビッチ)が彼女に助力を申し出た矢先のことだった…。



本当の息子を探したいだけのクリスティンは精神病院で散々な目に遭わされる。精神病院が病人を作る、というのは「カッコーの巣の上で」でも観たけれど、やろうと思えばなんでも行えてしまうオソロシイ「白い監獄」はある意味、刑務所より絶望的かもしれない。ホースでジャージャー水をかけられるというのも屈辱的だが、更に梅毒の検査までされて、人権もヘタクレもあったもんじゃない。殊にも1920年代では、今では信じられないような理不尽なことも平然と行われていたのだろう。もしかすると今だってさして変わり無かったりするのかもしれない。こういう映画を観ると、なんのかのと言ってもアメリカというのはコワイ国だな、とつくづく思う。というわけで、途中からロス警察の怠慢、傲慢、横暴と、牧師の助けを借りたクリスティンが対決する展開になっていく。

アンジー演じるクリスティンとロス警察の闘いと並行して、子供を農場に誘拐しては殺していた男の存在が明らかになってくる。このニヤニヤした不気味な男ゴードン・ノースコットを演じるジェイソン・バトラー・ハーナーが、またまた巧い。とらえどころがなく不気味。ぱっと見にわかり易い悪相はしていないのだが、とろんとした目つきに薄気味の悪い気配が漂っている。サイコっぽい連続殺人鬼はこういう感じの男が多いのかも、などと思ったりした。



大詰めで、真相を話すとクリスティンを呼んでおいて、いざとなると話したくないと嘯く様子も、いかにもだなぁと思う。怒り爆発のクリスティンは男の胸倉を掴んでののしる。この二人のシーンも、芝居ではなく、自分がその場に立ち合っているような気分で観ていた。後にも先にも、アンジー先生らしい「男気」を発揮したのはこのワン・シーンのみだ。

***
観ていてつくづくと感じたのは、警察などの国家権力が個人を踏み潰そうと思えば、どんなに抵抗しようと叫ぼうと、よほどの事がない限り無力な一個人はすり潰されてしまう、という事の怖さだ。警察は市民を救わないどころか、逆に過酷に虐待する。そんな鬼畜を税金で飼っている事の腑に落ちなさ。クリスティンには、たまたま頼りになる牧師が付いていたけれど、もしそういう存在がなかったら、そして、あのタイミングでノースコットの件が明るみに出なかったら、クリスティンはそのまま人知れず朽ち果てて、精神病院の奥深く、廃人になってしまったかもしれないのだ。

イーストウッドは、ラストでクリスティンに微かな希望を与えている。死んだという確証が上がらない限り、息子はどこかで生きている。クリスティンは岸壁の母状態となり、帰らぬ息子を待ち続け、探し続ける事に新たな生き甲斐を見出す。どんなに微かであっても、人は希望なしに生きていく事はできない。恐るべき試練を経て、心に微かな希望の火を灯す母親の力強い足取りで物語は幕を引く。息子を探し続けることで、彼女は今日を、明日を、また生きていくことができるのだ。

これもイーストウッド監督作らしく、重く辛い話ではあるのだが、それだけでは終わらないところにクリスティンにも観客にも微かな慰めが用意されている。そして、タイプキャストのオレオレ・ヒロインではない役を演じているアンジー先生を初めて観て、演技者としての彼女を知らなかった事に気付いた。いつもより痩せてシワと衰えが目立ち、横から見ると何やらサカナのような顔つきのアンジー先生ではあるが、目深に被った帽子の下で目を見開いて過酷な事態に対処するクリスティンは、ワタシの苦手なアンジー先生とはまったく別物だった。何をやっても同じという型の女優だと思っていたけれど、オミソレしていた。役になりきっていて、お見事だった。

コメント

  • 2009/12/05 (Sat) 10:56

    以前イーストウッド監督作品は好き、と言っておきながら、私まだ観てないんですよね。
    やっぱり彼女が主演というのがどうも・・・。うちの娘は逆にアンジー目当て(若い子はみんなそうよね)で行って「よかったよ~感動しちゃった」でした。
    そのうちWOWOWでやるかな~その時にでも観てみようかと。
    監督最新作の「インビクタス」どうでしょうね、感動作というふれこみだけど。
    マット・ディモンだとkikiさんちょっと微妙?(笑)

  • 2009/12/05 (Sat) 22:37

    そーなんですよね。またあのオレオレ女か、と思って、さっぱり見る気がなかったんですが、付き合いで見てみて「お!」と見直しましたよ。いつものアンジェリーナ・ジョリーとは違います。そしてやはり実話にはパワーがありますよ。それにしても、アメリカというのは野蛮な国ですね。呆れた話ですわ、全く。機会があったら是非一度どうぞ。で、イーストウッドの新作「インビクタス」は感動系なんですね?さっぱり梗概を知りませんが、お猿2号の主演で感動作か。う~ん。それはお察しの通り、自発的に見る事はなさそうな気がしますね…。(笑)

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