「今度は愛妻家」

~墓に指輪ははめられず~
2009年 東映 行定勲監督



東映の直営館で映画を観るなんて、一体いつ以来の事なのか忘れてしまったほどに久しい事なれども、まぁ一応観ておこうかなというわけで丸の内東映へ。ここは地下鉄が通ると劇場内までその音が微かに響いてくるとか、椅子の座り心地が悪いとか、居心地のいい劇場の増えた昨今では、場所も銀座3丁目だというのにかなり珍しい劇場ではある。噂の地下鉄の通過音はあまり気にならなかったが、椅子の座り心地は確かにちょっときびしかった。1時間を過ぎるとかなりお尻が痛くなってきて何度も体勢を変えつつの観賞となった。

さて、本題。
なんとなく、昨年秋にこの映画のポスターを観たときに想像した内容とは趣きの違う映画だなというのは、観る前にうっすらと分かっていたのだけど、結論から先に言ってしまうと、う?ん、何と言うか、ワタシ的には乗りきれない作品だった。始まって暫くは違和感はなかったものの、写真家である夫・俊介(豊川悦司)が写真を撮ってやると言って家に呼んだ女優の卵で水川あさみが出て来たあたりで、いや?な予感が漂い始め、彼女の振りまく違和感や不快感は大詰め前で炸裂する。水川あさみの声としゃべり方を生理的に受け付けないワタシとしては、彼女が熱演すればするほど、椅子の背もたれに背を押し付けて、それ以上は下がれないほどドン引いた。
水川あさみ演じる女優の卵と俊介の弟子とのエピソードはまるごとカットして差し支えないように思う。これからの若い二人、という事で筋に絡めたという意図は分るのだけど、なんだかもう設定がベタ過ぎちゃってキャストともどもかなり引いた。
水川あさみの振りまく不快感をいくらか払拭してくれるのは石橋蓮司が演じるオカマの文ちゃんである。
蓮司が出てきてくれなかったら、ワタシ的にはかなりしんどい事になった気がする



トヨエツ演じる写真家・北見俊介と妻さくら(薬師丸ひろ子)の住む写真スタジオ兼住居の佇まいや、彼らの家のある町が雑司が谷という設定(鬼子母神の近くに家があるという事らしく、境内が頻繁に映っていた)などは、いい味を出していたと思うのだが、観ていて、そういう背景や話の設定、オチを効果的に活かしきれてないなぁという感じがして仕方が無かった。それは、大詰めにドンデン的に種明かしを持ってきたために、夫婦の関係性と時間軸の流れが分りにくくなっている事も原因だと思う。1年前からそういう状態になっているのに、それまで相変わらず我儘状態で妻に接していて、彼女が消える間際になって「もっと優しくしておけば良かった」と言うのも何か妙だなぁという感じがするのだ。そういう悔恨は既に1年前に散々味わったはずで、その教訓が反映されないままその後の1年を推移したというのは不自然じゃなかろうか。
メッセージとしては、いざその日が来た時に、後悔しなくていいように大事な相手に接していかないとね、という事なのだが、そのメッセージをより効果的に伝えるためのクライマックスに繋げる流れが、なんとなくイマイチだったなぁという気がする。伝えたいメッセージはわかり易いのだが、どうも見ていて気持ちよくその世界に入れなかった。その原因としてはやはり脚本と演出だろうか。トヨエツと薬師丸ひろ子のコンビネーションは悪くなかったと思うのだけど、もうちょっと違う見せ方をしてくれると、もっと設定が生きたかもしれないなぁと硬い椅子に座りながら思った。

それでも、そんな風に少し引き気味で観ていたのはワタシだけかも知れず、クライマックスのシーンではあちこちから鼻を啜る音が聞こえてきたので、おおむね、トヨエツファンの女子たちには満足のいく映画だったのかもしれない。

薬師丸ひろ子は遠目には「きらきらひかる」のころとあまり変化していないように見えるが、アップになると年齢相応の衰えも見える。しかし、ホワホワとした可愛い奥さんにはピッタリではあった。
トヨエツは、細くて手足の長さと眉毛の薄さだけがやたらに目だった若い頃に比べると、随分肉付きが良くなってがっしりしたなぁと思ったが、年を取って役の幅も体の幅も広がったという感じだろうか。



ふらりと戻ってきた妻さくらに「写真を撮って」とせがまれた俊介が、家の中と外で彼女を撮るシーンが良かった。撮りながら、妻の頬に手を触れる夫。
現像された写真には妻の頬にそっと触れる夫の手だけが空間に差し出されている…。

ワンシーンだけちょこっと出てきた井川遥が妙に綺麗に見えた。

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