華麗さと表現力と



もう1回だけフィギュアネタなのだけれど、昨今は最高難度の技を駆使するよりも、
総合的な構成や全体の印象などが重視される傾向が強くなってきたフィギュア・スケート。
つまりは「スポーツ性」よりも「芸術性」の方向に揺り戻しがかかったという事ですかね。
男子なら4回転ジャンプ、女子ならトリプルアクセルをぼんぼん決めるよりも、
ジャンプの難度は少し下げても全体の流れの中で効果的に入っている方が上に来る。
曲と衣装、曲想を表現しきれる「演技力」の上にルッツやサルコウなどのトリプルジャンプが
キレイに入ってくればいい。いかにプログラム全体が強く鮮やかな印象を残すか。
要は、会場の雰囲気をいかに掴んでしまうか、という事ですわね。

それゆえに選曲や全体のコンセプトの設定というのは非常に重要。
いたずらに重苦しい曲に合わせて滑り、難度の高いステップをこなし
トリプルアクセルさえ飛んでおけばいいってもんじゃないのだ。

そのためには、曲が流れ始めた途端に観客がその世界に惹き込まれて
しまうような音楽を選ぶという事がなにより肝要ってことになるわけで。




この点で、トリノの荒川静香は、まさにこれ以上はない曲を選んだ。
「トゥランドット」)だ。
イタリアでプッチーニのオペラ曲に乗って滑る。ゆるがせにできないポイントですね。
更には「誰も寝てはならぬ」を主体に、アレンジのいい演奏で曲を編集する。
最初はドラマティックでやや重たい旋律から始まって徐々に盛り上がり、
中盤近くスパイラルに入るあたりで、あの晴れ晴れとした
「誰も寝てはならぬ」に切り替わる。そしてあのクライマックス。
♪夜よ去れ 星よ沈め
 夜明けがくれば 私の勝利だ!
ロマンティックな上に、実に晴れ晴れとしている。
曲そのものが最高にいいんだもの。
王子カラフが夜明けの勝利を確信する歌だが、対するトゥランドットは氷の女だ。
それもクールな持ち味の荒川静香によく合っていた。
この曲に乗って、ポイントポイントを押さえて
悠々と滑った荒川静香は逆転で優勝した。
滑っている方も観ている方も陶然とするようなスケーティングだった。



彼女自身の強い希望でどうしても、と選んだ曲だった。
採点対象にならなくてもイナバウアーも思いっきり入れた。
要は、彼女自身がとても満足して、吹っ切れて晴れ晴れと
滑っていたから余計に素晴らしかったのだ。
自分が演じるプログラムに確信がもてなければ勝てるはずがない。
情感豊かな表現力も曲に乗って最高に発揮されていた。

が、表現力系のスケーターでもう一人、忘れてはならない人がいる。
アルベールビル五輪で伊藤みどりを抑えて優勝した
日系アメリカ人のクリスティ・ヤマグチである。
ヤマグチの母は第二次世界大戦中の日系人の収容所で生まれた。
アメリカにおける日系人の風雪は、彼女の世代になっても
その尻尾は残っている。ヤマグチは日本語もしゃべれないし、
生活も環境も意識もアメリカ育ちのアメリカ人かもしれないが、
彼女の繊細かつ抒情的で優雅な表現力の中に、
その血に流れる東洋的な情緒をまざまざと感じるのだ。


エモーショナルな表現力ならこの人が随一 クリスティ・ヤマグチ

クリスティ・ヤマグチは美人とは言えないが色気があり、
小柄だが細身で脚がキレイでプロポーションがよく、
スケーティングが優美で、曲想というものを常に意識して滑り、
特にその腕や指先の動きなどで曲のムードを見事に表現していた。
ワタシが最初に彼女を知ったのはアルベールビルの
優雅なる「美しく青きドナウ」だった。
続く「マラゲーニャ」でガッツーンと来た。



曲とアレンジと衣装、そして音楽を動きで表現する振り付けと
彼女の表現力に魅了された。ジャンプもダブル・アクセルがキレイだった。
何よりスケーティングの滑らかさ、美しさは伊藤みどりを遥かに凌いだ。
彼女には他に「サムソンとデリラ」、「シェラザード」などの当り演目が
あるが(フィギュアの定番といえば定番だが、このへんの曲選びも上手い)、
今回、久々にYoutubeであれこれとヤマグチの滑りを観ていて
ロミオとジュリエット」及び、真打ちとも言える「マダム・バタフライ」を発見した。
「ロミオとジュリエット」では、彼女の滑らかでいながらメリハリの効いた
華麗なスケーティングの美しさを堪能できるし(衣装もいい)、
「マダム・バタフライ」では女優にも匹敵する圧巻の表現力を観賞できる。
ワタシが唸ったのは殊に後者。
リンクに登場した時には、キモノをアレンジした衣装にも、髷っぽく結った髪にも
ゲンナリとして、そういうジャポニズムは勘弁よ?、と思っていたのだけど、
いざ滑り出すとその美しいスケーティングとエモーショナルな表現力に
目が釘付けになり、たちどころにヤマグチの演じる蝶々さんの世界に惹き込まれた。


蝶々さんを演じるクリスティ・ヤマグチ

蝶々さんだからといって、のっけから「ある晴れた日に」をベタにもって来ない。
出だしは「甘美な夜よ」でスィートに、かつロマンティックに滑り出す。
何もかもが輝いていた二人だけの幸せな日々。
だがやがて男は国に帰り、蝶々さんは丘の上の家に一人残される。
もう帰っては来ない、という周囲の声を振り払い、
ある晴れた日に、あの人はきっと帰ってくる、と確信を告げる。
私は子供と二人で、ずっと信じて待ち続ける、と。

満を持して、全体の終わり3分の1ぐらいから流れ出すあのメロディ。
曲の編集もうまい。クライマックスで愛児を抱きしめる仕草をするヤマグチ。
フィギュアスケーターは氷の上で4分間、曲のテーマを演じきれなければならないのだ。



「ある晴れた日に」の旋律は晴れ晴れとしている。しているけれども、
底にしんとした悲しみが潜んでいる。この青空のもとの悲しみとでもいうべき
ものが聴く者の胸を打つ。ワタシなどはその時の精神状態や体調などとは
無関係に、この曲を聴くといつも感興に打たれてふと涙が浮かんでしまう。
それは裏に流れる蝶々さんの物語?らしゃめんの悲劇というべきもの?と
一切関係なく、プッチーニの作り出したメロディに純粋に感興を呼び起こされて
涙が出てしまうのだ。全くの音楽の力である。
そのように音楽自体にドラマがあり余韻があり、吸引力のある曲を選ばなくてはダメなのだ。
が、しかし、いかにいい曲を使っていても、それを表現する才能がなければ猫に小判。
このヤマグチのしっとりとした情感溢れる蝶々さんと、トリノで転倒虫になって
ドタドタ転がっていた安藤美姫の、蝶々が聞いて呆れるブザマな芋虫さんとを
今更較べる間でもないが、分に過ぎた曲を選ぶと却って命取りだ、という
教訓にはなるかもしれない。



クリスティ・ヤマグチは滑らかなスケーティングと豊かな表現力という点において
稀有なスケーターだったと思う。
だが、日系人であるせいか、または、ややファニーフェイスのせいか、
フィギュア・スケートの勝者は過剰にもてはやされるアメリカにおいて、
オリンピック・チャンピオンには降るように入る筈のTVコマーシャルの依頼などが
当時、殆ど無かったとも聞いた。プロに転向して、結婚し、子供も産んで、
現在、プロ活動を再開しているかどうかは分からないが、
彼女のスケーターとしての輝かしい才能は、もっともっと評価されるべき
だと思うし、今後のスケーターたちが指標にするべきチャンピオンだと思う。

何はともあれ、
決め手は選曲とエモーショナルな表現力。これに華麗なスケーティングと、
ルッツやサルコウに加えて、1回程度トリプル・アクセルでも入れられれば鬼に金棒だ。



真央ちゃんもスケートの練習ばかりじゃなく、こういう
優れた先輩たちのスケーティングをじっくりと見て盗めるところは盗み、
映画や芝居を観たり、日本舞踊やバレエを習ったり、
演技の勉強もしてみたりして、
音楽を動きで表現する、という感覚に磨きをかけた方がいいと思う。
4年たってもまだ23歳。
若いってことは吸収できる物事や時間が沢山あるってことだもの。