「許されざる者」 (UNFORGIVEN)

~男には、やらなきゃならない時がある~
1992年 米 クリント・イーストウッド監督



どういうものか男騒ぎのシブいアクション物が観たい気分になり、「アパルーサの決闘」(2008)を観てみたのだが、監督も兼ねる主演のエド・ハリスの顔で(?)ヴィゴ・モーテンセンや、ジェレミー・アイアンズなどいい俳優を揃えているので期待したものの、なんかイマイチぴりっとしないユルい作品で期待はずれだった。演出にメリハリがないという事もあるし、知合う男をみんなその気にさせるようなそそる美女という設定の役で、なぜにレネー・ゼルウィガー?という巨大なミスキャストもありで(レネはブサかわいいのが売りだとは思うのだが、この映画ではただひたすらにブサな上にウザい「構って女」であった)なるほど日本未公開にはワケがあるな、と納得した。あまりに拍子抜けだったので、もっとピリっとした映画はないのかねぇ、という事でふと思い出したのが「許されざる者」。随分前に民放の吹替え版をちょこっと観ただけで一度もちゃんと観ていなかったので、この際だから、ちゃんと観てみることにした。

それにしてもこういう西部劇をみると、開拓時代のアメリカ中西部の野蛮さというのは、目を覆い、鼻をつまみたくなるような臭気ふんぷんのものだったのだなぁとため息が出るが、誰もが銃を持って自分の身は自分で守る、というのは、この野蛮な開拓時代からの流れなので、21世紀に入っても、一朝一夕にはアメリカの津々浦々の家庭の引き出しから完全に銃を取りあげるという事は出来ないんだろうねぇ、と思ってしまうわけである。
たかだか200年程度しか歴史のない国での、葬り去れない近過去なのだものね。

イーストウッドが演じるのは、かつては途方もないならず者だったのが、自分を愛し、改心させてくれた妻のために銃を捨て、酒もやめ、豚を飼って農夫になっている男ウィル。が、彼が愛する妻は天然痘により若い身空で逝ってしまった。残された二人の幼い子供を抱え、初老の元ならず者は懸命に貧しい農夫の暮らしを続けるのだが、飼っている豚は病気豚ばかり。赤貧洗うがごとしのあばら家生活である。そんな折、娼婦をリンチにかけたカウボーイ二人に対して1000ドルの賞金がかけられているという話を耳にしたウィルはかつての仲間ネッド(モーガン・フリーマン)に声をかけ、子供の将来の為にまとまった金を手にしようと、幼い子供を残して賞金稼ぎの旅に出る。

11年も農夫暮らしをしてきて勘の鈍ったウィルが、久々に銃を引っ張り出して撃ってもサッパリ的に当らず、馬に乗るのにさえ苦労するあたりは、「たそがれ清兵衛」で、清兵衛が大刀を妻の葬儀の為にたけみつにし、庭で久々に素振りをしてみて「…ナマっとるのう」とボヤく様子を思い出す。

このイーストウッドのヨレっぷりがある意味、ミソとでもいいましょうかね。もう年だし、若い頃みたいにニコリともしないで銃をボンボンぶっ放してクールに全て片付けるというわけにはいかない。言う事をきかない馬に手を焼いてなかなか乗れない始末だし…。思えばイーストウッドはアクション俳優でありながら、キビキビした機敏な動作というものには若い頃から無縁な男だった。(とにかく動きがドスンドスンして鈍くモタモタしている)だが、年を召してその緩慢な動きも年相応で気にならなくなり、この映画ではその緩慢さがアクションにリアリティを持たせてもいる。
余談だが、お相手をするという娼婦の申し出を断り、禁欲の方はひたすらに完遂するウィルであるが、私生活で女好きな人ほど映画では禁欲的なヒーローを演じたがる傾向があるなぁ(ブルース・リーもそうだった)、と思ってふふふ、と受けてしまった。



この映画がコンビの組み始めだったのか相棒役のモーガン・フリーマンもいい味わいで、イーストウッドがフリーマンを俳優としてとても好きなんだねぇ、という感じが観ていてなんとはなしに伝わってくる。
傍から見ていても、相性が良さそうだなぁと感じる二人である。
フリーマン演じるネッドは、賞金稼ぎの話をもちかけてきた小僧のスコフィールド・キッド(ジェームズ・ウールヴェット)とウマが合わず何かと言えば言い争っている。キッドが近眼だというので難癖をつけたり、俺は早撃ち名人だ、などと吹くが、そこには裏返された彼の不安がアリアリと表出している。ターゲットのカウボーイを荒野で追い詰め、止めをさそうと思えば雑作なくできるにも関わらず、ネッドは引き金を引く事ができない。ビビッて標的に当てられないからというのではなく、殺生をすることがその刹那にどうしても嫌になってしまったのだと思う。その瞬間に、彼は永遠に切った張ったの世界から足を洗ったのだ。



過激に賞金稼ぎを排除し、町に銃を持ちこませまいとする保安官にジーン・ハックマン。日本の昔の悪役・遠藤辰雄と顔や持ち味が似ている気がするのはワタシだけだろうか。ジーン・ハックマンは敵役とか、後ろ暗い事を隠そうとして裏から糸を引く権力者とか、そういう役ばかりをず??っと演じているけれど、そして確かに巧いし、ハマリ役ではあるけれど、たまには違う役もハックマンに演じさせてあげてはどうか、と思わなくもない。このままずっと憎まれ役専門で行っちゃっていいのかなぁ。そういうのしか出来ない人じゃないでしょうに。巧いけど、毎度なんか気の毒になってしもうて。こんな役ばっかりで。しかしまぁ、ハマリ役ではあるのだけど。今のところ悪役街道一本道をまっしぐらである。ある意味潔いけれど。それでいいのか、ハックマン。

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意気揚々とお抱えライターを連れて町にやってきたジョンブルのガンマン、イングリッシュ・ビル役でリチャード・ハリスが登場。なんかもうちょっと演じどころのある役なのかと思っていたら、ハックマン演じる保安官の根性の悪さや、残忍で容赦しない性格を描写するための駒としての登場だった。気の毒なほど殴る蹴るされた上に、伝記作家にした話は都合のいい作り話だったと暴露されてヨレヨレで町を去る。…気の毒すぎる。ピーター・オトゥールだったら観てるのが辛くなって早送りにしちゃったかも…。



土砂降りの雨の中を町について、女も抱かず、酒も飲まずに襟元を掻き寄せて縮こまり、やってきた保安官に殴る蹴るの手荒い歓迎を受けるウィル。亡き妻との誓いを守り、聖職者もびっくりな堅物ぶりだが、瀕死の重傷を負い、死の恐怖に魘され、ネッドに「死ぬのが怖い」と弱音を吐いたりもする。肝心なところで引き金を引けないネッドともども、いかなるならず者も年を取り、一度足を洗ってマトモな生活をした後では、芋でも撃つように人を撃つことはできなくなり、他人を散々殺してきながら、自分が死ぬ事が怖くなるのだろう。九死に一生を得て命の有難さに感嘆するウィルだが、それで賞金稼ぎを諦めたわけではない。一人目をしとめたウィルは、二人目をキッドにしとめさせる。結果、いきがっていた血気盛んなキッドは最初の殺人を終えた後ですぐに、もう人殺しは沢山だ、と思う。先輩のオッサンたちより悟りが早い。

賞金を受け取ったのと同時に、故郷に帰ったはずのネッドが拷問死した事を聞かされたウィルは封印してきた酒をついに口にする。金を持たせて先にキッドを帰したウィルは、拍車を鳴らして、大雨の中、一人敵陣に向かうのである。この辺はもうお約束の展開。洋の東西を問わず最後の殴りこみは一人で赴く、と相場が決まっている。大向こうから喝采の湧く瞬間である。酒場の玄関脇に晒されたネッドの遺体がいやがうえにも怒りを煽る。それまでどんなにヨタヨタ、モタモタしていようとも、ここぞという時にはキメなくちゃ男ではない。というか、冒頭からのヨレヨレっぷりを印象づけておいて、ラストの鮮やかなガンマンぶりで溜飲を下げてくれよ、という事なのだ。そこはもう、主演スターで演出家のイーストウッド、ツボはキッチリと抑えている。

彼は相変わらずのモッタリした動きながらもあっという間に保安官を含む5人を撃つ。
死んだフリを装って反撃しようとした保安官にとどめを刺す間際に、「貴様こそ本当の悪党だ」と引導を渡すのだが、保安官だけが“許されざる者”なのではない。あの時代に、あの国で、一人でも勝手な理屈で人を殺した事のある人間は、皆“許されざる者”なのだ。地獄で待ってるぜ、という保安官にそれは否めないとウィルも分かっている。彼とても正義の味方などではなく、金目当てに人を殺した“許されざる者”なのだと。



ラストに、貰った賞金を元に西海岸に引っ越して商売で成功した、というようなナレーションが入るが、なんだかそれは余計な気がした。“許されざる者”にハッピー・エンディングは無用である。
この頃のイーストウッドは、後年に比べるとまだ少しツメの甘いところがあったのかも。けれど、師匠ドン・シーゲルとセルジオ・レオーネに捧げた西部劇への挽歌として、それなりに見応えのある作品だった。

コメント

  • 2010/01/15 (Fri) 00:33

    kikiさん、これはズシリと重い作品だけど、やっぱりイーストウッド魅せてくれるなぁ、傑作だなぁ、と思うんです。許されざる者とは誰を指すのか? かつて無法者として何人もの人を殺した過去を持つウィル、たとえ改心していようとも彼こそが許されざる者なのか・・・と私は考えてたんだけど、そうか、kikiさんの見解にも納得。殺人の肯定と否定というのか(上手く表現できないんですが)これは「グラントリノ」でも同じメッセージを出してたと思います。イーストウッドは枯れて一層渋く、ぶざまな姿も見せるけれど、何だかんだと最後はねぇ~やります! ただその後の空虚さが何だか堪らないんですよね。妻の墓参りのシーンとか印象深いですね、しみじみとして。それとモーガン・フリーマンのネッドが何とも可哀想で、遺体のシーンはショックでした。そういえば「ミリオンダラー・べイビー」でも二人はいい味わいのコンビでしたね。
    本当はもう一度きちんと見直してからコメントを、と思ったらレンタルは貸し出し中で×、手元の録画もどこかへ行ってしまったらしく・・・(涙)。また近いうちに見てみたいですね。

  • 2010/01/15 (Fri) 07:47

    ジョディさん。「西部のあらくれ時代とならず者への挽歌」って感じでもありますね、この作品は。観ているとウィルだけが「許されざる者」だとはどうしても思えないわけです。保安官も行き過ぎて職権濫用だし、ネッドもああいう末路で若い頃にした悪業の報いを受けた。さて、ウィルは?というところでラストのナレーションがちょっとなぁ…と思いますが、俺もお前もならず者、末は地獄にまっしぐら、というウィルの覚悟は伝わってきましたね。
    単純な勧善懲悪ではなく、主役に老いたガンマンを持って来て静かな引いた視線と人生への悔恨をにじませ、一方的にヒーローとしても描かない。けれど映画的カタルシスを考えて、キメるところはバッチリとキメる。作り手としてのメッセージをこめつつ、観客の心理を考えて興行的な面にもきちんと配慮したプロの仕事って感じの映画でした。ただ、撃ち合ったあとの空虚さ、行く手に待ち構える闇、というものをさりげなく描いていたのは「シェーン」の方が一枚ウワテかな、と。決闘に勝利し、世話になった一家に別れを告げたシェーンは馬で一人去るわけですが、引きの画面で片手はだらりと下がり、それはシェーンが傷を負っている事を示していて、彼が馬で進んで行く道の周囲は墓場なんですね。それは荒野でのたった一人の死を暗示している。幾人も人を殺したガンマンの末路というのはそうあるべきで、子供を連れて西海岸に移住して商売で成功しちゃマズイんじゃないか、と思わなくもないんですよ、ワタシ的には。どうも納得がいかないのはそこだけですね。…あぁ、シェーンを引き合いに出したらワタシは久々にシェーンが観たくなってきちゃいました。(笑)ジョディさんは「許されざる者」を久々に是非。

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