「(500)日のサマー」 ((500) DAYS OF SUMMER)

~運命じゃない人~
2009年 米 マーク・ウェブ監督



年明け1本目の封切り映画観賞はこれだな、と思っていた本作。売り出し中の若手女優の中で一番いいんじゃない?と思っているゾーイーちゃん(あちらでの発音通りに表記するとズーイーなのだろうけど、響きがあまり好きじゃないので当ブログではゾーイーでいきます)の主演作だし、トレーラーを観ても外れなさそうだったので公開になる年明けをお待ちしておりました。そう思っていたのはワタシだけじゃなかったのだろう。サービスデーの日比谷シャンテは満員ソールドアウト。勿論ネットでチケットは押さえてあったのだけど、発券機も1台しかない有様で相変わらずのシャンテである。当る映画がかかる確率が高いんだから、チケット売り場の構造や発券機の台数について見直しが必要よ、と行く度に思う。マジでちょっと考えましょう、シャンテさん。

と劇場へのチッチッチ!はこのくらいにして本題へ。
「運命の恋を信じるナイーヴな青年が、対照的な恋愛観の女性と辿る甘くてホロ苦い500日の愛の軌跡を綴った異色のロマンティック・コメディ」(all cinema onlineより)という本作。とにかく、キャストも音楽も脚本も雰囲気も全てが違和感なしに構成されていて、映画の作る世界に気持ちよく入れた。
何といっても主演の二人の魅力を余すところなく引き出した演出が肝。
お目当てゾーイーちゃんは、彼女ならではというか、彼女を想定して書かれた役に違いないサマーを地のように演じていたし、彼女に恋するトムを演じるジョセフ・ゴードン=レヴィットは子役出身なのかしらん~童顔にひょろっとした体つきで「へなちょこ君」という感じだが、掴めない女の子に惚れてしまって極楽と奈落を味わった果てに一段階大人になる男の子を表情豊かに演じている。



観ていて、なんだかとても等身大だなという感じがした。ことに前半、二人が勤めるグリーティング・カード会社での出会いや、エレベータの中で乗り合わせた時の空気感、カラオケ屋での飲み会の様子など、どの場面も空気感が実に等身大で、アメリカの話だというのも忘れるほど普遍的な空気が漂っていた。あまり大きくない会社という設定でもあって、会社の内装はユニークで、ポイント的に木材が使われており、日本でも青山の裏手やら神宮前あたりの小さなテナントビルに入っている制作会社ってこんな感じのとこありそうだなぁと思いながら眺めていた。このウッディなテイストというのは監督のお好みらしく、サマーが住んでいるアパートの階段も美しい木の階段で印象に残った。

トムとサマーの500日の間をランダムに選んでエピソードが前後しながら描かれるのもお約束。ある時には出会ったばかりで何をしても一緒にいて楽しい頃だし、次のシーンではサマーの心に秋風が吹きはじめて、何かが終わりかけているのが分かる。どのシーンでもゾーイーは非常に魅力的である。彼女はまさにこういう役にはうってつけの女優で、サマー=ゾーイー・デシャネルであると思ってしまうぐらいにハマっていた。殆ど演技なんかしてないでしょ、あれは地でしょ、そうでしょ。対するジョセフ・ゴードン=レヴィットはシリアスもコメディもいけるという可能性を示していたが、若いうちはともかく年を取ったらちょっと生き残れないのでは~という感じもちらっとしなくもなかった。

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ともあれ、サマーと初めて夜を過ごしたトムの心象風景を表すシーンでは、急にミュージカル仕立てになって、町でウキウキ踊ったり、建築家志望のトムのお気に入りの場所でお気に入りの建物群を眺めつつ、サマーの腕を紙代わりにしてトムが街の絵を描くシーンは印象深い。サマーと決定的にすれ違ってしまった夜、一人去りゆくトムの影を残して背景の夜の町がイラストになり、そのイラストが消しゴムでまだらに消された侘しい背景が残るなど、ありきたりな話をキャストの魅力と演出のセンスで見せてしまう作品の典型だな、と感じた。二人がIKEAのショールームではしゃぎまわるシーンなども、どこかで見たような感じでありながら、なんだかニマニマしながら観てしまう。IKEA、デザインはいいんだけどね。パーツが重くて組み立て式っていうのがどうもねぇ…。コピー室で二人が他人行儀に並んでコピーをとっていたかと思うとサマーがふいに顔を近づけてくるところなど、来るぞ、来るぞ、と思ってて、そら来た、とニヤニヤ。おや、あの複写機はC社製なのね…。

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サマーは運命の出会いなど信じないという女の子。幼い頃に両親が離婚したことからそういう見解がしみこんだのだが、誰ともステディな関係にならない、というのは裏を返すと真剣になればなるほど破局した時の痛手に耐えられないからである。運命の相手を信じないと言うサマーは、実は誰よりそういう存在を心の奥底で信じているし、待ち望んでもいる。そんなものを信じない人間が「卒業」を観て大泣きしたりはしない。

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サマーは言う。
「ある朝起きて、突然思ったの。あなたとはもう無理だって」 
「あなたは私の運命の人じゃなかったの」
聞いているトムはがっちょ~~~ん、だろうけれど、こういう事って往々にしてある。どうしてもこの人だ、この人でなければならない、と思わない限りは、これでもいいけど他でもいいかも、と思いつつ付き合ったりしていると、ある日ある時、それまでチロチロしていた好感や、相手に感じていた魅力が、ふいに綺麗さっぱりと消滅してしまっている事に気付く日がくる。浮気もしない。喧嘩もしない。けれど、既に何かが死に絶えてもう生き返らない。そういう事にふいに気付く時が来るのである。

サマーとトムは出会い、付き合って、別れた事により、互いに自分がそれまで思ってきた人間とは違う人間だったことに気づく。すなわち、サマーは「運命的な出会いを信じる女」であり、トムは「全ては偶然で何ひとつ運命ではない」と考えるタイプであることに。互いに子供の頃から漠然と抱いてきた先入観をお互いに出会った事により捨て去り、人生のコマを1つ先に進めることができたというわけだ。そろそろそういう時期が来ていたから二人は惹かれあったのかもしれないし、その年、その場所で出会うサダメだったのかもしれない。「運命の人」というのは人生を共にする人とは限らない。後で振り返ってみて、人生のどこかのポイントで何かしら重要な役割を果たした人も「運命の人」であるだろう。
そう考えれば、サマーにとってトムはやはり「運命の人」と言えなくもない。

いずれにしても、地球上にこんなに多くの人がいて、それぞれに色んな国と地域に住んでいて、そんな何億もの人の中から、一人の人間が一生のうちに出会うのはごく限られた人である。人間はごくごく小さな限られた可能性の中でしか生きていない事を考えると、そんな各々の小さな視野の中に入ってくる人はごく限られた、選ばれた人であると言えなくもない。たとえそれが路傍で袖摺りあわせただけの赤の他人であったとしても。別の言い方をすれば、どこの国に生まれたのかも偶然で、誰とどこで出会うのかも全て偶然の産物だも言える。
いずれにせよ、ごく限られた可能性の中で出会う人には良きにつけ、悪しきにつけ何らかの意味があるのかも。
そう思って周囲を見渡すと、また新たな発見があったりする、かも、しれませぬね。ふほ。

コメント

  • 2010/01/16 (Sat) 06:25

    昨日行きました。
    ワタシもコレ好きなタイプでしたよ。アッサリしていて。(笑)
    トムってハルキワールドに登場しそうなキャラだわ~と思って観てました。
    ラストは・・・クスッと笑ってしまったわ~。フッフフ
    男性客が多かったのが意外なところでありんした。

  • 2010/01/17 (Sun) 00:03

    お、吾さんも行かれたのねん。短くてさらりとセンスのいい映画でしたね。トム役の彼、当初はなんであんなへなちょこ君が相手役なの?と思ったけど、へなちょこ君でいい役なのね。ちなみにワタシが春樹作品の「僕」っぽいと思っているのは「クルーレス」や「私の愛情の対象」でポール・ラッドが演じたキャラなのよねん。この映画、ラストは確かにふふふ、という感じ。オータムの次はウインターかしらん?で、劇場に男性が多かったのはひとえにゾーイー目当てでしょね。ゾーイーは良いな。久々に出演作をチェックしたい女優が出てきたわ。むほ。

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