about マダム・バタフライ


※明治時代の芸者さんの写真

先日、クリスティ・ヤマグチのスケーティングなどについて書いていて、彼女の滑る「マダム・バタフライ」を観ていたら、「蝶々夫人」のアリアをあれこれ聴きたくなり、手持ちのデッカ全曲盤CD「MADAMA BUTTERFLY(指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン、演奏:ウィーン・フィルハーモニーオーケストラ、蝶々さん:ミレッラ・フレーニ、ピンカートン:ルチアーノ・パヴァロッティ)」を随分久々に聴いてみた。パヴァロッティのピンカートンは言わずもがな、フレーニの可憐でややかぼそいような声も蝶々さんに合ってはいるが、彼女の「ある晴れた日に」はやや儚な過ぎる印象なのは変わらなかった。もうちょっと声を出してほしいかも、などとも思ったりする。可憐で小柄なミレッラ・フレーニは蝶々さんやミミが当り役で、確かに舞台で観るにはフレーニのような雰囲気じゃないと観ているのがキツイと思う。「蝶々夫人」は意図して前衛的な演出でやるのでない限り、余程きちんと風俗や時代考証をしないと、大層もなくキッチュな仮装大会になる懼れがある演目なのだ。



何せ明治時代の日本という時代設定に、キモノにマゲという二大障壁が立ちはだかっているので、年代が遡れば遡る程、その舞台は奇妙奇天烈、珍妙無類の何でもあり状態になる。近年はさすがにどっひゃ~!という感じの舞台は無いようだけど、昔は仏壇を開けるとドカンと布袋さんが鎮座していたり、大体中国だか日本だか分からない摩訶不思議な衣装と舞台セットで何かとキテレツ大行進になりがちだったようだ。また、体格のいいプリマドンナが奇妙な衣装で蝶々さんを演じると、毒蛾夫人になってしまったり、ドスコイ体型のプリマドンナだと熊夫人やゾウ夫人やクジラ夫人になってしまいがち。おまけに衣装や風俗の監修に日本人が全く入っていなかった場合には、珍妙なナンチャッテ髷や、キモノ風だけど何かだらしなくてズルズルとした異様な衣装などを纏わせられることになり、プリマドンナも非常に気の毒な事になったりする。太目の女性が変な髷でずくずくしたキモノ風ガウンで現れると、なんだかおすもうさんが女装してアリアを歌ってるみたいで甚だキツい。日本風味をうまくアレンジしてなおかつ洗練された衣装や舞台セット、演出をしてくれるのが望ましいところだが、これはなかなかに難しい事でしょうね。

例によってYoutube で見てちょっと受けたのがレナータ・テバルディの蝶々さん。衣装風俗的にはかなり頑張って日本風であるが、テバルディは大柄なので、ドッカーンと大きいぞ、という雰囲気の上に男顔というかなんというか、オカマのおじさんがキモノにカツラで扮装をしている、という感じで、歌唱はさすがに素晴らしいのだけど、申し訳ないがあまりに逞しくガッチリして、筋肉モリモリで髭がうっすら生えてそうな蝶々さんなので、どうにもあまり興が乗らない。歌声だけを聴くに限る、という感じである。
マリア・カラスも全曲録音をしているが、舞台では一度演じたかどうか、というところだったような気がする。カラスも蝶々さんというよりは雌虎さんという感じだし、やはり歌声だけを聴いていた方がいいだろう。
歌唱力(ちょっと声がかよわいけど)とルックスという点で、やはり最も蝶々さんを演じるにふさわしいプリマドンナは、ミレッラ・フレーニにとどめを刺すと思う。


レナータ・テバルディのおじさんの女装的蝶々さん 
どことなく「お熱いのがお好き」のトニー・カーティスの女装と雰囲気が似ている気がする


雌虎夫人という感じのマリア・カラスの蝶々夫人 …とって喰われそう 
この人はやはり「トスカ」や「トゥーランドット」が似合っている


ミレッラ・フレーニ   ふぅ… ほっと一息

ミレッラ・フレーニ+プラシド・ドミンゴのピンカートンでビデオ版があるようだ いいキャスティングですね

近年ではアンジェラ・ゲオルギュウなども蝶々さんを歌っているようだけど、この人は美人なのはいいがちょっと歌い方にクセがあるので、蝶々さんにはアクが強すぎるキライもある。

ちなみに、ワタシが持っている「蝶々夫人」の舞台収録モノは1986年のミラノ・スカラ座公演で、ロリン・マゼール指揮、浅利慶太の演出、森英恵の衣装、蝶々さんに日本人歌手・林康子というものだ。さすがにセットデザイン、衣装、演出が日本人なので、舞台空間としては見ていて違和感もなく、全体を貫く日本的様式美があり、場面転換では舞台上に黒子が登場してセットの障子をはめたりする演出や、第2幕から第3幕への長い間奏部分では、静かな悲しみを湛えた閑崎ひで女の地唄舞が障子越しに影絵のように見える演出なども、リリシズムに満ちて美しかった。



嫁入りの衣装や、透けた和傘をかざした蝶々さんを囲む輿入れの行列などもイタリア人が見たら、きっと良い意味の静かなエキゾティシズムを感じただろう。様式美を前面に押し出した自害シーンもそれなりに良かったと思う。ただ、タイトルロールの蝶々さんはどうもねぇ…。太短いし、おたべのおばさんが蝶々どっせ~!と出てきたみたいで、やはり歌声だけを聴いていた方がいい。まぁ、大抵は歌声だけ聴いていた方がいいんですわね。(笑)

 
林康子のおたべ風蝶々さん

「蝶々夫人」は、話としては旧態依然というか古色蒼然と言おうか、明治時代の長崎で、異国の海軍士官にその場限りの情けを受けた現地妻が、一人置き去りにされて3年がたち、男が去ってから生まれた子を一人で育てていたが、結局子供は取られ、男に捨てられた挙句に自害して果てるというお涙頂戴物語であって、そこに東洋蔑視や女性蔑視を見る人も多いだろうし、どんなに身勝手に振舞っても自分を待っていてくれるいじらしい女、という男のいい気な妄想的願望に冷笑が浮かんでしまう人もいると思う。が、こういう現地妻の物語は明治の黎明期の日本に限らず、第二次世界大戦後の日本にもたくさん発生したし、のちに経済発展した日本からアジア各地に出かけた日本の男性が現地の女性に対してピンカートンになってしまうという事態も頻発した。それに限らず、世界中どこででも、どこかの国と国のはざまで現在でも発生している物語でもあるだろう。
通俗的であるという事は普遍性があるということでもある。



「蝶々夫人」に話を戻すと、普通の芸者ならば置屋の女将の肝いりで次の旦那を早々に探して乗り換え、月々のお手当てもなしにピンカートンなんかじっと待ってはいなかろうが、操の堅い蝶々さんは、芸者に身を落としたものの生まれは士族の出であるために誇り高い。それまでの自分の世界を全て捨てて悲壮な覚悟で嫁いだのだから、その結婚は神聖であらねばならない。そして、その信念が無残に裏切られた事を知った時、彼女は誇り高いサムライの娘として短刀で自害する道を選ぶのである。
誇りを持って生きられぬなら、誇りを持って死ぬしかない。
「蝶々夫人」が、その極東のエキゾティシズムと共に欧米でも人気なのは、この「蝶々さんはゲイシャだがサムライの娘である」という部分も、案外見過ごせないポイントのように思う。ゲイシャとサムライ…いつまでも強力である。また蝶々さんのような女性は「トゥランドット」のリューとともに、プッチーニ先生のお好みの女性像でもありそうだ。ワタシは物語のお涙頂戴度も通俗性も、綺羅星のようなアリアを輝かせるための「設定」であるとしか思わないので、あまり気にはならない。そんな事を言い出したらオペラなんてどれもこれもそんなようなもんですしね。

アリアについては、前半の愛の二重唱と言われるあたりや、「ある晴れた日に」、そして蝶々さんの死のアリア「誇りを持って死ぬ」~「愛しい我が子」あたりが有名どころだが、その大アリアの前の繋ぎの部分などにもそれなりに聴かせどころがあり、間奏の部分にさりげなく盛り込まれた日本風のメロディなどが味わい深い。10代の頃に、一番最初にオペラというものを知った演目でもあるので、あちこちに自分だけの聴きどころがあったりもする。

だが、オペラでない、つまりプッチーニ先生の歌曲が付かない芝居や映画の「蝶々夫人」はちょっと観る気にはなれないのも確かだ。実は八千草薫が蝶々さん役で主演した映画があり、若かりし頃の八千草薫は可憐さといい、美しさといい、蝶々さんにピッタリだろうとは思うものの、きっとベタな内容と演出に違いないと推察され、映画として観るのはキツそうなので、観る機会があったとしてもあまり食指は動かないかもしれない。レアな作品らしく、これまでに一度もお目にかかった事はないのだけど…。この先お目にかかる機会はあるだろうか。


八千草薫の蝶々さんというキャスティングはバッチリだろうけれど…

映画に登場した蝶々さんで、印象に残っているものがひとつある。それは非常に意外な作品だと思うけれど、あの「男はつらいよ」シリーズの第24作目「寅次郎春の夢」である。これは随分昔のお正月に、母に付き合ってビデオか何かで観たのだが(うちの母は二枚目の出る映画も好きだし、寅さんシリーズも好きなんですのよ)、作品自体はどうということもない。惚れて振られて旅に出る、といういつもの寅さん映画である。が、この作品はアメリカから地味なコメディ俳優を呼んで来て、日米寅さん合戦みたいな趣向があり、このアメリカから来たヨレた中年白人の薬品セールスマンが、ひょんな事からとらやに暫く滞在することになり、親切に世話してくれるさくらにほのかな恋心を抱く。そんな折、地方にセールスに出たアメリカ寅さんは、さっぱり薬も売れず、誘われるままにドサ廻りの旅芝居を覗く。緞帳芝居の演目は「蝶々夫人」だった。みすぼらしい舞台の上で、田舎びた旅廻りの役者がチンドン屋的な音楽と化粧、衣装で演じる「蝶々夫人」を眺めているうちに、アメリカ寅さんの脳内に次第に妄想が渦巻き始める。侘しい舞台は忽然として青空の下の坂の上の家になり、日本髪に振り袖姿のさくらの蝶々さんが立っている。アメリカ寅さんは自らピンカートンになり、白い軍服で丘を駆け登っていき、可憐なさくらの蝶々さんとひしと抱き合う。



…というわけで、倍賞千恵子、クライマックスのあたりから一節、日本語の歌詞で「ある晴れた日に」の末尾を歌ってご覧にいれるのだが、実に見事。ちゃんと発声練習をした声で、本職のオペラ歌手も顔負けな歌声を聴かせてくれる。本当に短いシーンなのだが、倍賞千恵子の蝶々さんがあまりに見事だったので、ワタシはそれだけでこの映画を記憶している。容姿と歌声がまさに言う事なしの蝶々さんぶりで、思わずブラボー!と手を叩きそうになった。うらぶれた田舎のドサ廻り芝居の舞台から、妄想シーンに入って、歌声から登場するという演出もいかにも山田洋次チックだが効果的だった。倍賞千恵子って歌も芝居も本当に巧い。なんでも出来る凄い女優である。

映画に登場した蝶々夫人では「M.バタフライ」という珍品もある。これは1にも2にもジョン・ローンの女装が意外なまでにゴツかった(レナータ・テバルディといい勝負か)というのが印象に残っている。ちょうど同じ頃に「さらば、わが愛/覇王別姫」が封切られて、レスリー・チャンの女形姿が案外美しかったので、その対比がワタシの中では際立った感じがした。あららら~ジョン・ローンてかなりたくますぃのねん、と思った事だけを覚えている。でも、この映画を好む好事家も密かにけっこういそうではありますね。それにしても、ジョン・ローン。体が逞しすぎて女性だと思いこむのはそうとう鈍くないと無理じゃないの~という感じではあるけれど…それも好事家にはたまらんところなんでしょうか。奥の深そうな世界でございます。これは実話がベースだというのは有名な話だが、フランスの外交官をまどわせた実在の女形さんの写真を見た時、素顔で人民服だったせいもあるが、あまりに地味な男性だったので余計にあぁ、人生摩訶不思議という感慨が湧いたりもした。それもこれも舞台上の蝶々さんの面影が見せた幻なんでございましょうか。


なかなかにゴツいジョン・ローンの女装

というわけで、ことほどさように、「蝶々夫人」というのは様々な珍品を生み出し易い土壌を抱えたオペラなのだけど、一度、容姿・歌唱力ともにこれぞ!という歌手の蝶々さんで、素晴らしい舞台セット、いい演出のオペラの「マダム・バタフライ」を是非、ヨーロッパのどこかのオペラハウスで観賞してみたいなぁ、と漠然と思ったりしているkikiなのでございます。

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