「イングリッシュ・ペイシェント」 (THE ENGLISH PATIENT)

~愛と死 そして砂漠~
1996年 米 アンソニー・ミンゲラ監督


この作品については、封切り当時はさして興味がなくスルーしてしまい、1年半ぐらい前にコリン・ファースが出ているので一度観たものの、ご贔屓コリンがあまりにルックス的にも役柄的にも冴えない寝取られ男を演じていたのと、苦手なジュリエット・ビノシュが出ていたのとで、観賞熱が薄れ、サササと観て終了してしまっていた。この次はちゃんと観てみようと思っていたところ、映画チャンネルで放映される事が分ったので録画しておいて真面目に観賞。 ふ???。 さてもさても、いと物狂おしき砂漠の大ロマンスかな。

いやいやいや。それにしてもレイフ・ファインズにはこういう役がよく似合う。うってつけとはまさにこの事。
今、リメイクするとしてもジュード・ロウではいささか甘いだろうし、オーランド・ブルームでは薄味すぎてネッチョリとした翳りが足りない。ハンガリー貴族というところで、ジョニー・デップなどは、レイフとはまた趣の違う翳りを出して良いかもしれないが貴族性に欠けるキライもありそうな…。ジョニデは貴族よりジプシーが真骨頂だ。
これはやはりレイフ・ファインズならではの当り役だろう。「浮雲」の富岡が森 雅之以外に居ないように、アルマシー伯爵はレイフ・ファインズ以外に適役はいるまい。引き合いに出したついでに書くと、高峰秀子は「浮雲」について、「とにかく恋愛も恋愛も、恋愛以外に何もないような大恋愛ものだった」と「私の渡世日記」で唸っているが、これもまさしくそんな映画で、砂漠を背景に恋愛も恋愛も、恋愛以外に何もないような大恋愛もの、である。その他にもひっそりと語られているテーマ(外国人は皆スパイだと考える英国人の強力な排他性など)はあるのかもしれないが、いやもう、とにかく大恋愛もの、には違いない。


まだ髪もふさふさしていたし、この作品は生涯最高の当り役か レイフ・ファインズ

レイフも、相手の人妻を演じるクリスティン・スコット・トーマスもルックス的に絶頂期で、まさにこの期を外してはありえなかったタイミングで制作されているのも、時分の花という事をよく心得た制作サイドだな、という気がする。

クリスティン・スコット・トーマスは、「不倫に走る人妻」専門職、というイメージが強いワタシ。彼女を最初に観たのが「ハンドフル・オブ・ダスト」(1988年)という作品で、優しい貴族の夫(ジェームズ・ウィルビー)がありながら、そんな夫に不満で若いツバメ(ルパート・グレイヴス)に走った挙句に取り返しのつかない悲劇を招く、業の深い女を演じていた。それが印象的だった事もあるのだけど、そういう役がハマるタイプでもあるのだろう。
彼女の持つおハイソ感や、知的なムードが「イングリッシュ・ペイシェント」では最高に活かされていた。でも、この人はあっという間に老け始め、僅か4年後の「ゴスフォード・パーク」では早くもすがれだしていたのが印象深い。昨今では長持ちする花も多い中、昔ながらの命の短い花といえるかも。
ただし、枯れてから長もちしそうだけど。


不倫な奥様が良く似合う クリスティン・スコット・トーマス

そして、コリン・ファース。この作品ではレイフの引き立て役に徹するためかどうか、やけに肉付きが良く、顔もまるまるとして別人みたいである。キャラとしても魅力ゼロ。確かにこれじゃ妻を寝取られてしまうかも、な気配が濃厚に漂っていた。増量気味なのが役作りだったら実にお見事。まぁ、レイフよりカッコ良くちゃ話もおかしくなるので、ちゃんと考えて太ったのかもしれない。(また、対照的にレイフはキリっと引き締まって、この映画以上に彼がハンサムに撮れている作品も他にないかもしれない位)ただ、チリほども疑っていなかった妻の浮気を初めて知った時のショックな様子はやはり胸キュンで、裏切りを知りながら黙っていて、最後に炸裂しちゃうのも無理はなかろう、と思われた。


一体どうしたのよ…こんなに太って

今回再見してみて、アルマシーと共に調査をしていたマドックスを演じたジュリアン・ワダムがなかなかいいな、と思った。いつもヒドイ目に遭う役が多いウィレム・デフォーは、今回も痛い目に遭っていた。

時代背景や場所の設定も、大ロマンには欠かせないシチュエーション。
砂漠、遺跡、エキゾティックな植民地、戦争、スパイ容疑。
そして、滑らかな凹凸が悩ましいまでの陰翳を形作る砂漠の上を、ゆるやかに飛んでいく複葉機の影…。
「アラビアのロレンス」でもつくづくと思ったが、砂漠の砂の堆積、その堆積が風によって作り出す柔らかい襞の陰翳は、なんとぬめらかで悩ましいことだろうか。水も枯れ、蠍が住み、ぺんぺん草も生えない死の土地が、なぜにそんなにも悩ましい美を備えているのか。砂漠がロマンティックに見えるのは遠目に傍観している場合に限るのだが、その滑らかな砂の下に隠されている死さえもどこやら甘美に思わせてしまうのは、その悩ましい美のなせる技かもしれない。実は苛烈で過酷でロマンティックなどとは程遠いひからびた場所だというのに。
砂漠の官能はつまるところ、「死の蠱惑」そのもののようにも思われる。


悩ましい砂漠の上を飛行機が飛んでいく

甘美な“死の道行き”の二人

似たような映像を「愛と哀しみの果て」(原題はOUT OF AFRICA 1985年)でも観た。ヒロインがメリル・ストリープなのはともかくも、何も人工的な建造物のないアフリカの大地の上を、恋人と二人乗りの複葉機で飛ぶというのはなんとロマンティックな事かしらん、と思ったものだ。滑らかな大地にやわらかく落ちる複葉機の影…。
砂漠の複葉機は、今回も非常にロマンティックに作用していた。
ロマンティックといえば、砂漠の夜の星空なども、あまりにもクリアに、漆黒の夜空に満点の星が降るように煌いていて、凄い程に美しい光景だろうと思うけれど、そんなものをウットリと眺めていると忽ち砂嵐が襲ってきて、何もかも一瞬にして砂に埋もれてしまうわけで、この世ならぬ美しさと、常にそこに偏在している死の棘が表裏一体になっているのが、砂漠の魅惑の本質かもしれない。

そして「山小屋の一夜」のように、この砂嵐に襲われて砂漠の夜を共にやり過ごした事で、それまで垣根のあった男と人妻はついに垣根をはずしてしまうに至る。というか、人妻から垣根を乗り越えて男の元に来るのである。自分から白いワンピースでやってきながら、男をいきなり殴りつける。が、アルマシーは膝まづいて彼女の胴を抱きしめる。抱きしめるというよりしがみつく、という感じだろうか。レイフ演じるアルマシー伯爵は、どこやら人間嫌いの偏屈な男というキャラで、無愛想で一切の社交辞令がなく、口数も少ない。が、こういう男がひとたび恋の熱情に掴まれると、それはもう大変なことになる。盲目も極まってブレーキなど効かない。
レイフ・ファインズはただ何もせずに立ってじっとこっちを観ているだけで、そういう空気を醸し出している。
当り役とはそういうものなのだろう。



孤独なさすらい人のハンガリー貴族(いわゆる貴種流離)の翳りを端正なマスクに漂わせ、お得意の静かな狂熱を帯びた隠微さは、クリスティン・スコット・トーマスとのラブシーンにおいてまさに全開。涼しげなルックスで、ねっとりとしたエロスを醸し出すのがこの人の真骨頂。でも、彼としてもっとも演じ甲斐があったのは特殊メイクで顔全体にヤケドを負って「怪人」状態になってからのアルマシーだろう。さすがの演技派ぶりだった。
役者としては、キラキラしい二枚目ぶりと死にかけた怪人ぶりと、双方を観客に目一杯見せることのできる役だから、これ以上においしい役もそうそうないと思われる。

今回再見してみて、苦手だったジュリエット・ビノシュを初めて良いな、と思った。全身にヤケドを負ったアルマシーを一人介護しながら人知れず泣いていた彼女が、不発弾処理のインド人将校に出会って恋に落ち、彼に連れられて教会の壁画を見るシーンが、全編で一番ロマンティックで美しいシーンだったような気がする。流れていた音楽も美しかった。インド人将校が橋の下で、振動にびびりつつ不発弾処理をするシーンの緊迫感も手に汗握った。



謎の“イングリッシュ・ペイシェント”となって面相も変わったアルマシーと看護婦(ビノシュ)の交流、その交流を通じて少しずつ語られる彼の熱砂の恋物語。現在と過去が滑らかにスイッチし、全体に流れるような演出で、長いけれども一挙に見せる。

自分たちだけの陶酔には終わらず、犠牲者を生むに至った罪深い恋愛は、砂漠の底で終焉を迎えなくてはならない。だれも知らない、真っ暗な、ひえびえとした砂漠の洞窟の底で。
二人は砂漠で生と死に引き裂かれる。互いに肉体を捨て去って旅だつ日まで、再び逢う事はかなわない。

全編に30年代のジャズ、主にアステア映画の主題曲(アーヴィング・バーリンの曲が多かったと思う)がスィートに流れて、時代色を出し、ガブリエル・ヤーレの優美でロマンティックな旋律とともに作品を彩っている。
このヤーレの音楽が全体のイメージアップにかなり貢献している気がした。

アカデミー賞を9部門取ったとの事だが、そんなにまで圧倒的な出来かというとさほどとも思わないものの、ここまできっちりとシチュエーションを整えて正攻法で展開される「ロマンス」もそうはないので、やはり一見の価値はあるだろう。


そういえば、「ナイロビの蜂」でもこんなシーンを観た気がする…

全編を見終えて、どんなラブシーンよりエロティックで印象的だったのは、やはり死を内包する“影の主役”であるところの悩ましい砂漠の砂の堆積と、その上を音もなく滑っていく複葉機の影ではなかろうかと思った。

コメント

  • 2010/02/16 (Tue) 16:02

    レイフ・ファインズ、一時期大好きな俳優でした。
    どの作品がきっかけでハマったのかとんと覚えていないのですが、「ストレンジ・デイズ」(キャスリン・ビグロー監督)のいつもと毛色の違う(汗臭そうな、アクション系)主人公の彼がいちばん好きでした。ちょっとロン毛で、ちょっと頼りないキャラに乙女心をくすぐられましたねえ。作品そのものも案外佳作だと思います。
    あとは「ことの終わり」、これはぴったりの役だったと思います。グレアム・グリーンの原作も大好きでした!
    その後、レイフ熱は冷え切ってしまいました。ゴシップや後退気味の額が理由かどうかは分かりませんが・・・。
    (追伸:「わたしの渡世日記」いまだ上巻を読んでいる最中です。デコさんの「浮雲」あたりのペエジ、早く到達したいです。)

  • 2010/02/16 (Tue) 17:49

    kikiさん
     この映画は当時とても感動してはまった映画です。サントラを買って繰り返し聞いてました。
    97年頃?まだ娘は10代で、キャサリンの最後に泣いてましたね。舞台のチュニジアの旅行企画にも応募したけど残念ながら当たらなかったです。泳ぐ人の洞窟とか行きたかった~
    レイフ熱にかかって彼の映画、ほとんどみましたね。ビデオも探しまくって。彼の来日公演まで行ってきました。どこまでミーハーだか(笑)あのころの映画評に主役の二人に色気がないというコメントがあって、?と思ったのですが、華がないといいたかったのでしょうか。
     kikiさんのおかげで一気に記憶がよみがえりました。実に的確なコメントだと思います。
    死の道行、まさにその通りですね。砂漠の美しさ、複葉機の影。快楽の果てに待つ死。
    ナイロビの蜂もいいけど、レイフはやはりこの映画が一番だと私も思います。

  • 2010/02/16 (Tue) 21:56

    ミナリコさん。レイフ・ファインズをある時期までは好きだった、という人けっこう多いですよね。ワタシは好きというほどではないけれど、「クイズ・ショウ」の時にお!と思って見ました。「ことの終わり」は「イングリッシュ・ペイシェント」の成功があって、ああいう役ならレイフ、ということで演じた役のような気がしますわ。もう定番的なレイフ・ファインズですね。「レッド・ドラゴン」で、ミスキャストな犯人役をやったり、ハリポタで鼻なしの怪人を演じたりとチャレンジャーなレイフですが、最近作では髪は薄くなった代わりに哀愁がたっぷりとあった「愛を読むひと」が良かったです。でも、この人のベストはやはり「イングリッシュ・ペイシェント」でしょうね。(デコが「浮雲」について語っているのは下巻でもかなり終わりの方ですよん。楽しみながら読んでいって下さい)

  • 2010/02/16 (Tue) 22:00

    ふうさんは、この手の映画お好きそうですね~。サントラも確かに良さそうです。音楽と撮影がいいと全体にグーンとイメージアップしますよね。チュニジア旅行企画にも応募されたんですか。かなりミーハーにレイフにハマっておられたんですねぇ。ふほふほ。当時、二人に華がないという評もあったんですか。ふぅん。まぁ、確かにクリスティン・スコット・トーマスは派手さはないですが、適役だったような気がしますわ。原作を読んでいないので自分の中に既存のイメージが無い事もあって、男女ともにこれでバッチリという感じです。「ナイロビの蜂」もなかなか良かったんですけどね。話としてはあちらの方が面白かったけれど、ロマンティックという点ではこちらでしょうね。最もハンサム盛りの時期に撮った真っ向微塵の気恥ずかしいばかりの大悲恋ロマンスですからして。ねぇ。

  • 2014/08/01 (Fri) 15:46

    kikiさん、こんにちは!

    ♪夏が来れば思い出す〜、はるかな砂漠〜イングリッシュ・ペイシェント!

    もう8月になっちゃいましたね。この映画好きでした。私にとっては重要な映画となってます。初見で非常に気に入ったのですぐに原作を読んでみた。作者はブッカー賞受賞のスリランカ出身のカナダ人マイケル・オンダーチェ。原作と映画は別物という典型なのだけどどちらも面白い。原作はいろんなエピソードがコラージュしてあるという感じでいわゆる普通の小説ではなく、アンソニー・ミンゲラは良くこの話をまとめたな〜と感心しました、当時。

    廃墟の修道院で、ハナがピアノを弾く場面。曲がバッハの“ゴルトベルグ変奏曲”だったのが、ハナが母親から「あなたの夫はピアノが連れてくる」と言われたという程の腕の持ち主だというのを巧く表現してるなと思った。さすがミンゲラと・・。
    ところが、時が経つうちある疑問が・・・あれ?この曲この頃(終戦直前だから’45年)まだそんなにポピュラーじゃなくて(ランドフスカがチェンバロ演奏してたけど)’55年にグレン・グールドがLP出してから爆発的人気が出たわけだから・・・カナダのモントリオールに住む女の子が戦前に弾いていたのかしら?(細かい事が気になる困った癖)等々。

    まあ、それは置いといて。オンダーチェ(この人も波瀾万丈な方です。オンダーチェはオランダ由来の名前とか)の作品を追って行くうちとっても面白い本に出会ったの。ウォルター・マーチとの対談集『映画もまた編集である』(原作“THE CONVERSATIONS")マーチは、幾度もアカデミー賞を取ってる名編集者(音響技師)(ゴッドファーザーⅡやⅢ、近年ではジャーヘッドも手がけてます)で、二人は映画『イングリッシュ・ペイシェント』の制作現場で顔合わせして意気投合したのでしょう、場所を替えつつ何度も対談しています。kikiさんご存知なら読み流してね。

    古今東西(東はちょっぴりだけど。七人の侍もでてきます。敏ちゃんの写真も)いろんな映画の制作裏話やトリビアもてんこ盛り。アカデミー賞取った『カンバーセーション・・・盗聴』の秘話やヒッチの『サイコ』と同時期オーソン・ウェルズが撮ったまるで双子のような映画『黒い罠』の話もでてくる。
    こちらもジャネット・リーが出てるし、なんとディートリッヒがこの映画で自分の最高の演技ができたと言ってるよ。どうして話題にならないんだ?他にも興味深いエピソードが次々でてきます。

    kikiさんお好きな『アラビアのロレンス』。ピーター・オトゥールの前にアルバート・フィニーがオファーされてたのは知ってたけど、なんと4日間撮影してたのね。ロレンスの衣装きたフィニーのスチール写真をこの本で見てびっくり!お宝写真だと思ったです。白っぽい現地風の服に袈裟懸けに弾帯かけて物憂げな顔つきで写ってます。今ではネットに上がっています。

    とか『ジュリア』では湖水地方でヨットに乗るバネッサ・レッドグレイブとジェーン・フォンダの美しい場面に撮影補助?で使う筏舟(とても散らかっていて食べかけのサンドイッチとか乗っていたらしい)が映り込んだのをマーチが編集で削った所、監督が何故そんなことする?とすったもんだの末結局撮影したままの手を加えないフィルムに落ち着いたのだそう。今でも(対談当時)マーチはフレッド・ジンネマンが何故そうしたのかわからないそうです。次回『ジュリア』を見るとき要チェックですよ☆

    映画好きには是非おすすめの一冊です。訳者あとがきで「藝術や創作という範疇にとどまらない英知がこの本には眠っているように思えてならない」と書いてます。
    話を『イングリッシュ・ペイシェント』に戻すとゴルトベルグ変奏曲の時代的背景はわからずじまいでした。でもピアノを弾くシーンのラフ編集では素晴らしい演奏のゴルトベルグ変奏曲を入れてたけど(誰かな?)、その後の編集ではあまり上手ではないけどずっとリアルな演奏に変えたんですって。ハナがグレン・グールド並みに弾くのは無理があるから(笑)。それから調律も微妙に狂わせて何カ月も雨風にさらされていたようにしたんだそうです。あ、ポワロ最終シリーズでも“ゴルトベルグ変奏曲”を演奏する場面がでてくるよ。またまた長くなってゴメンナサイ。では〜〜。

  • 2014/08/02 (Sat) 18:51

    ジェーンさん こんにちは。
    そして、強烈に長いコメントありがとうございまする(笑)
    8月になっちゃいましたねー。毎日お暑いことざます。蝉の声がかまびすしくなってくると8月だなぁと思いますね。
    さて。
    この映画、好きな人多いですわねー。まぁ多分原作の方がいいんだろうけど、映画は映画でよく出来ているというパターンの好例なんざんしょうかしらね。

    オンダーチェとウォルター・マーチとの対談集は未読ですわ。裏話系てんこもりなのは面白そうですね。今度、読んでみようかしらん。

    そして、当初はアルバート・フィニーが「アラビアのロレンス」のオファー受けてたなんて知りませんでしたわ。でも、ロレンスは小柄な人だったわけだから、イメージとしては若き日のフィニーの方が合ってたかもしれませぬわね。なんで降りた(降ろされた?)のかしらん。そっちの方に興味津々なり。

    「ジュリア」でヨットに乗るシーンて覚えてないわ。序盤の方かしらん。あの映画の頃はコンピューター編集じゃないから画面に映り込んだ余計なものを消すのは大変だったろうにね…。いずれにしても、今度「ジュリア」を見る事があったらそこらへんをチェックしてみますわ。

    バッハの“ゴルトベルグ変奏曲”はいろんなところで使われてますね。グレン・グールドのゴルトベルグ変奏曲”を愛聴している人物といえば、あのレクター博士もそうですね。「羊たちの沈黙」でも、彼がグレン・グールドの演奏をうっとりと聴くシーンがあったような気がします。
    ポワロ最終シリーズにも使われてるんですね。ポワロ最終シリーズは色々とチェック・ポイントが多いざんすね。ふほほ。

  • 2015/05/07 (Thu) 18:02
    Kikiさんのご推察の通りです

    こんにちは。
    「増量が役作りならお見事」 Kikiさんのご推察通りです。
    この作品の撮影前の集合写真(?)を見た事がありますが、
    コリン・ファースの素敵なこと!
    ミスター・ダーシーそのものでした。本当に素敵でした。
    だから髪型を変え、大増量したのでしょう。
    それでも、1997年の英オブザーバー紙にアンドリュー・ビレン氏が書いた
    記事によると、
    「よくこんな声を耳にしたものだ。カーキのショートズボンからひょろっとした足を出しているレイフ・ファインズなんかの為に、ファースを捨てる
    ような女なんて誰もいないわよ、と」
    折角の努力も無駄のようでした。

  • 2015/05/10 (Sun) 21:36

    Kaporさん
    この作品でのコリンは、役作りのために太った、という感じなんですか?
    ふぅん。そういうアプローチもするんですね(笑)
    しかし、折角のアプローチも無駄だったと。無駄でもなかったとは思いますが、コリンがやらなくてもいいんじゃないか、と思ってしまう役ではありますね。

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