「ヨコハマメリー」

2006年 中村高寛監督
?誰かメリーを知らないか?



ハマのメリーさんというのはヨコハマの都市伝説のようなものだった。伊勢佐木モールの片隅を、全財産の入ったバッグを提げて顔も髪も真っ白な老婆がゆっくりとよぎっていく。
曲がった背中に白いブラウス、道化のようなメイキャップ。(伊勢佐木町のジョーカーといった趣き)
あれは何? あれはメリーさんさ。 メリーさんて誰? メリーさんは横浜の名物さ。
ワタシも数年ヨコハマに住んでいた事はあるが、中華街や山手、元町にはよく行ったものの、伊勢佐木町・馬車道方面には2回ほどしか行かなかったし、そもそもワタシがヨコハマに住んだ頃には、メリーさんはもう伊勢佐木町から姿を消した後だった。だから、ワタシは噂のメリーさんを実際に目にする機会はなかった。
数年前にこのドキュメンタリーが話題になった時、ちょっと興味はあったのだけど、観に行くまでには至らずそのままになっていたのだが、今月、日本映画専門チャンネルで放映されたので観賞してみた。

本作の中村高寛監督は、かつて伊勢佐木町に行った折などに、町の景色の一部になっていたメリーさんをよく見かけたらしい。全身白づくめの彼女はひたすら異様で恐ろしく感じられただけだったが、彼がハタチぐらいの頃にふっとメリーさんが町から姿を消した事から彼女に興味が湧いたとか。調べていくと、自分は話をしたいとも思わなかったメリーさんと個人的な付き合いのあった人々がいるという事を知り、メリーさんの周辺人物たちのメンタリティにも好奇心が湧いて撮り始めたのであるらしい。

前にも何度か書いたけれど、子供の頃に遊びに連れていってもらったり、中華街にご飯を食べに行ったりした記憶の中のヨコハマは、東京にはない味があり、異国風で、謎に覆われて、こじゃれていて、港とか夜霧とか、そんなキーワードが似合うエキゾティックでノスタルジックな街だった。それゆえ、もしも東京以外の都市に住むなら断然ヨコハマだわ、となんとなく決めていた。

で、実際に住んでみたヨコハマは、総合すると、それまで抱いていたイメージとはかなり異なる都市だった。上海のバンド(外灘)がかつてフォールス・フロント(偽りの正面)と呼ばれたように、ハマの山手や関内やMM21などの港に沿ったキラキラのあたりは、ハマ以外の場所に住む人々がイメージするヨコハマのフォールス・フロントだと思う。あれはほんの一部分であり、ハマに人を引き寄せるための誘蛾灯だ。それは観光客のためのヨコハマであり、全体のごくごく一部に過ぎない。おおかたのヨコハマ市民は、港ともエキゾティシズムとも無縁な日々を送っている。ヨコハマといっても海とは無関係なエリアが大半。新しい町はどこも他と同じような新興住宅地であり、昔からある町は高級住宅地を除くと、どことなくうらぶれた風情が漂っている。ましてやヨコハマ郊外ともなれば、どこにでもある中途半端な田舎町である。

ヨコハマに住み始めて暫くして、伊勢佐木町?馬車道界隈を歩いてみた時、それまで漠然と抱いていたイメージと、実際の町のありようのギャップに驚いた。全体にもわりと漂う、この場末の空気はなんだろうか。
端的に言うと、その町はすでに終わっていた。盛りの時期を過ぎ、うらさびた気配が漂っていた。商店街に漂う独特のうらぶれたムード。流れ去る時代におき忘れられて空気が澱んでいる。あれあれ、伊勢佐木町ってもっと小粋なオトナの町だと思ってたんだけど…。伊勢佐木町といえば伊勢佐木町ブルース」である。青江美奈である。吐息と夜霧と汽笛である。男と女と粋な色恋のはずである。しかるにこれは一体どうしたことか。現在はもはや閉店してしまった松坂屋もその頃はまだ在ったが、「Matsuzakaya」という文字がうら寂しく見える程にシャビーな佇まいだった。
この伊勢佐木町の松坂屋は、ハマのメリーさんがよく立ち寄っていた場所の1つだったようだ。



ハマのメリーさんは、その昔、キャンプの米兵を相手に春をひさいでいた女たちの生き残りである。
伊勢佐木町にかつて存在した大衆酒場「根岸家」(この根岸家の様子は黒澤の「天国と地獄」の中でちらりと垣間見ることができる)は一般市民向けではなく、ヤクザな兄さんたちや、米兵が集うスポットだった。また、彼らをパンパン嬢がひっかける場でもあった。メリーさんは異様に上品な(または上品ぶった)言葉使いに白い化粧で、孤高の姿勢を貫いていたらしい。お高いメリーさんは、他の女性たちからは浮き上がった存在だったようだ。彼女がそんな稼業に身を落としたのは、父親亡きあと、戦後の混乱期を生き抜く為だっただろうが、その後、同業の女性たちが歳月とともにいずこかへ去った後も、メリーさんだけはなぜハマに残ったのか。彼女はなぜゆえ、厚い化粧に素顔を隠して伊勢佐木町に立ち続けたのか…。彼女はずっと定住の場所を持たずに全財産を入れたバッグを提げてさすらい続けていた。くる日もくる日も。年老いて、背中が曲がっても。いきつけの喫茶店も、いきつけの美容院も、他の客のクレームにより出入りを断られるという憂き目に遭いながら。


伊勢佐木町 「根岸家」 いかにもそれらしい雰囲気に溢れている

「根岸家」は倒産後、80年代に不審火により焼失。今は駐車場になっている

本作より前に、メリーさんの日常を追ったドキュメンタリーを撮ろうとしていた女性の話によれば、メリーさんが何十年もハマを去らずに生きてきた理由は、その昔、本気で惚れたアメリカの将校と過ごした思い出の町であり、彼が港から船で去っていった町であり、いつかまた海原の向こうから戻ってくるかもしれない町だから、だという。出来すぎではあるが、いかにもそれらしくもある。本当かもしれないし、作り話かもしれない。それもまたよし、である。
このドキュメンタリーは残念ながら完成せず、撮影されたフィルムもどこかに紛失してしまってそれきりらしい。日の目を観なくて実に残念。



1950年代は横須賀のGI相手にドブ板通りに立っていたメリーさんだが、兵隊には目もくれず、将校ばかりを追っていたらしい。異様におハイソな言葉使いに白い化粧、白い衣装で、ついたあだ名は「皇后陛下」。没落した宮家の出身だなどという世間の噂も利用しながら、将校を引っ掛けていたらしい。60年代に入り、40の声を聞いたメリーさんは横須賀からヨコハマに移り、もはや戦後ではなくなっても、町角に立って男の袖を引き続けた。

団 鬼六がメリーさんに後をつけられてビビッたというエピソードも団本人の口から語られている。普通、娼婦は陽気に客を引くものだが、彼女は黙って白い姿でずっとついて来るので、幽霊に付きまとわれているようで不気味だったとのこと。(案外ビビリである)

また、作家の山崎洋子が根岸の外人墓地について語ったくだりも印象深い。有名な山手の外人墓地は観光名所で、いわば開港以来のエリート外国人が葬られたのに対し、根岸の外人墓地は無名の外国人が埋葬された墓地。かつて戦後の混乱期には、生まれてすぐに死んだ混血児の赤ん坊の遺体が山手の外人墓地に置いていかれるようになった。あまりに数が増えるので、山手は観光地だし、根岸の方に埋葬しようということで、かなりな数の混血の赤ん坊がひっそりと根岸に葬られたらしい。そんな名も無き子供たちを、山崎は「メリーさんの子供たち」と呼ぶ。山手と根岸の2つの外人墓地。ここにもヨコハマの表の顔と裏の顔の縮図がある。そして山崎は、年々歳々濃くなっていったメリーさんの化粧について、「あれは仮面だ」と言う。素顔のままではとても生きられない生き方、しんどい人生を、白塗りの仮面をつけることで「メリーさん」という人物になって凌いできたのだ、と。異様な化粧や舞台衣装のような服装は、それを裏付けるものかもしれない。メリーという謎の人物、噂の女を演じることで、雨露凌ぐ家もない、長いさすらいの歳月を生き延びたのだろう。



決まった住いもない身の上ながら、彼女は人の情けを乞わなかった。昼は町のあちこちをさすらいながら、夜は伊勢佐木町GMビルの入り口でエレベーターガール(の、ようなもの)をやって僅かな小遣いを稼ぎ、そのビルの地下の廊下で、パイプ椅子と自分の荷物の上にちぢかまって眠った。施しを受けるのがキライで、いつも背筋を伸ばしていた。背中が曲がっても、出来る限り背筋を伸ばして澄ましていた。

そんな彼女が1995年を境に伊勢佐木町から姿を消す。
彼女が姿を消した後、彼女がいきつけだった美容院もなくなり、喫茶店も無くなった。彼女に着替えの場を提供していたクリーニング店も閉店して中華料理屋になった。松坂屋も無くなり、伊勢佐木町もさまがわりを始める。それは前向きな勢いのいい変化ではなく、時の流れに耐えられなくなったものから姿を消していくという変化である。ある種、彼女が町から消えた事が、ある時代の幕を引いたような観もある。

ヨコハマを去ったメリーはその後どうなったのか。生きているのか、それとも彼女はもう居ないのか…。

というわけで、街角や店先で、メリーさんと関わった人々の話によって、あぶり出されてくるハマのメリーさんという老女の佇まいと生き方、そして彼女が生きてきた時代の空気が画面からしみ出してくる。日本の戦後という時代を背景に、一人の娼婦の姿を通じてヨコハマという町の横顔も浮かび上がってくる。そして何よりこのドキュメンタリーは、「ハマのメリーさん」に対して人々の持つ様々な問いにちゃんと答えている事も大きなポイントだ。もちろん、その最たるものであるメリーさんの“その後”についてもきちんと紹介されている。丹念なインタビューによって、おぼろげな都市伝説だったヨコハマメリーに、生身の女性としての骨格と人生が与えられた感じがする。


かつての伊勢佐木町

ヨコハマメリーというのは、ワタシにとってある種のショックだった“うらぶれたヨコハマ”の象徴のような人物だ。彼女の根城は伊勢佐木町でなければならなかっただろう。元町ではメリーさんが荷物を持って彷徨い続けることなど到底出来なかったに違いない。だが、伊勢佐木町をうらぶれていると思うのはよその土地から来た人間の勝手な感想であって、伊勢佐木町界隈に住んでいた人々にとっては、別にうらぶれてなどいないのかもしれない。あの町は昔からああいう風情の町だったのだろう。栄えている頃にも、どこかそういう空気を宿していたんじゃないかという気がする。
よその土地の人間がイメージするキラキラしたよそゆきのヨコハマ以外の、昔からあるヨコハマは、どこかうらぶれた空気の漂うところが多い。桜木町も、埋立地のMM21は綺麗だが道を一本挟んだ昔ながらの桜木町は、どこか場末な空気の流れる猥雑な町である。それは馬車道や伊勢佐木町にも共通するニオイだ。そして桜木町に程近い日の出町、黄金町は有名なハマのスラムである。ヨコハマの中心部というのは、そもそも、港周辺の異国のニオイのする界隈や高級住宅地以外はそういう持ち味のところなのかもしれない。ワタシも長らくハマのフォールス・フロントに目くらましをされてきたクチだけれど、数年住んでみた事で観光客向けでないヨコハマのありようについても少し知る事ができた気がする。
このドキュメンタリーを見ていて、初めて伊勢佐木町界隈を歩いた時の印象を久々に思い出した。

コメント

  • 2010/04/01 (Thu) 11:07

    こんにちは
    何代も住んでるハマッ子の言葉って、ちょっと江戸弁と似てませんか?
    地続きだから当たり前かもしれませんが…

    監督さんは30代の方なんですよね
    根岸家のこまかい再現図など、男の子っぽくてわくわくしましたが
    映画全体が、数多の有名無名人が抱える彼女の思い出話で紡がれて行く
    昔の横浜のホログラフィのようでした
    kikiさんのように上手く表現できませんが、そのホログラフィの見せる泥臭さはちょっと懐かしいような感じでした

    終盤、永登さんのもとにメリーさんから届いた手紙は
    そこまでの流れで、伝説の異形の老女的に心の整理をつけようとしていた矢先だったので
    失礼ながら、なんか衝撃でした。
    (最後の最後でさらに…でしたが)
    きちんとした教育を受けた人でなければ書けない、美しく上品な字と語彙。
    戦争がなければ、それなりのお家の奥様として一生を送られたのかもと思ったりしました。

    ではまた

    • 五郎島金時 #-
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    • 編集
  • 2010/04/02 (Fri) 00:19

    五郎島金時さん、こんにちは。
    横浜の~じゃん系の言葉は確かに東京の下町言葉とされる言葉に近いニュアンスはあるかもしれませんね。でも、あの「てやんでぃ、チーン!」に代表される東京下町言葉は、本当のそれとは異なるというのを何かで読んだ事があります。
    監督さんは映画を撮っているつもりで撮った、と言ってましたね。今は駐車場になっているあの広い区画がそのまま根岸家だったのだと思うと、かなり広い店だったんですね。2階には芸者の呼べる座敷があったということですしね。

    メリーさんがあの稼業に身を落す前の人生は分からないのですが、実際のところはどうだったにせよ、常に誇り高く、すさもうと思えばいくらでもすさんでしまえる稼業に生きながら悠揚せまらぬ態度を崩さなかったという、その意志の力とプライドの高さには、ある種、敬服しますね。老境に入って、あるところでふっと消息をたってその後どうなったかわからぬままになった阿部 定と事変わり、ヨコハマメリーの老後が分かって少し安心しました。

  • 2015/05/06 (Wed) 08:12
    メリーさんを見たのは

    横浜で働いていたので、メリーさんを山下公園前の産業貿易センターで良く見ましたが、かなり異様でしたね。

    良くも悪くも横浜の国際性と言うのは、開港以来アメリカとの関係だったことが分かりますね。

    あの根岸屋に、仕事で大量の夜食を注文したことがあります。
    1970年代当時、夜中近くに食事を作ってくれる店などありませんでしたから。

    根岸屋の実景が出てくる映画は、藤田敏八の『新宿アウトロー、ぶっ飛ばせ』です。渡哲也と原田芳雄がここで酒を飲みます。

  • 2015/05/10 (Sun) 21:31

    メリーさんを目撃されたことがあるんですね。異様でしょうねぇ。
    70年代に、伊勢佐木町界隈で仕事をされていたんですか。70年代ならば、まだ昔のイメージがかなり残っていたんでしょうね。

    黒澤が根岸屋でロケをした、というのは、以前見た黒澤関係のドキュメンタリーでそんな風に紹介していたので、それを踏襲しています。

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