「台所の聖女」

~足袋つぐや ノラともならず 教師妻~
1988年 NHK 深町 幸男演出



井沢 という脚本家の作品に「お!」と思った最初が鈴木清順主演の「みちしるべ」。
次に「とっておきの青春」が来て、その次がこの「台所の聖女」。ここまでは全部NHKのドラマ。その後、民放で永井荷風を描いた森繁久弥主演の「ロマンの果て」も見たが、これも良かった。

上記の中で「台所の聖女」と「ロマンの果て」はいわゆる文芸モノというか、文士の生涯を描いたドラマ。
どちらも出色の出来で、機会があれば高画質で録画しなおしたいと思っている作品だ。

さて、本題。
「台所の聖女」は田辺聖子の原作「花衣脱ぐやまつはる…わが愛の杉田久女」のドラマ化作品。大正~昭和初期のホトトギス派女流俳人、杉田久女の半生を描いた作品だ。

このドラマ、とにかく配役がバッチリ。キャスティングだけでも絶対に見なくちゃ!という気分になる。主役の久女に樹木希林、その夫に高橋幸治、その父に 智衆、その兄に石橋蓮司、成人した娘に壇ふみ。その他、大滝秀治、日下武史、名古屋章、鈴木瑞穂、松橋 登 と芸達者が所を得た役で続々登場する。希林さん、今回は大正の女流歌人の役とて、全編、着物での立ち居振る舞いで、東京の山の手言葉を駆使してのセリフ回しである。



杉田久女は、高級官僚の娘として生まれた。父の転任に従って鹿児島や琉球や台湾で少女時代を過ごす。東京女子高等師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)を卒業してのち、画家志望の杉田宇内と結婚する。夫の宇内は三河の奥地に代々続く旧家の出身だが、父への反発から実家の仕送りを受けず、美術学校を出ると九州・小倉中学の美術教師となって赴任、久女もこれに従う。
官僚の家に育ちながら、しがない教師の妻になり、女中も置けない生活の中、朝は暗いうちから起きて台所仕事をし、夫に仕え、二人の娘を育てている久女。慎み深く夫にかしづき、手マメに家事を切り盛りする、貞淑な妻、良き母の久女だが、絵筆を捨てた夫には鬱勃たる不を抱きつつ抑え込んで暮してきた。
「俳句」がその人生にもたらされるまでは。


彼なりには妻を愛している久女の夫・杉田宇内を演じる信長役者の高橋幸治

それは、無職になった兄(石橋蓮司)が職を求めて小倉の久女の元に身を寄せた事がきっかけだった。この兄はホトトギス派の俳人で、赤堀月蟾(あかぼりげっせん)という俳号でホトトギスに句を載せていた。
何かで職をしくじった、口だけ達者で無能なペラペラした兄の雰囲気が石橋蓮司でまさにピッタリ。宇内に就職の世話になろうと小倉まで来ているのに、都落ちしていながら江戸っ子の矜持を拭いきれない。
「川へ夜釣りに参りましょう」と気を使う宇内に「江戸っ子は小魚は喰わねぇよ」と嘯く。



兄のいる間に、父も様子を見に小倉に来る。久女の父に 智衆 智衆はいつものさんなのだけど、それが観ていて嬉しいのだ。さんとの共演は樹木希林にとっても嬉しかったようで、画面にそういう感じが沁み出している。父は、もっとどんなところにでも嫁にやれたのに、悔いの残る結婚をさせてしまった、と後悔の念で一杯になっている。父と娘は縁側でひなたぼっこをする。夫に粗末にされているのではないか、と懸念する父に「粗末にされておりません。松・竹・梅の、竹ぐらいには…」という久。父は「騙されてやるのも、親のつとめか…」とぽつりと呟く。さんの横で樹木希林がとても嬉しそうで、童女のようにはしゃいでいるのが印象的だ。



兄が洲に去ったあと、久はホトトギスに投稿を始め、すぐに頭角を現す。たびたび巻頭を取るようになり、ホトトギス同人の間で小倉に久女ありと名が通ってくる。そんなある日、九州各地での句会のついでに、俳人の小雁子(名古屋章)が仲間を連れて久女を訪ねて来る。彼らはつつましい主婦である久女が高浜虚子に匹敵するような句を読む事に畏敬の念を抱き、宇内の前で久女の句を「日本一です」と褒め讃える。これが生涯、久女の耳を離れない甘い響きの険しい呪縛になるのである。日本一と言われたからには句のレベルを落すわけにはいかない。頭の中いっぱいの言葉の中から、削って削って削って、最後に残ったひと滴を句に結実させる。17文字に勝負をかける厳しい険しい茨の道である。久は既にその茨の道に分け入ってしまった。
そして茨の果てに輝く何かを見てしまった。生涯、抜け出ることはできなくなったのである。



久女は地元でも句を読む才女として有名になり、山の頂に洋館を構える実業家のサロンに招かれる。家の中で家事と育児に追われてきた久女は海を見下ろす洋館で地元の名士が揃って芸術や文化に話の花を咲かせる空気に陶然となる。

花衣 脱ぐやまつはる 紐いろいろ

ここで俳人・神崎縷々(松崎 登)と出会う。気取り倒して洋服を着込み、ハイカラ好みで縷々などという俳号を持っているが、彼の家業は火薬問屋。店では真っ黒になった地味な妻が働いている。縷々に面会を求める久女に、縷々の妻は「なんが縷々や!」と吐き捨てる。…お怒り、ごもっとも。

それまでの結婚生活でつもり積もった不が一度捌け口をみつけたからには、その細い口から噴出しないわけにはいかない。サロンで知り合いになった人々との付き合いにものめりこみすぎて出入り禁止になる久女。次第に家を留守勝ちになる妻に不が募り始める夫・宇内とも衝突するようになる。そして、夫と久女の生き方、考え方の違いがついに正面切ってぶつかるのだ。あなたは自分と闘う事(創作の茨の道)から逃げた。私は逃げない、と久女は言う。そして、俳句仲間との噂に夫が言及すると「私がもし、本当に恋をしている人間があるとすれば、それは私自身でございます」と言う。そして「自分にはミューズの神が憑いている」と言い放つ。

われにつきゐし サタン離れぬ 曼珠沙華


久は一人、東京へと発つ

夫との生活に見切りをつけた久女は東京の母の元に身を寄せる。東京に来れば鎌倉もすぐそこだ。
鎌倉には彼女の懸恋の人・高浜虚子(日下武史)が住んでいる。
高浜虚子はなかなかの美男で、俳人としての才だけではなく、雑誌経営者としての才覚もあったのだろう。ロンドン帰りの漱石に奨めて「吾輩は猫である」を書かせたのもこの人。“家庭婦人”という層に目をつけ、「台所俳句」を提唱して同人、門下生を増やすという「商才」もあり、実際のところはどうだったのか知らないが、内心は「女ども」と蔑みつつ、そういう女どもを煽てて飯のタネにする、というような虚子の計算高い裏面も、ドラマにはちょろっとにじませてある。演じる日下武史も巧い。俳句の世界で帝王と言われ、日本中の俳人から渇仰されつつも、気に入らないとなれば、一人の俳人の人生を事もなげに捻り潰してしまえる怪物性をも併せ持つ人物だった気配がよく出ている。

谺(こだま)して 山ほととぎす  ほしいまま

俳句への情熱と虚子への憧れが妄想的な恋愛感情となって噴き出す久女。夫と離婚し、子供は引き取り、虚子の傍で俳句の道を究めたい、と願う久女だったが、彼女の手紙を読んだ宇内は仕事を休んで上京する。戻らなければ子を殺す、とう宇内に久女は獣のように咆哮する。絶望の咆哮を。

長じて久女の懸恋の地、鎌倉に嫁いだ長女昌子に壇 ふみ。これも適役。この娘は心情的に母寄りで、哀切の想いで俳句に取り憑かれた挙句にミューズの神に去られようとしている母をみつめる様子などが印象的だ。壇 ふみは着物姿の戦前の婦人役に、とにかくはまるのだ。



というわけで、大正から昭和にかけての時代、何かで自分を表現したいと願う女性が、家庭や社会の因習という頚木に縛られつつも、何とか自分の道を進もうとあがく姿を樹木希林が熱演している。着物姿でたすきがけをし、昔の、ガスも水道もない台所で立ったりしゃがんだりしながらご飯の支度をする久女。大根を切ったり、味噌汁を作ったりする姿が板についている樹木希林。昔の主婦は大変だったのだなぁ、とつくづく思う。


火力は炭 水は井戸から汲みあげる…昔の炊事は大層な労働だった

家事労働も重労働。その上、子育てに夫の世話。自分の時間は皆が寝静まった夜しかない。夜中にトイレに起きた娘が、縫い物や繕い物をしながら茶の間にいる久を見てほっとするシーンがある。昔の日本の母というのは、そういうものだったのだろう。
実業家のサロンに、コテをあてた髪に絞りの着物で現れるシーンでは、久女と同時代の歌人で「筑紫の女王」と呼ばれた柳原白蓮の日常なども、ちょっと脳裏に浮かぶのである。白蓮は自らの不幸を歌にしつつ、姦通罪をも押しのけて最終的に望むものを掴んだが、久女はどうであったのか…。


工業都市の片隅に埋もれていた久女は漸くサロンに出入りして社交生活を始めるのだが…

杉田久女は格調高い、端正で完成度の高い句を読む俳人だった。が、その才能に反比例して、毀誉褒貶の激しい人物とされてきた。長年同人だった「ホトトギス」を高浜虚子によりさだかなる理由もなく破門された事から、その後、人格を曲解された人物像が出来上がっていったらしい事は、田辺聖子の原作を読むと窺える。好きとなったらそれ一筋。真面目で一途な人柄も度が過ぎて人に疎ましがられる結果を呼んでしまう。

実業家のサロンで、その館の主人の若妻が言う。
「あの方、なんだかとても息苦しいの。俳句にも人にも、夢中になりすぎるんですわ」
この一言が久女という人の核を言い現していると思う。
この一生懸命な「熱」が、久女にあれだけの句を作らせ、そして久女が大事に思うものから遠ざけられる元になるのである。のめりこむとブレーキが効かないのだ。虚子に疎まれて破門された久女の句からは、歳月につれて精彩が欠けていく…。




「早すぎたノラ」杉田久女の半生を、その折節の彼女の珠玉の俳句を織り込みつつ綴った名編。
脚本、演出、キャスティング全てにおいて文句なし。モーツァルトの弦楽五重奏曲 第4番ト短調の荘重な調べがBGMに使われ、それがドラマの空気にとても合っていた。

コメント

  • 2010/06/04 (Fri) 14:14

    高橋幸治さんが今何をされているかご存知でしょうか?

    • 旭川の自称美女 #XSag7DMU
    • URL
    • 編集
  • 2010/06/04 (Fri) 23:14

    旭川の自称美女さん。
    高橋幸治さんは、たぶん現役で俳優を続けられていると思われますが、近況などは存じ上げません。

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